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2010年10月21日 (木)

なつかしのゴミ箱・江戸東京たてもの園

子宝湯の前の通りは明治から昭和の古い建物が並び、下町の風情が味わえます。文房具屋、醤油屋、居酒屋、仕立て屋…。

荒物屋の脇に路地が再現されてます。

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板張りの外、植木鉢には朝顔、夕涼み用の縁台や防火のための水桶が置かれた昭和の光景だ。いまでも下町の路地に迷い込むと、こんな景色に出合うことがある。

ゴミ箱にうれしくなってしまった。昭和の30年代くらいまでは、各家庭の前に、これと同じ形のゴミ箱が置かれていた。うちのはコールタールで真っ黒に塗っていた。

バケツに生ゴミを入れて蓋をしておく。買い物に行っても、魚や野菜は新聞紙にくるんでたからレジ袋などはない。アパートのゴミ箱はあふれたりしていた。(ちなみにゴミ箱と書いたのは、たてもの園。家庭の前に置かれていたのには、何も書いてありません。みんな知っていたから。護美箱なんて書いたのがあったかな)。

週に2回くらいは集めにきたのか。ふたをしていても夏には銀蝿がたかり、臭いも放っていたので足早に通り過ぎたものだ。

いつの間にか姿を消した。団地ができてゴミ箱を置けない家庭が増えたせいか。そのあと大型のポリバケツになった。収集日に一斉にポリバケツを家の前に出すようになった。

そういえば住宅街では銀蝿がたかってる姿を見ないな。下水も整備され、水たまりもなくなったから蚊も減った。日が落ちて虫を食べに飛んできたコウモリの姿も見ないな。


Cimg1069

これが路地。ほっとする。

2階建てだから少し高級か。ひと家族で住んでいたんだったら余裕のある職業か。ずっと郊外に住んでいたので、その辺のところはよくわからない。

でも実際のところはこんなに明るくない。通りが狭くて日も射さないからじめじめしてたりする。遠きにありて思うもの、なのか。


レトロついでに交番とバスの写真も。

交番は神田万世橋のたもとにあったもの。明治後期のものらしい。薩摩出身の巡査が「おい、こらっ」と威張ってるころだから、随分と立派です。民権派の襲撃を想定していたのかもしれない。

物騒な世の中だった。

青年壮士は「国利民福増進して民力休養し、もしもならなきゃダイナマイトどん」なんて俗謡を口ずさみながら肩で風を切っていた。

明治17年(1884)、神田神保町の質屋に押し入った賊が逃げたところが、小川町の警察署。捕まりそうになった賊の1人がやにわに爆弾を投げ、警察署の軒に当たるという事件もあった。

爆弾を投げたのは河野広躰で、福島自由党の指導者河野広中の甥。事件を起こしたのはいずれも2年前の「福島事件」で投獄された福島自由党の青年志士たちだった。

菅原文太主演の「ダイナマイトどんどん」(1978)という映画もあったな。やくざが抗争を民主的に解決しようと野球大会を開催というコメディー。狙いは面白かったが…。

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ついでにボンネットバス。以前は観客を乗せて園内を走ったようだが、いまは展示だけらしい。色は映画の撮影用に塗ったものだそうです。ということは撮影所にあったものなのか。

楽しめますよ、たてもの園。まだ、藁葺き農家を紹介してないので、次の機会に。

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