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2011年5月の記事

2011年5月31日 (火)

愉快、愉快「五箇条のご誓文」庶民の解釈は性の解放

有名なあれ、「万機公論ニ決スヘシ」です。堅い話はパスーと即断しないでください。じゃなくてとってもやわらかい逸話なんです。一瞬だけご辛抱を。それを過ぎれば、ニヤッとすること請け合いです。

慶応4年3月 (元年ですが、まだ明治にはなってません、1868) に明治天皇が公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針ですね。

第3条がこれ。「…おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめん事を要す」。それぞれの意志がとげられるようにし、人々がやる気を失うようなことがないようにすべきである。

みんなが夢を叶えようと一生懸命に努力すればいい世の中になります。

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「土佐源氏」をきちんと読もうと、ひさしぶりに宮本常一さんの「忘れられた日本人」(岩波文庫)を引っ張りだしてきました。奥付を見ると「1990年 第16刷」なので、読むのは20年ぶりなのかな。

ここからがきょうの本題。

大阪・南河内の山の中の人々は、「おのおのその志を遂げ」を自分なりに解釈して、それっと行動した。

「方々のカカヌスミにいったのも、それから間もない頃であった」。カカヌスミですよ。すごい飛躍。

この地方には4月22日の「太子の会式」には、男女ともに誰と寝てもよかった。その「一夜ぼぼ」にはたくさんの人が出かけた。

かつては各地にこんな風習があった。

府中のくらやみ祭もそうですね。司馬遼太郎「燃えよ剣」の主人公土方歳三も、この祭りで宮司の娘と知り合う。宮司の猿渡家は今も大国魂神社の東側にあります。

古くは筑波山の「かがい」。性の解放というより近親婚を避ける意味合いが強かったんでしょう。

これまでは一夜だけだったが、村人たちのたがが外れた。天子さまのお許しを得たというのでカカヌスミは大流行り。

「いつでも誰とでもねてよいというので、昼間でも家の中でも山の中でもすきな女とねることがはやった。

それまで、結婚していない男女なら、よばいにいくことはあったが、亭主のある女とねることはなかった。

そういう制限もなくなった。

みなええ世の中じゃといってあそんでいたら、今度はそういうことはしてはならんと、警察がやかましく言うようになった」。

同書の「世間師⑵」より。

庶民なりに明治維新に高揚したんでしょう。何となく分かるな。

2011年5月30日 (月)

これぞ根性!イワガラミの気根に脱帽@調布野草園

この写真を見てください。何を写したのかって?

気根です、気根。知らない?。そうでしょ。私だってさっき知ったばかりです。

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枝からもじゃもじゃ出ているのが気根。

これで岩をもがっちりとつかまえてはい上っていくんです。

土の中の普通の根に対して空中に伸びるのが気根。

これにつかまれちゃ身動きもできないな。ツルアジサイにそっくりですがイワガラミです。

この年になって植物の不思議さにはびっくりしっぱなしです。

(植物に限らず、いかに自分が何も知らないかを痛感してる。知ったかぶりをしてたのが恥ずかしい)。

生き残るための努力、種の保存のための営みにはただただ脱帽、頭が下がります。

支柱にがっちりと絡み付いて伸びてます。

花も咲いてます。

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ピントが甘いのは毎度のことですみません。

写っているのはつぼみ。咲いてるのも撮ったんだけど、どうもピントがねえ。

お見せできる代物ではないので。

去年も来たんだけど気づかなかった。いかにのんべんだらりと見てるかがよくわかります。

節穴なんですね。

昔読んだ本を引っ張りだしても、まるで覚えてない。字面を追ってただけなんです。

と、きょうは反省大会。でも、ここから何が見えてくるのかな。少し楽しみ。

シーンはかわって…。

このページ、緑ばかりだな。

ということで赤紫を配します。

ムシトリナデシコです。

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これでいくらかバランスがとれたかな。

sign03  6月に入ると野草園は土日月と連休のときがありますので、ホームページで確認してください。

2011年5月29日 (日)

マチダもバルサの世界を堪能「これぞ世界最高峰」・バルセロナ3−1マンU

おっさんは早起きです。朝の3時半だってちゃんと起きてテレビの前に座ります。

A大サッカー部OBのマチダさんは、欧州チャンピオンズリーグの決勝を見終わった興奮のままメールを送ってきました。「まるでバスケットのような正確なパス」と、もう絶賛です。

試合経過はこうです。

バルセロナは前半27分、ペドロのゴールで先制。1―1の後半9分にはメッシが勝ち越しゴールを奪い、24分にはビジャが追加点を決めた。マンUは前半34分にルーニーが決めて同点としたが、バルサは主導権を握り続けマンUを寄せ付けなかった。


            soccer           soccer

Escut


バルサは手でパスをしていた。スポーツニュースとかで断片的にしか見られないバルサの世界を堪能した。

いやはやすごいの一語。

強くて速いマンUが引いて守ったのも意外だったけれど、どんな布陣でも崩してしまうのだから世界最高峰との自惚れも許しますよ。

あのマンUがぜいぜいいっちまうんだから。

次へ必ずつなげるバックパス、次のプレーがしやすいように意図を持った正確なトラップ。さらに相手マークを外す動きなどを見ていると、もうバスケットに近い。

明け方の眠い時間なのに、一気に目が覚めちまった。

最近、日本選手の技術は上がっているというけれど「でもなあ…」が、ホントのところでしょ。次元が違いすぎる。こればっかしはプロの歴史の差だから誰も責められない。


最高の試合でフル出場したパク・チソン。本来の役目とは違うポジションとはいえよく頑張った。アジア人としては称える。でも日本人としてはうらやましい限りだ。J卒国産1号は誰なんだろう。


            shoe            shoe

12月のクラブワールドカップが楽しみだなあ。

2011年5月28日 (土)

ことしはバッチリ!ムラサキの白い花@深大寺近くの調布野草園

明治の初めごろまでは、そこら中に生えてたのに絶滅危惧種になってしまったムラサキの開花状況を確かめに調布の野草園に出かけた(25日)。

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去年は予備知識もなく出かけて、ムラサキが咲いてるんだ!とちょっと舞い上がって写真を撮ったのでボケボケ。それでも図々しくブログに載せたのは6月14日。写真は見られたものじゃないけどムラサキについてあれこれ書き連ねてます。

お暇がありましたらこちらをご覧ください

そのリベンジのための様子見のつもりだったのに、なんと満開です。近づいたり離れたり人間ピントになってバチバチ撮りました。

この写真ならいいでしょう。特になんということのない小さな花です。希少種というから付加価値が生まれる。

江戸紫がどんな植物から採られているのか知らなきゃ江戸っ子じゃない、と勝手に理屈も付けました。

一応、先祖は、ご府内じゃないけど、杉並区の大宮前に江戸時代から住んでる。水飲み百姓だけどカッコつきの江戸っ子だい。きりりと粋な江戸紫の鉢巻きをしてみたいね。助六みたいに。

野川公園自然観察園のボランティアの人が、ここ調布の野草園に「ムラサキを分けてくれないか」とお願いに行ったことがあるそうだ。

でも、断られたんだって。

さすがに小石川植物園にはあるようだ。

ムラサキの向かい側の鉢で咲いてたのがヤツシロソウ。

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熊本県の八代で発見された絶滅危惧種。九州の山地にしか自生してないらしい。

こっちはポピュラーなミヤコワスレ。

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順徳天皇は本当にこの花で流刑のわびしさを慰められたんだろうか。普通の野菊だもん。後世の誰かが創作したんだろう。でも、詩的な名前を付けたよね。


2011年5月27日 (金)

野毛大塚古墳に上って古代の首長気分@世田谷区野毛

野毛大塚古墳はちゃんと、てっぺんまで上れます。上から下を見下ろしてこそ、当時の首長の気分が味わえる。古墳はこうでなくちゃ。

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おじさん2人の高級住宅地古墳ツアーも最終目的地。等々力渓谷を出て環八を用賀方向に10分ほど歩くと左手に玉川野毛町公園がある。

この奥にあるのが野毛大塚古墳。

築造当初の姿に復元されているので前方後円墳の全景がしっかりと分かる。正確には前方部が極端に短く帆立貝に似ているために帆立貝式古墳と呼ばれているらしい。

このため前方後円墳よりはワンランク下の首長がつくったと見られている。

勝手に、多分ヤマト朝廷の許可なしに前方後円墳をつくってはいけなかったようなんです。もうすでに身分制、階層性が確立されていたんですね。

築造は4世紀末から5世紀初め。「倭の五王」以前に畿内にできた政権が東国をも支配していたことになる。

円筒埴輪も置かれ、墳丘の斜面には葺き石が敷き詰められている。見上げると結構でかい。勢力を誇示するデモンストレーションとしては効果がありそうだ。

後円部の高さは10㍍、墳長は82㍍。

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前方部の周囲にはちゃんと堀も掘られていました。

この周壕が古墳の内と外、此岸と彼岸を隔てているのです。

横に道がついていててっぺんまで上れる。10㍍というと4階建てくらいか、おじさんにはきつい坂だ。

えっちらおっちら上ると見晴らしはすばらしい。

すぐ下に多摩川が流れ、はるかに丹沢の山々、そして富士山がのぞめる絶好の立地だということがよくわかる。

首長はここに葬られた。4基の埋葬施設があり、多量の武器、武具が副葬されていたのが特徴だ。武力で支配していたんだろう。

これで本日のツアーは終了。

帰りは野毛の住宅街をぶらついて大井町線の上野毛へ。

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「何だこの花は?」

とりあえずカメラに収めて調べてみるとブラシの木。花が瓶洗いのブラシみたいというので名づけられた。

さすが高級住宅街、ハイカラなものを植えてる。

よく歩いた。2万歩を超えていた。


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この高級住宅地古墳ツアーは、

田園調布に古墳がそびえる@大田区田園調布

関東最古の宝来山古墳が造られたのは3世紀後半らしい@大田区田園調布

まだまだ歩くぞ!高級住宅街の古墳めぐり@田園調布から等々力へ

ここは国分寺崖線(ハケ)の最南端@等々力渓谷

のシリーズで、亀甲山古墳、宝来公園、御岳山古墳、横穴墓をめぐりました。お時間があったら参照してみてください。

2011年5月26日 (木)

弘法神社って知ってます?・廃仏毀釈に抗した庶民の知恵

弘法神社なんて知りませんよね。こうぼうじゃなくて、ひろのり神社というらしいです。

察しのいい人は弘法大師を祀る神社とピンとくるでしょう。高野山にあるのか? でも、あり得ませんよね。

こういうことなんです。明治維新で神道中心の機運は高まるばかりで、廃仏的な風潮はエスカレートする一方。

お寺はみんな廃してしまおうとの極端な論調も生まれていた。ずっと神仏習合でやってきた庶民は戸惑うばかりで、こんなことがまことしやかにささやかれたんです。

すなわち真言宗総本山の東寺も神社にさせられ、名前も弘法神社に改められる、と。真宗の親鸞は大谷大明神の勅号を与えられるらしい、と。法隆寺だって聖徳神社に改められそうになった。

さすがにこれらは実行されず、風聞に過ぎなかったようだが、廃仏毀釈の嵐は凄まじかった。

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東京の片田舎野崎村(三鷹市)の野崎八幡の氏子たちも額を寄せあった。

「薬師さまをどうすべえ」。三鷹もちょっと前までは「べえべえ言葉」です。

薬師如来はどう考えたって仏教の仏さま。

神仏分離令で八幡さまに薬師さまを置いてはいけないとおふれもまわってきた。

ここに薬師さまが祀られたのは江戸の末期で、維新の直前。愛知県・鳳来寺の尼僧梅風尼が四国巡礼後にもたらし、以来毎年10月8日には「だんごまき」が行われてきた。

このだんごは薬師だんごと呼ばれ、薬師さまは眼病に霊験あらたかだったという。

うっちゃるわけにもいかないし、よそでも預かってくれない。農民たちは考えた。「八幡さまに置かなければいいんだ」。

こうして氏子たちは、順番に各自の家で薬師さまを預かることになった。15㌢ほどの小さな木像だ。

役人には知られないように、まわりもちは続けられた。「もうよかんべえ」と、八幡さまに戻ったのは実に約60年後の大正14年(1925)のこと。

それでも八幡さまと一緒にはせずに、なんと社務所に置かれた。今では薬師堂が建てられているが、いつのことかは知りません。多分戦後でしょう。

薬師さまがまわりもちの間も、だんごまきは欠かさずに行われたようだ。基本的には八幡さまの神事だとごまかしてたんでしょう。

庶民の勝ちですね。

もちろん、今でも10月8日の夜9時からだんごまきが行われてます。

ついでに廃仏毀釈のもう1つの例を。

それまで富士山頂に祀られていたのは大日如来で、山中にはさまざまな仏像があった。これらはすべて除かれ、山頂には浅間大神が奉斎された。

地名も文殊岳→三島岳、釈迦の割石→割石、薬師岳→久須志岳、釈迦岳→志良岳、大日堂→浅間堂ーーなどと改められた。

廃仏毀釈の悲喜劇はいっぱいありますのでいずれまた。

2011年5月25日 (水)

今どきの神社の屋根はチタンが流行り・銅は錆びて穴があくから

10時のお茶で休憩していた板金屋のおにいちゃんとむだ話。地震で壊れた瓦屋根をスレート葺きにしてるんだ。

屋根の葺き方についてプロの話に耳を傾ける。地震さえなければ、通風性、遮熱性などでやっぱり瓦が一番なんだけど、大きな地震がきたら今度は材料不足で補修がきかないとのことでスレートを推奨してるんだそうだ。

銅はどうなの?と水を向けたら、

「神社は樋を銅にしてるでしょ。雨水で穴があくことがある」。

銅葺きも酸性雨に弱いということで近頃はチタンが主流だとか。


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そういわれれば神社の屋根は銅葺きで赤いかなという気がする。

それが錆びて渋い色合いになってるんだ。

しげしげと見たことないのでピンと来ない。

見透かされて「野崎八幡は建て替えたばかりでしょ。あれがチタン」。

道路の拡幅で建て替えたのは知っている。

それ行けっと三鷹市野崎の野崎八幡へ。

なるほどー。青緑というのか、緑青というのか、しっとりとした色合いだ。

真新しい柱や板壁になじんでいる。

値段は張るけど、みっともない普請はできない。見る人が見れば分かるように、きっちりとつくってるんだな。

ここの氏子は農家が多くて金持ちだから可能だったんだろう。

野崎は元禄(1688〜1703)の初めごろ、深大寺や仙川の農民によって開かれたのが最初。吉野姓が多い。自由民権運動の吉野泰三がここの旧家。

吉野家は奥多摩の檜原村から来たとか、御嶽の神職の出だとか、あるいは奥多摩でとれた炭を馬の背にくくりつけて江戸へ運んでいるうちに道中のこの土地が気に入って住み着いたなどといわれているが、はっきりとしたことは分からない。

吉野泰三家には、新選組の土方歳三の姪が嫁に来てるんだって。三多摩自由民権のネットワークだな。

ちょっと説明すると、土方や近藤、新選組を支えたのは多摩の名主層。この人たちが明治初期の自由民権運動の中心になっていった。(これをテーマにしたのが佐藤文明「未完の『多摩共和国』新選組と民権の郷」(凱風社)。高校の後輩で注目してたけど、今年1月に亡くなった。4月に福島瑞穂、保坂展人らも発起人になり偲ぶ会が開かれたようだ)。

姪は多分、歳三の姉が嫁いだ日野の佐藤家。

隣の境村(武蔵野市)の高橋家は檜原村から移り住んだ。このことはこちらで触れてます。


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野崎の北側は井口という小字。

井口家は練馬、武蔵野市の旧家で、三鷹の開拓地を井口と名づけた。ここの開拓に応じたのも檜原の人々。

島田、小林、吉野、大野姓の祖先がそうだ。小中学校の同級に何人かいたな。

中でも市川家は檜原村中里の出身で、元禄13年(1700)に移住したと檜原の市川家に記録が残されている。

今でも檜原と井口の市川家は親戚付き合いをしてるんだそうだ。玉川上水のおかげで武蔵野の各地に新田が開かれ、山から人が下りてきたんだ。

以上は三鷹図書館で借りた「西三鷹むかしむかし」(編集委員会編、井口地区住民協議会発行)にお世話になりました。

板金屋のお兄ちゃんとのむだ話から、どんどん脱線してます。

それていくついでに次回は、廃仏毀釈と庶民の知恵の一席にします。野崎八幡の薬師さまをめぐって氏子たちが、まんまとお上の目をくらましたエピソードです。

2011年5月24日 (火)

ここは国分寺崖線(ハケ)の最南端@等々力渓谷

御岳山古墳のあとは等々力渓谷へ。目黒通りを渡れば等々力不動。

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左手から渓谷に降りる道がある。

国分寺崖線の最南端なんです。長い年月をかけて多摩川が削った崖です。

武蔵村山市に始まり、大岡昇平「武蔵野夫人」の告白シーンの舞台になった恋ケ窪真姿の池湧水群貫井神社、深大寺、武者小路実篤公園などの湧水地をつくり、はるか等々力まで続いているんだ。

この国分寺崖線がなかったら武蔵野の風景は、背の高いススキなどだけが生える、ただの野原だったろう。

台地と谷の高低差は10㍍。降りるとすぐに不動の滝。

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もう目黒通りの騒音も聞こえない。竜の口からの流量は少ないが、よく見ると崖面の至る所から湧きだしている。

全部を集めるとかなりの量になる。これが多摩川の支流谷沢川に流れ込んでいる。

川筋をたどって行くと右手にただ一つ残された横穴墓がある。もっといっぱいあったらしいが、ほとんどが土砂に埋もれてしまった。

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7世紀の小ボスのお墓だ。村長クラスか。野川沿いの三鷹市大沢にも同時代の横穴墓が発掘されている。

このころ多摩川流域の勢力地図は大田区、世田谷区から中流域に移ったようだ。最も上位の古墳は府中市の熊野神社古墳、三鷹市の国立天文台構内古墳。2つとも上円下方という珍しい形で、有力首長のものだ。

熊野神社古墳築造の数十年後に府中に武藏国府が置かれている。

なんとなく武藏南部古代の大まかな歴史がつながってきたな。武蔵全体では、北武蔵が勢力争いに勝ったようだ。彼らが埼玉県行田市のさきたま古墳群をつくりあげた。稲荷山古墳からはワカタケル(雄略天皇)の名が彫られた有名な鉄剣が発掘されている。

話は戻って、テレビで知ってる人も多いでしょうが、こんな谷が都区内に残ってるんです。

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おじさん2人の散歩はまだ終わりません。渓谷をたどって等々力駅に戻ればいんですが、環八を左折して野毛方面に歩きます。

東横線多摩川駅の亀甲山古墳から始まってもう大分歩いたけど、2人とも結構元気です。


2011年5月23日 (月)

まだまだ歩くぞ!高級住宅街の古墳めぐり@田園調布から等々力へ

3世紀後半という関東地方最古の宝来山古墳を確認したあとは、等々力の御岳山古墳と等々力渓谷内の横穴墓を目指す。

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宝来山古墳の下にあるのが宝来公園。田園調布とは思えない、というよりだからこそなのか、自然豊かな公園だ。

雑木林に囲まれ池にはショウブが。武蔵野の面影を残してる。

公園を抜けて駅へ。田園調布の道は駅から放射状なので、どのみちをたどっても駅に行き着ける。便利だね。

ほら駅が見えてきた。昔の駅舎が保存されている。ひさしぶりだなあ。

ここ出身の友人もいなかったし、下宿屋やアパートなんかないから東横線で通学していたが、縁はなかった。

それでも高級住宅街の物見遊山で降りたことがある。それ以来だ。

これは駅の隣にある証券会社。無粋なビルではありません。

銀行も2階建てのビルに入っていて景観が保たれている。

今どきの個性が失われた駅前とは格段に雰囲気が違う。

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自由が丘で乗り換え。ホームから見る自由が丘も全く記憶にない景色だ。

もっとも40年前もあまり縁はなく、映画館の武蔵野推理劇場に行ったくらいか。

大井町線の等々力で下車し10分ほど歩くと多摩川を見下ろす崖の上にあるのが御岳山古墳。

墳長57㍍の大型円墳、または帆立貝式古墳。造成で削られちゃったので形が分からないんです。

5世紀中ごろに多摩川流域を支配した首長のものと見られてます。

宝来山が3世紀後半、亀甲山が4世紀後半、そして御岳山が5世紀中ごろ。多摩川下流域にはほぼ連続して豪族がいたんですね。

おそらく豪族、首長が支配したのは多摩川の対岸、川崎市側で米をつくっていた人々。その人たちは古墳を見上げながら首長たちの意向にしたがっていたのか。

登り口の扉はカギがかけられ御岳山古墳には上れません。

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一番上に小さな祠が見える。古墳の地が神社になっていることは多い。

聖なる場所は古代も近代もかわらないんですね。

広い目黒通りを渡れば、そこは等々力不動、等々力渓谷。

恥ずかしながら渓谷を訪ねるのは初めてです。

「名古屋は上がり目なし」悪童マチダがJリーグ中間総括

A大サッカー部OBのマチダさんの週末はJリーグざんまい。

今季は勢力図の変化が顕著。あぐらをかいたりゆるみが生じると、噛み合なくなるんですね。微妙なもんだ。

序盤戦のマチダリポート。

             soccer          soccer


名古屋不調の主因は昨年Vのせいでしょう。

ACLのスケジュール、主力の怪我もあるでしょうが、何よりチーム全体に妙な達成感があるように映ります。目下首位の柏に引き分けは上等かもしれません。

でも勝ち切れないのは攻撃があまりにものんびりしていて相手を崩していないからでしょう。今のところ上がり目はないです。

磐田がかつての強さを取り戻すしつつあるようです。

福岡が相手なので割引になるとはいえ、好きなようにボール支配ができていました。

ただ、3得点後のやや気を抜いたボール回しが気になりました。

ほぼ勝利が確定したからでしょうが、まだ前半。FWが動いているのにBK同士で横パスを交換して休んでいるかのように見えたのが残念です。

2011年5月22日 (日)

《「世界的映画監督」の貧困な想像力》に拍手 by赤川次郎

作家の赤川次郎って、こんな時事的な発言もするんだ。知らなかったなあ。平易に指摘していてしかも的を射てる。失礼な言い方ながら、見直しました。

5月20日の朝日新聞夕刊5ページの連載コラム「三毛猫ホームズ 芸術三昧」、いつもはパスしがちなんだけど見出しに惹かれて読みはじめた。「想像力ない原発論議」。

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※写真は野川公園のキショウブ。帰化植物なので、やたらはびこってます。

和種のショウブには黄色がなかったので明治時代にヨーロッパから輸入したのが、水を伝って繁殖してしまった。

※ちょっとゲージツ的に撮ってみました。俗で貧困なゲージツ精神! 本文とは関係ありません。為念。

赤川さんは、「目に見えず、臭いもしない放射能の恐怖は、人間の想像力への挑戦のようだ」と振っておいて、作家と映画監督がこの挑戦をどう受け止めたのか例を挙げる。

原発推進の立場の某作家(誰のことでしょう?)は、モチをのどに詰まらせてお年寄りが亡くなるが、モチは禁止しない、同様に北野武は、交通事故の年間死亡者を考えて、自動車に乗るのをやめようとはいわない——。

北野武がどこでこのような発言をしたのか、ほとんどテレビも見ないし、雑誌も読まないので確認はしてません。

北野武はもっと直感的に本質を見抜く人だと思っていた。

こんな俗なたとえをする人だったなんて。そのへんのおっさんと同じレベルだね。

赤川さんは、まず貧しい想像力の作家と映画監督に、子供でも分かるようにジャブを放つ。

「もし年寄りが一人、モチを喉に詰まらせて死んだら、その家から半径20㌔の住民は避難しなければならず、何十年も故郷に帰れないとしたら、そんなものを誰が食べるだろうか」

「車が一台事故を起こす度に、その車を石棺で覆わなければならなかったら、日本中の道路はどこも走れなくなるだろう。そんな乗り物が普及するはずもない」。

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※これはムラサキシキブ。うす紫の花が咲くまでもうちょっと。ムラサキシキミと呼ばれていたのをシキブにしちゃったんだそうだ。

そしてとどめを刺す。

「『モチ』だの『車』だの、『普通の事故』になぞらえること自体、原発の最大の問題点を無視した無意味な議論である。

『世界的映画監督』の想像力はこの程度のものなのか」。

小気味いいね。

そういえば、この10年の北野武作品はずれているようだ。「BROTHER」はやくざ映画のオマージュにもなってなかったし、「座頭市」は殺陣のアイデアだけ、「監督・ばんざい!」は見たような気もするが覚えてない。その程度。

「アウトレイジ」は「BROTHER」に失望したので見ていない。

赤川さんの作品は、まともに読んだことはないが、仕事がらみで必要に迫られたときに、場面転換の緩急がうまいなと思ったことはある。


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※ハンショウヅル。半鐘みたいだからですね。半鐘も見かけなくなったなあ。

1948年の早生まれで国立(くにたち)の桐朋高校卒。サラリーマン時代に同じ学年のやつがいたな。

隣の市の高校だから、やや親近感がある。まじめな感じの人で、作家といわれなければ有能な公務員。

時おりリベラルな発言をしているらしい。知りませんでした。

来週も読んでみよう。

2011年5月21日 (土)

関東最古の宝来山古墳が造られたのは3世紀後半らしい@大田区田園調布

田園調布の古墳群を歩いている。多摩川沿いの丘が公園になっていて、雑木の大木が日差しをさえぎってくれるので散歩には最適だ。

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全長107㍍の亀甲山(かめのこやま)古墳に続いているのは円墳群。8号墳まで連なっている。土まんじゅうのお墓ですね。

4世紀後半築造とみられる前方後円墳の亀甲山より古いと思ったら大間違い。ずっと新しいんです。

6世紀末から7世紀中ごろ。前方後円墳は流行遅れになってしまったんです。

仏教伝来と関係がありそうです。飛鳥ではもう飛鳥寺(法興寺)が6世紀末ごろには創建されてます。

先祖の霊は寺で祀るようになってきたんですね。

強大な勢力を持った地方首長がいなくなったこともあるだろう。

古墳群をたどって行くと、この中で最も古い宝来山古墳がある。

墳長97㍍の前方後円墳。後円部は宅地造成で削られてしまった。囲いがしてあって墳丘には立ち入れない。

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一応写真は撮ったんですが、斜面に木が茂っているだけ。分かりませんね。

これは関東地方でも最古の古墳の一つと見られてます。

4世紀前半説が定説のようだが、最近では少しさかのぼって3世紀後半と推定する学者もいる。

そのころの畿内は、崇神王朝が三輪山のふもとに本拠を構えていた。

崇神王朝は栃木、群馬の毛野君(上毛と下野)と密接な関係があったようだが、多摩川下流域にも進出していたのか。

卑弥呼の死(240年代の終わりごろ)からは半世紀も経っていない。

それなのに初期大和政権が成立していたのか。邪馬台国との関係はどうなるんだろう。

崇神天皇のおくりな、ハツクニシラススメラミコトも気になるなあ。

ずっと邪馬台国北九州説が妥当だと考えてたんですが、へぼ探偵は、最近ぐらついてます。

古墳散歩は、東横線の田園調布駅に戻って別の古墳を目指す。


2011年5月20日 (金)

ようやく瓦屋さんが・怖いです酸性雨の影響も

「震災から一日も休んでないんだ。倒れそうだよ。若いもんがいないからね」

「ご苦労さんです。で、請け負った屋根を直すのはいつまでかかります?」

「そうだなあ、年内はかかるな」

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「ずっと休みなしですか。どの辺に被害が集中してますか?」

「石神井とか善福寺。池のあたりはひどいね」

川筋の地盤が弱いんだ。谷を埋めて宅地にしてしまった。

震災直後にお願いしていた瓦屋さんが、ようやくわが家にきてくれました。

近頃は瓦葺きの屋根が減り、スレートが主流になってしまったので瓦屋さんは少なくなる一方。

三鷹でもお願いした親方のところくらいになってしまったそうだ。斜陽だから当然、後継者難。

親方は「年寄りが頑張らなくちゃならない」とこぼしてました。

わが家は棟瓦の一部がずれたていどだが、中に詰めてあった赤土を取り除き、新素材の「シルガード」とかいう水にも強く、強度のあるものに変えるので職人さんが一日仕事。

瓦と瓦を結んでいた針金も新しくしてました。

なんでも酸性雨で針金が溶けちゃうんだそうだ。恐ろしいね。

「銅葺きの屋根がはやったでしょ。赤いやつ。一生大丈夫といわれてたのに銀紙みたいにぺなぺなだよ」

そうか、銅は酸に弱いもんね。これも想定外。

放射能が降ってなくても子供は雨にうたれちゃいけないな。

酸性雨なんて誰も騒いでないけど、知らず知らずにいろんなものを蝕んでる。怖いことだ。

2011年5月19日 (木)

田園調布に古墳がそびえる@大田区田園調布

東横線の多摩川駅からものの5分で亀甲山(かめのこやま)古墳です。全長107・25㍍の大きなものです。一帯は多摩川台公園になっていて静かな散歩コース。いいところです。

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最大の仁徳陵古墳の486㍍には及びもつかないが、4世紀後半の東国に、このような大きな古墳が築かれていたというのは驚きです。

写真では全容がつかめませんが、右側が古墳の前方部と後円部の間のくびれのところです。

後円部の高さは11・75㍍、前方部は7・63㍍。結構でかい。

これを造らせるだけの権力を持った人が南武蔵には存在していた。

畿内で前方後円墳が築造されはじめたのは3世紀の中頃からというのが最近の学説。

卑弥呼の死は240年代の終わりといわれているから、そのすぐあとくらいから特異な形の古墳があらわれている。

箸墓古墳が卑弥呼の墓といわれるのもそんなことからなんですね。

それから百数十年で東国に大和政権とつながる権力者が出現している。

土着の首長が大和の政権と結びついたのか、それとも大和から来たグループがこの地を支配したのか。「謎の4世紀」は残された文字資料もなく、はっきりしたことは分かってません。

「前方後円墳の世界」(広瀬和雄、岩波新書)では「畿内とよばれた律令国家の中枢が、その前の古墳時代にも中央を形づくっていたのです。…古墳時代には(中央ー地方)の関係が成立し、いまの奈良県や大阪府には中央政権がつくられていたのです」とみている。

どのように地方を支配していたんだろうか。武力か文化か。大規模な戦いがあった形跡はないので、文化や技術が支配の道具だったのだろう。


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これは古墳展示室に置いてあるポストカード。

前方後円の形がよくわかります。所在地は大田区田園調布1−63。

宅地化されずによく残っていたもんだ。宅地になったとしても庶民には手の出る価格ではありません。

ここはどういうわけか発掘調査が行われていないので、埋葬施設や副葬品などの学術情報はほとんどありません。

ただ、円筒埴輪などがないので4世紀後半に造られたと推定されてるんです。

国の史跡は普通、公開が原則なんですが、周囲にはネットが張り巡らされ中に立ち入ることはできません。

さきたま古墳なんかちゃんと頂上まで登れるのにね。

では、どうして古代の人にここが選ばれたのか。


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はい、眼下は多摩川です。

多摩川を利用したり古代の道を行き来する人々に権力や権威を見せつけたんです。

丘の上の大きな墳墓はいやでも目立ったでしょう。

外来の勢力だから権威を誇示する必要があったのか。私はそうにらんでます。

次は古墳ロードをたどって宝来山古墳に向かいます。ここは亀甲山よりも100年ほど古く3世紀後半の築造と推定されている。

南武蔵最初の首長の墓なんだろう。

古墳時代の初期にはもう中央政権の枠に組み込まれていたんだ。

卑弥呼や壱与とそれに続く「中央政権」との関係はどうなっているのか。それが「大和政権」に直結するのか。

へぼ探偵の推理は続く。

2011年5月18日 (水)

きのこ雲?@福島市3月19日

「こんな写真撮ったんだ」。

福島市からやってきた友が携帯の写真を見せてくれた。

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撮影は3月19日、福島市内。雲が輪になっている。めずらしい。

飛行機雲が風の関係で円くなったのでしょうか?

3月19日は月が地球に最接近した「スーパームーン」で、距離は35万6577㍍、1992年以来、19年ぶりの接近だった。

その引力の関係だろうか。

友人は「きのこ雲」と名づけてる。

福島市内は放射能の値が高いから何か影響があるのか。

長いこと生きてきたが、初めて見ました。なんなんでしょうね。

   train

待ち合わせ場所は渋谷。何年ぶりだろうか。6、7年は渋谷に行ってない。


東横線の改札で落ち合いたいのだが、迷うと困るのでやっぱりハチ公前。

あれれ、電車が置いてあるぞ。

懐かしいな、東横線の各駅停車は、この旧型の車両だった。

中に入って座席に腰掛けて休んでいる人もいる。グッドアイデアだ。

「この車両乗ってたよな」

「そうそう、こんな電車だった」

東横線で使われていたのは昭和29年から45年までだから、間違いなく乗ってる。

超軽量電車5000型、通称あおがえる。


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06年に「渋谷の歴史を大切にする」などの理由で設置されたんだそうだ。

ここで友人にクイズ。「東横線は渋谷からどこまで走ってるでしょう」

「桜木町」

ブブー。意地悪をして、答えは東横線に乗るまでお預け。

友人はホームの行き先表示の「元町・中華街」を見てびっくり。

みなとみらい線との乗り入れは2004年のことだから、7年も前になるんだけど、知らないよね。

これも見せとかなきゃ。

JRと井の頭線の改札をつなぐ通路の巨大壁画。岡本太郎の「明日の神話」。

東横デパートの催事場で「名古屋でらうま市」をやってたので「天むすでも買って公園で食べよう」と提案し即座にオーケー。

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行く先は東横線の多摩川。昔の多摩川園前。多摩川園がなくなっちゃったもんね。でも学芸大学と都立大学は移転してとうの昔にないのに駅名に名を留めてるのは、いかに。

多摩川台公園の古墳群を目指します。

まずは全長107・25㍍の前方後円墳、亀甲山古墳。


2011年5月17日 (火)

浅間山からは富士山が大きく見える@浅間山公園

きょう(15日)は富士山が見えた。国土交通省が選定している富士見百景にも選ばれている浅間山からの富士山は、自宅のある三鷹からのよりも大きい。

太宰治がここから眺めたら驚くんじゃないか。

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わかりますか?ビルの向こうの丹沢?の山々の上にそびえてます。真っ白です。

肉眼はもっとはっきりしてるんですが、写真では難しいですね。

中学のときに登った三つ峠からの富士は絶景だった。山頂で日が暮れたので、無断で茶屋に泊まった。

翌日、河口湖に下りたら「あんたたち、泊まってたでしょ。花火が見えたので悪い人じゃないと安心したけど」。おばさんに軽くたしなめられたのもいい思い出。

そうそう、ムサシノキスゲは真っ盛り。

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自然保護会のボランティアの人とおしゃべり。

「増えてますね」

「このへんも去年はなかったんだけど、こんなに増えてる。3年後には浅間山中がに広がってるでしょう」

そりゃすごい。

キンラン、ギンランはほぼ終わりです。6月にはイチヤクソウ、夏にはヤマユリが楽しめるそうだ。

帰りがけに多磨墓地散歩。

これは珍しい。

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初めて見ましたカタカナ。どうしてなんでしょう。うかがってみたいですね。

こちらは墓標の横にスケート靴が。

台座に「大切なメンバーみんなへ」と掘られている。彼女の筆跡のようだ。

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いくつの少女だったんだろう。頑張ったんだね。


2011年5月16日 (月)

大人も子どももザリガニ採りに夢中@野川公園

男の子も女の子もバシャバシャ野川に入って流れをのぞき込み小魚やザリガニ探しに夢中です。土手に座ってながめていると、いやなことなんかみんな忘れてしまいます。

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とはいいながらやっぱりねえ。

九州にいる「きっこさん」はカナダ経由オーストラリアに避難する、とつぶやいていた。

足柄のお茶も汚染されていた。きのう狭山のおばからは「狭山茶は大丈夫」と電話があった。いつも新茶を送ってもらってるんだ。基準値は下回ってるんだけどねえ。おじさんは飲んでもいいだろ。

福島県では、北塩原村のワカサギといわきのアユから基準値を上回るセシウムが検出された。

福島原発もいつになったら放射能漏れを止めることができるのやら。「工程表」は大幅に見直しだ。

このままだと東日本は映画「渚にて」(監督スタンリー・クレイマー、出演グレゴリー・ペック、エヴァ・ガードナー、フレッド・アステア、アンソニー・パーキンス)になっちゃう。米も野菜も魚も肉も食べられなかったら、どこかに行くしかない。

♬ワルチング・マチルダ ワルチング・マチルダ・・・。誰もいなくなった町には「まだ時間はある」と書かれた横断幕だけがひらめいている。

東日本の住民に、時間はあるのか、ないのか。

子供のときに見てラストに衝撃を受けた記憶がある。親に連れて行かれたのだろうか。中学生だから自分では核の恐怖の映画なんて見ないもんね。

吉祥寺ムサシノ(丸井になってるとこにあった)あたりで見たのか。

1960年ころはまだ、原爆の恐怖が日本人の心に深く刻み込まれていたので、子供にも見せておこうと考えたんだろう。平和利用でも絶対に核は反対だった。

いつの間にか洗脳され、原爆の恐怖も薄れてしまった。怖いことだ。

つちをかえせ うみをかえせ

やまをかえせ かわをかえせ

うしのちちをかえせ おこめをかえせ

かていをかえせ せいかつをかえせ
 
にんげんらしさをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり

くずれぬしあわせを

しあわせをかえせ


気を取り直して土手沿いの道を見上げる。大きな木が薄紫の花をいっぱいにつけている。

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緑の葉の間から枝先(専門用語があるんだろうけど知らない)を伸ばして、控えめな色合いが空に向かってる。

初めて見たな。この年になって初体験ばかりで新鮮!

うまいことに名前を書いた札が下がってました。桐です。

自然観察園に入ると桃色の木と白い花の木がありました。4月下旬から5月にかけてあちこちで咲いていた山野草は、数を減らしてます。順番なんですね。自然はうまいことつくられてる。

神様の仕業と誰だって思ちゃいます。

すでに花は草から木に移ってる。

downwardright これはハコネウツギ。(ベニウツギのようです。失礼しました)


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downwardright 白いのはハクウンボク。

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名前を知ってたわけではありません。通りかかったおばさんグループが「あら、ハコネウツギ」などと声を出していたのをしっかりと書き留めたんです。おばさん、ありがとう。

2011年5月15日 (日)

こんな飲み屋を訪ねたいね「東京シネマ酒場」

著者の高橋渡さんは、今はなき伝説のミニシアター「恵比寿ガーデンシネマ」の元支配人。1994年の開館からずっと支配人を務め、他の単館系とは一線を画した作品を上映して根強いファンを集めていた。その仕掛人だ。


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親会社の身売りなどもあってラストの何年間かは大変だったんだろう。「十数年疾走し、力尽き、2011年に満身創痍で倒れました」とあとがきに記している。K-POPの劇場になるようだ。時代だね。

こんなに都内各地の飲み屋を訪ねてたんだ。さすが通だね、いいとこを知ってる。

飲み屋と映画のマッチングがそそられる。「東京シネマ酒場」(祥伝社)、サブタイトルは「あの名作と出逢える店を酔い歩く」。

ますます気に入った。

最初に取り上げるのは新橋の「ダイヤ菊」。長野県の酒蔵「ダイヤ菊酒造」(現諏訪大津屋本家酒造)東京唯一の特約店だ。小津安二郎監督が愛飲した酒です。

小津さんのお燗(かん)の温度は決まって55度。「お店にそんなこと要求しちゃいけない。ええっ、してくれるの! じゃ、私もそうしてもらおうかなっと(注・してくれませんのでそのように)」。斜に構えようとするが根っからの小津ファンです。

だから新宿ゴールデン街の「ジュテ」では“小津安二郎ごっこ”に興じる。誰かが笠智衆の物まねで劇中の台詞をつぶやく。

それにあわせて、中村伸郎や佐分利信、浪花千栄子が登場して「晩春」「お茶漬けの味」「秋刀魚の秋」などが再現されるという寸法だ。

浅草の「さくま」では任侠映画に思いをはせ、東映の名コピーライター関根忠郎さんと日本ヘラルドの広木貢さんが、お互いの仕事を交換したエピソードを披露する。

つまり洋画の広木さんが任侠映画、関根さんが洋画のコピーをつくったのだ。もちろん会社には黙って。東映も日本ヘラルドも気づかなかったそうだ。

帝国ホテル「オールドインペリアルバー」の勘定はショーン・コネリーのツケにした。コネリーが12年ぶりにジェームズ・ボンドを演じた「ネバーセイ・ネバーアゲイン」(83年)来日キャンペーンの時だ。

コネリーがボンドを演じてはいるが「007」はつかないママッコの作品だ。コネリーの部屋は1泊50万円。宣伝担当だった著者は「オールドインペリアルバー」で一杯やって、チャージはコネリーのルームナンバーにつけ、執事の間に潜り込んだという。

銀座、八重洲、中野の3軒になってしまった「ブリック」のトリハイ(トリスのハイボール)からは、トリスウイスキーの宣伝コピーを書いた作家の開高健氏との仕事につながる。

ニューヨークの劇場でコッポラ監督の「地獄の黙示録」を見てもらう約束だったが、見終わった作家は言葉少なに街に消えてしまった。宣伝マンとしては完敗だ。

青春だね。

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思い返せばこちとらは、著者みたいな上品な飲み方じゃなかったな。

反省してももう遅いか。

     sun      cloud

こんな写真が出てきました。帽子に半ズボンはコッポラ監督。話してるのは通訳の原田真人さん。映画監督になる前です。

青春だったね。

2011年5月14日 (土)

シーボルトが持ち帰ったクレマチスの原種カザグルマ@井の頭公園

もう咲いてるだろうと気になったので買い物帰りに井の頭公園へ。絶滅危惧種が大ぶりの花をいっぱいに開かせてました。クレマチスの原種カザグルマです。

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この株はもともとは井の頭のではありません。

清瀬市中里に自生していたものを、開発で失われる前に地元の方が挿し木で増やされていて、それを譲り受けたんです。

写真を撮っていたら「もう終わりだな。もっと花びらが立ってるんだ。そしたら本当に風車だよ」とおじさんが教えてくれた。

それは残念。来年は大型連休中に来てみよう。

江戸時代末に来日して、これをヨーロッパに持ち帰ったのがシーボルトやロバート・フォーチュンらの収集家たち。

それが元になって品種改良が重ねられクレマチスがつくられ、Uターンして人気になってるんですね。

シーボルトの名は誰でも知ってるがロバート・フォーチュンて誰だ?

ちょいと調べると、これが面白い。中国、多分雲南地方あたりからお茶の木をインドに持ち出したプラント・ハンターなんです。

なんと2万株の苗木をダージリンに運び、この結果、ダージリンは紅茶の一大産地になった。現地の人をだまして安く手に入れたんでしょう。おそらく命がけの密輸。

「ふーん」としか思わないが、これは世界史的な一大エポックなんです。なんといってもアヘン戦争(1840〜1842)の陰の主役は中国のお茶なんですから。


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《浅間山から移植したムサシノキスゲも見頃》

こういうことです。

茶がヨーロッパに伝わったのは16世紀の初め。やがてイギリスではティータイムが習慣化して茶の需要が急増した。

中国から大量の茶を輸入したいが、イギリスには輸出品がないため貿易不均衡に陥ってしまった。

不均衡解消のためにイギリスが売りつけたのがアヘンというわけだ。

フォーチュンがインドに茶の木をもたらしたのはいわば国策だったんですね。これによって中国の茶の独占は終止符を打たれることになる。

ちょっと前アメリカで活動を活発化させていたティー・パーティーも「ボストン茶会事件」から名前を取っている。

ボストンに停泊中の輸送船が襲われ、積み荷の茶が奪われた。この事件がきっかけで、アメリカの独立戦争が勃発した。

カザグルマからあらぬ方に展開してますがもう1つ、おつきあいを。

お茶の葉はグリーンなのに、どうして茶色はブラウンなのか?

団茶というのがある。お茶の葉を蒸して押し固めたもの。固形にしたことで運搬が容易になり、主にチベットや新疆ウイグル自治区など遊牧民向けに馬やラクダで運ばれていた。彼らの貴重なビタミン源だ。


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この団茶が茶色なんです。押し固められたものを発酵させ、乾燥させていると土のような色になる。

日本に最初にもたらされたのも、この団茶。平安時代の初期に遣唐使がつたえた。だから茶色はブラウン。

団茶は細かく砕き、薬研(やげん)で粉末にして飲む。この方法で飲むのが抹茶なんです(食べるお茶でもある)。抹茶を持ち帰ったのは栄西禅師(1141〜1215)。茶の種も持ってきて佐賀県背振山にあったお寺に種をまいた。

背振山でできた種を京都栂尾に撒いたのが宇治茶の始まり。

団茶は、現代では磚(せん)茶と呼ばれる。

今回は世界史の話になりました。

(一番下の写真は井の頭の弁天さま。傘は水彩画を描いている人たちのものです。緑が濃くなりました)。

2011年5月13日 (金)

「上を向いて歩こう」は60年安保挫折ソングだった

12日午後、雨なので簡単に買い物を済ませてNHKラジオ「つながるラジオ」の「被災地へ届けたい私たちの思い」の再放送を聴いている。4月15日も聴いてたけど・・。ゲストは西田敏行とコロッケ。

西田と大友康平がアカペラでデュエットする「上を向いて歩こう」が絶品だった。

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西田は時おり声をつまらせながら被災地を訪れたときのことを話し、涙で途切れてしまうことも。デュエットに続いて促された西田が1人で歌い始める。スタジオのアナウンサーも小さく唱和する。

♬しあわせは 雲の上に しあわせは空の上に

 ではなくて、西田は一段と声を張り上げる。

♬しあわせは 福島の雲の上に 

 しあわせは 東北の空の上に

また、泣いちゃいました。

復興の旗印になっている「上を向いて歩こう」ですが、作詞者の永六輔が言ってたことを思い出しました。

TBSラジオ土曜日の「永六輔その新世界」で同曲が話題になったときです。2、3週前だった。

永さんは自分の番組で自作をかけたりするような人ではないが、震災復興の合い言葉になっているということで、自作のオンエアを了承、その前に作詞のきっかけについて話しはじめた。

戸山恵理アナ(言問だんごの娘、「チューボーですよ」にも出てた、短かったけど)に促されて、

「あれは前向きな歌ではなくて挫折してこしらえたんです」。

涙や悲しみをこらえて前進しようというメッセージソングと受け取ってるから「えっ」と思うよね。

「60年安保闘争が敗れて挫折した心情でつくったんです」。

「上を向いて歩こう」が発表されたのは1961年の秋。NHKテレビ「夢であいましょう」(懐かしい!司会の中島弘子の独特のあいさつ、渥美清を知ったのもこの番組だった)の10、11月の今月の歌だった。

詞を読み直す。「涙がこぼれないように 泣きながら 歩く 一人ぽっちの夜」。

あんなに高揚した安保反対デモ。それでも安全保障条約は自民党の単独採決で衆議院を通過、参議院での審議は行われないまま6月19日午前零時、自然承認されてしまった。

その時、30万人を超えるデモ隊が国会を取り囲んでいたが、なすすべがなかった。

デモ隊の中に当時27歳の永さんもいたのだろうか。

みんなが固くスクラムを組んで、安保は通さない、通してはいけないと一つになったはずなのに、その日から、みんなの気持ちは離ればなれになってしまった。

この無力感はどこにもぶつけられない。

抜け殻になってしまった自己、せめて涙だけは見せるのはやめよう。

挫折は、肉体的、精神的に脱力感に襲われた状態。何もしたくないし、何もできない。自己崩壊を食い止めるのが精いっぱい。

分かります。涙を見せないで、かろうじて自己を保ってるのって。

           typhoon           typhoon           

日本で初めて原子力発電が行われたのは、それから3年後の1963年、東海村でだった。

           airplane           airplane

あれから50年余。日本は繁栄に酔った。無謀ないくさに負けたことも、ヒロシマもナガサキも忘れたふりして。

制御不能の原子力という子々孫々への負の遺産に目をつぶりながら・・・。


           heart03           heart03

きょう(14日)の同番組は前田武彦がゲスト、「あれは失恋ソングだよね」と前田さんがいうのに、永さんは「いっぱい失恋した」と肯定していた。

公的にはそういうことになってるんだ。

余談だけど2人の付き合いは長い。ラジオ関東(今のラジオ日本)の「きのうの続き」(「昨日のつづき」かもしれません。表記は忘れた)からだもんね。聴いてました。


2011年5月12日 (木)

絶滅から復活したネコノメソウ@浅間山公園・府中

初めて見ましたネコノメソウ。

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花はもう終わりですかね。葉っぱの先端が縦に裂けているようにも見えるのが実ですか?。これが猫の目のようだというので名前がついた。

浅間山自然保護会の会報「きすげ」No.27の特集「浅間山の希少植物」にこんなことが書いてありました。

「浅間山では一時絶滅したと思われたが、5年前に復活、現在は増えつつある。自生地1ケ所、花期は4〜5月」。

このほかフデリンドウ、タマノカンアオイの復活が確認された。1株しかないのがサイハイラン、ウメガサソウ。希少になってしまったのはオオバノトンボソウ、マヤラン、キツネノカミソリなど。

どこに咲いているかは分かりません。ゆっくり歩いて捜してみましょう。広いから出合えればラッキー。いつか見られるでしょう。

保護会の人たちが保護・育成につとめてくれているおかげで、豊かな自然がよみがえりつつある。ありがたいことです。

8日現在のムサシノキスゲの状況です。

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14、15日あたりはつぼみが一斉に開いているんだろうか。散っているのか。咲きそろっていたら見事ですよ。台風に負けなければいいけど。

なんともいえない、いい色具合。派手すぎず、やさしい。


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黄色と橙の中間なんですね。この微妙な色合い、ほれぼれしちゃう。

こっちはキンラン。まとまってます。


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2011年5月11日 (水)

美の競演だ!キンラン、ギンラン、ササバギンラン@浅間山公園

ムサシノキスゲの開花具合を見に府中の浅間山公園へ。わが家がリフォーム中なので大工さんの休憩時間を縫ってママチャリでひとっ走り。

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ムサシノキスゲは8日の時点でピークまでもうちょいの感じ。14、15日の土日までもつのか、微妙なところ。

金曜までは天気が悪そう。待つしかないですね。

キンランが終わってからと思ってたギンランがチラホラ白い花をつけてます。

小さいので、下を見ながらゆっくり歩いてください。でないと見逃してしまいます。

ピントが甘くて不本意だな。一眼レフを買うしかないかな。

私が占領していたキンラン狙いのベストアングルがあくのを待っていた三脚を担いだおじさんに相談したら、「のめりこむと果てしがないよ」と笑っていた。

ほどほどに・・ということなんだろう。でも、しゃきっとピンを合わせたいな。

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こっちはササバギンラン。

葉が長いですね。ササの葉みたい。

すぐ区別がついたわけではありません。

浅間山の自然を守っている「浅間山自然保護会」の腕章をしたボランティアの人がいたのでデジカメの画像を見てもらって確認したんです。

「あそこにも咲いてるよ」と親切に指差して教えてもらいました。

南側の前山に上がる坂の途中と、中山の東屋の北西側が自生地のようです。

堂山では見かけませんでした。

去年は堂山でも咲いてたような気がするんだけど、ことしのギンランは機嫌が悪いのかもしれない。

ちょっと説明すると浅間山には前山、中山、堂山の3つの頂があるんです。一番高いのが堂山で、浅間神社があり海抜79㍍。

横道にそれるけど、日本で最も低い山は大阪市港区の天保山で海抜4.53㍍。

これは人工なので自然の山としては徳島市の弁天山6.1㍍。

山って特に定義はないらしい。みんなが「山」と名付ければ山になっちゃう。

低山制覇の愛好家もいるらしい。ずっと前にNHKBSで放送したのを見た覚えがある。ユニークな趣味人を取り上げる番組だった。

東京都で最も低い山は港区の愛宕山25.7㍍。ずいぶん高い。あの階段は結構急だよね。

JOAK、NHKラジオが放送を始めたのはここから。それにちなんで放送博物館がここにある。

「ブラタモリ」でもやってたけど、NHK発祥の地について久保田祐佳アナは初耳で「知らなかった」と素直に反省してた。「ブラタモリ」の久保田アナは初々しくてよかった。今は、7時のニュースに時々出てる。

キンランは真っ盛りだった。

真上から狙ってみました。


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台所などの修繕も終わるから土曜にでもまた行ってみます。

2011年5月10日 (火)

山菜の女王コシアブラを食す@もらいもの

さわやかな苦み。こんな表現はないんだけど、苦みが心地よく口いっぱいに広がって、思わずうまいとうなずいてしまいました。

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苦みと同時にうまみも感じ取れます。

さすが山菜の女王コシアブラ。王様のたらの芽よりも優しい味わいだ。

姪が新潟の田舎に嫁いでるので送ってくれたものです。

新潟から1時間弱も磐越西線に乗った田んぼの広がる穀倉地帯。

姪の家には裏山があり、山菜は採り放題。

新潟もこれからようやくタケノコのシーズン。

近所の人たちが勝手知ったる他人の家とばかりにシャベル持参で入ってきて必要なだけ掘っていくそうだ。

秋に柿の実が色づくと、今度は猿がうまそうに食べ尽くしてしまう。そんなところで暮らしてます。

震災でスーパーから米が消えたときも「米、送れ、頼む」とSOS。近所の農家で分けてもらったのを送ってもらい大助かり。

天日干しの正真正銘の新潟米で、これがうまかった。

写真のコシアブラは、もらいものの一部。

大半は、もう天ぷらにして家族の腹に収まってしまいました。

炊き込みご飯が絶品らしい。軽くゆでたのを炊きあがったばかりのご飯に混ぜるだけでいいようだ。

これじゃ少ないかな。いいや、自分の分だけ炊き込みご飯にして食べちゃおう。

2011年5月 9日 (月)

日本はタロイモ文化圏の北限・つーことが意味するもの

あなたの家では雑煮に何を入れますか? 

味はすまし汁、ミソ仕立て、しょうゆ味など地方によってさまざまだが、基本的に共通しているのは里芋を具に加えること。いろいろバリエーションはあるが、里芋が入ってないのは正しいニッポンの雑煮とはいえないのだ。

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雑煮ばかりでなく正月料理に里芋の煮物も欠かせない。

芋煮会といえば山形だが、愛媛や島根など各地でも芋煮会が行われている。

「芋名月」の風習も残っている。東北では旧暦9月13日、近畿以西では旧暦8月15日の十五夜に、だんごではなく里芋を備える。

ハレの日、特に最大のハレ正月に里芋を食べ、祝いの席に里芋が使われるのはどうしてなのか。

野川公園に生えていたマムシグサがサトイモ科、つまりタロイモの仲間ということから、あらぬ方向に行ってます。きっかけのマムシグサについてはこちらです。

マムシグサには芋はできないだろうし、食用にするという話は聞いたことはありません。

でもいいんです。日本人はどこから来たのかを考えたいんです。

もう1つのイモ、ヤマノイモ(ジネンジョ。ナガイモは中国から伝わった栽培種)はヤムイモの仲間。

タロイモ、ヤムイモを食する文化は8000年前〜1万年前にインドシナ半島からインド東部の熱帯アジアで始まっている。(サツマイモ、ジャガイモが伝わったのは江戸時代とごく最近)。

写真は「人間は何を食べてきたか[アジア・太平洋編]㊤ 麺、イモ、茶」(日本放送出版協会)。パプア・ニューギニアの人たちがおいしそうに食べているのはバナナの葉で蒸し焼きにしたタロイモです。1990年の発行ですが、時々読み返します。

パプア・ニューギニアでタロイモ栽培が始まったのは9000年前。いまでもタロイモとヤムイモを主食にしている人たちがいる。

東南アジアから伝わったものだ。

インドネシア、南太平洋の島々へと伝播したルートとは別に、黒潮に乗ってフィリピン、台湾、日本へともたらされた。

これが北上ルート。

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(浅間山公園で見つけたミミガタテンナンショウ。これもサトイモ科。大型連休中に行ったらなくなってた。誰か持って行ってしまったのか)。

台湾のランショウ(蘭嶼)島に暮らすヤミ族は黒潮に乗って北上してきた海洋民族の末裔だ。

日本の水田に似たイモ田が広がり、タロイモの一種であるミズイモを栽培して主食にしている。

ランショウ島にとどまらず、さらに黒潮に乗って北上を続けた人たちもいたに違いない。

彼らは琉球や日本列島に到着し、携えてきたタロイモの栽培を始めた。ただ、これ以上北には行けなかった。

タロイモの栽培には不適だったためだろう。だから日本がタロイモ文化圏の北限となった。

それは列島でイネの耕作よりもはるか昔のことだった。

山地に自生するヤマイモに対して、里で栽培されるので里芋と名付けた。

稲作が始まる前の列島は狩猟・採集生活だったと言われているが、タロイモの田んぼがすでに広がっていたと考えてもおかしくない。稲作がスムーズに浸透したのは、すでにイモ田の技術があったからだともいう。

豊葦原瑞穂(とよあしはらみずほ)の国は稲作伝来から始まったのではない。その前に南からやってきた人たちの基層文化があった。

彼らは北や半島から来た人たちと混じりあい、縄文文化をになった。里芋は大事な食べ物だった。

その数千年前からの記憶がサトイモ文化に伝えられているのだろう。

食文化って奥が深く、興味が尽きないですね。

(上記の本「人間は何を食べてきたか」にお世話になりました)。

2011年5月 8日 (日)

マムシグサはサトイモ科なのでタロイモ文化圏について考えた

サトイモ科が気になっている。ミズバショウ、ムサシアブミ、ミミガタテンナンショウなどをみて、独特の仏炎包(苞と表記しているのもある)が実にユーモラス。なんでこんな形をしてるんだろう?と見とれてしまう。

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これは4月下旬に野川公園の自然観察園で見つけた。

仏炎包が、毒蛇が鎌首をもたげて、あたりを見回しているようなので「マムシ」の名前がついたのかと独り合点、これがインドに生えていたら「コブラグサ」、沖縄だったら「ハブグサ」だと、くだらないことを考えて喜んでいた。

勝手な思い込みだったようだ。茎の模様がマムシを想起させるからなんですね。マムシなんて子どもの頃に見たきりだ。そういわれれば、マムシかもしれない。

まあ、あまり縁起は良さそうじゃない。お近づきになりたい感じではないな。


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これはムサシアブミ、マムシグサの隣に生えてます。武蔵の国でつくられた名産の鐙(馬具)に形が似ているので名付けられた。

武蔵鐙をつくっていたのが高麗郡の渡来人たち。半島から鐙の技術を携えてやってきたのだろう。

ペ・ヨンジュンの「太王四神記」を見ると高句麗は完全に騎馬民族ですね。

駿河、甲斐、相模などに住んでいた高句麗人1799人が移り住んで開いたのが高麗郡。今の埼玉県日高市。高句麗が滅んだのが668年、移住は716年。

彼らの子孫は武蔵各地に広がり、その地名を姓にして栄えて行く。坂東武者の少なからぬ人たちが後裔なんだと思っている。

ゆかりの姓をあげると、高麗井、駒井、井上、新、神田、丘登、岡上、本所、和田、吉川、大野、加藤、福泉、小谷野、阿部、金子、中山、武藤、芝木。

消失した高麗家の系図復活に尽力した支族の人たちです。

おっと寄り道しすぎた。

サトイモは畑に生えているのを見るが、花は見たことがないな。同じような仏炎包があるんだろうか。

サトイモはタロイモの仲間です。アジアの南の方ではタロイモが主食です。

日本に伝わったのは、はるか縄文時代。稲作の前にサトイモの田んぼがあったので稲作にスムーズに切り替わったと考える学者もいます。

長くなったので、タロイモ文化圏についてはまた今度。すみません、タイトルに偽りありです。

つづきはこちらです。気が向いたらよろしく。

2011年5月 7日 (土)

ことしの土用はうなぎ暴騰で高嶺の花に・すでにぐんぐん上昇

リフォームというとかっこいいんだけど、水漏れがして台所のベニアがパカパカになり床が抜けそうになってしまったので大工さんに入ってもらい、ついでに段差をなくしたバリアフリー化もお願いした。

なにしろ築40年、この間の地震でも瓦が崩れたし、あちこち傷みが始まってるので、いくらかかることやら。

ということで台所が使えないので、お昼はおにぎりですまし、夕飯はご飯だけ炊いてうな丼にすることになった。

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せっかくのうなぎだから、おいしいのを食べようとスーパーのやつじゃなくて武蔵境イトーヨーカドー西館の専門店へ。

串に刺したのは大小の2種類だけ。注文すると焼き上がりまで7分ほどかかるというので店内をうろうろしてつぶす。

待てよ、高くないか?

「ずいぶんと高くなってない?」

「そうなの。品不足で騰がってるの。土用にはいくらくらいになるのかしら。小さい方のが、大きい串くらいの値段になりそうね」

大串は1680円、小串は1150円(? あいまいです)。

以前は大が1300円くらいと記憶してる。小は900円くらいだったか。写真は大です。小は3分の2くらいの大きさ。3割くらいの上昇だ。半端じゃない。

騰がりはじめたのは2月頃から。最初は価格に転嫁しないでやっていたが、たまらずに卸値の上昇にあわせて改定したんだそうだ。

おばちゃんの見通しでは、土用にかけて、まだまだ騰がり続ける。

大は2000円を超えるな。

稚魚(シラス)の漁獲が激減しているのが原因だろう。回復したという話は聞かないから数年はダメだな。

ハタハタみたいに数年、シラスを禁漁にすれば増えるのかな。それだったらみんなでしばらく我慢して回復を待とうじゃないか。

「それじゃ高すぎて売れないね。別のものを売らないと商売上がったりになっちゃうよ」と余計なことをいったら、おばちゃん渋い顔をしていた。

2011年5月 6日 (金)

「ことしのJリーグはオシムっ子の采配に注目」とマチダが評価

A大サッカー部OBのマチダさん、ACLもJリーグもきちんとチェックしてます。さすが高校、大学で8年も(サッカーが好きなので大学は5年間通いました)やってきただけあって、見巧者です。

きのうメールが来てたんだけどアップする時間がなかったので1日遅れで掲載します。

                 soccer    soccer


ガンバはきついです。アウェー、芝の状態、けが人などのマイナス要素があったものの、スピード特に縦へのスピードにかけていました。相手の早い寄せも手を焼いてパスミス、レシーブミスの連発。引き分けも致し方ないところでしよう。Jでも苦戦するはずです。


今年のJは3VICが見もの、というかカギを握っているかもしれません。

名古屋ストイコビッチ、広島ペテロヴィッチ、浦和ペテロヴィッチの采配ぶりです。いわばオシムっ子たち。

浦和は名古屋に完勝した以外は守りを固める相手に手こずっています。マグノもまだフィットしておらずこれから。


ただ、3人に共通しているのが素早いゴール前への攻撃意識。それもまず、真ん中狙い。

ターンオーバーから縦パス1本通せばCFの技術次第でCBをかわせば決定的チャンスが生まれます。

二次的にはHBが前にドリブルしたり、走りこむFW、SBにパスを出せば効率がいいわけ。中盤からサイドに展開はその次の策のように思えます。

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選手は全力で走り回る時間が増える。しかし、見ている方はスピード感あふれる展開を堪能できるわけです。

当然意味のないバックパスも少なく、ちんたら攻撃は影を潜めつつあって、いい傾向でしょう。敢えて分類するなら欧州スタイルかな。

攻め合いを想定したチーム作りを進める3VIC。

今のところ名古屋が実績を残していますが、広島も結構厄介なチームになっています。

あとは浦和がスタイルを確立するまで、うるさいサポーターたちがどこまで我慢できるか、ではないでしょうか。

一昨日、近くのつつじ寺(等覚院)に行きました。もうすぐ満開。

2011年5月 5日 (木)

鳥見さん大集合&ウグイスカグラの赤い実@浅間山公園・府中

府中の浅間山公園に行ったのはGW谷間の5月2日、多くの人が休みなんでしょうか、いつもの鳥の水飲み場にはたくさんのカメラマンがじっと待ってました。(3日も行くことになりましたが、その模様はあとさきになりましたが、こちらにアップしてます)。

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ふだんの週末も5、6人がいるんですが、こんなに多いのは初めて。10㍍ほど離れた場所からも5、6人が狙ってました。場所取りに遅れたんでしょうね。

「何を待ってるんですか」

「ミゾゴイ」

知らないけど、珍しい鳥なんだろう。ネットで見ると、サギの仲間でゴイサギの近縁なのでゴイの名がついた。林の中に棲んで魚じゃなくてミミズも食べる。

何かきたぞ!

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コジュケイですかね。ツガイできてたんだけど1羽が草むらに隠れちゃった。

                 cherry          cherry

ムサシノキスゲとキンランを堪能してたらウグイスカグラの実がなってるのを発見。ムサシノキスゲ、キンランは「キンランの当たり年!ムサシノキスゲは2分咲き週末が見頃」をご覧ください。

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「おいしいよ」と教わってたので、1個だけいただいた。フルーティーだけど、かすかに甘いかなという程度。いっぱい摘んでジュースにするといいかもしれない。でも、そんなにたくさんの実はついてません。

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ウグイスカグラの花はとても小さい。これは1月12日に野川公園で撮ったものです。厳寒期に咲くえらい花です。

場所は異なるが、ちゃんと受粉して実がついたんだ。冬なのに昆虫が受粉を助けたのかな。

ウグイスが実をついばむ様子がまるで神楽を踊っているようだというのが名前の由来。枝には止まらず飛びながら羽を動かしているさまがそうなんでしょうか。

枝は細いので止まるのは難しそうだ。

浅間山公園は、天気予報とにらめっこして週末にまたきます。

2011年5月 4日 (水)

「案内して」と頼まれたので2日連続浅間山へ@府中

「今、小金井駅にいるの。あんたのブログを見て浅間山に行くんだけどキンランの咲いてるところを案内して!ムサシノキスゲも」。3日午後、ゴロゴロしながらTBSラジオ「小島慶子のキラキラ」を聴いていたら高校の同級生タカミゾとツチダから電話。

前回の同窓会から5年、旧交を温めるのも悪くないといそいそと待ち合わせ場所へ。

でも、名前は明かしてないのにどうしてブログのことを知ってるんだ。タカミゾに聴いたら「年賀状に書いたでしょう。イザワ君が連絡メールをまわしたのよ」。そういえばそんな気もする。

4月21日の「震災で『富士山』に崩落発生立ち入り禁止」にコメントをくれたのはやっぱりサッカー部のチームメート・イザワだったんだ。(イザワへ。メールを出したんだけど戻ってきたぞ。書いてきたアドレスが違ってるだろ?)

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(写真はホウチャクソウ。見事な群落です。©ツチダ)

浅間山のバス停に着くと、府中育ちで浅間山は遊び場だったというナカヤマも合流している。

まずは山頂(海抜79㍍)の浅間神社にお参り。

「今は浅間神社は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀っているけど昔はかぐや姫が祭神だったの。多分、江戸時代に国学の影響でかわったのね」とツチダ。

おっ、いいね。古代の信仰は、神の名など必要としなくて素朴な自然信仰だったのが、いつしか神名というイメージが必要になった。その原初がかぐや姫という説は魅力的だ。

彼女は富士山についてはうるさいらしい。富士登山は1合目、田子の浦から古代の道をたどるそうだ。そそるねえ、山部赤人だ。秋に計画してるらしい。

「どう?」といわれたけど登れるかなあ、海岸からなんて自信ないな。

前回も書いたけど、山頂から女坂を下る途中がムサシノキスゲとキンランの競演地帯。

女性陣は、ここにもあそこにもキンランが咲いてるので驚いてる。同級生でハイキンググループを作って、あちこち歩き、たまにキンランを見つけて、山歩きは三文の得と喜んでたようだが、こんなに近場の至る所に咲いてるのでありがたみも次第に薄れたよう。

最後に富士見百選にも選ばれたスポットに案内。1月21日と11月21日にはダイヤモンド富士も拝める。ナカヤマが「あの高いビルの右側から見られるの」と解説してる、さすが地元っ子。

そんなこんなしてるとタカミゾが「この近くの野川沿いでイシイさんがデイステーションをやってるので行こう」と電話してる。

介護ステーションの見学も興味あるのでついて行く。

野川が真ん前でつつじが咲き乱れ、桜の巨木が川沿いの並木になっている。環境はいい。

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ツチダは各地のマンホールのふたの写真を撮ってるらしい。イシイのステーションは小金井市なのでデザインは桜。

「ぐるっと取り囲んで・・」というので足先だけパチリ。なにかのおまじない?

イシイのステーションは民家の1階を改造した定員10名の小さな施設。

「利用者さんが、ご自分でできることはなるべくやっていただくの。そうしているとだんだん、よくなってくるのが分かるのね」。

ビリヤード台が置いてある。「映画"ハスラー”を見てあこがれた世代でしょ。最初は"やったことがない”とか尻込みしてるけど、やってみると上達するのが目に見える。歩くのが苦手だった人も、立てるようになるの」。

おふくろさんを介護してるナカヤマは「うちも車に乗るときに自分で乗るまでじっと待ってるの」とイシイの方針に共鳴した様子だった。

お年寄りに生きる活力を与えてくれそうだ。

リーフレットをくれたから、ここに書いてもいいんだろう。無断で名前を書いときます。「デイステーション涼風(すずかぜ)」。小金井市中町です。

2011年5月 3日 (火)

キンランの当たり年!ムサシノキスゲは2分咲き週末が見頃@浅間山公園

野川公園でムサシノキスゲが咲いてたので時機を逃しちゃいけないと府中の浅間山(せんげんやま)までひとっ走り。緑のそよ風にあたりながらママチャリをこぐのは気持ちいい。

はやる気持ちを抑えてムサシノキスゲの群落に赴くとチラホラと橙色の花が飛び込んできた。

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いい色合いです。周囲の緑に映えてるんだけど控えめな色調が好ましい。でも、こんなもんじゃありません。

雑木林を間伐した斜面一帯に咲き乱れるんです。浅間神社の女坂を下りて行く右側と新小金井街道沿いの群落がムサシノキスゲだらけになります。

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まだ2分咲きかな。手前の2株がムサシノキスゲ、向こう側の黄色いのはキンラン。右も左もキンランがニョキニョキ。

去年はポツポツしか見なかったので、ことしはキンランの当たり年のようだ。あっちこっちの草むらから顔を出している。

これなんか満開と呼びたくなります。一般的に茎の先端に3〜12個の花をつけるそうだが、10個くらいついていそう。条件がよっぽどいいんだ。

ムサシノキスゲのために雑木を伐採して日照をよくしたのがキンランにも幸いしたんだ。絶滅危惧種がこんなに群れているなんて・・・。近いうちにキンランの群生地としてもチェックされそうだ。

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あっ、不心得を起こして株ごと持って行っても根付きませんよ。

キンランはキノコの菌と共生してるんです。どういう関係か詳しいことは知りませんが、ある種のキノコが生えるところじゃないと枯れてしまいます。

雑木林にはキノコが生えるが庭では無理です。だから持ってかないでね。

(ちょいと調べるとラン科の植物は光合成能力を欠いているため栄養を菌根菌に依存してるんだって。菌に花にも与えず、一方的に菌根菌を利用して育っているちゃっかりしたやつだそうです。でもこれは人間が知らないだけで菌には何かを与えてるんだよ、きっと)

これは12花ついてます。向こうのは幾つついてるのかな。こんな立派なのを見たのは初めてです。


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キンランが終わると次はギンランが出てきます。

ムサシノキスゲは週末が狙い目になりそうだ。今度はギンランとの競演が見られるぞ。

2011年5月 2日 (月)

すんげえ!春の野草59種が咲きそろった野川公園・ムサシノキスゲも

強風にもかかわらず心配された雨は落ちてこなかったので午後1時からの野川公園の植物観察会へ。

ハイ、あちこちでいろんな野草が、装いを凝らした花をつけてます。

やばい、大型連休(NHKの呼び方)あけと油断していたムサシノキスゲが咲いてるぞ。唯一の自生地、府中の浅間山公園から譲り受けた株です。

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連休中に浅間山に行かないと見逃してしまうかもしれない。すぐに確認に行こう。

ニッコウキスゲの変種です。山から低地の乾いた場所に下りてきて根付いた変わり者です。

というか、寒冷期には各地に生えていたものが生き残ったのかもしれません。

このほか野草ファンを楽しませる花が真っ盛り。

ずらっと並べてみます。

《白色》イチリンソウ、クサイチゴ、コンロンソウ、サギゴケ、シャガ、ウワズミサクラ(樹)、チゴユリ、ツボスミレ、ニリンソウ、ミズキ(樹)、マルバスミレ、フタリシズカ

《淡紅色》オドリコソウ

《淡紅紫色》カキドオシ、コバノタツナミ(白)、ムラサキサギゴケ

《紅紫色》カラスノエンドウ、クリンソウ、ゲンゲ、サクラソウ(白)、ムラサキケマン

《濃紅紫色》アケビ(樹)、キランソウ、ミツバアケビ(樹)

《淡橙黄色》ムサシノキスゲ

《暗紫褐色》カテンソウ、スイバ

《黄色》ウマノアシガタ、オオジシバリ、オニタビラコ、オヘビイチゴ、カントウタンポポ、キジムシロ、キショウブ、キンラン、クサノオウ、ケキツネノボタン、コウゾリナ、ジシバリ、ノゲシ、ヘビイチゴ、ミゾホオズキ、ミツバツチグリ、ヤブタビラコ、ヤブヘビイチゴ、ヤマブキソウ

《淡緑白色》チゴユリ、ニシキギ、(樹)、ホウチャクソウ

《黄緑色》トウダイグサ

《淡紫白色》ジュウニヒトエ

《紫色》ラショウモンカズラ

《青紫色》チョウジソウ、ヒイラギソウ

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《青白色》ホタルカズラ

《赤褐色》エビネ

《その他》マムシグサ、ムサシアブミ

数えてないけど50種類以上はありそうだ。(今数えたら58種ありました。開花前となってたけどマユミも咲いてたので59種)

とてもじゃないけど覚えられないし、名前もちんぷんかんぷん。

入り口に置いてある「5月自然観察園の花だより」を写しただけです。

裏面にはだいたいの場所を示した地図もあるので探してみてください。

ガイドしてくれるボランティアの先生は、すべて知ってる。

名前ばかりでなく何科何属で、科の移動があって何科にかわったかまで教えてくれる。すごいです。

現役時代は理科の教師だったのか。今度訊いてみよう。

このうち私が識別できそうなのは15種くらい。心もとないですね。

近いうちに復習に行きます。それでもすぐに分かんなくなっちゃうんだ。

忘却とは忘れ去ることなり。「君の名は」です。「忘れる」が頭に浮かぶと反射的に思いだす。刷り込まれてる。このあとは「忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」と続く。

このナレーションで番組は始まった。ナレーションは来宮良子だったんだ。「アニーよ銃をとれ」の声優さん。

菊田一夫は偉い。こんななんでもない言葉を名文句にしちゃうんだから。子供のころラジオで聴いてました。親が聴いてたのが聞こえただけです。子供心にもすれ違いがじれったかったな。

これを韓流ドラマに仕立て直したのが「冬のソナタ」。

2011年5月 1日 (日)

タケノコ盗っ人@国立天文台

国立天文台横の遊歩道でヘンなおじさんがいきなり話しかけてきた。

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こんな道です。右は天文台の構内、左は国分寺崖線の崖。ハケ上の道です。

「タケノコ掘りに行ったんだけど天文台は厳しいんだ。去年なんか3回も見つかって、“4回目は注意ではすみません”と怒られちゃった。広島に帰れば裏の山にいっぱいあるんだけどよ」

ことしもタケノコ掘りに行ったのかどうかは聞きそびれた。

おじさん、何を伝えたかったのだろう?

「タバコも高くてさ。1本20円で売ってくれる?」と聞いて来たので、タケノコは単なる糸口だったか。

こういう人が、やっぱりいるんだ。タバコのことじゃなくてタケノコ盗っ人。


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だから「タケノコ採取禁止」とあちこちに注意書きが出ている。

盗っ人は、このフェンスを乗り越えて侵入するんだろうか。それとも門が開いてる通用門からこっそり忍び込むのか。

ずっと昔、天文台に知り合いがいて一緒にタケノコを掘ったことがある。うまく掘れなくて途中をざっくりやったりした。

まあ、竹やぶを見ると掘りたくなる気持ちも分かるけど、おじさん、もうやめた方がいいよ。

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この遊歩道、崖の上だから見晴らしもいい。冬の日は富士山がくっきり。

手前は味の素スタジアム。小山(多摩丘陵)の上に見えるのはよみうりランドの遊具。観覧車とジェットコースター。

ロケットの発射台みたいなのは何だ。何十年もいったことがないので分かりません。

これから崖の下に下りて野川沿いを歩きます。下流は深大寺、上流は野川公園。どっちがいいかな。

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