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2010年10月27日 (水)

お鷹の道の周りは本多さんちだらけ

久しぶりに国分寺のお鷹の道を歩いた。武蔵国分寺跡の史跡公園のすぐ北側です。月曜日だったので「おたカフェ」も「武蔵国分寺跡資料館」もお休み。そこで「本多さんめぐり」に変更した。

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このあたりの農家は本多姓が多い。本多家の先祖が切り開いたのだ。史跡公園の中に本多家のお墓もある。公園に食い込んで畑もある。鎌倉時代末期の分倍河原の戦いで国分寺が消失した跡、どんどん切り開いて行ったんですね。

真姿の池湧水群の脇で野菜の庭先販売を行っているのが本多俊一さんの家。これは蔵。「本」の字が白壁にくっきりと浮き上がってます。値段を見るとスーパーより50円は安いが、きょうは野菜を買うのはパス。

湧き水に沿って行くと立派な長屋門が。これが本多俊一さんの家の門だ。左側はカーテンがかかっているので、子供の部屋にでもなっているのか。

野菜販売の向かいも本多さん。


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何坪あるんだろう?家の向こうは、小高くなっている。いわゆるハケ。ここでも野菜や果物を売っていた。柿やイチジク、みかんもある。

国分寺跡の方からお鷹の道の一本南側に行ってみる。ここも本多さんだ。

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さらに歩いてみる。大きな農家がある。通用門があって、ここも本多さん。

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どこの家も敷地が広い。分家ではなく、それぞれが本家なのか。いつごろから住み着いているのだろう。中央線国分寺駅の北側には「本多」という地名がある。玉川上水の南側だ。上水ができたので新田を開墾したのだ。本多家の次男、三男が移って行ったのだろう。

多摩新田開発の典型的なパターンだ。ということは、その前から、こちらにいたのは確かだ。

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