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2010年11月10日 (水)

25万人!が働いていた中島飛行機・軍都多摩の軍需産業⑵

多摩には横河電機、正田飛行機など軍需産業が次々に移ってきた。武蔵野・三鷹は京浜工業地帯の衛星都市として位置づけられ、あわせて首都防衛の拠点の役割もになった。「軍都多摩の軍需産業(1)」はこちら。ジューキミシン編です。(3)は見出しの上を見てください。

戦火が拡大する中で、昭和12年(1937)、本命の中島飛行機が武藏製作所(陸軍用)を開設した。横河電機から北へ1㌔くらいのすぐ近くだ。横河で飛行機の計器を作り中島飛行機に運ぶ。輸送に便利だ。

Cimg1308

※中島飛行機跡に作られた武蔵野中央公園。正面のアパートが富士重工(中島の後身)の社宅、右はNTT武蔵野中央研究開発センター

中島飛行機は翌昭和13年、隣の田無に田無鋳造工業(中島航空金属に改称)、16年には隣接する土地に多摩製作所(こちらは海軍の飛行機エンジンを製造)、三鷹では三鷹工場(戦後、半分以上がICU=国際基督教大学=に売却)が操業を開始した。

戦火は拡大し軍備拡張は至上命題だった。

隣接する武藏と多摩の製作所だが、陸軍、海軍が秘密裏に技術開発を行い、情報は交換されなかった。こんなことじゃ戦争に負けるわけだ。

この中島の戦時中の就業人口がなんと25万人。すごい。下請けや勤労動員も含めた人数なのか。中でも最大の武藏製作所は、昼夜2交代で各2万5000人が働いていた。

この跡地は米軍将校用宿舎になりグリーンパークと呼ばれた。プロ野球国鉄スワローズのフランチャイズとしてグリーンパーク球場も作られた。

グリーンパーク、同球場、武蔵野球技場線などについては、すでに触れた。興味のある方はこちらをどうぞ。

「武蔵野市にあった幻の東京グリーンパーク野球場」

「グリーンパーク野球場②廃線あとを歩く」

「グリーンパーク野球場③六大学野球」

「グリーンパーク野球場④あえなく閉鎖」

「グリーンパーク野球場⑤建設前史」

「グリーンパーク野球場⑥夢のあと」

通りがかったらNTTの見学開放日だった。毎週木曜日はNTT技術資料館が見学できる。ベルから始まって電話の変遷が展示してある。「きょうは2人目」とかでマンツーマンの説明つきで案内してもらった。

予約すれば、「ディジタル技術とマルチメディアの時代」(2階)、「技術史のラウンジ」(3階)も見学できる。今度は予約して最新技術を眺めに行こう。


Cimg1305

このNTTの地下には地下通路が縦横に走っていた。中島飛行機が作ったものだ。工場内の移動と防災上の目的があったんだろう。

田無の中島航空金属の跡地の一部はひばりが丘団地になってます。

on  次は多摩全体の軍需工場を見て行きます。これから(5日)調布のJAXA(宇宙航空研究開発機構)の展示室を見に行きます。あらら、10月にここで「はやぶさ」を公開してた。知らなかった。

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