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2011年2月の記事

2011年2月28日 (月)

冬眠から目覚めたカメの一家@水生植物園

今日は冬に戻っちゃったけど、週末はポカポカ陽気だったので神代植物公園の分園、水生植物園をぶらぶら。瀬音の響きが気持ちいい。春はせせらぎが合ってるね。

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池辺ではカメが甲羅干しをしてました。

親子かな。一番小さい手前が妹、ちょっと大きいその向こうがお兄ちゃん、岸に近いのは両親か。カメってファミリーで群れを作るのか?

そこんとこは分かんないですね。どうなんだ?

冬眠から目覚めたんだ。春一番も吹いたしね。あれが合図だったのかもしれない。

こっちにも別のグループがいる。

池の向こう側は小高くなっていて深大寺城があったところ。そのために池が日陰になっているので暖かい岸に避難してるんだ。

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これらのカメたち、みんな首を持ち上げて同じ方向を見てる。何を見てるんだろう。池の中にいるえさを探しているのか。

深大寺城跡の方があったかそうなので移動。

深大寺城についてはこちらなどで何回か触れてます。カテゴリーの「調布」でもタイトルが出てきます。よかったらのぞいてください。

土塁がちゃんと残ってます。ベンチも置いてあるので、のんびりくつろぐにはもってこいの場所です。昼寝をしたこともある。気持ちよかったなあ。

小さな花がありました。

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こんなに小さくて昆虫が気がつくんだろうか。人ごとだけど心配しちゃう。

こんなのもあるぞ。種類が違う。画像の真ん中のやつです。キク科みたいな花だ。

例によって名前は分かりません。京都の学ちゃんに問い合わせ中。返事が来たら追加して掲載します。知ってる人がいたら教えてください。よろしく。

《葉がちゃんと写ってないので難しいんですが学ちゃんから返事が来ました。上はタネツケバナ。花は間違いない。葉がよくわからないけど合ってそうだ。下はまだ調査中)。


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これは別の場所ですが、ハコベも咲いてました。戦時中は食べたようだけど、今じゃ食べないな。今度、摘んでってみようか。おひたしにして黙って食卓に出してみよう。


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2011年2月27日 (日)

詩人村野四郎記念館@府中市郷土の森博物館

村野四郎について何かを知ってるわけではない。語るべきことなど何も持っていない。じゃあ書くなよと突っ込まれてもしようがないんですが、記憶の底に眠っていた名前なんです。聞いたことがあるようなないような・・・。

引っかかりをほぐしに郷土の森博物館の記念館に入ってみた。昔の尋常小学校を移築した教室が展示スペースになっていた。


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村のは今は府中市になっている多磨村上染谷(府中市白糸台)の旧家の生まれ。味の素スタジアムの方です。

なんで記念館があるのかというと、著名な詩人であり「府中市の歌」の作詞者なんです。このほか市内6校の小中学校の校歌も作詞している。

ポピュラーなところでいうと童謡「ぶんぶんぶん」の訳詞者、♪ぶんぶんぶん、ハチが飛ぶ・・・ですね。「きらきら星」も訳してる。♫あちらの空で きらきら光る 日暮れの星よーのバージョンの方。

詩壇の芥川賞といわれるH氏賞の創設に寄与したのも村野だ。

あっ「巣立ちの歌」もそうです。私らのころはもっぱら「仰げば尊し」と「蛍の光」なので知りませんが、7、80年代にはよく卒業式で歌われたらしい。

♬花の色 雲の影    懐かしい あの思い出

今でも歌われてるんだろうか。

「鹿は 森のはずれの
 夕日の中に じっと立っていた

「鹿」は教科書にも取り上げられているらしい。


まだ違う。府中市民じゃないし、「鹿」が教科書に載っていた記憶はない。意識の底に沈んでいるのは別のことだ。

あれこれ調べてようやくたどりついた。これだこれ。

♪ああ武蔵野の 國原に
 多摩は流れて 幾世紀
   
「おお二中」という歌です。第二校歌と言ってました。この作詞が村野四郎。創立40周年を記念して1940年(昭和15)につくられた。村野さんも卒業生(中学16期)なんだ。大先輩なので急にさん付けです。

この思い出が沈殿してたんだ。

すっきりした。でもメロディーはよく思い出せない。ダメな生徒!

ちなみに校歌は・・・。

♪玲瓏(れいろう)の水百萬の
 民の命をつなぐ源(もと)

というやつです。これは今でも歌える。

戦前は府立二中と呼ばれてた立川にある高校に通っていたおっさんの小さなこだわりでした。

2011年2月26日 (土)

府中と小金井の梅まつり

春一番に誘われて小金井公園へ。

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目指すのは梅林。家族連れやお年寄りのグループが梅の木の下にビニールを敷いたりして和やかに談笑してました。

いつもより人が多い。歩いていると汗が出てくるのでセーターを脱いだ。

20度を超えるとこんなにあったかいんだ。春はやっぱりいい。活動的な気分にもなる。あちこち歩き回って一日だけの春をいっぱい吸い込んだ。

もっと暖かくなったらどこかに旅行に行こう。

ちょっと前に愛でたのが府中の森博物館の梅。広い敷地に1100本の梅が植えられている。

すぐ横は多摩川が流れ、その向こうは多摩丘陵、景色と梅の両方が楽しめる。

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青梅・吉野梅郷の2万5000本とは比べ物にならないけど、十分に楽しめます。郷土の森のホームページによると25日現在の開花は5分。この暖かさで一気に開花が進むんじゃないかな。

青梅の見頃はこれから3月に入ってからです。メーンの梅の公園には1500本が植えられている。梅の公園の住所を見たら青梅市梅郷。市の名前だけでなく字にも梅がついている。

吉野梅郷には30万人が訪れるんだって、すごいねえ。行こうかとも思ってるけど、混んでるのは好きじゃないので多分パス。

青梅には将門伝説を訪ねに今年こそ行かなくちゃ。

青梅という地名も将門伝説から来てるんです。そのむかし、青梅を治めていた三田氏は将門の後裔を称しているしね。

郷土の森でひょいと見たらマンサクが満開だった。

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2011年2月25日 (金)

オンドルが出てきたぞ!@府中の遺跡発掘

府中市清水が丘という所の竪穴建物を掘ったら珍しいものが出てきた。L字型かまどだ。府中の郷土の森博物館の「特別展 発掘!府中の遺跡 古代国司館と家康御殿」で展示されていた。

普通のかまどは、焚き口、煙道、煙出しが一直線に並んでいるが、これは焚き口に対して煙道が直角に曲がっている。つまりL字。

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煙は焚き口から右に行き、煙出しから外に出るようになっている。

何が珍しいのかというと、L字型かまどは、九州北部や近畿地方では比較的に多く分布しているが、関東・東北地方からの発見例はほとんどなく、これが2例目なのだ。

1例目も府中市内の武蔵台からで、武蔵国分寺の創建にかかわる建物跡に設けられていたものだ。

類似のかまどは朝鮮半島でも発見されていて、オンドル状遺構と呼ばれることもある。

これでは短いが煙道が暖房の役目も少し担っていると考えるわけだ。オンドルは言ってみれば床暖房、この煙道をもっと長くして床を設ければオンドルになる。

このL字型かまどは当然、渡来系の人々との関係が深い。これまでのものは、渡来人が住んでいた集落や寺院の近くから発見されている。

ということは府中にも渡来人がまとまって住んでいたということになる。

狛江=高麗江にも近いしね。狛江郷は今の狛江市から調布市、三鷹市、武蔵野市に及ぶ広い範囲だった。井の頭公園に狛江橋が架かっているのは、いにしえの記憶が残されたもの。深大寺を開いたのも渡来人。

というより、渡来人と倭人ははっきりと分けられないのではないか。蘇我氏や秦氏は渡来系だけど大和朝廷で重きをなしている。

「騎馬民族王朝征服説」そのままではないだろうが、渡来した人たちが高度な文化や技術をもたらし、国をつくっていく上で大きな役割を果たした。

彼らがいなかったら大和朝廷はつくられなかったろう。

オンドル状遺構が出たのは京王線東府中駅の南東。東京競馬場に行くときに乗り換えるか、そのまま降りて歩いて行ってもいい。

競馬場へは下り坂になっていて、その崖の上に竪穴建物はあった。武蔵国衙にも近い。

L字型かまどは4世紀頃以降のものが発掘されているが、今度のものは8世紀末と推定されている。国府が置かれたのが8世紀の初め。平安京に遷都する少し前のことか。

府中市郷土の森博物館だよりの「あるむぜお90」はこう結んでいる。「古代武蔵国を統治するために重要な拠点であった国府と国分寺にかかわりの深い地域から発見されたことが、この竃(かまど)のなぞを解くカギとなるかもしれません」。

公式の見解だから遠慮しているが、個人的には国府の統治に渡来系の人たちが深くかかわっていたと考えている。

専門家に、きっちりとなぞを解いてほしいもんだ。

2011年2月24日 (木)

大笑い!「パンダに葛根湯」@上野動物園

大笑いしてしまった。新聞を読んでこんなに笑ったのって久しぶりだ。

朝日新聞2月22日夕刊1面の長期連載「ニッポン人脈記」の「動物園にようこそ」編。この連載も長い。もう何年続いてるんだろう。

昔は「人国記」をやってた。いつごろだったのか、いろんなことを教えられた気がする。「人国記」は地域ごとの縦割りだったけど「人脈記」は思想や技術が横につながって受け継がれていくのが面白い。

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さて「動物園にようこそ」の4回目は上野動物園のパンダ飼育にかかわった人々。

パンダが初めて日本に来た1972年のこと。獣医師として世話をした田辺興記さんから当時のことを訊いている。

竹を食べるというので、竹の子の水煮の缶詰も用意した。

缶詰ですよ。こんなもの与えていいのか?

ところがラベルを見ると台湾製。パンダについてきた飼育員に見つかるとまずいというので、みんなで平らげたという。

いまでも水煮をあげるんだろうか?

極めつけはこっち。

来日1週間くらいでカンカンが鼻水をたらした。

さあ大変だ。大事な"国賓”が風邪を引いたら日本中が大騒ぎだ。

以下は引用。

「『中国から来たから漢方薬だ』ということになり、田辺は薬局に行かされた。

『甘くて飲みやすくて葛根湯が入っているの、ありますか』。パンダは甘党なので、子ども用を注文した。『おいくつで、体重はどれくらい』と店の人。『55㌔の2歳』。うっかり本当のことを言ってしまった。なんとかごまかして売ってもらい、牛乳に混ぜて飲ませたら、翌朝治っていた」。

パンダにも葛根湯ですか。うちも引き始めは葛根湯と生姜湯で治しちゃいますけどパンダにも効いたんだろか。

ま、漢方薬は副作用が少ないからな。じゃ、アフリカから来たライオンには何を飲ませるんだ?

日本の動物はネギを焼いて首に巻いておくのか。

パンダ用のミルクをつくった森永乳業の研究者の話も紹介されている。ユウユウがこのミルクで育ち、中国や和歌山の人工哺育のパンダは、このミルクで大きくなったという。

森永乳業も失地回復だね。

昔、大きな事件があったのを知ってますか。昭和30年の森永ヒ素ミルク事件。小学生だったけどよく覚えている。長いこと、日本中の母親は森永のミルクは使わなかった。

パンダ関連では安住アナの名前予想についても書いてます。こちらです。よかったらどうぞ。

2011年2月23日 (水)

春宣言!芝桜、クレソン、タンポポ、オニノゲシも開花@深大寺・野川公園周辺

ぽかぽかとあったかいので深大寺や野川公園の周辺をぶらぶら散歩。道ばたや土手に目を凝らしていたら、いろんな花が咲いてました。

間違いなく春です。ことしは野草観察会に参加して学んでいるから、今まで何の関心もなかった雑草に目がいきます。

農家の石垣を見ていたら芝桜が赤い花をつけてました。

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日当りがいいからね。

野川公園の湧き水で見つけたのはクレソン。白い花がかわいい。もう咲くんですね。


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ウィキにはこんなふうに書いてあります。日本にもたらされたのは明治の初め。在留外国人用だった。

「外国人宣教師が伝道の際に日本各地に持って歩いた事で広く分布するに至ったと言われている。日本で最初に野生化したのは、東京上野のレストラン精養軒で料理に使われたもので、茎の断片が汚水と共に不忍池に流入し根付いたと伝えられている」。

精養軒というのがいいね。西洋料理の老舗レストランだもんね。いかにも本当そうな話だ。ここのは誰が持ち込んだのかな。ICU(国際基督教大学)の外国人教授家族が使ったのが、崖下の湧き水に紛れ込んだのか。

4月頃に開花するようだが、これはずいぶんと早いね。ここもさえぎるものがなくて日当りは抜群だ。

清水がそそぐ岸辺に咲いていたのがこれ。

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花を見た時は「タンポポがもう咲いてる」と思ったんだけど、葉のギザギザが鋭い。色も緑が濃い。違うのかな?自信がない。

こっちは間違いなくタンポポ。


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葉が異なってる。京都の学ちゃんに問い合わせてます。そのうち答えが返ってくるでしょう。

《学ちゃんからさっそく返信が来ました。写真の撮り方が悪くて葉がよく確認できないということでしたが、「オニノゲシ」と見立てました。ネットであちこち見てみると間違いないでしょう。学ちゃんは、私にとっての牧野富太郎博士(日本の植物学の父)です》

オオイヌノフグリは真っ盛りです。小さいけどかわいらしい。ちゃんと名前を覚えたもんだから愛しくなっちゃった。

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ホトケノザも負けじと咲き誇ってる。花の下の葉が仏の座みたいなのが分かります。


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ハナニラもおまけしちゃおう。


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2011年2月22日 (火)

ひなかざり&まいまいず井戸@府中・郷土の森博物館

府中の郷土の森博物館では、こんな展示もあります。

古商家や民家も移築していて、旧島田家住宅をのぞいたら、おひな様が飾ってありました。

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これは明治21年(1888)に完成した蔵造りの商家。甲州街道府中宿の新宿(しんしゅく)にあり、すべてが厚い土壁でおおわれているのが特徴。厳重な防火設備なのだ。

そのうえ近所で火事があると正面に土戸をはめ込み、すき間を土で塗り込めるようになっていた。
すごいですね。

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昭和57年(1982)に解体されたものを復元した。薬屋さんです。


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お父さんと男の子はこちらにどうぞ。まいまいず井戸です。かたつむり状に掘り進めて地下の水脈から水を汲んでいた。

武蔵野や伊豆地方特有のものです。羽村市のものがよく知られてます。この井戸は府中寿町の発掘調査で見つかったものを復元した。平安時代につくられたものだそうです。

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下っていくと汲み口があり水がありました。郷土の森は多摩川の脇にあるから、それほど掘らなくても水にぶつかるんだ。

それでも3㍍くらいの深さがあるか。

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江戸時代の中頃まではまっすぐに穴を掘る技術がなかった。あっても技術を備えた職人を呼ぶには大変な費用がかかった。

それでまいまいず井戸を掘ったんです。村中が総出で掘ったんだろう。でも、武蔵野台地は水脈まで相当な深さがあるので井戸がつくれなかった。

だから玉川上水がつくられ分水が可能になるまで武蔵野台地は無人だったんです。

2011年2月21日 (月)

安住紳一郎がパンダの名前を予想@TBSラジオ

日曜の午前中はTBSラジオの「安住紳一郎の日曜天国」を聴いている。ウイークデイはNHKの村上信夫、神崎ゆう子「ラジオビタミン」。どちらもしゃべりが耳になじんで邪魔にならない。

きのうは安住アナがパンダについて熱く語っていた。パンダ博士らしい。

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(写真はANAの「FLY!パンダ」)

話題はきょう21日にやってくる2頭の名前について。上野動物園では名前も募集していて安住アナも応募したそうだ。「間違いない!」と豪語する、その命名法を披瀝。

まず前例にならってランラン、カンカンのような名付け方をシミュレーション。「あ」から順に69通りを書き出す。

アンアン、インイン、ウンウン・・・。

で、アンアンは「マガジンハウス」、インイン「ふさわしくない」、ウンウン「困ってる」、エンエン「泣いてる」、オンオン「叫んでる」。

てな具合で続けていく。カ行の方が面白い。キンキン「愛川欽也」、クンクン「イヌ」、ケンケン「見城美枝子」、コンコン「キツネ」。

安住アナは家で紙に書き出して真剣に考えてるんだそうだ。

すでに使われている、ふさわしくないなどを除外して、残ったのがアンアン、サンサン、ノンノン、ケンケン、ヨンヨン。

このへんまでで、もう20分以上もしゃべってる。くだらないけど面白い。

だが待てよ、ネーミング法を変えるかもしれない。その場合は、今の名前からひと文字取ることになりそうだ。ということで安住アナ、保険もかける。

オスがビーリー(比力)、メスがシィエンニュ(仙女)なので、安住アナが考えたのは、オスがビービー、リーリー、メスがノンノン、ケンケン、カラカラ(これはKARAが話題になってたのでとすこぶる安易)。

オスはもう1つ言ってたが聞き逃した。

パンダだけで30分以上もずっとしゃべっていたけど、楽しんで聴いていた。小さなことでも熱く語る人がいると、ついつい耳を傾けちゃうよね。

37歳、独身。花形アナウンサーとの落差が面白い。安住アナって多分頑固なんだと思う。経験上、北海道の男はかたくなな人が多かった。厳寒で鍛えられてるのか。

夜、TBSラジオのホームページをのぞいたら。反省してました。

「パンダの名前予想。あまり評判がよくなかったので 当たる気がしなくなってきた。」

2011年2月20日 (日)

マチダのうんちく「岡崎はゲルト・ミュラーを手本に」

A大サーッカー部OBのマチダさんも岡崎には注目してます。その嗅覚に注目し、ゲルト・ミュラーなんて懐かしい名前が引き合いに出てきました。

何しろサッカー歴50年余、多分、東京12チャンネルの「三菱ダイヤモンドサッカー」をちゃんと見てたんでしょう。

私も高校生の頃、たまに見てましたが、外国にゲームだくらいにしか思ってませんでした。ワールドカップがあるなんてちっとも知らなかった。ましてや欧州選手権なんて・・。

マチダさんはちゃんと分かって見てたんですね。

                soccer     soccer

岡崎のデビューはまあまあですか。いきなり得点は願望の域を出ていませんでしたね。本人は「やれる」手応えをつかんだらしい。

さてこれからどんなプレーを見せてくれるのやら。ドイツの爆弾男、爆撃機とも言われたゲルト・ミュラーを覚えているでしょう?かなり古いけれど。

個人技はさしてうまくないのに、なぜかゴール前のおいしい位置にいて決定的な仕事をものにしていました。身長1㍍70㌢チョイ。毛むくじゃらでずんぐりむっくり。何人抜きとか華のある選手ではない。

しかし、何よりも得点嗅覚、ポシション取りなどに優れていました。

とくればウーベ・ゼーラも思い出すでしょう。小柄ながら全身泥まみれになってしつこくゴールを重ねたFWでした。

「チームで一番汚れた男を見ろ、それがウーベだ」とも言われ、攻撃時には必ずスタンドから「ウーベ」の合唱が鳴り響いた伝説の選手です。

いかにもドイツらしい、そして日本人の心にフィットする2人は岡崎の手本です。花より団子、華麗なプレーは岡崎には似合わない。今のまんま、変な欲を出さず泥臭い得点を奪っていけば、きっとドイツで人気者になるはずです。


長友はまだチームというか、イタ公に受け入れられていない感じ。サッカーにおける人種差別的状況にあります。マカロニサッカー至上主義に目にもの見せてやってほしいですね。

2011年2月19日 (土)

「古代国司館と家康御殿」・郷土の森博物館の特別展

武蔵野線府中本町駅前の発掘で古代国司の館と、同じ場所から家康御殿の遺構が姿をあらわしたのはちょっとしたニュースになった。

その発掘の成果を郷土の森博物館で展示しているので見に行った。ちょうど梅園の梅も見頃には早いが咲いている。対岸の多摩丘陵を眺めながらの散策、梅の香を胸いっぱいに吸ってきた。

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まずは「特別展 発掘!府中の遺跡」。古代からの遺跡があちこちにある府中市では各所で発掘が行われているが、最近の成果は府中本町駅前の調査だ。

ここから国司の館が出てきたんです。年代は7世紀の末から8世紀の初め。大和朝廷の地方行政制度が整えられつつあるころのことだ。大化の改新から半世紀、武蔵にまで勢力が及んでたんだ。

このころはまだ国府中枢施設は設けられていなかった。国衙というような規模になるのは8世紀になってから。大国魂神社付近に営まれた国衙の成立よりも少し早い時期になるようだ。

「□館」と墨書された土器が出てきたことも国司館であることを裏付けているという。

国司は都から赴任してきた役人の居宅。国衙が整う前は自宅で業務を行っていたと見られる。

家康御殿がつくられたのは天正19年(1590)のこと。まだ秀吉の天下です。小田原氏を滅ぼした秀吉は、家康の関東移封を命じ、奥州へと向かった。その帰途の接待のために家康が設けたのが府中の家康御殿。

家康御殿は50カ所くらいにつくられたが、府中は数ある御殿の中でも初期のもので、ここで家康と秀吉が対面していたというのは興味深い。

古代の役人、まあ知事みたいなものが選んだ住居と家康が秀吉接待にふさわしいと定めた場所が同じというのも面白い。

家康は茶を立て、多摩川の鮎を愛でたという。国司も鮎に舌鼓を打ったことだろう。

多摩でもいつのころからかは分からないが、鵜飼いをしてたんです。

何しろ絶景の地。向かいには多摩丘陵をのぞみ、眼下には多摩川、富士山も西側にくっきりと姿を見せている。

こうした美意識は古代から変わらないんですね。

2011年2月18日 (金)

信州高遠藩内藤家の墓所@新宿太宗寺

太宗寺は信州高遠藩主の菩提寺でもある。高遠藩は、絵島生島事件で大奥年寄絵島が流された地としても知られる。

そもそも新宿は、内藤家の下屋敷の一部などを返上させて形成され、このへんで庶民の信仰を集めていた「太宗庵」が内藤家の信も得て寺領7396坪の寄進も受けて太宗寺となった。

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広いですね。伊勢丹の方まで全部、寺の敷地だったのか。今ではぎゅっと押し込められている。

内藤家の墓所だって300坪もあったが、1952年(昭和27)に都の区画整理事業にともなって現在地に改葬された。

だから今はそんなに大きくはない。

この写真の真ん中が内藤家累代の墓塔、右が五代正勝の墓。

このほか境内には、内藤新宿のお閻魔さん、しょうづかのばあさんとして親しまれた閻魔大王と奪衣婆像があり、江戸庶民の信仰を集めた。

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この中に三日月不動像が収められている。高尾山薬王院に奉納するため甲州街道を運搬中、休憩のために立ち寄った境内で盤石のごとく動かなくなったため、不動堂を建立して安置したのだという。

高尾山まではまだまだ遠い。こんな所で動かなくなってはしようがないね。

太宗寺の創建は寛文8年(1668)というからかれこれ450年。前身の草庵からでは500年を超える。だが、境内は縮小され、まとめられて都市の寺院になっているのが残念だ。

2011年2月17日 (木)

2㍍67㌢でっかいお地蔵さん@新宿太宗寺

新宿御苑の帰り道に太宗寺に寄った。地下鉄丸ノ内線の新宿御苑駅から新宿通りを渡って北へいくとすぐそこだ。

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太宗寺の門前がかつての内藤新宿の中心で、本陣や問屋場があった。甲州道中の宿場として内藤新宿がつくられたのは元禄12年(1699)のこと。それまでは日本橋を出発して最初の宿場は高井戸だった。

それでは不便だというので浅草の名主らが宿場開設を願い出たのだ。新設された宿場は、四谷大木戸の西200㍍から伊勢丹のあたりまで。真ん中に位置していたのが太宗寺だ。

新宿厚生年金会館(取り壊されて今は何が建っているのか)のコンサートに行くときに、このへんは何度か通っているが、境内に入ったことはなかった。

右手にでかいお地蔵さんがある。2㍍67㌢もある。

普通にイメージするお地蔵さんは立って杓を持っているが、これは座っている。「銅造地蔵菩薩座像」といって、江戸市中6カ所に造立されたうちのひとつ。この6地蔵の3番目として正徳2年(1712)につくられた。

いずれも街道の出入り口につくられているから、これらのお地蔵さんが江戸を守っていたのだ。

こんな立派なお地蔵さんは、江戸市中の人々の浄財でつくられ、像には寄進者の名前が刻まれ像内には寄進者名簿が納められていた。その数は実に7万2000人を超えるという。

信心深かったんですね。

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他のお地蔵さんは、品川寺(品川区)、東禅寺(台東区)、真性寺(豊島区)、霊巌寺(江東区)にあり、深川の永代寺にあったものは明治の廃仏毀釈で壊されてしまった。

永代寺そのものも廃寺とされ、お地蔵さんはキューポラのある街・川口の鋳物屋に売られてしまったという。溶かされちゃったんだ。

2011年2月16日 (水)

畦道はお花畑@野草園近く

京都の学ちゃん、この花なーに?

深大寺そばの調布の野草園にいってきた。野草園は2月の末まで冬休み中だけど、久しぶりに里山の景色が見たくなった。

田んぼの畦をのぞいてみると、こんな花が咲いてました。

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この時期の野草はちっちゃな花ですが、これは立派です。見つけたのは一輪だけだけど、ひときわ目立っていた。

こんな時は京都の学ちゃんに尋ねるに限る。

最初は、アマナかなと首をかしげてたんですが、いや違う、ハナニラと教えてくれました。西洋甘菜(せいようあまな)ともいうからアマナに似てるんだ。

学ちゃんは頼りになる。感謝です。

外来種で明治の中頃に渡来したようだ。きれいな星形の花ですね。色は白かブルーで、園芸品種ではピンクもあるらしい。葉っぱはニラにそのもので匂いも同じらしいが、ニラとは別種。

英名はSpring star flower、そのままですね。

一輪だけだから誰かが植えたのかな。

あたりにはオオイヌノフグリも花をつけていたし、あれっ、この赤いのは昔からよく見るけど、名前を知らない。

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これも訊いてみよう。

ホトケノザです。しっかり覚えておこう。春の七草のホトケノザはコオニタビラコで別物。

京都ではこの2、3日でスノードロップが咲いたそうです。私が神代植物公園のグリーンギャラリーで見つけたのは1月下旬だったから東京の方が暖かいのかな。

学ちゃんの家は京都といっても宝ケ池の方だから寒いんです。

ついでにグリーンギャラリーで見つけたフクジュソウを。


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植物公園では見頃だと思います。興味のある方は週末にどうぞ。

2011年2月15日 (火)

苦いか甘いか映画「追憶」の青春の日々

雪模様だった11日からの3連休、バーブラ・ストライサンドの「THE WAY WE WERE」のメロディーが浮かんできた。先日NHKのBSハイビジョンで放送していた「愛と哀しみの果て」からの連想だ。

シドニー・ポラック監督、ロバート、レッドフォードコンビの初期のヒット作がずっと気がかりだったせいだ。

「追憶」を見たのは学校を卒業して3、4年経ってからのこと。まだ、こころは揺れていて、バーブラ演じるケティさんがまぶしかった。

だらだらとサラリーマンになっている身としては、純なケティさんに苦さがよみがえったのだ。

あれから約40年、どんなふうに見るんだろう。当時と変わったのか。というわけで、散歩ができないので「追憶」のビデオを引っ張りだした。

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レッドフォードはスポーツ万能で成績も優秀、キャンパスのヒーローだ。バーブラは学生活動家。青年共産同盟の委員長だ。きょうも「フランコ打倒!」とやっている。

スペインのフランコ独裁への抗議を呼びかけているのだ。だから時代は第2時世界大戦の直前だ。だが、バーブラに対して学内の目は冷たい。「女子大生のソ連かぶれ」と嘲笑し、「ケケケケケティさん」などとからかったりする。

交わらないはずの2人が卒業後に再会、恋に落ちてしまう。だが、周囲にとけ込まないバーブラ。2人の間の溝は埋まらないが、政治の話題は封印してかりそめの幸せが維持される。

レッドーフォードは脚本家としてハリウッドへ。バーブラはレッドフォードのいない生活は考えられず耐えている。

状況は一変する。ハリウッドに吹き荒れた赤狩り。ケティの堰が切れた。もう黙っていられない。ワシントンに抗議へ行く。

レッドフォードの脚本は監督に理解されず、意図を曲げて書き直し。散々な作品になってしまう。長いものには巻かれてゆく。


女の子が生まれる。病室に見舞うレッドフォード。それが2人の別れの日だった。

数年後に再開。バーブラは相変わらず「原爆反対」と叫んでいる。レッドフォードはテレビの仕事で忙しい日々。

             end             end

相変わらずに苦い。ケティさんは正しい。だけど、40年経ってもやっぱりチクチクと痛い。

オープニングはうまいです。再開のシーン。海軍将校になったレッドフォード。ナイトクラブで眠っている。近寄るバーブラ。そこにあの歌のハミングがかぶさる。

そして青春の日々に懐古してゆくーー。THE WAY WE WERE・・なんて訳せばいいのかな。過去の道。ともに歩んだ道。だけど、平行線は変わらない。それが青春だったということか。

2011年2月14日 (月)

名所がなくなった景色@東銀座

いわて銀河プラザから道路の向かい側を見る。あるはずのものがない。

もちろん、立て替えのために取り壊されたのは知っているが、初めて銀座に来た時からあったものがないのは落ち着かない。

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入り口横にあった立ち食いの歌舞伎そばは、けっこういけた。右横には喫茶店があり、この数年は安い値段でコーヒーを出していた。

夕方に通りかかると歌舞伎座の入れ替え客で混んでいた。あの独特の建物と着飾ったお客さん、それが日常だった。

大して気にもしていなかったが、失われてみると喪失感がある。伝統とはそういうものなのか。

初めて通りがかったのは多分、1964年。歌舞伎を見たわけではない。松竹セントラルに映画を見に来たのだ。

歌舞伎座から橋を渡った左側にあった松竹セントラルは、とっくに高級マンションと商業施設になっている。

そこで上映していたのは「ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!」。高校生だった。

ロードショーの映画なんてふだんは見なかったが、奮発した。これは誰よりも早く見たかったんだ。

500円くらいだったか。月の小遣いが300円だったからお年玉の貯金をはたいたんだ。

今は昔の出来事。

おや、東劇ビルの1階が本屋になっている。いつからだろう?

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勝どき橋手前の九州ラーメン店、ふぐやは健在だ。歩いて橋を渡るのは何年ぶりだろう。左手の奥が聖路加病院、真ん前は佃島。右手は月島。あのビルの下にはまだ、昔の面影が残っている。もんじゃも随分と食べてないな。

そうこうしてるうちに着いてしまった。まだ30分前だ。まいいか、熱燗でも飲んであったまっていよう。

80歳を迎え一線から退いた業界の長老をお迎えしての新年会。長老はわれわれ小僧っ子と同じペースで日本酒を飲んですこぶる元気。えらいもんです。

2011年2月13日 (日)

見つけた!「コミックいわて」@有楽町から勝どき橋へ

交通会館の「むらからまちから館」でふりかけ3種も買ったし、いざ地下鉄勝どき駅へ出発。晴海通りをまっすぐ行けばいい。

銀座4丁目を過ぎると団体とすれ違う。全部中国人だ。以前よりも増えたみたいだ。服装はそんなに金持ちには見えない。でも、観光旅行に来るくらいなんだからゆとりがある層なのだろう。

ビルも新しく建て替えられているのが目立つ。キョロキョロしてまるでお上りさん。三原橋を過ぎると人通りは減る。


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まだ集合時間には早すぎる。「いわて銀河プラザ」に寄っていこう。

寒さしのぎにもなるし、何か買ってもいい。工事中の歌舞伎座の斜め向かいにある。県のアンテナショップとしてはかなりの広さ、知ってる中では一番だ。

おや、三原橋角の群馬も改装中で、1フロア全部に拡大するようだ。

「ぐんまちゃん家」というのか。これまではうなぎの寝床みたいで狭く、観光案内所と物産館をかねるには狭すぎたもんね。品数も少なかった。

銀河プラザの扉に何か張ってある。「コミックいわて」。「全国初!岩手ゆかりの漫画家たちによる 岩手をテーマにしたローカルマンガコミック」なんです。

どうしてローカルのトピックに反応したかというと、みみりんさんのブログを読んで、グッドアイデアと思っていたからです。

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独創性がある。こんな地域と東京がミックスした文化がじわじわと広がっていくと、豊かな実がなりそうだ。執筆陣は池野恋、とりのなん子、吉田戦車、地下沢中也ほか・・・。

詳しい内容はみみりんさんのブログをご覧ください。

さすが岩手、宮沢賢治関連本がたくさん並んでいて、その一角に「コミックいわて」が置いてある。地元出身の歌手のCDもある。

ちらっと見ただけだったのでタイトルは「雪割桜」だとばかり思い込んでいた。

そういえば昔、盛岡出身のママさんが数寄屋橋あたりでやってた飲み屋がそんな名前だったーーようだが、違うような気もする。

なんだが記憶が怪しい。検索してみると、どうやら間違って記憶していたようだ。

盛岡にあるのは「石割桜」。巨大な花崗岩が落雷で割れ、そこから桜が芽を出し樹齢350年の巨木に育った。盛岡地方裁判所の前庭にあるそうです。

NHK「どんど晴れ」にも出てきたんだろうけどぼんやり見てたので気づいてない。CDも飲み屋の名前も「石割桜」が正解。雪の盛岡と桜が年月を経ていつのまにか合体したんだ。

だが待てよ。「青い山脈」の歌詞はどうなんだ?

「雪崩れは消える 花も咲く  青い山脈 雪割桜」。

「青い山脈」の舞台は東北。私は青森だと思ってましたが、盛岡なのか。だったら「石割桜」でないとおかしい。どうなってるんだ。

ちょっと調べると雪割桜が有名なのは高知県須崎市。南国土佐だ。

混乱してきた。

石坂洋次郎の出身は青森の弘前、教員をしたのは青森と秋田。岩手は関係がなさそうだ。

それなのに、盛岡の「石割桜」に雪が積もった景色をイメージして「雪割桜」と作詞の西条八十が脚色したのか。


西条八十の想像力がたくましかったということか。

2011年2月12日 (土)

マチダがぼやく「U−22にもザック戦術浸透を」

A大サッカー部のOBマチダさんは、子供のころからわんぱく坊主です。家でじっとしてられないんです。

それで、きのう(11日)、きょう(12日)と雪にふり込められて、お外で遊べないので中東遠征しているU−22の試合ぶりをぼやいてきました。

            snow    wobbly     snow


日本代表の弟分にはいささかがっかりです。

引いて守られカウンター。試合を見ていないので何とも判断のしょうがないのですが、活字だけ見ると、つい最近までトップが繰り返していたサッカーそのままだったみたいですね。

つまり次代の候補たちにはザック流がまだ伝わっていないことになるわけですね。これでいいのか疑問がわきます。

トップとUとは技術、体力に差はあっても同じサッカーの色でないと無駄な時間を費やすことになるでしょう。Uから上がっても戦術などを理解させるために一からやり直しでは「日本の新しいサッカー」の流れが寸断されてしまいます。

これでは過去再三失敗してきたことの繰り返しですよ。ザック就任から時間が短かったせいもあるでしょう。でもトップとUをつなぐ役割の連中がザックの意図を汲んで伝えてやるべきでしょう。

説明はしたのかもしれません。しかし、結果からすると理解させる努力が足りなかったと言われても仕方ありません。次戦で修正できるかな?

            snow    wobbly     snow

きょうはバーレーン戦です。カタール戦で途中出場して動きがよかったMFの宇佐美が先発するらしい。修正されているのか、明日の新聞を楽しみにしよう。

マチダさんは、春は山菜、秋はキノコ、通年は釣りと、お外で遊ぶのが大好き。は〜るよ、来いーーと早くおんもで遊ぶのを心待ちにしていることでしょう。

2011年2月11日 (金)

「まんまけぇ」238円、「“元気だ”うなぎ」278円ナリ

たまに街に出ても新宿から西ばかりだけど、たまには銀座にも行くんです。この日は都営地下鉄勝どき駅近くの居酒屋で遅めの新年会。

大半がひま人なので午後6時スタート。金はないけど暇はある、3時半には有楽町に着いてしまった。交通会館の物産館でもぶらぶらするか。

北海道どさんこプラザは相変わらずにぎわっている。ここでは眺めるだけで、向かいの「むらからまちから館」へ。

いろんな県の物産が集まっている。

ふりかけを物色する。何年か前、友人が広島・福山のふりかけをお土産に持ってきてくれた。素朴な味わいで家族に好評だった。カルシウムたっぷりで、余計なことをしていないので素材の味が生きていた。

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当然、添加物はなし。だから日持ちしないので、大量に送ってもらうわけにいかなかった。

似たようなのはないか。

10品くらい並んでいる中で選んだのが次の3品。

まず「まんまけぇ」。

商品説明が「いぶりがっこをさらにおいしく。大根の葉っぱ入り生ふりかけ」。

いぶりがっこは、大根の漬け物をいぶしたもの。秋田の名物です。これでまんまを食えというネーミング。238円。

カルシウムは含まれてないが、まあいいか。

次はカルシウムたっぷりのやつを。「“元気だ”うなぎ」。パッケージに「香る静岡ふりかけ。うなぎの旨みがたっぷりの骨を丸ごと入れました」。

超ロングセラー浜松の「うなぎパイ」の発想からヒントを得てますね。パイは「夜のお菓子」、対して「元気だ」。これは278円。

もうひとつ、今度はNHK朝のドラマ「てっぱん」でおなじみ尾道のやつを。

お好み焼きではなくて「匠味 わかめしそ味」。売り文句は「春一番採りの生わかめを細かく刻み、ほんのりしその香りと煎り胡麻を添えソフトに仕上げました」。

朝ご飯に合いそうだ。195円。

まだ、ふりかけてません。食べ終わったら結果を報告します。

さて、有楽町から勝どき橋の向こうまで歩くか。2㌔くらい、ちょうどいい。

2011年2月10日 (木)

セントウソウとミスミソウも咲いてる・野川公園

「これはセントウソウ」とボランティアの人が教えてくれました。なるほど花をつけてる。

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セントウ? まず思いうかべた漢字が戦闘。戦う草? ふさわしくない。「けげんな顔をしていたら、“春、先頭に咲くからセントウソウ”」と教わった。

でも音読みの熟語なんて、和名としてはなじまない。日本固有種だというから、違う名前がついていたに違いない。

仙洞草という字のあて方もあるが、仙人が住む洞なんて誰かが無理矢理つけた匂いがする。

平安のころは、もっとふさわしい和名があったのだろうが、いまとなっては伝わってないようだ。

セリ科だそうです。早春の草ですね。

これはミスミソウ。別名雪割草。

先頭草よりもよっぽどいい響きですね。

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葉が三角に見えるのでミスミ。こっちは即物的で味気ないね。

雪割草は、その名から連想して雪国に自生してるのかと思っていた。野川公園で見られるなんて思っても見なかった。

得した気分。

2011年2月 9日 (水)

オオイヌノフグリ・ミチタネツケバナ@野川公園観察会その2

三鷹、調布、府中の市境近くにある野川公園の野草観察会に参加している。もうフクジュソウが見事な黄色い花を咲かせているのは前回紹介した。

立春を過ぎたら、野の草は春です。フクジュソウやセツブンソウのほかにも目を凝らすと小さな花が咲いてます。

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枯れ葉の間からコバルトブルーの花が顔を出している。オオイヌノフグリ。道ばたによく咲いてた花だ。子供のころはあまりに小さい花なので見向きもしなかった。摘んでも花輪にもならないもんね。

でも最近は「道ばた」に雑草が生えてないので見かけなくなった。田んぼの畦などに行けばいっぱい生えてるのだろう。

かわいい花です。明治の初め頃にヨーロッパから伝わった。わざわざ持ってきたのだろうか。それほどの価値があるようには見えない。多分、輸入した穀物などに種が混じっていて、自然に広がったのだろう。

学名はVeronica persica。ヴェロニカ・ペルシャだろう。ペルシャ原産のヴェロニカ。ヴェロニカ、ベロニカはキリスト教の聖者の名前。

十字架を背負いゴルゴダの丘へと進むキリストをあわれみ、額の汗を拭くようにベールを差し出したのがヴェロニカ。汗を拭ったキリストはベールを彼女に返した。奇跡が起こった。そのベールにはキリストの顔が浮かび上がっていたーー。

この言い伝えから絵画や彫像のベロニカは聖顔布を手にした姿で描かれるんだそうだ。

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そんな聖者の学名がついたかれんな植物についた和名がオオイヌノフグリ。イヌのフグリ(陰嚢)だなんて激しい落差だ。いいんだろうか。(そもそもの学名はveronicaではなかったという)。

別名は瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳。ベロニカにはこっちの方がふさわしい。

和種にイヌノフグリが存在していたので、この名になった。イヌノフグリよりも大きいのでオオがついた。フグリが大きいわけではない。

イヌノフグリの実は、そういう形をしているらしいが、オオイヌノフグリの実はそうではないようだ。

でも、日本で普通にベロニカと呼んでいるのはルリトラノオ。動物のしっぽのような茎にびっしりと花がついてるやつです。どちらもゴマノハグサ科で近種だ。

ベロニカもこれで救われるだろう。

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こちらはミチタネツケバナ。変わった名前だ。路種浸け花。ボランティアの人に教わったから気づいたけど、普通は見過ごしてしまう。

タネツケバナというのは時期をさしている。苗をつくる前には、種籾(もみ)をあらかじめ水に浸けておく。種を浸ける頃に花を咲かせるので種浸け花。そうやって季節を知ったんですね。

えらいもんだ。

もっと咲いてます。それは次回に。

2011年2月 7日 (月)

春です・野川公園のフクジュソウとセツブンソウ

きのう6日は野川公園の自然観察会。前回の1月は植物の冬越しについて教わった。今回もあまり変化はないという。ほとんどがおなじみのメンバーなので「野鳥の観察もしようか」とボランティアの人。

さっそくシメが寄って来ました。人なつこくて人間を観察にくるらしい。

でもちゃんと春が顔を出してました。

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鮮やかな黄色のフクジュソウが枯れ葉からにょっきりと伸びている。

囲いがしてあるので近づけない。ズームで撮るとどうしてもぼけてしまう。腕が悪いんです。

フクジュソウなど早春、他の植物に先駆けて花を咲かせ、わずか2カ月ほどで地表から姿を消してしまう春植物を「スプリング・エフェメラル」という。

「エフェメラ」とは、ギリシャ語で昆虫のカゲロウのこと。春のはかない命という意味だ。日本では「春の妖精」ともいっているそうだ。

これは自然観察センターに展示されていたものを書き写してきた。

虫媒花で昆虫たちに目立つように色彩が鮮やかなのだ。

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こっちにも咲いてるぞ。集団で芽を出している。

神代植物公園には群落があるそうだが、この時期に入ったことはない。無料のグリーンセンターでも群生してるが、ことしは工事中でその場所には入れない。

また野川公園に来てみるか。群生が見られるかもしれない。

それにしても、すごい黄色だ。

スプリング・エフェメラにはほかにキクザキイチゲ、アオイスミレ、ミスミソウ、セントウソウなどがある。

こっちではセツブンソウが見頃だ。1月20日に紹介した時はまだつぼみだったが、満開だ。

薄紫の花が可憐だ。


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とはいっても花びらのように見えるのは顎(がく)だそうです。

ボランティアの人たちが種をまいていて毎年咲かせている。種が芽を出すのに3年はかかる。大変なんだ。

今回の参加者は38人。説明役のボランティアの人が6人なので6、7人のグループに分かれた。さらに補佐のボランティアが2人つく。

ボランティアは計3人。それぞれの人が訊けば何でも答えてくれる。ぜいたくな観察会だ。

基本的に第一日曜日の午後1時から。今回は園内が工事中だったので3分の2くらいしかまわらなかったが。それでも2時間弱、たっぷりと見て回った。

セツブンソウはこんなにいっぱいあります。

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2011年2月 6日 (日)

史跡の駅「おたカフェ」と東山道武藏路

サイモンとガーファンクルの「冬の散歩道」などを口ずさみながらせせらぎとともに「お鷹の道」を歩いた。真冬のウイークデーなので訪れる人も少ない。(散歩したのは1月13日のこと。アジア杯などがあってアップするのが延び延びになってました)。


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中央線の国分寺駅から歩いて15分くらい。大きな農家の間の小径を整備して、真姿の池湧水群から湧き出る水を集めた小川にそって歩く。静かだ。聞こえるのは流れる水の音だけ。

途中におたカフェがある。

こうして見ると、ケヤキの大木の邪魔をしないように建ててるんだ。客はひと組だけ。隠れ家の喫茶店の趣き。

向かいに「武蔵国分寺跡資料館」がある。東山道武蔵路発掘の成果を展示しているというので入ってみる。

東山道武蔵道は東山道の支線。相模国府あたりと群馬の新田を結ぶ道だ。

詳しくは「古代の道ははこんなに広いぞ」で取り上げたのでよかったら参照してください。

資料館は大きな農家の母屋のあとに建てたもので、広い庭が楽しめる。

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相模から上毛野までほぼ一直線に貫いている。

相模の箕輪駅は今の平塚辺りに比定されている。ここから三浦半島を通って房総半島に渡るのが、古い東海道。だから南が上総で北が下総。都に近い方が「上」となる。

東山道では群馬が上毛、栃木が下野。

「東海道」「東山道」といっても道の名前ではなく、地域を指す。北海道みたいなもんです。後に武蔵は東山道から東海道に編成替えになる。

武蔵路は府中にあった武蔵国府の横を通り、国分寺を抜け、所沢、川越へと北上していた。

とにかく広い。

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発掘の結果、こんなに広かったことが判明した。大和朝廷の勢威を見せつけたんですかね。まっすぐ行くと姿見の池を貫いている。大岡昇平「武蔵野夫人」のヤマ場のくだりに出てきます。地名は恋ケ窪。主人公が「恋」と気づく場面。

溝口健二監督の映画では田中絹代がポッと顔を赤らめてた。(モノクロ作品なので実際は赤くはないが、赤くなったと感じさせる)。

これが農家のあとに造られた資料館。庭は保存されている。

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1階が展示室。景色を邪魔していないのがいい。ひと通り展示を見た後に庭で深呼吸するのが気持ちいい。

これは資料館の門。国分寺村の名主、旧本多家の長屋門を残したもの。弘化5年(1848)に建てられた。東側には2間の座敷があり、幕末には名主の子息の本多雖軒(すいけん)が開業していたこともあったという。

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お鷹の道から国分寺跡を訪ね、武蔵路あとにびっくりして西国分寺駅から帰途につくーー古代の余韻に浸れるいい散歩道です。

2011年2月 5日 (土)

石神井川の源流@小金井公園

小金井公園北側の池にはきょうもカメラマンが集まっている。目当ての鳥がいないのか手持ち無沙汰のおじさんに訊くと「きょうはヤマゲラがよくくるね」。

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池では、かもが十数羽日のあたらない所でじっとしてる。この池の北側を石神井川が流れている。

このへんは源流に近い。住所は小金井市と小平市の境目だ。

ここから武蔵関公園の富士見池、石神井公園の三宝寺池、豊島園池などの湧水を集めて、王子駅の下を抜けて隅田川にそそいでいる。

豊島園の中を流れている川です。北区の滝野川では見事な渓谷をなしているようだが、訪ねたことはない。

王子から先は人為的に流れが変えられたようで、おそらく江戸初期に工事が行われたものと思われる。

この池が源流ではない。北隣に石神井川は流れている。

看板があるぞ。

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なになに、「一級河川 石神井川 上流端」。

源流ではなく、上流の端っこ。コンクリで護岸され、水は流れていないが一応、川の様相は呈している。

上流は暗渠になっている。

いまでは、石神井川はここから始まることになっているのか。

上流端からのぞいたが、暗渠の中に流れがあるようにも見えない。水源は枯れてしまったのか。

たどってみよう。左手は小金井カントリー。50㍍も行くと行き止まりだ。ゴルフ場の中に源流地があるという話を聞いたことがある。かつては清い流れがあったのだろう。

右側は嘉悦大学。こちらも門は閉ざされている。

しょうがないですね。きょうはここまで。

調べてみると、昔は小平の鈴木遺跡辺りが水源だったようだ。

地図を見るともっと先まで続いているが、玉川上水から水を引いた用水のようだ。

用水と石神井川を合体させて水量を増やしたのかもしれない。

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とりあえず、ここで行き止まり。子供のころ、多摩川の源流を探ろうなんて冒険心を抱いたことがあったが、都会の川の源流近くはこんなもの。

なんかむなしい。

2011年2月 4日 (金)

鬼太郎も豆まき@深大寺

深大寺の豆まきに行ってきた。考えてみれば豆まきを見るのは初めてだ。

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決められた時刻にただ豆をまくだけかと思ってたんだけど違うんです。

豆をまく前に1時間以上もえんえんと舞台でさまざまな演目が繰り広げられる。

まず詠舞。ご詠歌に合わせての踊り。能舞と続き、春風亭柳好と桂米多朗のかけあい。

調布警察の振り込め詐欺に注意を促すお芝居。

このころ山門から豆まきに参加する片男波親方らが入場してくる。舞台には向かわずに元三大師堂へ上がって、多分護摩を焚いて厄を払っている。

そうだよね。豆をまく人に変なものがついていてはまずいもんね。

舞台では太鼓奉納がはじまった。

もう1時間はたっている。見に行ったのは午後3時からの3回目。客は思っていたよりも少ない。2、3百人か。

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豆まきはほんの5、6分であっけなく終わってしまった。そんなもんなんですね。

鬼太郎も舞台に上がってまいていた。


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あんまり似てないね。

2011年2月 3日 (木)

売れ筋はおむつ、ローソク、香典袋「田舎のコンビニ」

時はゆるやかに進んで行くが、確実に変化は訪れる。厳しさは音もしないが、気づいたときには現実となっている。

ここは奥能登、石川県の穴水町にある雪深い限界集落だ。

一軒のコンビニがある。「やぶこし商店」にはお年寄りが集まってくる。店主の薮越美和子さんに向かって「高いものを買わされる」、「私は買わない」、「そんなことない」ーーなどと軽口をたたきながら笑いあっている。

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金沢テレビ制作のドキュメント「田舎のコンビニ」。日本放送文化大賞の準グランプリを獲得したので30日午前に日本テレビで放送された。

「やぶこし商店」を4年間にわたって追った。町には大型スーパーができて客はそちらに流れたが、お年寄りはここをよりどころにしている。

交通手段を持たないお年寄りのために美和子さんは車を運転して病院へ送り迎えする。途中、農協による人もいる。

そう、人間も配達するコンビニなのだ。

スーパーに比べれば値段は高い。売れ筋はおむつ、ローソク、香典袋。収支はなんとかやって行ける程度。送迎や宅配を経費に入れたら赤字だろう。

カーテンを買いたい人には、「こっちの方が安いから」と店の品でなく通販で取り寄せてやる。もちろん取り付けも手伝う。

美和子さんを「神様や」というお年寄りもいる。感謝しながら集うお年寄りだが、1人ずつ欠けてゆく。

2つの集落の人口は782人だったが4年間で115人が減った。

これは過疎の現実。美和子さんの奉仕がお年寄りを支えているが、もうバランスは保てていないのかもしれない。

やぶこし商店もいつまで続けられるのか。

過疎の村だけのことではない。都会だって買い物弱者のお年寄りは多い。わが家だって、毎日の買い物はできない。通院帰りに軽いものを買ってくるだけだ。

美和子さんはごく自然にお年寄りに接し、番組は深刻さを強調しないで淡々と過疎の集落を見つめて行く。だから余計にしみる。

あと10年もしないで、こうした限界集落の多くは日本から姿を消してしまうと考えられている。

全国各地に美和子さんはいないし、いたとしても過疎化のスピードは増すばかりだ。

2011年2月 2日 (水)

ショック!「いくつになってもロケンロール」が終わっちゃう

悲しいお知らせを聞いてしまった。

隔週火曜日の午後9時5分、今夜はどんな特集なのか心待ちにしてたのにNHKラジオ「亀淵昭信のいくつになってもロケンロール」が3月15日の放送で終了してしまうという。

昨夜、番組の冒頭で亀ちゃんが切り出した。

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5年でも10年でも亀ちゃんが元気なうちはずっと続いて行くものと信じていただけにショックだった。

番組は2年前の3月に放送したパイロット版からずっと聴いていた。ニッポン放送のDJで一世を風靡した人をNHKが迎え入れるのも驚きだったが、60年代から70年代のポップス、ロックががんがんかかるのがうれしかった。

ラジオにかじりついていたあのころが、よみがえった。もっとも打ち震えたのはブリティッシュロックの特集。

紹介された曲は、ピーターとゴードン、キンクス、サーチャーズ、デイブ・クラーク・ファイブ、ムーディー・ブルース、ハーマンズ・ハーミッツ、ゼム、アニマルズ、ホリーズ…。すごいでしょ。

60年代のポップス黄金期特集には、ピュアだったころが思い出された。

普通のラジオではかからない粋な選曲が特徴だった。

きのうの亀ちゃんは、こころなしか元気がなかった。いつものように弾んだ声でなく沈んでいたように感じたのは気のせいか。

ニッポン放送で復活させてくれないかな。

でも亀ちゃんは3月29日から新番組を担当する。「にっぽん全国ラジオめぐり」で、全国の民放のラジオ局を訪ねてユニークな番組を紹介していくそうだ。

70歳を越えてのチャレンジには拍手を送るが、やっぱり黄金のポップスや70年代ロックも聴きたい。全国の旅が終わったらまた、「ロケンロール」に戻ってください。

2011年2月 1日 (火)

李忠成実家の焼肉店「モランボン」は閉店?してた

アジア杯決勝で見事なボレーシュートを決めた李忠成の実家が営んでいる焼肉店を探しに行った。西武新宿線田無(たなし)駅の南口にあるらしい。店名は田無モランボン。

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バスの停留所は北口にあるので南口にはいったことがない。広場もなく昔はマーケットだったらしき所に商店が軒を連ねているが、それらしき店は見つからない。

商工マップ(店や企業の所在地だけを記した広告地図)で確認すると通りから入った場所に「モランボン」とある。地図の右下の方です。さっき通り過ぎたあたりだ。

念入りにもう一度探してみるが見当たらない。

引っ越したか、閉めてしまったようだ。焼き肉ランチでも食べてお祝いをいいたかったんだけど残念。

そういえば朝刊社会面で、「貿易を営む父親」となっていて、おかしいなと思っていた。

夕方のニュースではテレビのインタビューに父鉄泰さん(53)が出ていた。取材は西東京市(田無市と保谷市が合併)の自宅だ。店を続けているなら店で行うはず。やっぱり閉めたんだ。

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この奥にあったはずなんですが・・。

            soccer

次のようなコメントをいただきました。《去年閉店しましたよ。週に一回は行ってたのに、ほんと残念。田無においしい焼肉屋さんがなくなってしまいました。。復活希望!!!》

ありがとうございます。

            soccer


朝鮮日報の電子版は李について何か書いてるかと思ったが、在日四世で、U18では韓国代表候補になったものの言葉の壁に悩まされ結局、日本に帰化など目新しいことはなかった。

その代わりに、こんな記事がありました。「日本サッカー強さの秘密」というものです。

《驚いたのは、日本サッカーが過去には見られなかった「ファイター気質」を備えてきたという事実だ。

日本は伝統的に、ソフトなサッカーというイメージで、韓国に比べ、激しい当たりが見られなかった。個人技はレベルアップしてきたが、国際大会での競争力は弱かった。

これに対し韓国は、強いモチベーションで闘志あふれるプレーをしてきた。日本サッカーは数年前まで「韓国の闘志を見習うべき」と自省の言葉を口にしていた。

そこにザッケローニ監督による、押し寄せる守備と攻撃という「津波式サッカー」が導入され、運動量が増えたことにより、中盤でのプレスも見違えるほど強くなった。

韓国が準決勝の前半、パスが頻繁に途切れたのは、日本のプレスが予想外に強かったからだ》。

韓国のマスコミからこんなお褒めの言葉に預かるなんて2、3年前は思っても見なかった。

李は引っ張りだこだね。NHKの9時に出て、そのあとテレ朝にも岩政とともに呼ばれてた。11時台は日テレ、日付が変わって0時台はフジテレビ。一躍国民的ヒーローだった。

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