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2010年10月30日 (土)

残ったのは借金だけ・映画に出資した直木賞作家の悲惨な日々

「新・雪国」という小説を出版した直木賞作家の笹倉明氏、小説は案の定売れず、よせばいいのに映画化に乗り出し記者会見まで開いてしまった。ここまでは前回のブログで紹介した。

脚本も自分で手がけ、予算の関係で舞台は越後湯沢から月岡温泉に変わってしまったが、オールロケの宿泊と食事代はホテルが持ってくれることになった。スタッフは35人程度。およそ3000万円に匹敵する。ホテルは400万円を出資してくれることにもなった。破格の待遇だ。

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だが製作費1億円には届かない。当てにした町からの助成金は町議会の議題にもならなかった。後藤幸一監督が1000万を銀行から借り、ビデオ会社、衛星放送から1650万円、プロデューサーなどが1300万円を用立て、直木賞作家は、元金保証の友人からの借金も合わせ2500万をつぎ込んだ。

ここまでの小計は約6500万。

当座は払わなくていい監督、脚本、原作料が約1000万、ホテルの好意分3000万を合わせるとようやく約1億円。綱渡りの撮影を続けなんとか完成にこぎつけた。でもここからが地獄への急坂。

2001年秋の公開を目指して試写などが始まった。これだってただでは会場は借りられない。直木賞作家が実家から500万を借りて手当てする始末。

劇場が決まらない。当てにした小屋は夏を過ぎて断ってきた。年末に大阪で公開したが、千日前は初日の客が3人。1日4回上映だからゼロの時もあった。天王寺も同様。1週間で打ち切られた。福岡では3日で打ち切り。

詳しくは分からないが、ろくに宣伝もしない無名の映画に客が来るわけはない。その金もなかった。期待した文化庁の助成金も審査に通らなかった。パスすれば2700万円が助成され宣伝費にまわせる目論みだった。甘かった。

奥田瑛二はだだをこねて宣伝に協力しないというおまけもついた。

そうこうしながらも東京の劇場が決まった。しかし、上映するには週110万が必要だという。2週で220万。これを超えないと1銭も入ってこない。必死で前売り券を売りまくった。

東京で上映すれば地方の劇場から声がかかると踏んでいたが、反応はゼロだった。万事休す。

悲惨な生活が始まった。水道、電気が止まった。仕方なく友人が所有するビルの一室に避難した。

その後も上映会などを続けたが、収益はすべてを合わせて300万に満たなかった。

当然借金は払えない。原作、脚本料も入らない。直木賞作家はさらに親から数百万を借りて(全額は返していない)生活費をやりくりした。

「映画『新・雪国』始末記」(論創社)を書いた03年の時点で負債は返せていない。救いは主演に抜擢した笛木優子が韓国で活躍していること。
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「ビデオの海賊版が韓国で出回って困ってるんですよ。笛木のヌードが見られるというので話題になってるらしいんです」と、その後、何かのパーティーで会った後藤監督がこぼしていた。

後藤監督も個人保証の1000万円を少しずつ払っているのだろう。

素人が映画作りで夢を見てはいけないという教訓でした。

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