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2010年9月 9日 (木)

悲恋の舞台「恋ケ窪」に宿る言霊・国分寺

「自分の恋を知った時、道子の最初に感じた衝動はそれを抑えることであった」(大岡昇平「武蔵野夫人」)ーー。

同名の溝口健二監督の映画で、恋ケ窪の地名をきいて、人妻の田中絹代のうろたえ方が新鮮だった。古代から、この地には男女を引きつける何ものかがあるのだろうか。土地の霊、あるいは言霊、そういった神秘さを宿した土地だったようだ。磁場、はやりの何とかスポットなんだ。


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大岡昇平も言葉の響きに惹かれ、溝口監督も押しとどめてきた心に、許されぬ恋が突き刺さる山場にした。

悲恋の伝説は鎌倉時代のこと。ここには鎌倉街道の宿駅があった。8月3日のブログ「古代の道はこんなに広いぞ!」で扱った東山道武藏路は、府中からまっすぐに北上、国分寺の脇を通って、姿見の池をかすめていた。

ここから先は、見渡す限りの原野だった。ここで休まないと、所沢あたりまで野っ原が続く。馬に水をやる必要もあったので宿駅が設けられたのだろう。

悲恋の主人公は、遊女の夙妻(あさづま)太夫と坂東武者の畠山重忠。太夫に横恋慕した男が、重忠は西国で討ち死にしたと告げる。

嘆き悲しんだ太夫は、近くの姿見の池に身を投げてしまう。池の命名は遊女たちが朝な夕なに自分の姿を映していたからともいうが定かではない。

当時の遊女は芸にもすぐれ教養もあった。身を売るよりも芸を売る側面の方が強かった。源義経を慕った静御前は白拍子として育てられた。遊女です。夙妻と静は同時代の人。決して身分も低くはなかった。

そしてこの土地の名前が恋ケ窪。池の恋からとったというが、それでは味も素っ気もない。遠い記憶に2人の悲恋があり、地の霊がかすかな思いを呼び起こしたとした方が、しゃれている。

おそらく高度経済成長期に湧水も涸れ、恋ケ窪用水からも濁った水しか流れ込まなくなってしまった。しかし最近になって、東京都の緑地保全地域に指定され、復元工事が行われて景観を取り戻した。

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◀姿見の池、前回の写真とは反対から撮った


姿見の池は中央線西国分寺駅の横を通っている府中街道を渡ったところ。改札をでて5分くらいです。坂を下っていくと用水があるのですぐ分かります。

近くの東福寺には、太夫の塚に植えたという松の3代目が植えられている。人呼んで一葉(ひとは)松。普通松の葉は2本に分かれているが1本で実らぬ恋を象徴している。


☆畠山重忠 長寛2(1164)〜 元久2.6.22(1205)  源頼朝に臣従して治承・寿永の乱で活躍、知勇兼備の武将として名高い。しかし、頼朝の没後、初代執権北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられ、一族とともに滅ぼされた(畠山重忠の乱)。その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された。

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