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2010年9月23日 (木)

公園と戦争⑴・神代植物公園ができる前は?小金井公園は?

小学生の頃、深大寺にはよく遊びにいった。まだ植物公園はなかった。オープンは昭和36年(1961)だ。そのころの植物公園地域は何だったか、雑木林だったのか。特に記憶にとどめていない。

このあたりは今でも園芸農家(植木や街路樹を育てている)が多いので、雑木というより植木の畑だったのだろう。

深大寺門の近くに成り立ちを書いた看板がありました。防空緑地だったんだ。戦後、農家に返還されたが、残った土地と再び買収した土地を合わせて公園になった。

▼公園内から見た正門

Cimg0795

どうして、お寺の「深大」ではなく「神代」なのか。ここらは江戸時代から深大寺村だったが、明治22年(1889)に佐須村、柴崎村などと合併、神代村となった。

佐須や柴崎に遠慮して、深大寺村ではなく神代村になったようだ。調布村とは一緒になってません。

時が流れて昭和の15年(1940)、紀元は2600年、日独伊三国同盟が結ばれた。軍部の動きは素早い。防空緑地に指定したのだ。

いうまでもなく戦争に備えた措置だ。まだ空襲は想定してないだろうから火災に備えたものか。(まだ飛行機の飛行距離は短かった。航空母艦からの襲撃も考えてなかったろう)。

その防空緑地が中心になっているのだ。

日比谷公園の4・8倍と広大な面積を誇る小金井公園の成り立ちも同じだ。2600年記念事業の一環として「小金井大緑地計画」が立てられ、翌年に用地買収が進められた。

▼小金井公園(去年撮ったもの)

Cimg0001

こちらは神代村と違って畑だった。農民は素直に応じたわけではない。

防災緑地の重要性を説かれて強制的に買収されたのだ。お国のためでは逆らえない。

写真の右側は農地です。いまでも野菜を作ってます。公園の中に短冊形に、こうした農地が何カ所か残っています。首を縦に振らないんですね。

このため遠回りになったりするが、農家の気持ちは分かる。強制買収の苦い思いが伝えられているのだろう。

戦後は、東宮仮寓所として使用、学習院中等科も設置された。公園としては昭和29年(1954)オープンと、かなり早い。

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