ここは国分寺崖線(ハケ)の最南端@等々力渓谷
御岳山古墳のあとは等々力渓谷へ。目黒通りを渡れば等々力不動。
左手から渓谷に降りる道がある。
国分寺崖線の最南端なんです。長い年月をかけて多摩川が削った崖です。
武蔵村山市に始まり、大岡昇平「武蔵野夫人」の告白シーンの舞台になった恋ケ窪、真姿の池湧水群、貫井神社、深大寺、武者小路実篤公園などの湧水地をつくり、はるか等々力まで続いているんだ。
この国分寺崖線がなかったら武蔵野の風景は、背の高いススキなどだけが生える、ただの野原だったろう。
台地と谷の高低差は10㍍。降りるとすぐに不動の滝。
もう目黒通りの騒音も聞こえない。竜の口からの流量は少ないが、よく見ると崖面の至る所から湧きだしている。
全部を集めるとかなりの量になる。これが多摩川の支流谷沢川に流れ込んでいる。
川筋をたどって行くと右手にただ一つ残された横穴墓がある。もっといっぱいあったらしいが、ほとんどが土砂に埋もれてしまった。
7世紀の小ボスのお墓だ。村長クラスか。野川沿いの三鷹市大沢にも同時代の横穴墓が発掘されている。
このころ多摩川流域の勢力地図は大田区、世田谷区から中流域に移ったようだ。最も上位の古墳は府中市の熊野神社古墳、三鷹市の国立天文台構内古墳。2つとも上円下方という珍しい形で、有力首長のものだ。
熊野神社古墳築造の数十年後に府中に武藏国府が置かれている。
なんとなく武藏南部古代の大まかな歴史がつながってきたな。武蔵全体では、北武蔵が勢力争いに勝ったようだ。彼らが埼玉県行田市のさきたま古墳群をつくりあげた。稲荷山古墳からはワカタケル(雄略天皇)の名が彫られた有名な鉄剣が発掘されている。
話は戻って、テレビで知ってる人も多いでしょうが、こんな谷が都区内に残ってるんです。
おじさん2人の散歩はまだ終わりません。渓谷をたどって等々力駅に戻ればいんですが、環八を左折して野毛方面に歩きます。
東横線多摩川駅の亀甲山古墳から始まってもう大分歩いたけど、2人とも結構元気です。
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