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2010年9月24日 (金)

公園と戦争⑵・野川公園、武蔵野中央公園

多摩にある公園の戦前と戦後をたずねている。神代植物公園と小金井公園は、防災緑地だった。生い立ちについてはこちらをご覧ください。

野川公園はICU(国際基督教大学)のゴルフ場だった。9ホールだった。1973年(昭和49)に買収、80年にオープンした。ゴルフ場になるまでは、我らガキどもの遊び場だった。川はあるし池もある。清水も湧いている。ザリガニや小ブナを獲ったり、野うさぎを追いかけた。縄文土器も拾った。

Cimg0872

写真は正門のサービスセンター前から大芝生方向を撮ったもの。グリーンそのままだ。ここが1番ホールだったのか。

ゴルフ場の前は、ただの野っ原、柵もなく自由に出入りできた。戦前は有数の軍需産業、中島飛行機の持ち物だった。創始者の日本の飛行機王・中島知久平が住まいにしていた建物が雑木林の中にあったから、武蔵野の風景を楽しんでいたのだろう。(現存。学園祭で一般公開される)。

そう、陸軍の調布飛行場と、戦闘機のエンジン製作で知られる中島飛行機は地続きになっていた。

中島飛行機は戦後、富士重工業となり、エンジン製作の技術を生かして軽自動車のスバル360をつくった。日産に吸収されたプリンス自動車も、もとは中島飛行機だった。わが家のマイカー1号はスバル360。空冷エンジン音が独特だった。

もとは中島飛行機だった公園がもう1つある。武蔵野市の武蔵野中央公園だ。激しい空襲を受け、がれきのままだったが、アメリカ軍に接収され、軍人の宿舎になり学校もつくられた。

この間のいきさつについては「グリーンパーク野球場・建設前史」、「グリーンパーク野球場・夢のあと」に書いたので、それぞれのタイトルをクリックしてください。

今、武蔵野市役所になっているところはアメリカンスクールだった。

野川公園の隣にアメリカンスクールがある。

Cimg0875

三鷹に住んでいたジュディ・オングが通っていたから、戦後すぐに築地からこちらに移ってきたのか?ここはおそらく調布飛行場の一部だった。中島飛行機だったかもしれないが不明。

スクールバスの表示が「石楠花」になっている。同時多発テロの影響でスクールバスと分からないように配慮しているらしい。

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