フォト
無料ブログはココログ

« ことしの土用はうなぎ暴騰で高嶺の花に・すでにぐんぐん上昇 | トップページ | 日本はタロイモ文化圏の北限・つーことが意味するもの »

2011年5月 8日 (日)

マムシグサはサトイモ科なのでタロイモ文化圏について考えた

サトイモ科が気になっている。ミズバショウ、ムサシアブミ、ミミガタテンナンショウなどをみて、独特の仏炎包(苞と表記しているのもある)が実にユーモラス。なんでこんな形をしてるんだろう?と見とれてしまう。

Cimg2945

これは4月下旬に野川公園の自然観察園で見つけた。

仏炎包が、毒蛇が鎌首をもたげて、あたりを見回しているようなので「マムシ」の名前がついたのかと独り合点、これがインドに生えていたら「コブラグサ」、沖縄だったら「ハブグサ」だと、くだらないことを考えて喜んでいた。

勝手な思い込みだったようだ。茎の模様がマムシを想起させるからなんですね。マムシなんて子どもの頃に見たきりだ。そういわれれば、マムシかもしれない。

まあ、あまり縁起は良さそうじゃない。お近づきになりたい感じではないな。


Cimg2942

これはムサシアブミ、マムシグサの隣に生えてます。武蔵の国でつくられた名産の鐙(馬具)に形が似ているので名付けられた。

武蔵鐙をつくっていたのが高麗郡の渡来人たち。半島から鐙の技術を携えてやってきたのだろう。

ペ・ヨンジュンの「太王四神記」を見ると高句麗は完全に騎馬民族ですね。

駿河、甲斐、相模などに住んでいた高句麗人1799人が移り住んで開いたのが高麗郡。今の埼玉県日高市。高句麗が滅んだのが668年、移住は716年。

彼らの子孫は武蔵各地に広がり、その地名を姓にして栄えて行く。坂東武者の少なからぬ人たちが後裔なんだと思っている。

ゆかりの姓をあげると、高麗井、駒井、井上、新、神田、丘登、岡上、本所、和田、吉川、大野、加藤、福泉、小谷野、阿部、金子、中山、武藤、芝木。

消失した高麗家の系図復活に尽力した支族の人たちです。

おっと寄り道しすぎた。

サトイモは畑に生えているのを見るが、花は見たことがないな。同じような仏炎包があるんだろうか。

サトイモはタロイモの仲間です。アジアの南の方ではタロイモが主食です。

日本に伝わったのは、はるか縄文時代。稲作の前にサトイモの田んぼがあったので稲作にスムーズに切り替わったと考える学者もいます。

長くなったので、タロイモ文化圏についてはまた今度。すみません、タイトルに偽りありです。

つづきはこちらです。気が向いたらよろしく。

« ことしの土用はうなぎ暴騰で高嶺の花に・すでにぐんぐん上昇 | トップページ | 日本はタロイモ文化圏の北限・つーことが意味するもの »

グルメ・クッキング」カテゴリの記事

三鷹市」カテゴリの記事

野の草や木」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1320081/39907648

この記事へのトラックバック一覧です: マムシグサはサトイモ科なのでタロイモ文化圏について考えた:

« ことしの土用はうなぎ暴騰で高嶺の花に・すでにぐんぐん上昇 | トップページ | 日本はタロイモ文化圏の北限・つーことが意味するもの »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30