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2010年12月25日 (土)

下村湖人が「次郎物語」の構想を練った旧浴恩館(文化財センター)@小金井

まだ「次郎物語」は学校の推薦図書になっているのか。その昔、親からも読みなさいとかいわれて買い与えられた。

小さい時に里子に出され、やがて実家に戻るがなじめずに反抗的な態度を取る次郎だが、結核に冒された母の愛などを知って成長していくーと書いたが、実はよく覚えていない。でも、読んだのは確かだ。プール熱で学校を休んだ時に読んだのは、はっきり覚えている。

作者の下村湖人が所長をしていたのが、この浴恩館です。今は小金井市の文化財センター。

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小金井公園の南側にあるが、大きな通りに面してないので分かりづらい。住所は小金井市緑町3−2−37です。敷地は公園になっていて緑にあふれている。樹木に囲まれて古い建物がある。戦前の趣がそのまま保存されていて、何ともいえない懐かしさを覚える。この景観に包まれているとほっとする。

それもそのはず、浴恩館の建物は、昭和3年(1928)京都御所で行われた昭和天皇即位大嘗祭で使われたものだ。その際、神職の更衣所として建てられた。

たった1回しか使わないのに、簡易建築ではなく本格的につくったんですね。それが今でも保存され使用されている。すごいもんだ。

それを(財)日本青年館が譲り受けて移築、昭和6年から青年団指導者の講習所となった。

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下村湖人を呼んだのは「青年の父」と謳われた田澤義鋪(たざわよしはる)。開所間もない昭和8年に、故郷佐賀の後輩下村を招き、実践教育にあたらせた。

この小さな建物は空林荘。下村が講習生と寝食を共にした宿舎だ。そのころ「次郎物語」の執筆をはじめた湖人は、ここで構想を練った。

戦後になって発表された第5部に登場する友愛塾と空林庵は、浴恩館と空林荘をモデルにしたものだという。

戦前の青年団活動についてはほとんど知らないが、農村の未来を開く組織として青年団が機能していたようだ。戦前もそうだが、戦後も明るい農村を目指す担い手だった時期もあった。

コンサートなどで使われる東京・青山の日本青年館は、その本部なのか。調べてみると、日本青年館は全国の青年団員による募金活動などが展開され、初代日本青年館が1925年(大正14年)に完成というから間違いない。

約500名収容可能の宿泊施設のほか、2000名収容の講堂、図書室、新聞雑誌縦覧室、資料陳列室、談話室等を備えたものだった。また、別館として小金井市に「浴恩館」を建設し、そこに青年団指導者養成所を開設した。

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だが、時局が変化する。有為な青年が集まる浴恩館は軍事教練の格好の場と軍部に目を付けられる。「次郎物語」も連載中止に追い込まれ、湖人も昭和12年(1937)に所長を辞任、浴恩館も戦時体制に組み込まれていく。

浴恩館の庭です。昔は近くの仙川から水を引いていたんだろう。池がしつらえてあるが、特に装ってはいない質素な趣がいい。

今は文化財センターになっていて、小金井の歴史や遺跡からの発掘品などが展示されている。入場無料。

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