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2011年3月 8日 (火)

ほたるの里から上がって古墳をのぞく

野川公園の下流にあるほたるの里の畦道をそぞろ歩いたあとは、古代の夢にひたるとしよう。

いにしえの人たちもこの景色が気に入ったんでしょう。崖の中腹には古墳、横穴墓群が点在してます。

Cimg2197

三鷹市内だけでも、野川にそった国分寺崖線に7群、69基の横穴墓が確認されている。

このあたりは出山遺跡と名付けられ旧石器時代(1万2000年以上前)の石器や縄文時代(1万2000〜2400年前)の竪穴住居跡、縄文土器などが発見されている。

横穴墓は、そんなに古くなくて7世紀の半ば頃に築かれたらしい。東京都の史跡に指定されたのをきっかけにコンクリートでおおって保存・公開されている。

飛鳥時代です。もう前方後円墳などの大型古墳は築造されなくなった。

それは仏教伝来と関係してる。大型古墳の代わりにお寺を建て、そこに祀るように思想が変化したんだ。

7世紀の半ばといえば、その仏教推進派の蘇我氏が滅ぼされたころ。東国の武蔵の住人たちは横穴墓に葬られていたんだ。

眼下には野川が流れ、当時も田んぼが広がっていたのかもしれない。氾濫で壊されないように崖の中腹にお墓をこしらえた。景観も抜群、死後ものどかな自然に包まれて、安らかに眠ってもらおうと考えたんだろう。

Cimg2189_2

この墓には4体が埋葬されている。一度にではなく、次々に葬られた。家族だったのかもしれない。豪族ではなく、普通の人々が築いたものだ。

出山横穴墓から少し上がると、すぐ近くに天文台がある。構内にあるのが天文台構内古墳。

府中市の武蔵府中熊野神社古墳と同じ上円下方墳なのだ。非常に珍しいので熊野神社古墳は国の史跡に指定された。(熊野神社古墳に付いてはこちら1、こちら2、こちら3、でご覧ください)。

熊野神社古墳の方形下段の一辺が32㍍、天文台はひと回り小さく30㍍。ともに7世紀の中頃の築造だ。横穴墓と同じ時期です。

天文台古墳は首長の墓らしい。横穴墓の人たちを支配していたのか。

土着の豪族なのか、それとも大和朝廷につながる系統なのか。

このへんには弥生時代の遺跡が少ない。東京競馬場の発掘で出てきたくらい。縄文から飛鳥にいきなり飛んでいる。

遺跡上では、弥生を飛び越えていきなり飛鳥くらいの時代になる。

何らかの事情で縄文人がいなくなったか、極端に減少した。そこへ西の方から新しい人たちがやってきて多摩川や支流の近くに住居を構えた。

東国の武蔵では、縄文→弥生→古墳という発展段階をたどらずに空白が生じている。


何を物語るのだろうか。いにしえへのロマンは尽きない。

Cimg2194

コンクリでおおわれているのが横穴墓です。

見学の跡は雑木林につくられた自然観察路をめぐり武蔵野を満喫しよう。

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