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2011年5月19日 (木)

田園調布に古墳がそびえる@大田区田園調布

東横線の多摩川駅からものの5分で亀甲山(かめのこやま)古墳です。全長107・25㍍の大きなものです。一帯は多摩川台公園になっていて静かな散歩コース。いいところです。

Cimg3299

最大の仁徳陵古墳の486㍍には及びもつかないが、4世紀後半の東国に、このような大きな古墳が築かれていたというのは驚きです。

写真では全容がつかめませんが、右側が古墳の前方部と後円部の間のくびれのところです。

後円部の高さは11・75㍍、前方部は7・63㍍。結構でかい。

これを造らせるだけの権力を持った人が南武蔵には存在していた。

畿内で前方後円墳が築造されはじめたのは3世紀の中頃からというのが最近の学説。

卑弥呼の死は240年代の終わりといわれているから、そのすぐあとくらいから特異な形の古墳があらわれている。

箸墓古墳が卑弥呼の墓といわれるのもそんなことからなんですね。

それから百数十年で東国に大和政権とつながる権力者が出現している。

土着の首長が大和の政権と結びついたのか、それとも大和から来たグループがこの地を支配したのか。「謎の4世紀」は残された文字資料もなく、はっきりしたことは分かってません。

「前方後円墳の世界」(広瀬和雄、岩波新書)では「畿内とよばれた律令国家の中枢が、その前の古墳時代にも中央を形づくっていたのです。…古墳時代には(中央ー地方)の関係が成立し、いまの奈良県や大阪府には中央政権がつくられていたのです」とみている。

どのように地方を支配していたんだろうか。武力か文化か。大規模な戦いがあった形跡はないので、文化や技術が支配の道具だったのだろう。


Cimg3350_2

これは古墳展示室に置いてあるポストカード。

前方後円の形がよくわかります。所在地は大田区田園調布1−63。

宅地化されずによく残っていたもんだ。宅地になったとしても庶民には手の出る価格ではありません。

ここはどういうわけか発掘調査が行われていないので、埋葬施設や副葬品などの学術情報はほとんどありません。

ただ、円筒埴輪などがないので4世紀後半に造られたと推定されてるんです。

国の史跡は普通、公開が原則なんですが、周囲にはネットが張り巡らされ中に立ち入ることはできません。

さきたま古墳なんかちゃんと頂上まで登れるのにね。

では、どうして古代の人にここが選ばれたのか。


Cimg3305

はい、眼下は多摩川です。

多摩川を利用したり古代の道を行き来する人々に権力や権威を見せつけたんです。

丘の上の大きな墳墓はいやでも目立ったでしょう。

外来の勢力だから権威を誇示する必要があったのか。私はそうにらんでます。

次は古墳ロードをたどって宝来山古墳に向かいます。ここは亀甲山よりも100年ほど古く3世紀後半の築造と推定されている。

南武蔵最初の首長の墓なんだろう。

古墳時代の初期にはもう中央政権の枠に組み込まれていたんだ。

卑弥呼や壱与とそれに続く「中央政権」との関係はどうなっているのか。それが「大和政権」に直結するのか。

へぼ探偵の推理は続く。

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