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2011年2月19日 (土)

「古代国司館と家康御殿」・郷土の森博物館の特別展

武蔵野線府中本町駅前の発掘で古代国司の館と、同じ場所から家康御殿の遺構が姿をあらわしたのはちょっとしたニュースになった。

その発掘の成果を郷土の森博物館で展示しているので見に行った。ちょうど梅園の梅も見頃には早いが咲いている。対岸の多摩丘陵を眺めながらの散策、梅の香を胸いっぱいに吸ってきた。

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まずは「特別展 発掘!府中の遺跡」。古代からの遺跡があちこちにある府中市では各所で発掘が行われているが、最近の成果は府中本町駅前の調査だ。

ここから国司の館が出てきたんです。年代は7世紀の末から8世紀の初め。大和朝廷の地方行政制度が整えられつつあるころのことだ。大化の改新から半世紀、武蔵にまで勢力が及んでたんだ。

このころはまだ国府中枢施設は設けられていなかった。国衙というような規模になるのは8世紀になってから。大国魂神社付近に営まれた国衙の成立よりも少し早い時期になるようだ。

「□館」と墨書された土器が出てきたことも国司館であることを裏付けているという。

国司は都から赴任してきた役人の居宅。国衙が整う前は自宅で業務を行っていたと見られる。

家康御殿がつくられたのは天正19年(1590)のこと。まだ秀吉の天下です。小田原氏を滅ぼした秀吉は、家康の関東移封を命じ、奥州へと向かった。その帰途の接待のために家康が設けたのが府中の家康御殿。

家康御殿は50カ所くらいにつくられたが、府中は数ある御殿の中でも初期のもので、ここで家康と秀吉が対面していたというのは興味深い。

古代の役人、まあ知事みたいなものが選んだ住居と家康が秀吉接待にふさわしいと定めた場所が同じというのも面白い。

家康は茶を立て、多摩川の鮎を愛でたという。国司も鮎に舌鼓を打ったことだろう。

多摩でもいつのころからかは分からないが、鵜飼いをしてたんです。

何しろ絶景の地。向かいには多摩丘陵をのぞみ、眼下には多摩川、富士山も西側にくっきりと姿を見せている。

こうした美意識は古代から変わらないんですね。

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