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2010年10月の記事

2010年10月31日 (日)

三鷹も府中も立川も…多摩はみんな神奈川県だった

三鷹市に野崎という地名がある。文字通り、深大寺北側の「野」の先に位置している。野崎は「吉野さん」だらけだ。50人ほどの1クラスに4、5人は吉野がいた。学級全体では30人は吉野だった。

その野崎を東西に貫いている人見街道沿いに「吉野家(名主の家)跡地」の案内板が立っている。

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この建物は1963(昭和38)に現在の江戸東京たてもの園に移築された。ということは、私が地元の中学に通っているころは使われていて、前を通っていたんだ。記憶の風景はもう失われている。

名主の吉野といえば、三鷹では吉野泰三が有名です。明治の自由民権運動のリーダー。もう一人のリーダー石坂昌孝の娘美奈と結婚した北村透谷は吉野とも面識があり、近年、吉野家文書の中から泰三宛の書簡が発見されている。

泰三は名主でもあり、移築されたのは泰三の家かと思っていたら、そうではない。泰三のおじいさんの喜太郎の三男幸治郎の家のようだ。案内板には「悦時氏所有」となっている。悦時は幸治郎の孫の子か、あるいは孫の孫。

泰三の吉野家が、ここに移ってきたのは亨保(1716〜1735)のころ。西多摩郡の檜原村から来たといわれるが定かではない。そのころ別の吉野さんが、すでに暮らしていた。

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これがたてもの園にある吉野家。江戸時代の農家としては最大規模で、宅地内には土蔵2棟、納屋などがあり、玉川上水から水を引いた砂川上水も引き込まれていたという。

確かに、私が小学生のころは、ここらに小川が流れていた。深さ20㌢くらいだったのに弟が落ちて溺れそうになったことがある。上水から遠く、枝の引き込みだったので浅いのだ。今は埋め立てられているが痕跡をたどることができる。

泰三の家は、もう少し東にあった。今はタクシー会社になっている。どこに移ったのか?

なかなか本題にいきません。

透谷が泰三に書簡を送ったのは民権派が四分五裂になっていた明治22年(1889)ごろ。泰三は盟友の石坂昌孝とたもとを分かっていた。

その理由の1つに多摩の東京府移管がある。泰三は賛成派、石坂は反対派。透谷は義父ではなく泰三の方針に賛意を示している。

当時の神奈川県議会で多数派を占めていたのが石坂や泰三らの自由党だった。

なぜ、多摩は神奈川から東京に移されることになったのか?

on 続きます。

2010年10月30日 (土)

残ったのは借金だけ・映画に出資した直木賞作家の悲惨な日々

「新・雪国」という小説を出版した直木賞作家の笹倉明氏、小説は案の定売れず、よせばいいのに映画化に乗り出し記者会見まで開いてしまった。ここまでは前回のブログで紹介した。

脚本も自分で手がけ、予算の関係で舞台は越後湯沢から月岡温泉に変わってしまったが、オールロケの宿泊と食事代はホテルが持ってくれることになった。スタッフは35人程度。およそ3000万円に匹敵する。ホテルは400万円を出資してくれることにもなった。破格の待遇だ。

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だが製作費1億円には届かない。当てにした町からの助成金は町議会の議題にもならなかった。後藤幸一監督が1000万を銀行から借り、ビデオ会社、衛星放送から1650万円、プロデューサーなどが1300万円を用立て、直木賞作家は、元金保証の友人からの借金も合わせ2500万をつぎ込んだ。

ここまでの小計は約6500万。

当座は払わなくていい監督、脚本、原作料が約1000万、ホテルの好意分3000万を合わせるとようやく約1億円。綱渡りの撮影を続けなんとか完成にこぎつけた。でもここからが地獄への急坂。

2001年秋の公開を目指して試写などが始まった。これだってただでは会場は借りられない。直木賞作家が実家から500万を借りて手当てする始末。

劇場が決まらない。当てにした小屋は夏を過ぎて断ってきた。年末に大阪で公開したが、千日前は初日の客が3人。1日4回上映だからゼロの時もあった。天王寺も同様。1週間で打ち切られた。福岡では3日で打ち切り。

詳しくは分からないが、ろくに宣伝もしない無名の映画に客が来るわけはない。その金もなかった。期待した文化庁の助成金も審査に通らなかった。パスすれば2700万円が助成され宣伝費にまわせる目論みだった。甘かった。

奥田瑛二はだだをこねて宣伝に協力しないというおまけもついた。

そうこうしながらも東京の劇場が決まった。しかし、上映するには週110万が必要だという。2週で220万。これを超えないと1銭も入ってこない。必死で前売り券を売りまくった。

東京で上映すれば地方の劇場から声がかかると踏んでいたが、反応はゼロだった。万事休す。

悲惨な生活が始まった。水道、電気が止まった。仕方なく友人が所有するビルの一室に避難した。

その後も上映会などを続けたが、収益はすべてを合わせて300万に満たなかった。

当然借金は払えない。原作、脚本料も入らない。直木賞作家はさらに親から数百万を借りて(全額は返していない)生活費をやりくりした。

「映画『新・雪国』始末記」(論創社)を書いた03年の時点で負債は返せていない。救いは主演に抜擢した笛木優子が韓国で活躍していること。
                     ×   ×

「ビデオの海賊版が韓国で出回って困ってるんですよ。笛木のヌードが見られるというので話題になってるらしいんです」と、その後、何かのパーティーで会った後藤監督がこぼしていた。

後藤監督も個人保証の1000万円を少しずつ払っているのだろう。

素人が映画作りで夢を見てはいけないという教訓でした。

2010年10月29日 (金)

地獄を見た映画作り・笹倉明著「映画『新・雪国」始末記」

映画「新・雪国」といってもほとんどの人が知らないだろう。おそれ多いタイトルだ。川端康成を超えようってのかい。無謀な試みに突き進み、すっからかんになった小説家の顛末記だ。

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三鷹図書館で物色していたら、この本を見つけた。映画は知っているので手にしたが、著者は知らない。奥付によると直木賞作家で原作者、目次をめくると出資して大損したようだ。

時々、こんな人がいて泣きを見る。他の本と一緒に借りてきた。

映画は見ている。後藤幸一監督は、黒木和雄監督のATG「竜馬暗殺」(1974)のころ新宿のゴールデン街でよく顔を合わせた。「週刊ポスト」のライターだったトミーこと富田幹雄氏が実現に向けて飛び回っていた。

イラストレーターの黒田征太郎氏も製作に名を連ね、トミーは黒木監督と新宿に出没していた。控えていたのが助監督をつとめた後藤監督だった。製作に向けての熱気がうらやましくもあった。

出演は原田芳雄、石橋蓮司、中川梨絵、松田優作、桃井かおり。すごい顔ぶれだ。そのころはかおりもゴールデン街で飲んでいた。

直木賞作家は映画にどこまでのめり込んだのか?まず、なぜおそれ多い書名の本を書いたのかから語られる。

越後湯沢の老舗ホテルの女将が、現代の「雪国」を書いてもらって活性化の呼び水にしたいとの願いを持っていた。この話を聞いた知り合いが盛り上がり執筆を依頼する。98年のことだ。逡巡するが引き受ける。

周囲は99年が川端康成生誕100年にあたることもあり、「100万部だ!」など勝手に盛り上がって行った。

著者は冷静だが小説の完成が見えてきたところで、後藤監督に映画化の話をする。スケベ心があったんだ。映画との相乗効果も計算したのだろう。

果たして小説は売れなかった。「実売は発行部数の1万分にはるかに届かず」の惨敗。著者は出版界では「初版作家」の烙印を押されているという。増刷りがかからないからだ。

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ここでやめておけばよかった。資金のめどもついていないのに地元新潟で映画化の記者会見まで開いてしまう。出版の失敗を「映画で大衆化する」と画餅を思い、塗りつぶしてしまった。

「映画という蜜を求めて暴走をはじめていたのである」と著者も、振り返っている。

on 長いので次回に続きます。止まらない暴走と借金まみれの悲惨な生活を紹介します。

2010年10月28日 (木)

毎日新聞夕刊のバカ記者・仙谷由人過激派説

事実を知りもしないくせに、きちんと調べずに資料から孫引きしてしまうーーこういう人はどこにでもいる。でも、痩せても枯れても大手新聞の記者だったら、間違いを鵜呑みして、引用するのは恥ずかしい。

28日の毎日新聞夕刊。2面の「特集ワイド」は、影の首相の素顔を探るとして仙谷由人官房長官をクローズアップしていた。

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メーンの大きな見出しが「影の首相の影の顔」、その上に「けんもほろろの取材対応…ならば知る人に聞こう」。これも一種のやらせだ。

自宅前で待ち構えていたら、「皆さん方の商売とはいえ…」と、小声で語尾を濁して車に乗り込んでしまった、という。

アポなしで官房長官にじっくり話を聞けるわけがない。そんなの常識だ。「けんもほろろ」ではない。本論に入るためのイントロとして使っているのだが、賢明ではない。

「ならば、本人の人柄を知る人に話を聞いてみよう」と続ける。仙谷のイメージを悪化させる効果はあるが、真実らしく見せるために読者だましの細工をするのはフェアではない。

で、聞いたのは松本健一麗沢大教授。東大の同級生。

あちこちでいわれている仙谷過激派説についても確かめている。

「仙谷は比較的穏健な『フロント』(社青同構造改革派)に出入りしたが、学生運動家ではない。安田講堂事件の時も救援対策する役回り。『学生運動の闘士』とか言われるのは尾ひれがついている」。

松本氏は「フロント」とだけ話したのを記者が「社青同構造改革派」と補った。

「バカ!」と叫んで新聞をちぎりたくなったが、家族が読むので思いとどまった。

そんなセクトは存在したことがない。フロントは、統社同・社会主義学生戦線だと思う。あいまいなのは、もう忘れてしまったから。「戦線」を英語にして「フロント」と言ったのだ。当時(60年代末)はフロントで通じた。逆に言えば正式名称は知られてなかった。

勘違いや単なる間違いは誰にでもあるので、大新聞でも許す。でもこれは、資料を確認せずに写しているので深刻だ。

「社青同構造改革派」とはじめて活字にしたのは多分、文藝春秋の7月号あたり。6月の発売か。このころから仙谷過激派説が、あちこちで語られ、「社青同構造改革派」なるセクトが誕生した。元公安の有名人も、平気で使っているらしい。

社青同(社会主義青年同盟)は、もとは社会党の青年組織でのちに縁を切り(切られ?)、学生組織としては「社青同解放派」がある。青いヘルメットだった。早稲田の全共闘議長・大口明彦氏が解放派。彼の演説はかっこ良くて、女子大生に人気があった。今は人権派の弁護士になっているらしい。

フロントは、構造改革路線の穏健派。いわゆる過激派ではない。石も投げず、ゲバ棒も持たなかった。共産党を除名になった「日本のこえ」などと近く、暴力革命を否定し、社会民主主義に近いのかな。理論家はいいだもも氏だったか。

社会党では江田五月議員の父三郎氏が構造改革派だった。ほかに構造改革派の学生組織は、プロ学同、共学同があり、構改三派と呼ばれていた。70年過ぎには名前を聞かなくなったから雲散霧消したのか。

社青同と構造改革派は、似ても似つかない。

松本健一さんにもお詫びをしなければならないだろう。

署名記事だ。若い記者で知らないのは理解する。だったらちゃんと調べろよ。文藝春秋に書いてあるから、調べなくてもいいのか?

文藝春秋に疑問も抱かずに鵜呑みしているんだ。疑問、疑いが記者の初めの一歩だろうに。あー、恥ずかしい。


down 「通りすがりさん」からコメントをいただきました。

コメント欄を読んでいただければいいのですが、下の方なのでここに転載します。

いえ、社青同構造改革派というのは存在しました。「主体と変革派」と呼ばれ、国労の北海道や全逓の埼玉などにいました。70年以降、解放派などとともに社会党を離れてしまいましたが、もともとは社会党の江田三郎につながる構造改革グループです。ただ、それとフロントが何の関係もないのはご指摘の通り。産経新聞がまたまたその孫引きで「暴力装置」発言にからめて「フロント(社会主義青年同盟構造改革派)」などと書いていましたが、新聞記者って本当に何も調べずに書いているんですね。
                  ※    ※
確かに社青同はもともと社会党の下部組織ですから、江田三郎らの構造改革グループに連なる派がいたんですね。学生組織のことしか知りませんでした。

ご指摘ありがとうございます。

それにしても産経もひどい。


2010年10月27日 (水)

お鷹の道の周りは本多さんちだらけ

久しぶりに国分寺のお鷹の道を歩いた。武蔵国分寺跡の史跡公園のすぐ北側です。月曜日だったので「おたカフェ」も「武蔵国分寺跡資料館」もお休み。そこで「本多さんめぐり」に変更した。

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このあたりの農家は本多姓が多い。本多家の先祖が切り開いたのだ。史跡公園の中に本多家のお墓もある。公園に食い込んで畑もある。鎌倉時代末期の分倍河原の戦いで国分寺が消失した跡、どんどん切り開いて行ったんですね。

真姿の池湧水群の脇で野菜の庭先販売を行っているのが本多俊一さんの家。これは蔵。「本」の字が白壁にくっきりと浮き上がってます。値段を見るとスーパーより50円は安いが、きょうは野菜を買うのはパス。

湧き水に沿って行くと立派な長屋門が。これが本多俊一さんの家の門だ。左側はカーテンがかかっているので、子供の部屋にでもなっているのか。

野菜販売の向かいも本多さん。


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何坪あるんだろう?家の向こうは、小高くなっている。いわゆるハケ。ここでも野菜や果物を売っていた。柿やイチジク、みかんもある。

国分寺跡の方からお鷹の道の一本南側に行ってみる。ここも本多さんだ。

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さらに歩いてみる。大きな農家がある。通用門があって、ここも本多さん。

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どこの家も敷地が広い。分家ではなく、それぞれが本家なのか。いつごろから住み着いているのだろう。中央線国分寺駅の北側には「本多」という地名がある。玉川上水の南側だ。上水ができたので新田を開墾したのだ。本多家の次男、三男が移って行ったのだろう。

多摩新田開発の典型的なパターンだ。ということは、その前から、こちらにいたのは確かだ。

2010年10月26日 (火)

立川基地は3分割・公園と戦争⑻・昭和記念公園

米軍立川基地ゲート近くの映画館は、立川セントラルと立川中央という館名だった。ただ区別しただけ。セントラルが洋画で、中央が邦画だったか。もう1スクリーンあったかもしれない。

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今はシネマシティ。シネコンとしては早い方だ。余談だが、タツミ興行にはお世話になった。

ATG映画「不連続殺人事件」(77)を製作したのがタツミキカク。内田裕也さんとはじめてあったのがこの作品の新潟ロケ。

荒井晴彦(「赫い髪の女」=79、「遠雷」=81、「Wの悲劇」=84=などの脚本)、斎藤博(「セーラー服百合族」=83、「ボクの女に手を出すな」=86、「ザ・中学教師」=92=などの脚本)や荻原達(「西部警察パートⅢ」などを監督)が助監督で、新潟まで遊びに行った。

高校時代は授業をさぼってここで映画を見た。

映画館の先のモノレールのガードをくぐると景色ががらりと変わる。ぶらりと巡ってみる。モノレールの西側は開発されていず、広い道路の両側に警視庁多摩総合庁舎や災害医療センターなどが点在している。

米軍立川基地は77年に返還され、3分割されることになった。国と地方自治体と自衛隊。米軍基地は3分割で返還されるパターンが多いようだ、府中もそうだし、ジョンソン基地もそうだ。調布は自衛隊ではなく、民間の飛行場になって少し異なるが、まあ同じパターンだろう。

立川は国立昭和記念公園と自衛隊、業務地区に線が引かれた。モノレールから西が業務地区というわけだ。

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おっ、第4機動隊もここにある。精鋭を集め「鬼の4機」と恐れられた部隊だ。ヘリコプターがホバリングをしてる。自衛隊のものか警視庁のものか。

自衛隊立川駐屯地のゲートがあった。「写真をとっていいですか?」と一応断ると門番の隊員が「ちょっと待て」と奥の事務所に電話する。

事務所から上級らしい隊員がやってきて「基地の奥を見通せないように撮るならいい」とのことだった。

公道からとるんだから許可はいらないはずだが、連れ込まれたりすると面倒なので、門柱を中心にパチり。

地図で見ると、自衛隊は相当に広い。目分量で南北に2000㍍はある。米軍滑走路の跡らしき直線が貫いている。

このゲートは、南の端だ。米軍と同じように立川駅に近いところに入り口をこしらえている。その方が便利だもんね。

海上保安庁や裁判所、国文学研究資料館、国立国語研究所、立川拘置所などもこの一帯にある。緑は多いが、道路は直線で、歩いていても面白くも何ともない。

昭和記念公園の手前が公園になっていて、総合案内所にはベンチがあるからそこでひと休みしよう。

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「現在地」の三角印の左が高島屋。縦の二本線はモノレール。右下の緑の部分はまだ昭和公園ではなく、無料の公園。その左側は空き地。国有地なのか。

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2010年10月25日 (月)

公園と戦争⑺・米軍基地に向かって跳び蹴り・昭和記念公園

「昭和公園って、もとは基地だったの?」とびっくりしてる女の子がいた。

冗談じゃない!おじさんは怒ると同時に、あきれてものもいえない。ここで砂川闘争が戦われたことも知らずに公園に遊びに行くんだ。ふざけるな!農民の体を張った戦いがあったからこそ、お前たちはのんびりと休日を楽しめる。

もう半世紀以上前だ。米軍立川基地の砂川町(当時)への拡張計画が持ち上がり、農民たちは反対運動を繰り広げた。

「土地に杭は打たれても、心に杭は打たれない」ーー農民たちの合い言葉だ。デモで歌われたのは「赤とんぼ」。自分たちのふるさとを守りたい、お百姓さんの願いが込められていた。

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写真は農民のリーダーの一人宮岡政雄さんの著書「砂川闘争の記録」(お茶の水書房)の表紙。厚着をしているから冬だ。家族で麦踏みをしているのだろう。真上を飛ぶのは輸送機か。

この光景は沖縄ではない。東京だ。

お百姓さんは上を見上げたりしない。きっとすごい音がしているが耳も塞がない。いつもの光景だからだ。
ここは首都東京です。立川もあれば横田もある。米軍の占領が続いているようなものだ。

騒音や危険と紙一重でも農民は黙って畑を耕していた。(すぐ近くの米軍ジョンソン基地の飛行機はよく落ちた)。

そこへ持ち上がった拡張計画。農民を中心に労働者、学生(全学連)も加わったデモが行われた。そして1956年10月13日、機動隊に守られた測量隊が杭を持ってやってきた。強制測量だ。数千人のデモ隊と機動隊が激しくぶつかった。

けが人続出の激しい抵抗にあって測量隊は引き上げて行った。強制測量の阻止、勝ったのだ。土地にも心にも杭を打たせなかった。

この農民の戦いは成田へと引き継がれて行く。

約10年後、再び拡張計画が発表された。1965年、米軍の北爆が開始されベトナム戦争が激化してゆく。明らかに戦争目的だった。再び反対運動が起こった。

大学生もデモに参加した。記録によると「1967年、三派全学連砂川に登場」とあるので、この年だろう。

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映画館の先に米軍ゲートがあった。そこに機動隊が阻止線を張っていた。投石よけのネットを張っている。デモ隊は座り込み対峙していた。機動隊の後ろでは米兵が武器を持って控えている。

一人の学生が立ち上がり、小走りに機動隊に向かった。助走をつけて、やにわにネット越しの機動隊に跳び蹴りを見舞った。

皆あっけにとられた。キクチ君だった。今でもスローモーションで映像を記憶している。

翌68年、米軍は計画中止を発表。77年に日本に返還された。

東京でできたことが沖縄ではどうしてできないのか。

(右手が映画館。歩道橋の先に多摩モノレールがかすかに見える。その奥がゲートだったように覚えている)。

2010年10月24日 (日)

見返り草 秋明菊・まだまだ野草が咲いてる野草園

もう冬も近いし、咲いてる花も少ないだろうと調布の野草園まで散歩したんだけど大間違い。知らない花が盛りで思わぬ収穫でした。前回は黄花の突き抜きホトトギス(きばなのつきぬきほととぎす)などに見とれたけど、これも何ともいえない不思議さがあった。

見返り草、みかえりそう。思わず見返ってしまうほど美しいのが名前の由来とか。

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そうですかねえ。葉っぱは虫に食われているし、なんだか毛虫みたい。あまりアップにしない方がいいのかな。

では、ちょっと引き目で。どうですか?

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福井県から西に分布しているので、関東の人にはなじみがない。「そう」の名前がついてるが、草ではなくて木なんだそうです。シソ科の木。

草と木の違いってなんだっけ?

基本的に、その違いは幹にある。「草」は、茎が太くなることはないが、「木」は、毎年成長を続け幹も太くなる。この幹が太くなることを肥大成長と言い、これが「木」の特徴なのだそうだ。

草は冬になると地上部が枯れてしまうが、木はそうではない。竹はどっちか?2年目からは幹が成長せず、年輪も作らないので草らしいが、意見は分かれているらしい。

これはシュウメイギク、漢字で書くと秋明菊。古い時代に中国から渡来した。京都の貴船に多く見られたことから別名貴船菊。中国では秋牡丹ともいうらしい。いずれもきれいな名前がついてます。京都貴船は京の奥座敷、鞍馬の方。牛若丸も見てたのかな。

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ちょっとしおれかけているのが残念。あっ、菊とついてるがアネモネの仲間だそうです。

清楚なやつを。シラヤマギク。これはキク科です。

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アザミもきれいだった。種類は分かりません。


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2010年10月23日 (土)

黄花の突き抜きほととぎす——という名前の植物

名札には「きばなのつきぬきほととぎす」と記されていた。本当かいな。説明はありません。受付すぐ横の鉢に植えられてたので、冗談ではなさそう。

ここは調布市の野草園。公営の施設なんだから、そういう名前なんだろうと納得しながらも、半信半疑で写真を撮ってきました。

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調べてみると、宮崎県の尾鈴山にしか自生していない絶滅危惧種です。黄色いから黄花。茎が葉を突き抜けているように見えるので「突き抜き」。ホトトギス(植物)の仲間なのでホトトギスというわけだ。

1934年(昭和9)に発見された。崖などに生えているので見つからなかったんだ。

ちなみに一番長い植物の名前は、リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ。竜宮の乙姫の元結いの切り外し。アマモの別名だ。正式名称ではどうなんだろう?

一番短いのは「イ」。藺草のイ。

隣にはホトトギスの鉢が置かれてました。


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これもホトトギスだよね。色がちょっと異なるので種類が違うのかもしれない。群れて咲いてました。

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2010年10月22日 (金)

公園と戦争⑹・小金井公園と神社の立ち退き

都立小金井公園は、紀元2600年記念事業の一環として設けられた「小金井大緑地」が前身だ。これは「公園と戦争⑴」で触れた。こちらから見られます。

その際、農地は強制収容された。今でも公園の中に農地が点在しているのは強制収容の苦い思いが記憶されているに違いない。

五日市街道沿いにその証拠が残っていた。小さな社があった。八幡神社。

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由緒書きがあり、創建は亨保9年(1724)、そして「昭和18年小金井大緑地造成の為
(現小金井公園)現在地に遷座」とあった。立ち退かされたんだ。

公園内の農地は、戦後に農地解放で小作人の所有になり、再び公園用地として買収されるのを肯んじなかった。

公園の中に「この畑は民有地です」の看板が立てられている。都はもう買収をあきらめたのだろうか。

公園内の「江戸東京たてもの園」の正面にでんと構えているのが旧光華殿。紀元2600年の記念式典=昭和15年(1940)=で使われた建物を翌年、ここに移築したのだ。

紀元2600年というのは神武天皇が即位してからの年数。即位は、西暦紀元前660年。この年の元日に即位したので、新暦に換算すると2月11日になるのだと言う。それで2月11日が昔の紀元節。現在の建国記念の日。

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神話の話だけど、だとしても西暦紀元前に日本列島でどんな暦が使われていたのか。どう推測、換算して2月11日になったのか、確たる根拠が示せるのかな。まあ、おぼろにつつまれてるけど。

古事記や日本書紀の神話が、今でも法律に生きていて国民の休日になっている。日本というのは不思議な国だ。

この建物がビジターセンターになっていて、たてもの園の入り口だ。皇居の外苑で行われた式典後は当初からここに移築される予定だったようだ。

ちなみに2600年の1940年には幻の東京オリンピックが開催される予定だったが、戦時下のため中止。この年に制定された戦闘機がゼロ戦。00年だからゼロ。

私が小学生の頃は小金井郷土館(武蔵野郷土館)といっていた。社会科の授業で行ったことがある。建物を見ても何も感じず、芝生で弁当を食べたことだけを覚えている。

その頃、三鷹近くの大きな公園は、井の頭と小金井しかなかった。野川公園はICU(国際基督教大学)の持ち物だったし、武蔵野の森公園は米軍調布基地、神代植物公園はできておらず、府中の森公園は米軍府中基地、国営昭和記念公園は米軍立川基地。

隔世の感がある。

光華殿前の広場は桜の名所になっている。玉川上水の桜は枯れてしまったので、春になると、ここが大賑わい。

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長いこと景気は良くないけど、のどかなもんです。

2010年10月21日 (木)

なつかしのゴミ箱・江戸東京たてもの園

子宝湯の前の通りは明治から昭和の古い建物が並び、下町の風情が味わえます。文房具屋、醤油屋、居酒屋、仕立て屋…。

荒物屋の脇に路地が再現されてます。

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板張りの外、植木鉢には朝顔、夕涼み用の縁台や防火のための水桶が置かれた昭和の光景だ。いまでも下町の路地に迷い込むと、こんな景色に出合うことがある。

ゴミ箱にうれしくなってしまった。昭和の30年代くらいまでは、各家庭の前に、これと同じ形のゴミ箱が置かれていた。うちのはコールタールで真っ黒に塗っていた。

バケツに生ゴミを入れて蓋をしておく。買い物に行っても、魚や野菜は新聞紙にくるんでたからレジ袋などはない。アパートのゴミ箱はあふれたりしていた。(ちなみにゴミ箱と書いたのは、たてもの園。家庭の前に置かれていたのには、何も書いてありません。みんな知っていたから。護美箱なんて書いたのがあったかな)。

週に2回くらいは集めにきたのか。ふたをしていても夏には銀蝿がたかり、臭いも放っていたので足早に通り過ぎたものだ。

いつの間にか姿を消した。団地ができてゴミ箱を置けない家庭が増えたせいか。そのあと大型のポリバケツになった。収集日に一斉にポリバケツを家の前に出すようになった。

そういえば住宅街では銀蝿がたかってる姿を見ないな。下水も整備され、水たまりもなくなったから蚊も減った。日が落ちて虫を食べに飛んできたコウモリの姿も見ないな。


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これが路地。ほっとする。

2階建てだから少し高級か。ひと家族で住んでいたんだったら余裕のある職業か。ずっと郊外に住んでいたので、その辺のところはよくわからない。

でも実際のところはこんなに明るくない。通りが狭くて日も射さないからじめじめしてたりする。遠きにありて思うもの、なのか。


レトロついでに交番とバスの写真も。

交番は神田万世橋のたもとにあったもの。明治後期のものらしい。薩摩出身の巡査が「おい、こらっ」と威張ってるころだから、随分と立派です。民権派の襲撃を想定していたのかもしれない。

物騒な世の中だった。

青年壮士は「国利民福増進して民力休養し、もしもならなきゃダイナマイトどん」なんて俗謡を口ずさみながら肩で風を切っていた。

明治17年(1884)、神田神保町の質屋に押し入った賊が逃げたところが、小川町の警察署。捕まりそうになった賊の1人がやにわに爆弾を投げ、警察署の軒に当たるという事件もあった。

爆弾を投げたのは河野広躰で、福島自由党の指導者河野広中の甥。事件を起こしたのはいずれも2年前の「福島事件」で投獄された福島自由党の青年志士たちだった。

菅原文太主演の「ダイナマイトどんどん」(1978)という映画もあったな。やくざが抗争を民主的に解決しようと野球大会を開催というコメディー。狙いは面白かったが…。

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ついでにボンネットバス。以前は観客を乗せて園内を走ったようだが、いまは展示だけらしい。色は映画の撮影用に塗ったものだそうです。ということは撮影所にあったものなのか。

楽しめますよ、たてもの園。まだ、藁葺き農家を紹介してないので、次の機会に。

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2010年10月20日 (水)

H・ケラー「わたしは“奇跡”ではない」&地デジ化の裏技

17日放送のNHKハイビジョン特集には、いろいろと考えさせられた。あれこれチャンネルを変えていたら大竹しのぶがヘレン・ケラーの家をたずねていた。紀行番組か、と思っていたら全く違った。

「わたしは“奇跡”ではない〜生誕130年 ヘレン・ケラーの真実」。大竹は次に庭の井戸に行き、ハンドルを押して水を出す。地元の劇団による井戸水のシーンが挟まれる。

「奇跡の人」の最も感動的なシーンだ。アーサー・ペン監督、アン・バンクロフト、パティ・デューク。アンがアカデミーの主演女優賞、パティが助演女優賞。日本公開は1963年、みんな見に行きました。

「WATER」はまさに奇跡だと受け取り、打ち震えるほどの感動を味わった。

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(ワーナーホームビデオ)

でも、ケラーが言語を獲得したのは奇跡ではなく、ケラーが必死で望んだ結果だという。ある意味の必然。盲聾者も、表現をもとめて戦っており、サリバン先生がそれを導きだしたのだという。

NHKの番組解説は、こうなってます。

「生誕から130年を経て、脳科学や認知科学の進歩により、その業績が“奇跡”ではないことが、わかってきた。東京大学の福島智教授ら世界の研究者が、ヘレン・ケラーの“奇跡”を新たに検証。その最新の知見を伝える。また、詳細な自伝を、女優・大竹しのぶが、アメリカ・アラバマ州の生家を訪ねて朗読。一人の女性としての真実の姿に迫る」。

井戸に至る前、ケラー自身は、マグカップに入った水を手にして、混乱していたという。

「水」という言葉と物質があることは気づいていた。しかし、それはマグなのか、中に入った液体なのか。それを理解するすべがない。

その伏線があり、井戸水を手に受けた時、サリバン先生が指文字で「WATER」と伝える。ケラーは理解する。マグの中に入っているのが「WATER」だと。

舞台で演じているだけに大竹も素早く指文字の動作をする。

ケラーがかんしゃくを起こして暴れるのも、表現したい、理解したいという欲求を伝えられないもどかしさからだった。

それからは次々に知識を得て行く。両手に包んだ花にいた昆虫の羽音、ミシシッピ河のほとりで教えられた抽象語「LOVE」。

大学では哲学を学ぶ。特にデカルトに共感したという。

「我思う、ゆえに我あり」。観念論だと切って捨てるわけにはいかないと思う。

この有名な命題は、人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする近代哲学の出発点を簡潔に表現している、と言われている。

光も音も閉ざされた世界で、ヘレン・ケラーにとっては、それが真実だった。ケラーには理性が存在していた。

たった一度の恋、結婚届を出したのに母親が彼女を閉じ込めてしまい叶わなかった。

戦後、1948年だったか、来日している。到着した飛行場は岩国。米軍基地ですね。熱狂的な歓迎に迎えられ、翌年、日本でも障害者特別法が制定されたと、終わっていた。まあ、第一歩ではあったのだろう。

BSで再放送するだろうから、また見てみよう。


                   ☆    ☆

さて地デジ化の裏技。きょうテレビを設置にきた業者の人がいっていた。

「デジタル対応のビデオデッキを先に買えばいいんですよ」。

テレビ受像機はモニターにしかすぎないから、ビデオでデジタルを受信して送ってやればいい。なるほど。
そうすればテレビの方は買い換えなくていい。

「メーカーも販売店もテレビを売りたいから言いませんがね」。失敗した。

それにしても、デジタルを受信する環境にする必要はある。でも、ブルーレイでなければデッキは5、6万円で買える。テレビが壊れたらデジタルにすればいい。それはきっと数年後、いや10年後のことだ。

まんまと政府と家電メーカーの陰謀にはまってしまった。

2010年10月19日 (火)

ぶったまげの混雑・TV買うのに30分待ち/コピスも偵察

吉祥寺のヨドバシカメラにデジタルTVを買いに行った。月曜日だからすいているだろうと思ったのが大間違い。なんと30分も待たされてしまった。

12月からのエコポイント半減で、駆け込み現象が起きているのは知っていた。前にも書いたけど9〜11日の3連休はふだんの3倍以上も売れたという。

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ウイークデイならスムーズと出かけたが、見通しが甘かった。メーカーも機種も決めていたので、目指す機種のところに置いてある「このカードをお持ちください」と書かれたカードを持ってレジへ。

すぐに配送や設置についてきかれると思ったが、別のところへ行けという。「相談」と「配送」のコーナーがあって、順番待ちのために名前を記入しろという。

まるで人気レストランだ。しょうがなく名前を書くが、先客が7、8人。腰掛けに座って待っていれば名前を呼ぶという。その時にいないとパスするというので、3Dテレビなどをのぞきながら暇をつぶす。

待つこと30分、ようやく順番がきた。「日曜なんか大変だったでしょう」と訊くが、店員は無駄話の時間も惜しむ。「ええ、まあ」くらいしか答えない。数人の店員が皆、小走りで駆け回っている。昼飯も食べてないんじゃないか。

一通りの手続きをして金を払うが、なにか足りない。「エコポイント申請には、この領収書の原本を張ってください」という。

あれ、代理申請してくれるんじゃなかったの。ちょっと前は代理申請を積極的にやっていたのに。

「忙しくてそれどころじゃないんだ?」とイヤミをいったら、ごまかし笑いを浮かべていた。忙しくてもサービスするのが、本当のサービスなんじゃないか。お客さんを見ると70代くらいのご夫婦やお年寄りが多い。きっと戸惑うよ。

申請書に記入して(ネットでもいいが、打ち込んでプリントするから手間は変わらない)、領収書などを張って、封筒に入れて切手を貼ってポストに入れないといけない。面倒くさい。

他の量販店は知らないが、ヨドバシカメラの吉祥寺はエコポイントの代理申請は中止してます。ご注意を。

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店員に「古いビデオデッキは使えるのか?」と尋ねたら「買い換えが必要です」という。ビデオも買い換えないといけないようだ。滅多に録画してまでは見ないけど、環境だけは整えておきたい。もう10年以上も使っているから当然、ビデオはデジタル対応ではない。ということは、デジタルを受信できない。

娘の見解は「接続コードをデジタル用に変えて、デジタルをアナログで受信すればいいんじゃない」。どうなんだ?。分かりません。
(おーい、福島=もとの会社の後輩、電気機器に詳しい=、どうなんだ。メールください)

また金がかかる。なんのかんのいってもデジタル化は政府と家電メーカーの陰謀だ。UHFのアンテナを立ててない世帯が多い東京では、テレビのほかにアンテナ(BSを見るならパラボラも)、ビデオデッキ、必要ならDVDも買い換えなければならない。

CATVも最初に工事費(確か結構な値段を取られた)が必要で、月々4000円くらいかかる。初期費用はかかるがアンテナを立てた方がトータルでは安い。

サイズや機種にもよるが最低でも20万くらいはかかってしまう。ぼったくりだ。

ビデオに関しては、来年7月までに考えよう。

ちなみに買ったのは22型の小さいやつです。テレビがきたらCATVを解約する予定。月4000円弱でも、多チャンネルは見ないので必要がない。年間5万円弱は大きい。切り詰めなくちゃ。

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TVを買うのに時間を取られたので、オープンしたばかりのコピス吉祥寺は駆け足。まずはジュンク堂。B館の6、7階。歴史などの人文書は7階。通路がゆったりしてる。じっくりと眺めていても、邪魔にはならない。

かなり充実していそうだ。日を改めてじっくり観察に来よう。

ファッション関係はパスして次は地下のスーパー三浦屋へ。狭い。セールが続いているのか混雑していたので早々に退散。

本屋を除いて、おっさんにはあまり関係がなさそうだ。向こうでも相手にしてないけど…。

2010年10月18日 (月)

悪童マチダのおすすめB級・山形天童「鳥中華」

B級グルメには目のない悪ガキ、マチダさんからのレポート。先だってはキノコを山ほど採ってきた。その報告はこちら。ただでうまいんだから、いうことなし。ただし、他人にはお裾分けしないのが鉄則とか。その方がいいでしょう。奥さんはマチダの目を信じて一緒に食べてるようです。

                 ☆      ☆

蕎麦屋で…


「うまい」「おいしい」店で溢れかえっている日本。[ほんとかよ]と文句の一つも言いたくなる。爛熟・狂乱グルメの片棒を担いでいるのがメディアだろう。特に影響力が大きいのがテレビだ。このブログによると、ちょっと紹介された深大寺の蕎麦屋に行列が出来ているらしい。

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昔からB級グルメには、行列しだした店(特に麺類関係)は見切り時という鉄則がある。つまり普通のサービスがおざなりになってしまうわけなんだ。

そこで、まだ間に合う蕎麦屋に行ってみよう。東京を離れなくてはならない。おいしいかどうかの判断は、個人差があるので、変った味としておきましょ。

山形は天童まで足を伸ばします。いささか強引かもしれない。まっ、紅葉見物を兼ねた、酔狂な寄り道ということで。

天童ホテルの真ん前にある手打ち生そばの「水車」が目的の店だ。


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屋号通り表には水車が回っている。自慢の板蕎麦はガッツリ系。妙に洗練されて頼りない東京テーストとは違った男蕎麦。腰がしっかりしていて、存在感十分だ。のど越しも悪くない。注文したいのをこらえて、あえて「鳥中華」にする。


中華麺に味付けした鶏肉。しかしスープが和風というか蕎麦汁(つゆ)ベースで、胡椒をうんと利かしてある。さらに胡椒を2、3回ふりかけズズーッ!醤油ラーメンでもないし、鳥南蛮でもない。完全にミスマッチのようだけれど、私の口には合う。


まかない食だったのを常連が無理注文して、裏メニューになった。それが評判を呼んだので表に出したらしい。確か700円を切る値段だったと思う。


地元と一部の物好きの間では知られている。でも、何よりなのは、ここにはまだ行列がない。


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(写真はお店のHPから)


   ☆       ☆

店のHPによると、創業文久元年(1861)。ことしになって、日本テレビ「サンデータイムス」(9月)やNHK「ゆうどきネットワーク」(4月)で紹介されたらしい。

「ゆうどき」のその回は見てないけど、中年の山本哲也アナが各地のラーメンを食べ歩き、ルーツをたずねる企画だな。苦労話に山本アナが涙を流したりして面白いよ。

「鳥中華」は650円になってました。

2010年10月17日 (日)

バラに酔ったので山野草コーナーへ・神代植物公園

バラの刺激に酔ってしまったので頭を冷やすために山野草園へ。神代植物公園の秋のバラフェスタ、ドヌーブやロロブリジーダと名付けられたのを確認、バラの香りに包まれたあとは、人のいない場所へ。

あったかいけど晩秋。まだ咲いてる野草はあるのか。

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あるんです、ちゃんと。これはアキチョウジ。丁字形の花。いい感じでかわいい。山野草園は雑木がうっそうと繁っているので、昼でも暗い。ばら園よりも涼しい。ひんやりとして薄暗い中で、しっかりと咲いている。

右下はセキヤノアキチョウジ。

ちょっと違います。葉の先っぽがとがっていて、花柄が少し長いーーようだ。アキチョウジは西日本に見られ、セキヤノは東日本。セキヤは関所のことで、箱根の関所に多く見られたのがネーミングの由来。


暗いのでフラッシュが光ってしまいました。ほとんど日が射さない場所に生えているが、わずかな光で光合成して成長している。環境に負けないんだ。野草はほんとにたくましい。

ばらの華やかさもいいが、野草のたくましさというか、生きる力には感心させられる。

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ナンバンギセルも咲いてました。

ススキ(イネ科)に寄生して生きてる植物だ。根元にあるので分からないが、そこだけススキを横にして空間を作り、誰でも分かるようにしてあった。

子供のころ、野っ原で遊んでいて見つけた記憶がある。変な花があるくらいしか思わなかったが、改めて名前を知りました。かき分けなければ分からないところに咲いて、受粉はどうするのだろう。地べたを張ってる虫が、花の中に入り込むのか。

万葉の頃から知られている花なんです。ススキの根元に生えてるのが珍しかったんだ。

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詠み人知らずのこんな歌がある。

《道の辺の 尾花がもとの 思ひ草 
        今さらになど ものか思はむ》

「思い草」っていってたんだ。尾花(ススキ)だけを頼って生きているナンバンギセルのように、私はあなたを頼りに生きているのですから、あらたに何一つ考えることはありませんーーてな意味だ。 

道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今さらさらに 何をか思はむーーとなっているのもある。どっちが正しいんだ。万葉仮名の読み方が異なるのか?

《イヌショウマ》

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小さい花がいっぱいついてます。切り花にして花瓶に挿したらよさそう。名前に「イヌ」がついてます。役に立たないんだ。サラシナショウマは薬になるけど、これは使えないというわけ。

《イチゴノキ》


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山野草園から芝生広場へ行く途中にあった。地中海沿岸西部が原産。実がなってる木は好きなのでパチり。実はジャムなどにするようだ。

2010年10月16日 (土)

ドヌーブ、ロロブリジーダ&ダイアナはつぼみ・バラフェスタ

午後からは青空が出るというので神代植物公園の秋のバラフェスタ(24日まで)に行ってきました。金曜日だというのに大勢がばら見物。入場してばら園の方に向かうと、もうばらの香りがいっぱい。お目当てはスターの名前のついた種類、どんなイメージでこしらえたのか。


《カトリーヌ・ドヌーブ》

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フランスの知的な名女優。近寄りがたい美しさ。華やかな中に抑えた色気が隠されてるといったところか。

彼女の新作「隠された日記 母たち、娘たち」が23日から公開、第一線を維持してるのがすごい。個人的にドヌーブの「新作」を見たのは「逢いたくて」かな。2002年、随分前だ。

主人公は毎夜、映画を見に行く。タイトルは「めぐり逢い」(1957、ケイリー・グラント、デボラ・カー、監督レオ・マッケリー。監督自身の「邂逅(めぐりあい)」1939のリメーク)。ラブロマンスの名作だ。

パリでは毎日、これを上映している映画館があるらしい。映画ではそうなっていた。ほんとうかもしれない。

とにかく毎晩、勤めを終えて「めぐり逢い」を見る。これが導入部。この一点だけで忘れられない作品だ。

ハイミス(死語か)がめぐり逢いにあこがれて連日「めぐり逢い」を見に行く。このベタさがいい。


スター特集は1カ所にまとまっている。次はジーナ・ロロブリジーダ。彼女のダイナマイトなボディーは、子供には目の毒だった。床屋に置いてあった映画雑誌のグラビアで出合ったのが最初だった。

《ジーナ・ロロブリジーダ》

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おや、イエローだ。日本の鼻水をたらしたガキのイメージと作者とは認識が異なるらしい。

となりにダイアナ・プリンセス・オブ・ウエールズがあるのだが、残念ながらまだつぼみ。2、3日したら咲きそうなのが1輪ある。早かったか、残念。咲きそろうのは来週かな。

こんなのもあった。

《シャルル・ドゴール》

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フランスの元大統領。空港などに名前を残している。パリ五月革命を軍隊を出して鎮圧したゴリゴリ。ベトナム戦争に反対した学生の戦いで、この中から映画界ではヌーベル・バーグが生まれる。ゴダールはトリュフォーらとともに乗り込んで、68年のカンヌ映画祭を中止に追い込んだ。「映画の革命か革命の映画か」。すごいスローガンだ。

ドゴールについてのイメージはありません。

次からは別の場所。

《プリンセス・サヤコ》

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《スヴニール・ド・アンネ・フランク》


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まあ、何種類あるんだ。形、いろ、花弁のつぼまったのや開いたの、基本知識がないのでいろんなのがあるとしかいえないのが情けない。

中でひときわ気品にあふれたのがあった。いい感じだ。本日、私の一等賞はこれ。

              《プリンセス・ド・モナコ》


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グレース・ケリー。手が届かない美。「真昼の決闘」「裏窓」…。事故はショックだった。

白とピンクはモナコの国旗をイメージしたもの。

本日の〆は、名物のばらのソフトクリーム。なめながらばら園を一望。ばらの香りと青臭い味がした。

2010年10月15日 (金)

吉祥寺ぶらぶら・小津DVDはほぼ売り切れ&コピスオープン

tv☆☆☆ヨドバシカメラ

テレビ売り場が混んでた。エコポイントの打ち切りが決まっての駆け込み需要だ。地デジ化は来年7月だとのんびり構えていたのが11月でエコポイントが半減するので、急いで品定めに駆けつけたのだ。

ウイークデイ(13日)なので、いつもは閑散としてるのだが、お年寄りが熱心に見て回っていた。なんでも9日からの3連休で地デジテレビの売り上げが3倍を記録した。3・6倍の店もあったという。すごい。

値段も大分下がったので、そろそろ買い時か。

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やっぱり東京の地デジ化率は、全国を大幅に下回って60%くらいらしい。来年になるとアンテナ工事が間に合わなくなりそう。ケーブルに入るにしたって工事が必要だから、もう準備した方がいい。

book☆☆☆380円DVD

南口駅前の本屋に置いてあった小津安二郎監督、溝口健二監督作品のDVD380円コーナーは、ほぼ売り切れ。店内のワゴンにわんさと積んであったのが、残部僅少で店前の棚に収容されていた。

叩き売りについては9月6日の『DVD「麦秋」「お茶漬けの味」「武蔵野夫人」なんと380円』を参照してください。

残っているのは「雪夫人絵図」「お遊さま」「一人息子」「風の中の牝鷄」だけ。やはり380円なら買うわな。画質は我慢できる程度。洋画の権利切れは皆380円。500円だったのが下がってる。

restaurant☆☆☆コピス吉祥寺

きょう15日から伊勢丹撤退後の跡地に新しい商業施設がオープン。おっさんにはあまり関係ないので急いで行く気はない。でもジュンク堂が入るのは朗報。これで本を探しに新宿まで行かなくてもよくなる。

スーパーの三浦屋も久しぶりに吉祥寺カムバックだ。うちではウスターソースはSB食品でないと食べない。ブルドックではダメなんだ。近所のスーパーには置いてなくて、小金井の三浦屋まで買いに行ってたけど、これで何かのついでに買えばよくなる。


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taurus☆☆☆さとうのメンチカツ

いつものように行列。1個180円。そんなにうまいかなあ。何度か食べたけど、特に自分で買う気にはならない。

赤いひさしが店です。20分くらいは待つのか。土日は当然、もっと長い行列だ。

となりの最中の小ざさも行列が絶えない。ここの最中は好きだ。

駅ビルのロンロンが耐震工事をへて生まれ変わったアトレ吉祥寺も、一足先にオープンした。

あとは井の頭線吉祥寺駅の耐震工事が終わって、ユザワヤが丸井から戻ってきて、南口の駅前が整備されれば吉祥寺の工事も一段落か。

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ラストは井の頭公園で休憩。ぼけっと人がこいでるボートを見てるのもいいもんです。


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2010年10月14日 (木)

悪童マチダの日韓戦レポート&キノコ狩り

このブログでは何度か登場願ってる悪ガキ、マチダさんから日韓戦の感想が届きました。いつもは辛口ですが、珍しく褒めてます。視聴率(関東地区)も26・8%、やはり強いと関心が高まる。

マチダさんは、B級グルメ王でもある。秋はキノコ狩り、春は山菜採り、ふだんは魚釣り。安くてうまいものには目がない。富士宮焼きそばは、「B級グルメ大会」が始まる前に2、3軒はしごして食べてきて「これがうまいんだ」と口から泡を飛ばしていた。

渋谷にあるA大サッカー部のOB(といっても40年以上前)で、羽根つき餃子「你好」の項で登場してます。

                  ☆       ☆

見るに値するゲームでした。あと一歩。でもこれがきついのよ。

本田は本当に人に強い。2人がかりでマークされても、突破していくし、いたずらにファウルを誘おうと、無理倒れしない。さすが。

得点できなかったけれど、エースに相応しい働きといえるのではないかな。 

残念ながら日本には、まだ韓国アレルギーを感じている選手がいる。内田、前田も頑張りはしたが、怖がっているような場面が何度か見られた。

ただ、今回だけで評価すると勝利も近いかもと思わせてくれた。

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これが山の貴婦人だ!。軽井沢でキノコ狩りを堪能してきました。

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タマゴタケです。ニョッキニョッキで50本は採ったかな。過去最高。松茸が豊作なのも頷けるフィールド環境でした。

炒めてオムレツにすると、こたえられません。キノコスープに入れても、上等のダシが出ます。

他にアカモミタケ、ナラタケ、ハツタケ、ハナイグチ、ムキタケ、ホテイシメジなど、まさに収穫の秋でした。

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《どうも秘密の場所を発見したようです。タマゴタケも知らないし、ましてや食べたことはない。その他のキノコも半分以上が初耳ばかり。大丈夫なんだろうか?

マチダさんは、キノコの見分け方には自信を持っているようです。うまいものを食うためには真剣ですから、必死で勉強します。

スーパーで売ってるキノコは味も香りも今3、いつか奥多摩で買ってきたヒラタケはうまかった。キノコ嫌いの息子が「これ、うまい」とぱくついてたもん。

とれたてのキノコのスープはうまいだろうな。いいダシが出る。でもお裾分けしてもらって食べる勇気はありません。万が一が怖いもん》。


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Mail

ところで、前回添付した天童の「鳥中華」読んでくれました?

                                   素浪人

                 ×     ×

メールに添付ファイルがあるのに気づかなくて読んでませんでした。てなわけで、今度、天童の「鳥中華」のレポートを掲載します。

           

2010年10月13日 (水)

チャン・イーモウ(張芸謀)ばりに・・赤い毛氈・たてもの園

帰り道、柵の間から伊達家の門が見えた。お茶会の片付けをしている。赤いから傘が立てられ、腰掛けには赤い毛氈が。おっ、チャン・イーモウ(張芸謀)になれるぞ!

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うーん。チャン・イーモウには及びませんね。たてもの園内(小金井公園)に入り直して、傘のあたりから門を狙わないといけないのかな。(一番下にトリミングした別カットを載せました。これでいくらかチャン・イーモウに近づいたかな。うーん、そうでもないな。やっぱり傘なめか)

チャン・イーモウの赤。「紅夢」(1991)の提灯、「菊豆」(90)、「紅いコーリャン」(91)でも紅が印象的に使われていた。主演のコン・リーの白い肌と紅がマッチしていたのかもしれない。

日本では鈴木清順監督のカタルシスを与える色彩の魔術、清順さんに追いつこうとした山根茂之監督のイエローなどがあるが、チャン・イーモウの紅も強烈だった。紅はパッションを刺激する。

「紅夢」では露地に出ると雪。紅の提灯が下がって、ヒロインの内面の意思が印象づけられるーーように記憶している。(DVDで見直さないといけない。記憶がいい加減だ)。

チャン・イーモウ監督を最初に見たのは、「古井戸」(監督呉天明、86)の主演者だったか、「菊豆」のあとだったか。あのころは次から次に中国映画が公開されて、公開は順不同だった。

カメラも担当していて、独特の風貌が焼き付けられた。これも見直さないと、いい加減な表現は監督に失礼だ。

コン・リーと別れた監督が、しばらく間を置いて(見ていないだけかもしれないが)登場したのは「あの子を探して」(97)と「初恋のきた道」(99)。チャン・ツィイーかわいかった。そして北京オリンピックの総監督。

名監督気分にちょっぴりひたって、伊達家の門。江戸時代ではなく大正時代。

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宇和島伊達家が港区白金に建てたもの。大正時代でもお金持ちだったんだ。

これは門の右側。のぞいてみると畳を敷いた小部屋がある。使用人が住んだのか。

番所なんです。総ヒノキ造りの豪勢なもの、片側だけ番所があるのは片番所。ということは両側についたのもあるんだ。

ここには巡査が詰めていた。請願巡査というらしい。

費用は?伊達家持ちです。つまり私設交番。そんな制度があったんですね。

これは番所の内部。おそらく大きな門はふだんは閉じていて、窓から外をうかがい、横から入る客をチェックしてたんだろう。

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今春、武蔵野税務署に申告に行った帰りに菅直人の家の前を通った。警官が立っていて小さなポリボックスが作られていた。大臣の家の前には作られる。今は官邸に住んでいるから、どうなってるのか。

昔から、偉い人は国が警護するようになってるんですね。


江戸東京たてもの園、勉強になります。

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2010年10月12日 (火)

子宝湯で大人も子供も大はしゃぎ・小金井公園

体育の日は朝からピーカン、小金井公園の江戸東京たてもの園が入場無料なので、いそいそと出かけた。あのお風呂に入りたかったんだ。子宝湯。「千と千尋の神隠し」で宮崎監督が湯屋のイメージの参考にした銭湯だ。

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子どものころは、家に風呂がなかったので、悪童たちと連れ立って近所の銭湯に通った。そんなときは一番湯だ。熱いけど、水を出してうめるとクリカラモンモンを全身にした近所のじいさんに怒られるから、我慢して入った。
(やくざではなく職人さんです。上がり湯のしぶきがかかっても怒られた)。

じいさんはたわしで躰をこすっていた。たわしですよ。肌は真っ赤。今思えば健康法。

高い天井に声がこだまして気持ちがよかった。

普通、写真は、外観から載せるのだが、受けを狙って江戸時代の絵から。脱衣所に架けてあります。(一番下に倍の大きさで再掲載しました。これだと番台が分かるかな)。

手前が脱衣所で、真ん中が洗い場。裸でこちらに来る女性は湯船からあがったのか。左の真ん中へんの四角の区切りから湯船が見えます。

その上の男の顔は、番台のおっさんか。

もう一枚サービスカット。外からの光が強くて窓などが反射してる。これも江戸か?絵ばかり見てて解説をメモし忘れました。

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「千と千尋」もあるけど、大人にも子供にも人気だった。銭湯に行ったことのない人が、もう半数以上になっているのか。

蛇口の頭が赤いのと黒いのがある。「なに?この赤は?」と子供がきいていた。親も知らないらしい。赤はお湯が出るんです。気をつけないと熱いよ。

昭和の30年頃(1955)、こどもの入浴料は確か5円、おとなは12円だったか。洗髪料なんてものもあった。10円だったか。長い髪の女性からは割り増しを取った。

たいてい泥だらけになって家に戻ってくるから「風呂に行きなさい」と石鹸とタオルが入った洗面器を持って行った。シャンプーなんて高級なものはなかった。髪は石鹸で洗う。

湯上がりに飲むコーヒー牛乳のうまかったこと。

夜の8時、9時頃だと大混雑。洗う場所を確保するのが一苦労だった。湯船につかっている間に、場所確保の洗面器をどかされていたこともあった。しかし、家に浴室が造られるようになって、1軒、また1軒と姿を消してしまった。

なつかしいなあ。

▼描かれているのはもちろん富士山。浅い浴槽と深いのがある。深いほうは大概熱いので子供は入れないが、我慢比べで浸かってみたりする。42、43度くらいだった。

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▼男湯と女湯の仕切りにも描かれてる。京の五条の橋の上、奥は那須与一。

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▼なんといっても天井が高いのがいい。この広い空間が湯気でもうもうとなる。冬でもよく体があったまった。

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▼最後に子宝湯の外観写真。立派なもんでしょ。玄関の上には七福神の彫刻が施されて、ぜいたくなものだ。足立区千住元町のお風呂屋さんを移築したものです。作られたのは昭和4年(1929)。

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2010年10月11日 (月)

調布の里山でも稲刈り

住宅の間にぽっかりと残された里山でも稲刈りをしてました。ここは調布野草園の南側、野草園などから湧きだす清水を利用して田んぼをつくってる。

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たずねたのは10月4日の昼過ぎ。おじさんたちが3人、刈り取った稲を束にして干してました。天日干しをするんだろうか。とてもじゃないが、この日には終りそうもない。道路を挟んだ反対側にも田んぼは広がってるんです。

冷たい水で育てた米はうまいんだ。粒が大きくならない代わりに、うまみがぎゅっと詰まっている。多分、収穫した米は農協には出荷しないで、自分たちで食べるんだろう。調布の農協はもう、米を扱ってないだろう。最高の贅沢だ。

わが家にも米屋が新米を持ってきた。新米なのに値段は今までより安い。そういえば、ことしの新米の値段が去年より下がってるとニュースで言っていた。安いのはいいが、農家は困ってる。日本の米作りはどうすればいいのか。ご飯党としては気になる。

少し見物してから野草園に行った。その話は「絶滅危惧種シナノアキギリ」、で書いたので、よかったらご覧ください。

こんな花もありました。これはキクイモ。ヒマワリ科です。似てますよね。

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江戸の末期に欧州経由で飼料用として輸入された。地下にできる茎のかたまりが食用になる。戦後の食糧難のときは食用にした。それで別名がアメリカ芋、ブタ芋。

11月下旬から3か月ほどしか手に入らず、長期間保存も難しいようだ。「また、味がいまいちで調理法などに手間がかかることが難点です」と粉末エキスのHPに書いてあった。

やっぱりまずいんだ。

信州では食べるらしい。味噌漬けが名物とか。長野県の農協のHPではサラダが一番と勧めていた。

最近見直されているのは糖尿病にいいから。茎の芋にはデンプンが含まれていずにイヌリンが豊富。これが糖尿病にいいらしい。

原産地のアメリカでは、移民した白人ではなく、ネイティブが食べていたようだ。彼らは日本人と同じモンゴリアンだから糖尿病になりやすい体質かもしれない。それで自然にからだにいいものを選んでいたのか。


国民病に効くならどんどん食べればいい。繁殖力は旺盛のようだから、休耕田に植えて芋サラダ会でもやって盛大に食べれば糖尿予防になるのでは。

帰りに神代植物公園のグリーンギャラリーによったら、こんなのが咲いてました。

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イヌサフラン。

サフランみたいだけど違うので「イヌ」。「ブタ」はまずいで「イヌ」はニセモノ。さらに「キツネ」は上等ではない。植物の名前のつけ方には、そんな傾向があるらしい。

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正直ですね。

2010年10月10日 (日)

こりゃなんだ?ウキツリボクだそうです・調布野草園

野草園をうろうろしていたら見慣れないのを見つけた。

ひま人1年生、都心のビル街や薄暗い飲み屋にばかり出没していたので、見るもの、聞くものがみんな新鮮だ。季節とともに次々に新しい花が咲きだすので発見の毎日。いちいち感銘を受けてます。

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こんなの全く分かりません。名札を探したけど見当たらない。京都の学ちゃんなら知ってるだろうと写真に収めて、迷惑も顧みずに問い合わせ。

しっかり答えが来ました。

「これも葉っぱが判ればよいのですが、アブチロンという花の種類で、半つる性の仲間がこんな感じで紹介されています。ハイビスカスのような葉だと思います」。

さすがです。調べてみるとアブチロン属のウキツリボク。ブラジル原産だが、小さなランプをつり下げたような形から別名チロリアンランプ。

漢字では浮釣木。こちらは釣りの浮きからの連想だ。

耐寒性があり、関東以西では庭植えも可能だという。数年前から園芸店で売っているらしい。花屋なんて行ったことないもんな。仏前の花だってスーパーで済ましてしまう。

柵の向こう側にもいっぱい花をつけてますが、写真が小さいので分からないかな。

             ☆           ☆

これはカリガネソウ。ピントが来てませんね。白い雄しべみたいなのが伸びてるのが特徴的です。これは集散花序というんだそうです。これから雁が飛んでる姿を思い浮かべたという。

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しかし、雁はいいとして、「がね」はなんだ。「雁が音」?。鳴き声?ピンと来ない。

京都では茎茶のことを雁が音というらしい。

家紋では「雁金」がある。


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分からんぞ。思いあぐねて、ぐたぐたしていたら、国語辞典に、雁が音=雁の別名とあった。何のことはない。初めて渡来した雁を「初雁」、その声を「雁が音」という響きの美しい言葉で表し、やがて「かりがね」は雁の別名となった。

なるほど。

万葉集には雁の歌がたくさん収められている。たとえば、大伴家持の「雲隠り 鳴くなる雁の 行きて居む 秋田の穂立 繁くし思ほゆ」。

雲に隠れて鳴いている雁が降りたつ秋の田の稲穂が繁っているように、(あのひとのことが)しきりに思われます。

「稲穂が繁る」のと、「あの人」のつながりが分かりません。勉強が足りない。

図書館で調べてこよう。

2010年10月 9日 (土)

長谷部だ!アルゼンチンに勝っちゃった&銀座「你好」の餃子

A大サッカー部OBのマチダからアルゼンチン戦の感想が届きました。ゴールしたのは岡崎だけど、やっぱり長谷部の思い切りのいい決断でしょう。

                 ☆      ☆

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ザック・ジャパンやりますね。最初だけかもしれないけれど。

長谷部のシュートいかったー。少しアウトにかかった低い弾道。
キーパーは弾くしかなかったでしょう。

それと若手は名前負けしなくなっているようです。
緊張はしてもガチガチにならない。心理的にレベルアップしたのかな?韓国戦が見ものです。
                            
                                      素浪人

                 ☆      ☆       
 
同感です。

それにしても見違えた。今までは、後ろでボールをまわして、おもむろにパスを出すから相手に余裕を与えていた。それが遠藤や長谷部が瞬時の判断で縦へのパスを供給、攻撃陣も前進の意識が徹底していたからチャンスがつくれた。

親善試合なのに緊張してテレビを見た。久しぶりだ。攻撃サッカーは目が離せない。

それにしても思い出すのは03年6月のアルゼンチン戦。バックスはマークにもつけずに、いいように翻弄されてゴールの嵐。サビオラ、サネッティらはいとも簡単に次々にゴールを決めた。

中田ヒデはマークされて動けず。結局1−4だったが、実力の差を痛感させられた。これが世界、日本との絶望的なほどの隔たりを認識させられて、暗澹たる気持ちになったのを鮮明に覚えている。

その時だってアルゼンチンはベストメンバーではなかったし、長旅で疲れていた。それなのに、あしらわれて手も足も出なかった。

格段の進歩を遂げたわけだ。韓国戦でも、こうした戦いができれば日本代表の人気もあがるだろう。

                  ×    ×  

これはマチダからの追伸。
  
4chだか8chだかで「ニーハオ銀座店開店に密着」をやっていました。見ました?

スタートはよかったが、女性に気配りしたランチメニューが乏しく不評、一時は閑古鳥だったらしい。あわてて、餃子定食を加えて持ち直したとか。

                  ×    ×

銀座「你好」の羽根つき餃子のキーワード検索が急に増えた。どうしてかと思ったら、テレビでやってたんですね。

7月31日に掲載してますが、そのくだりはこちらです。

マチダさんも写ってます。

                                                

2010年10月 8日 (金)

祝!復活「ブラタモリ」・江戸の都市計画

NHK「ブラタモリ」が帰ってきた。7日の復活第一回は「築地」。場外に行くのだが当然、グルメとは無縁のぶらぶら歩き。

最初にたずねたのは包丁の研ぎ屋。使い込んだ包丁が、中落ち(油脂分)をはじくという話にタモリが興味津々。次のお寺にびっくりした。

なんとビルの4階が本堂だ。普通の民家に「寺」の看板がかかっているのは、たまに見かけるがビルは珍しい。

ここで案内の中央区文化財調査員の人から説明が入る。場外のあたりは寺町だった。ところが関東大震災で日本橋の魚河岸が壊滅的な打撃を受けて、昭和10年(1935)に築地に正式に移転した。この時に寺町も場外に組み込まれたようだ。

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ビルの寺「妙泉寺」のおかみさん曰く。「どこを掘っても骨やらしゃれこうべやら」。

ビルの中なら、まだ想定内だ。もっとびっくりすることがある。エレベーターで5階に上がると、なんとなんと、そこはお墓。墓石も立ったちゃんとした墓が並んでいる。

これにはたまげました。さらに屋上は鐘つき堂。タイマーがセットしてあって時間になると鐘を鳴らす。

築地には58か寺が移転してきた。明暦の大火(1657)のあと、幕府から土地を与えられた。築地本願寺がメーンだ。「海だったそうですよ。土地をくれたって海の中なんですから…、幕府もひどいですよね」とおかみさん。

「寺地といっても第二次天下普請までの大名の江戸屋敷用地造成の場合と同じく、一〇〇間四方を自力で埋め立てなければならなかったのだが、信徒の献身によって一万二七〇〇坪余を造成、つまり力余って二七〇〇坪余を埋め立てて、そのまま拝領する結果になった。そして翌年の明暦四年(1658)五月二十七日には堂宇の建築も竣工し、末寺も五八寺が軒を並べたという」。

「江戸はこうして造られた」(鈴木理生、ちくま学芸文庫)からの引用です。江戸幕府の町つくり、都市計画の構想を読み解いて興味尽きない本だ。

おかみさんが言うように幕府は、このケースだけでなく移転は海岸、あるいは浅瀬を指定し、江戸を広げていったのだ。

はからずも、その先兵とさせられたのが寺なのだ。どうしてか?

鈴木さんが明かす。「低湿地や埋立地を早く完全に陸地化するためには、その土地の排水の改善と埋め立て材料を絶え間なく供給することにある。現在だと、ゴミ処理や産業廃棄物、建築残土といった“材料”が多すぎて困るのだが、江戸初期にはそうした埋め立て材料の獲得に苦労した」。

「ところが墓地の場合は死人は絶え間なくあるわけであり、葬式の都度の副葬品や供物は現在のゴミと同じ効果を持つし、石塔・墓標もまた陸地化の材料である。また現在とは比較にならないくらい、墓参りがひんぱんに行われているが、それも恒常的なゴミの供給と同じ効果を持つ」。

墓参やお参りの人が埋め立て地を踏み固め、供物や骨が地面を強化する。江戸幕府は合理的だ。供養なんてこれっぽちも考えてない。

こうして造られた土地は、幕府のものだ。で、どうしたか。

「こうしてある程度の陸地化が済むと、この寺町はまた新しい低湿地に移されて、そこに新しい寺町を形成する。古い寺町の跡は武家地や町地に転用されたことは言うまでもない」(同)。

この手法で幕府は土地を広げていったかというとそうでもない。玉川上水と関係がある。上水からの水の給水能力を越えてまでは埋め立てなかった。

力づくではあったが、都市計画をしっかりと考えていたのだ。感心する。

さてタモリ、本願寺裏の旅館をたずねる。ここのご主人がモトローラにつとめていたとかで、昔のラジオや無線機、珍しい真空管を集めている。タモリの目が輝くこと。「あさま山荘」でも使われたモトローラの無線機をお土産にもらっちゃいました。

次週は丸の内。予告で坂を気にしてたから、日比谷入江が主テーマになるのかな。

今夜はアルゼンチン戦を見ます。

2010年10月 7日 (木)

絶滅危惧種シナノアキギリ・調布野草園

深大寺の東側にある調布の野草園は10月いっぱいで冬期休業に入ります。中秋はどんな野草が咲いているのか、のぞいてみました。

他の草に隠れていて初めは気づかなかったんですが、葉の黄緑と同じような色の花がありました。シナノアキギリ。「支那の」ではなくて「信濃秋桐」。その名が示すように、長野と群馬の一部で見られる希少種だそうです。

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シソ科アキギリ属の多年草で、日本固有種。群馬県と長野県に分布し、林の中に生える。長野県の松原湖付近で小山海太郎氏が発見、牧野富太郎博士が学名を(Salvia Koyamae )と付けて発表した。

木陰を好むので目立たず、地味なので人に知られることがなかったのだろう。

環境省のレッドデータブックでは、「ⅠA類ほどではないが、近い将来における絶滅の危険性が高い種」である絶滅危惧IB類(EN)に登録されている。

野草園なので、こうした貴重な種類も集めているんですね。でも枯らさないように手入れをしていくのが大変だ。

偶然貴重なものを見つけて得した気分。ひっそりと咲いているので注意しないと見過ごしてしまう。係の人にたずねたほうがいいかもしれない。

次の初体験はゲンノショウコ。下痢止めの薬としては知っていたが花を見るのははじめてだ。これが愛らしい淡い赤紫なんです。

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漢字で書くと「現之証拠」。嘘のようなほんとのような…。飲めばたちどころに下痢が収まるので現の証拠だという。

まあ、それだけ効き目があるということなんでしょう。今でも下痢止めにはこれを使っているのか。わが家の薬箱には、そのたぐいの薬がないので今は確認できない。こんどドラッグストアに行ったら成分を確認してこよう。

白いのも咲いてます。

どこで写したのかメモするのを忘れてしまったので、例によって京都の学ちゃんに写真貼付のメールで尋ねました。

すると「ゲンノショウコではないでしょうか。葉っぱからの判断ですけれど・・」と、答えが返ってきました。さすがです。

てなわけで、これもゲンノショウコで間違いないでしょう。

赤は西日本、白は東日本に多いのだそうだ。

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まだまだ、いろんな花が咲いてます。次回に紹介します。

2010年10月 6日 (水)

深大寺周辺はキンモクセイだらけ

あちこちからキンモクセイの話が聞かれるが、深大寺周辺にはキンモクセイがまとまって植えられているところがある。

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すごいでしょ。大木が道路沿いに植えられていて強い香りが遠くからただよってくる。クラクラしそうだ。道路の反対側もキンモクセイだ。

ここは神代植物公園の西側。武藏境通りを少し北に行って交番のところを左折、最初の道を右折した一帯だ。

深大寺東参道を三鷹通りに突き当たった交番の横の道もキンモクセイ通りだ。農家の門前では秋の花が一束100円で置いてある。その先では庭先販売の栗を売っている。

観光客は足を伸ばさないので地元の人間しか通らないが、「農村」風景を残していて思わず深呼吸したくなる。マイ・フェイバリットの道です。

調布市野草園へは、こっちから行ってもいい。

深大寺の周辺は、園芸農家が多い。ぐるっと周囲を囲むように存在している。多分、この辺が防空緑地に指定されたことと関係がありそうだ。

                          《道の反対側もキンモクセイ》

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昭和15年(1940)、このあたりは神代緑地となり、緑が保存された。とはいっても環境を守るためではない。「防空」だから空襲に備えたものか。いずれにせよ戦争への対策だ。避難場所として想定したのだろう。広さは約71万㎡。

(神代緑地のいきさつについては「公園と戦争⑴・神代植物公園ができる前は?小金井公園は?」でも書きました。興味のある方はこちらをどうぞ)。

神代緑地には苗圃として街路樹などの苗が植えられた。

この広大な神代緑地は戦後、農地解放で4分の3が農民に返還され、残りの土地と再度買収した土地を合わせて昭和36年(1961)に神代植物公園が誕生した。広さは約25万㎡。

50万㎡近い土地が返還されたわけだ。

園芸農家は神代緑地の名残で、そのまま苗を育て、それが今では大きく育っているのだろう。キンモクセイも戦前から植えられ、それでこんなに大きくなっているのだ。

苗圃はいま野川公園に隣接する武蔵野公園に設けられている。

これは東側のキンモクセイ通り。手前も奥もキンモクセイです。

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2010年10月 5日 (火)

公園と戦争⑸・立川基地のゲートを探して・昭和記念公園

立川駅がすっかり変わってしまった。駅ビルはできるしモノレールが走っている。北口も南口も昔の面影は全くない。

毎日通ったのは、なにしろ45年も前の昭和30年代後半のこと。変わらない方がおかしい。さらに20年以上前の立川駅近くのことを書き記した本がある。


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「立川の中学に入った私は、忽ち武蔵野の雑木林の美しさにひきつけられた。
中学は線路の南にあったが、東のほうに南武線という、当時私鉄だった線路が走っていたが、その東はもう雑木林であった。クヌギを主体として、ナラやマツ、たまにスギなどがまじっていた。国立と立川の間、今のJRの電車は若葉の季節には緑のトンネルを走る。

それで中学一年の春、中間試験の最終日の最後の試験が昼近く終ると、私は電車に乗らずに、国立まで雑木林の中を歩いた。本当に安らかな世界だった」

三浦朱門氏の「武蔵野ものがたり」(集英社新書)からの引用です。

三浦氏が中学に入ったのは昭和13年(1938)、私も線路の南の高校に通っていたが、もう住宅地になっていた。雑木林の美しさに惹かれることはなかった。そう、三浦氏は大先輩になる。蹴球部に三月ほど籍を置いたことがあるというから、そちらも同じだ。

さらに40年、感慨に耽るよすがさえ失われている。


三浦氏が通った府立二中は今の都立立川高校。その昔、村長養成学校といわれていたそうです。多摩の村長がほとんど卒業生だった。今でも、市長に出身者がたくさんいて、同窓会をつくって多摩市政について横の連絡を取っているらしい。

北口には中武デパートがあった。唯一のデパートだった、影も形もない。かわりに、伊勢丹と高島屋がある。地元資本から中央の資本になった。ビルが建ち並んでいる。往来の混雑は新宿並みだ。

駅を出て5分くらいで米軍立川基地のゲートがあったはずだが、町並みがまるで違っている。確か、映画館のそばにあったはずだが……。

手間取りましたが、これからゲートを探しにいきます。

2010年10月 3日 (日)

「アド街」の影響?そば屋に大行列・深大寺

予報に反して昼過ぎまで晴ていたので予定を変更して深大寺へ。自由広場で体操&昼寝してたら寒くて目が醒めた。

おもむろに境内を目指すと、植物公園の深大寺門近くのそば屋に行列ができている。「ゲゲゲの女房」のロケに使われた店だけど行列を見たのははじめてだ。「うちは全部手打ちです」呼び込みのおばさんもうれしそうに声を出している。

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「この店は有名?」「アド街でやってたろ」てな会話が聞こえる。前夜(2日)に放送していたテレビ東京「出没!アド街ック天国」に刺激されたか。雨予報なのに晴れたので近場に繰り出したのか。

もう午後2時過ぎなのに、まだ一段落していない。門前はどうか。こっちもすごい人。元祖嶋田屋にも行列ができている。広い店なので、この時間に並ぶことなんかないのに十人ほどが列を作っている。

右手奥が山門です。

店の脇には「深大寺そば調べ」の看板が出ている。上野寛永寺の門主が称賛したのが名物の始まりで、元禄の頃という。「江戸名所図絵」にも紹介されているし、大田蜀山人も舌鼓を打った。そして、嶋田家の先祖が一帯を開拓してそばを栽培、その息子が店を開いたのが始まりと記してある。

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そばの歴史についても「蕎麦作りのこと、北方大陸より朝鮮半島を経由、渡来せしものなり。以て武蔵野の開拓に力をいたせし高麗帰化人等によりて、広く栽培されし」云々とある。

深大寺と渡来人の関係を焦点をぼかして示唆しているのが興味ある。そう、このあたりも渡来人が開いたんですね。狛江を中心にした人々だろう。狛=高麗です。


こんなに深大寺がにぎわっているのは、ダルマ市は別格にして、経験がない。テレビの影響はすごい。「ゲゲゲ」で十分に下地がつくられ、「アド街」が背中を押したんだろう。

都心から一番近い緑濃いスポットだから、もっと注目されてもいい。


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雑踏を避けて水生植物園へ。ここまでくると観光客の数はぐっと減る。それでもいつもよりは多い。


赤、白のヒガンバナが混じって咲いている。こういう生え方を見ると。赤と黄の雑種というより突然変異のようだ。

あぜ道のあちこちに咲いていて、どこにも白いのが混じっている。

(これは白のアップ。野川公園のときはうまく取れてなかったので再チャレンジです。今度はどうだ。この前よりは良さそうだ)

ヒガンバナもそろそろ終わりです。来週の連休まで持つのかどうか。

9日からは植物園で「秋のバラフェスタ」が始まるので、そちらにするか。


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ヒガンバナの赤に混じって時おり白い花が顔をのぞかせている。背景が赤だから、白がすがすがしい。

なんて花なんだろう。見当もつきません。

植物に詳しい京都の学ちゃん教えてください。メールで教えてね。

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《最近のコメントのところにもありますが、京都の学ちゃんから返事が来ました。

以下に添付します。「京都では今年彼岸花が遅いな、と思っていましたが、10月4日今朝はじめて咲いているのを見ました。綺麗と言うのか毒々しいというのか、なんとも派手な華ですね。さて上段の白い花ですが、ヒガンバナ科のゼフィランサスではないかと思います。花壇の縁取りなどに咲かせているのを見かけたりします。もちろん単独でも清楚で愛らしいですね。私の好きな花のひとつです。
                               京都の学」

学ちゃんありがとう》


帰りがてらに深大寺の境内へ。ミニコンサートがあるようだ。「秋のなんじゃもんじゃコンサート」。なんじゃもんじゃの木の下で、石岡せいごとオータムン・リーブスがジャズのスタンダードやポップスを披露。

サックスにペット、それにフルート2本とオーボエの女性陣。笛の音が青空に染み通って行った。

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2010年10月 2日 (土)

カカオは幹に実がついている・植物園の温室

前回に続いて神代植物公園の大温室を歩いてる。前回はこちら

「カカオは幹から実がなっている!」と誰かが連れに話しかけていた。どれどれ、ほんとだ。

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幹から実がぶら下がっているのを幹生果というらしい。これで実をたくさん付けることができて、鳥などを集め易くなるのだ。植物も子孫を残すためにいろいろと考えている。脳はないが、考えているとしか思えない。

イチジクも仲間なんだそうだ。イチジクは枝になっているようだが、今度じっくり見てみよう。

カカオはこの実の中にカカオ豆が20〜60粒入っている。これがカカオビーンズ。チョコレートやココアの原料になる。

まだまだたくさんの種類があります。全部紹介すると一冊の本ができるでしょう。

ベゴニアや蘭は種類もたくさんあるので、出口近くに部屋が設けてある。温室の定番ですね。

好きな人にはたまらないでしょう。小生は何も分からないので、まとめてパチり。

ベゴニアはシュウカイドウ科シュウカイドウ属。そうだ。野川公園の自然観察園に咲いていた。あれが野生種か。

写真を載せるので比べてみてください。

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こちらは蘭。

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イエライシャンは小さな花がまとまって存在を主張してました。香りをかいでみたけど、よくわかりませんでした。夜に強い芳香を発するそうです。それで夜来香。

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夜来香。李香蘭(山口淑子)のヒット曲でもある。終戦直前に中国で歌われ、戦後は日本語バージョンがつくられた。長いこと中国では歌唱禁止だったが、テレサ・テンが復活させた。


アリアケカズラは黄色がかった葉と花の黄色の差が少なくて、葉の中に花がまぎれている様子が面白かった。

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2010年10月 1日 (金)

でかいパピルスになぜか感動・植物公園の温室

熱帯の花はどぎつくてあまり好きじゃないんだけど、神代植物公園の温室に行ってみた。

原色がはではでしいのや珍しいのがいっぱい咲いてます。


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でも少々のことでは驚きません。南の国には珍しい花がたくさんあるという無駄な知識があるせいです。素直じゃないんです。

何回か見ているはずなんだけどパピルスの大きさに妙に感動した。これから紙をつくったのかと思ったら、人間て偉いなとジーンと来た。誰が思いついたんだろう。子供の遊びがヒントになったのか。

多分、植物から繊維を取って衣類をこしらえていたから、文字を書くのに適していることに気づいたんだろう。原理は布と同じだもん。用途が違うだけだ。衣類にもしていたのかもしれない。


         (パピルスの写真をもう一枚。これなら高さが分かるでしょう)。

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この茎から髄を取り出し、簡単にいえば皮を剥いで中身を薄く切る。それを縦横に並べて重しをするとくっついて紙のようになる。粘着性の物質がしみ出るらしい。

紙っていうと、A4くらいなのを想像するから4、5㍍はあるパピルスの高さと密集してる生え方に段差があり、意外感が生じたんだ。

竹みたいに地下茎で増えてく。釈迦に説法だけどペイパーの語源です。

次は目に留まった花をアトランダムに取り上げます。さっさかと歩いちゃうと気づかないのも多いので、ゆったりと左右に目配りしながら観察することをお勧めします。

新たな発見がたくさんあります。これまでは気づかないけど、せかせか生きてたんですね。仕事から解放されて多少のゆとりができたんでしょうか。のんびりもいいもんです。

《パキスタキス ルテア》

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入り口の右側にある。色合いが淡いので目立たないが、よく見るとかわいい。

「パキスタキス」はパキスタンのことかと思ったらギリシャ語で熱いの意味。多分、パッションの語源。

英語ではロリポップフラワー。なるほどぺろぺろキャンディーだ。

「ロリポップ、ロリポップ」って歌いだすポップスがあったな。

調べると、ザ・コーデッツという女性4人組がヒットさせたらしい。1958年?小学生だ。中尾ミエあたり(デビューしてるかな)がカバーしてそうだ。

                     《カリアンドラ キルデインギー》

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「中南米原産でネムノキに似た美しい花を咲かせる」と説明があった。

いっぱい咲いてないのがいい。これくらいだと葉の緑と花の赤が調和してる。

食わず嫌いで温室は敬遠してたが、可憐なのがいっぱいあって、これはこれでいいもんだ。ころっと変わるんだから、いい加減なもんだ。我ながらあきれる。

ゆっくりと見ていくと次から次と珍しいのにぶつかる。

これはどうだ!。なんでこんな形になったのか。

《ゴクラクチョウカ》

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極楽鳥花、読んで字のごとし。笑っちゃうくらいそのものだ。

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