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2010年9月の記事

2010年9月29日 (水)

寄席でたっぷり落語にひたった・池袋演芸場

友人と池袋演芸場に行ってきた。久しぶりの寄席、馬鹿笑いはしなかったけど、堪能して帰りがてらの酒もうまかった。

この日(29日)は開園時間が午後2時と遅かった(いつもは午後零時半)ので2000円と割安料金。それでも5時過ぎまでたっぷりと落語を聞けるのだから安い。

《池袋らしい場末の雰囲気の中にある演芸場》

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池袋駅西口を地上に出て徒歩1分。けばけばしい通りの小さなビルの地下が演芸場だ。こぢんまりしていて小劇場の趣。落語を楽しむには最適、というより贅沢な環境だ。

キャパは100もない。雨のせいか、ほぼ3分の入り。出てくる演者が一様に寂しそうな顔をする。落語ブームはホールや独演会に限られているのか。

これで色物も含めて10組が出るのだから割り(ギャラ)はボランティア並みだろう。

割りは入場者数によって支払われるので、入りが悪いと少なくなる。2000×30=60000、これを10で割ったら?

1時45分になったら開演前だというのに若い衆が1人出てきた。そうだ、そうだ、前座があるんだった。その名は三遊亭ありがとう。師匠の歌之介の趣味のようだ。一番弟子を「ありがとう」にして、二番弟子を「ございます」とつけるのだと張り切っているらしい。


《切符売り場》

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三遊亭天どん「粗忽長屋」、三遊亭窓輝「ぞろぞろ」と進んで、9月に二つ目になったばかりの柳家緑君が「たらちね」。

緑君でろっくん。まだ21歳。昔は30を前にして前座なんて人がたくさんいた。今はどうだか分からないが、かなり若い二つ目だろう。平成生まれで初の二つ目だそうだ。

なかなか達者だ。場数を踏んでいけばいい噺家になるだろう。

中入り前は三遊亭吉窓の「本膳」。このへんから素直に楽しんでいる自分に気づく。

みんな古典をしっかり聴かせてくれるのがうれしい。

古今亭菊太楼が「家見舞い」、古今亭菊之丞は「天狗裁き」。自分の見た夢を女房に話さなかったことから、隠し事をしてると喧嘩になり、隣の兄貴分が仲裁に入り、さらに大家も出てきて、お白洲に訴え出る騒ぎに。そこでも奉行が怒りだして縛られてしまう。さらに天狗まで登場と、ささいな夫婦喧嘩がシュールな展開に。

どうなることかと身を乗り出してました。

                        《入り口は喫茶店の横》

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トリは三遊亭萬窓が人情噺「柳田格之進」の一席。

正直者の格之進は、それが災いして長屋暮らしの浪人。両替商と気が合い、離れの座敷で碁を楽しむ。ところが50両がなくなり番頭が長屋に確認にくる。

このまま出てこなければ訴え出るという番頭に格之進は「あしたまでに50両を用意する」ときっぱり言って、どこからか工面してくるが、それから行方知れずになってしまう。その折り、番頭は「50両が出てきたら番頭と主人の首を差し上げる」と約束、年末の大掃除で額の裏から50両が…。

もとは講談なので、笑いの要素は少ないが、どんどん引き込まれていく。たっぷり45分、聴かせてもらいました。

前座から終わりまで約3時間半、あっという間だった。ほどよく笑って心が軽くなった。

2010年9月28日 (火)

安酒にはカトゥレット(カツレツ)がお似合い・スリランカ便り

ボランティアでスリランカに滞在しているUさんからレポートが届きました。

65歳にしてスリランカで魚の干物の作り方を教えてます。食べ方をたずねたので、こんな書き出しになってます。

                □           □

干物はやはりカレーに入れるんです。こちらでは何でもカレーです。今日も小さめのマグロをR(ルピー)500=400円で買ってきて、刺身にします。

            ×                    ×

ところで、スリランカにはB級だけではなく、C級も豊富です。まず、ココナツ焼酎「アラック」にはポケット瓶150円のブランドもあります。これが180ccというからまさに1合。酒飲みの基準はどこも同じ量なのでしょうか。

《C級?焼酎》

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こんな安酒には、カトゥレット(つまりカツレツ)なる、日本で言えば完全にコロッケや、それによく似たロール(ただ長く丸まっただけ)やロティ(肉や野菜を、焼いた厚めの春巻きの皮のような、お好み焼きの下地のようなもので包んだもの)がお似合い。

スリランカでホテルと呼ぶ喫茶店(というには少々薄汚いが) で売っている。

  《ロール(奥)とカレーパン》

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1個20円から30円。日本のコロッケほどポテトが多くなく、刻んだ野菜がいっぱい入っている。

ただし、スリランカではアルコールは厳しく、その喫茶店では飲めない。

レストランと呼ぶ、これもその名にふさわしくないところでも、ビールだけの店と、アラックやジン(ここではよく飲まれる)も出せる店と分かれている。


チリペーストという辛い調味料がスリランカの暑さにあい、安酒がどんどん進みます。

《喫茶店の主人》

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《牛肉のロティ》

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《停電》

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               ×         ×

今日の発見!カレーパンは日本の専売特許じゃなかった。江東区森下のパン屋がカレーパンを作ったのが日本の元祖。でも、考えてみりゃ、カレーの本場でパンでカレーを包むのは自然だ。インドにもきっとあるだろう。本場のカレーパンを食べてみたい。

                   end

2010年9月27日 (月)

公園と戦争⑷・東京外大・警察大学校

米軍調布基地あとの外周を歩いている。広くまっすぐな道が甲州街道まで伸びている。調布基地の返還にともなって、目分量で8割ほどが武蔵野の森公園と調布飛行場に生まれ変わり、残りに西側の施設群がつくられた。

前回書いた廃墟跡だけが取り残された。どうするつもりなんだろう。駅から近いから民間に売却してマンションでも建てるのか。それだったら、このまんま自然の宝庫として放っておいた方がいい。

いずれも2000年か、2001年にここに移転してきた。1973年の全面返還から30年近くのときを費やしている。

西武多摩川線多摩駅から一番近いのが東京外国語学校。門がない。守衛さんもいない。「午後8時以降はご遠慮ください」とあるから、昼間は入ってよさそうだ。

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このひしげた円筒は食堂。左側は生協の売店。

この日は本格的に授業が始まっていないのか、キャンパスが広すぎるのか、あまり学生を見かけない。

南下していくと警察大学校。こちらは当然ながら厳重警戒。立派な建物だ。2001年に中野の駅前から移ってきた。

中野にあったについては因縁がある。五代将軍綱吉の悪名高い「生類憐れみの令」にさかのぼる。思い上がった野犬どもが江戸市中をわが物顔に跋扈(ばっこ)した。

幕府は東大久保に2万5千坪、中野に30万坪の犬小屋を確保してお犬様を収容した。

「中野には11万頭が収容され、一日十匹あたり白米三升、味噌五百匁、干鰯一升が食いぶちであった。飼育料は年間三万六百両(今の二十億円ほど)にも及んだという」(「江戸東京《奇想》徘徊記」、種村季弘、朝日新聞社)。

その跡地につくられたのが陸軍中野学校、戦後は警察大学校と中野区役所。

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その由緒ある犬屋敷から引っ越してきた。

なおも行くと、今度は警視庁警察学校。どうちがうんだ?

あっちは警察庁の管轄なのか。こっちは東京都だな。全国区と地方区の違いか。「大」がついている方が偉そうだ。

英語も併記されている。どちらも「ポリスアカデミー」。ナショナルとメトロポリタンの違いだ。警察学校は世界的にアカデミーなんだ。ジャッキー・チェンみたいなのは学んでないんだろうな。

隣同士に建っていて揉めたりしないのか。

甲州街道にぶつかって左折すると味の素スタジアム。

飛行場の跡地なのでかなり広い。味スタから今度はスタジアム通りを北上。武蔵野の森公園でひと休みだ。

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2010年9月26日 (日)

公園と戦争⑶・立入禁止の廃墟あと・武蔵野の森公園周辺

武蔵野の森公園の前身は、調布飛行場、米軍の関東村だった。

いきさつについては、「基地の町だった多摩・武蔵野の森公園は飛行場・1」( 2010.07.13)「米軍が返還してできた武蔵野の森公園 」(2010.07.11)で扱ったので、タイトルをクリックしてください。


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アメリカンスクールから武蔵野の森公園へと露地を歩いていたら、小さな社があった。三谷神社。由来を記した石碑が立っていた。

陸軍調布飛行場の建設に当たって立ち退いた村人が、このあたりに移住、神社も遷した。調布飛行場の前は府中市押立にいたようです。

移住したといっても、ろくな農地は与えられなかったようだ。軍部の命令だから文句もいえず、狭い土地を耕して糊口をしのいだのか。今ではすっかり住宅になっている。西武多摩川線の多磨駅に近いから便利は便利だ。

人見街道をわたるとフェンスに囲まれた一角がある。入り口はない。木は繁りっぱなし。草ぼうぼう。立ち入り禁止の張り紙はあるが、所有者の名前は書いてない。

金網越しに覗き込むと、コンクリのはげた道路がある。駐車場らしき場所もあった。以前は廃墟があったのだが、いつの間にか取り壊された。府中基地あとにはまだ廃墟が朽ちたまま残っているが、東京外国語大学に隣接していることもあり、留学生には見せられないということで壊したのか。

以前は関東村。米軍の宿舎が建っていた。東京オリンピックで代々木公園にあったワシントンハイツが調布基地に移転、関東村になった。その前は水耕農場でレタスなど西洋野菜を作って米軍家族に提供していた。

1973年に全面返還されたが、建物はしばらくそのままになっていた。撤去費用は思いやり予算だったのか。

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地図を見ても何も書いてない。多分、国有地だ。

番地しか書いてない台形の土地がフェンスで囲まれた区域です。

その左が東京外大、下が武蔵野の森公園、西武線多磨駅の上方には多磨墓地が広がってます。

2010年9月25日 (土)

シロヒガンバナ・野川公園

台風も予報通りにスライスして午後からは雲1つないピーカン。野川公園の自然観察園に。カメラを持った愛好家が大勢訪れて野草の写真を撮っていた。

大体、30種類くらいは咲いているらしい。ほとんどが見つけられないか、名前が分からない。入り口の案内ボードにシロヒガンバナとあるので、そこを目指す。

観察園の外からフェンス越しに人が集まっている。あそこだろう。

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なるほど白い。赤いヒガンバナと黄色いヒガンバナ(ショウキズイセン)の雑種、あるいは赤の突然変異のようだ。

赤の群落もある。


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雑木林の中で、光が抑えられているので、そんなにけばけばしくない。

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下の写真はシュウカイドウ。いっぱい群れてます。


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2010年9月24日 (金)

公園と戦争⑵・野川公園、武蔵野中央公園

多摩にある公園の戦前と戦後をたずねている。神代植物公園と小金井公園は、防災緑地だった。生い立ちについてはこちらをご覧ください。

野川公園はICU(国際基督教大学)のゴルフ場だった。9ホールだった。1973年(昭和49)に買収、80年にオープンした。ゴルフ場になるまでは、我らガキどもの遊び場だった。川はあるし池もある。清水も湧いている。ザリガニや小ブナを獲ったり、野うさぎを追いかけた。縄文土器も拾った。

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写真は正門のサービスセンター前から大芝生方向を撮ったもの。グリーンそのままだ。ここが1番ホールだったのか。

ゴルフ場の前は、ただの野っ原、柵もなく自由に出入りできた。戦前は有数の軍需産業、中島飛行機の持ち物だった。創始者の日本の飛行機王・中島知久平が住まいにしていた建物が雑木林の中にあったから、武蔵野の風景を楽しんでいたのだろう。(現存。学園祭で一般公開される)。

そう、陸軍の調布飛行場と、戦闘機のエンジン製作で知られる中島飛行機は地続きになっていた。

中島飛行機は戦後、富士重工業となり、エンジン製作の技術を生かして軽自動車のスバル360をつくった。日産に吸収されたプリンス自動車も、もとは中島飛行機だった。わが家のマイカー1号はスバル360。空冷エンジン音が独特だった。

もとは中島飛行機だった公園がもう1つある。武蔵野市の武蔵野中央公園だ。激しい空襲を受け、がれきのままだったが、アメリカ軍に接収され、軍人の宿舎になり学校もつくられた。

この間のいきさつについては「グリーンパーク野球場・建設前史」、「グリーンパーク野球場・夢のあと」に書いたので、それぞれのタイトルをクリックしてください。

今、武蔵野市役所になっているところはアメリカンスクールだった。

野川公園の隣にアメリカンスクールがある。

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三鷹に住んでいたジュディ・オングが通っていたから、戦後すぐに築地からこちらに移ってきたのか?ここはおそらく調布飛行場の一部だった。中島飛行機だったかもしれないが不明。

スクールバスの表示が「石楠花」になっている。同時多発テロの影響でスクールバスと分からないように配慮しているらしい。

2010年9月23日 (木)

公園と戦争⑴・神代植物公園ができる前は?小金井公園は?

小学生の頃、深大寺にはよく遊びにいった。まだ植物公園はなかった。オープンは昭和36年(1961)だ。そのころの植物公園地域は何だったか、雑木林だったのか。特に記憶にとどめていない。

このあたりは今でも園芸農家(植木や街路樹を育てている)が多いので、雑木というより植木の畑だったのだろう。

深大寺門の近くに成り立ちを書いた看板がありました。防空緑地だったんだ。戦後、農家に返還されたが、残った土地と再び買収した土地を合わせて公園になった。

▼公園内から見た正門

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どうして、お寺の「深大」ではなく「神代」なのか。ここらは江戸時代から深大寺村だったが、明治22年(1889)に佐須村、柴崎村などと合併、神代村となった。

佐須や柴崎に遠慮して、深大寺村ではなく神代村になったようだ。調布村とは一緒になってません。

時が流れて昭和の15年(1940)、紀元は2600年、日独伊三国同盟が結ばれた。軍部の動きは素早い。防空緑地に指定したのだ。

いうまでもなく戦争に備えた措置だ。まだ空襲は想定してないだろうから火災に備えたものか。(まだ飛行機の飛行距離は短かった。航空母艦からの襲撃も考えてなかったろう)。

その防空緑地が中心になっているのだ。

日比谷公園の4・8倍と広大な面積を誇る小金井公園の成り立ちも同じだ。2600年記念事業の一環として「小金井大緑地計画」が立てられ、翌年に用地買収が進められた。

▼小金井公園(去年撮ったもの)

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こちらは神代村と違って畑だった。農民は素直に応じたわけではない。

防災緑地の重要性を説かれて強制的に買収されたのだ。お国のためでは逆らえない。

写真の右側は農地です。いまでも野菜を作ってます。公園の中に短冊形に、こうした農地が何カ所か残っています。首を縦に振らないんですね。

このため遠回りになったりするが、農家の気持ちは分かる。強制買収の苦い思いが伝えられているのだろう。

戦後は、東宮仮寓所として使用、学習院中等科も設置された。公園としては昭和29年(1954)オープンと、かなり早い。

2010年9月22日 (水)

ラジオでブラタモリ&祝!リトルなでしこ決勝進出

きょう(9月22日)を境に夏ともさよならのようです。名残の残暑、きついです。気温が30度だとほっとするんだから、もう亜熱帯人間。

あしたの秋分の日は雨予想。お寺に行くのがおっくうだ。

ニュースをチェックしていたらUー17の女子サッカーが決勝進出を果たした。相手は韓国。詳しくは下の方で書きます。↓

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(写真はオキナダンチクの穂。秋に向かってまっすぐ伸びている)。

さてNHKラジオの「ラジオでブラタモリ」は、今年1月にテレビで放送した「浅草編」の再放送だった。未公開トークも含めて45分番組。

1月に見てるので映像を思い出しながらの聴取。まずは人力車に乗って雷門。昭和35年(1960)に95年ぶりに再建された話を明治時代の写真などを見ながら展開。ラジオでは分からない映像の部分は加賀美幸子アナが補う。

ついで浅草寺伝法院。江戸時代は将軍以外は立ち入ることを許されなかった庭園に。タモリが大興奮。「大名の庭園はいくつか残ってるが、寺院のは東京では皆無。思想のある庭です」。

庭から出てきた貝殻を案内の住職が大切に保存。タモリも「家宝にする」と記念にもらう。「もらっていただいたのははじめて」と住職。さすがNHK、この貝を分析に出す。約4300年前のものと判明。縄文海進で海の底だったことを示す。

住職の感心の仕方が面白い。「お釈迦様が2500年前ですから、それより古いんですね」。西暦じゃないところがさすが。

六区にあったひょうたん池考察は考えさせられた。当時を体験した人が江戸弁でまくしたてる。「自転車に乗って入ってくると警官が空気を抜いちゃう」。人をかき分けかき分け歩いたもんだという。

昭和26年(1951)に埋め立てられた。「あれを境に浅草は寂れる一方」と当時女学生だった女性。


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(また見かけました。オカリナ奏者。深大寺の山門下です。聴き入っている女の子の背中がいい)。

土地の有効活用、安全性、風紀などの諸条件から埋められたのだろう。さびれた原因は交通の利便性など他にもあるが、池を失ったことで景観が損なわれ、ゆとりがなくなった。うなぎがいたというからきれいな池だったのだろう。

水は人間を和ませる。海の川も湖も、みんな社会生活の憂さを晴らしてくれる。池がなくなったのでさびれたというのは象徴的な話だ。

そういえば神田お玉が池も埋められた。赤胴鈴之助が通ったのは、お玉が池にあった千葉周作の道場。北辰一刀流を学ぶんですね。娘が「さゆり」で、TBS(当時は東京放送だったか)ラジオで、これを演じたのが吉永小百合。藤田弓子や大平透も出ていた。

日曜だったか土曜だったか、夕方の6時、毎週ラジオにかじりついていた。皇太子のご成婚でテレビが家庭に普及する直前だった。1957から1959年の放送だ。

テレビのブラタモリは10月7日の復活。カレンダーに○をつけた。10月は12日にも○がついてる。「亀渕昭信いくつになってもロケンロール」のオンエア日。「いくつ…」については5月27日に触れてます。興味のある方はこちらをどうぞ。

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U−17女子ワールドカップの準決勝がトリニダードトバゴで行われ、日本が2−1で北朝鮮に逆転勝ちした。先制された日本だったが、後半24分に高木(静岡・常葉橘高)がクロスに合わせて同点、1分後に横山(東京・十文字高)が、北朝鮮選手5人をドリブルで抜いて右足で決勝ゴールを奪った。

横山は5試合連続の今大会6点目。5人抜きのドリブルすごい。どんな選手なのか映像が見たい。得点王争いのトップは韓国のヨ・ミンジで5試合で8ゴール。得点王は難しいか。

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日本の女子が国際サッカー連盟(FIFA)主催の世界大会で決勝に進出したのは初めて。

韓国の決勝進出は男女含めて今大会が初めて。

25日(日本時間26日)に韓国と初優勝を争う。

韓国の女子も急に強くなった。先月行われたUー20(20歳以下)女子ワールドカップ(W杯)では3位。女子でも永遠のライバルが台頭してきたことで、俄然面白くなった。


 
   

2010年9月21日 (火)

オカリエとNHK「おもしろゾーン」解体&ラジオ版「ブラタモリ」

10月の番組改編でNHK日曜夜の「おもしろゾーン」が解体される。

「50ボイス」は既に終了、安手だけどディレクターの狙いが1点に集中しているのでストレートに伝わる「20min」は午前零時からに変更、最もNHKらしくない「東京カワイイTV」は土曜の午後11時に引っ越しだ。

「おもしろゾーン」については、7月26日で取り上げました。こちらをどうぞ。

19日の「東京カワイイTV」でオカリエを知った。以前にも「読モ」の一人として、同番組に出たことがあるらしい。でも司会の沢村一樹はすっかり忘れてます。

彼女の名札を見て「おかえりじゃないんだ。オカリエなんだ」と、もう完全におっさん。ボケではなく地なんです。この番組の沢村は素人に戻ってる。毎回、知らないこと、新しいことだらけで、突っ込み方も分からない。

製作者サイドの狙いもそこにあるようだ。おっさんの戸惑いを引き出したい。それは私みたいなアラカンの目線と同じ。

オカリエは人気ブロガー。渋谷にショップをオープンしたら、なんと700人が行列、彼女が通うネイルサロンや美容院も人気になっている。

ブログは何と11億ビュー。多分、1年くらいの数字だ。このブログは半年で2万弱、気が遠くなるほどの差だ。

(写真は文章とは関係なく、20日敬老の日の深大寺門前。にぎわってました)。


▼鬼太郎茶屋


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オカリエは、スッピンからはじめて化粧法をブログで紹介している。テレビでもスッピンをさらし、それを携帯で撮り、化粧のポイントごとに写真に収めていく様子を映し出していた。これが受けて、オカリエってかわいいが増殖していったらしい。

おかしかったのがオカリエの両親。読者モデルの頃、小さく載っている雑誌を広げて、「これじゃない」「これは違う」「やっぱりこれだ」と実の娘を捜すのにひと苦労してた。

父親曰く。「みんな同じ化粧だから分からない」。同感です。なんてったって、グループ(コンビ、トリオでも)名前と顔が一致したのはキャンディーズまで。ラン、スー、ミキ。古いね。おニャン子はソロになってから分かるようになった。

本名松岡里枝。


もう一人紹介してたのがKAIくん。「東京カワイイ」に出たのがきっかけで夏木マリのステージ衣装のデコを頼まれた。

確か美大の学生で、彼曰く「非実用的」なデコが斬新。

若者たちの全く新しい世界がこの番組には詰まってる。いい年のおっさんでも、見てるだけで楽しい。円高だ、日本沈没だと騒いでいるよりも、産業構造の変革はこんなところにヒントがあるのかもしれない。

▼深大寺門前の賑わい

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土曜の11時は教育で「新ビバリーヒルズ青春白書」を見てたが、ちょうど終ったので良かった。

それにしてもすごいところで終わるもんだ。アニーは、アフタープロムパーティーで高校生が飲酒していることを警察に知らせてしまう。誤解からヤケになってのことだけど、これは許されない裏切りだ。一家は破滅だ。次のシリーズはいつ始まるんだ。

それにしてもアメリカのテレビドラマはテンポがいい。余計な説明は省いて、シーンの積み重ねでストーリーを展開させていく。くどくど説明する日本とは大違いだ。


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◀山門下のそば屋も繁盛

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◀深大寺城跡のそば畑、白い花が


これからラジオ版の「ブラタモリ」を聴きます。

10月7日、テレビの「ブラタモリ」復活です。アナウンサーは前シリーズと同じ久保田祐佳なのか。タモリが「おや」と興味を示すことを全く知らなくて、いいコンビだった。

慶大出だけど、おっさん的な知識はゼロ。この落差が絶妙だ。

この間、夕方や午後7時のニュースに出てて忙しそうなので、他の女子アナになったらつまらない。

ラジオでどんな散歩をしたのかの報告はまた今度。

2010年9月20日 (月)

すごい名前!肉色しゅくしゃ・ピンク映画みたいだ

まだ神代植物公園をぶらついているが、全部は回りきれていない。

この日は宿根草を植えてある一角を中心にウオッチ。

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ニクイロシュクシャ。すごい直接的な名前だ。肉色宿舎、ではありません。肉色はあってますが、シュクシャは縮砂。漢方でショウガのことをいう。でも、漢方の原料となる縮砂とは別種のようだ。

原産地はインドで、インドシナ半島でもよく見られるらしい。昭和の初期に伝来したが、肉色としか言い表せなかったんだ。

大手の新東宝が倒産してスタッフが作り上げたのが低予算のピンク映画。初期の作品に小林悟監督の「肉体市場」(1962)がある。

まだ高校1年生で、見にはいかなかったが、刺激的なタイトルだと思った経験がある。「肉色」ものぞいてはいけない世界の感じがする。当時はまだ「肉体」が扇情的だった。現在では無機的な印象しか与えないだろうが、言葉が発するメッセージも変わっていくもんだ。

▼カクトラノオ              ▼ハマトラノオ

隣にあったのがカクトラノオ。9月17日の「オカリナの澄んだ音色が」で掲載したハマトラノオとは全く別種。

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花穂が虎のしっぽみたいなのをみんなトラノオと名付けている。オカトラノオ、ヌマトラノオはサクラソウ科。

カクトラノオはシソ科で、ハマやヤマ、ルリはゴマノハグサ科。

真っ赤な花が目につきました。

これはモミジアオイ。

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右の写真はくず。「オカリナの澄んだ音色が」の時に掲げた秋の七草にくずは含まれてなかった。大きいので別の鉢に植えられていた。数えた人、ごめんなさい。     
                   
                   end

2010年9月19日 (日)

千成瓢箪は意外に小さい・神代植物公園

芝生広場の南側にカボチャなどを植えている一角がある。そこにひょうたんがあった。

首長ひょうたんは名前の通り首が長い。隣にひょうたんよりも大きな名札が下がっていて、千成、豆と書いてある。

▼首長ひょうたん              ▼左が千成ひょうたん

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千成は豊臣秀吉が馬印に使ったので、もっと大きいのかと思っていた。豆とそんなに変わらない。腰に下げていたひょうたんを旗竿の先に差して目印にしたというのだから、そんなに大きいわけはないか。

呼び名の違いは種類をあらわしているのではないらしい。一番小さいのを豆(5㌢以下)、次いで千成(10㌢前後)、百成(13〜20㌢)、大瓢(30〜50㌢)、もっと大きいのを長瓢(100〜150㌢)と呼んでいる。

百の方が千よりも大きい。どちらも、いっぱい実がなるので名付けたんでしょう。

こっちの写真は、形が変わって達磨と小達磨。ひょうたん形ではないんです。


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知らないことだらけです。片っ端から忘れてしまいそうだが、少しは記憶にとどめているだろう。ブログのタイトルが「雑学」だから、何でも珍しがっていていいのか。


神代植物公園の敬老週間は21日まで。この間は60歳以上は無料とポスターが張ってある。しかし、カッコして21日は休園と但し書きがしてある。

面白いね、お役所仕事って。理屈はそうなんだろうけど実質の無料は20日まで。以前、確定申告の初日を2月16日と告知していたが、その年の16日は日曜だったことがあった。何人かが申告に訪れて問題になったことがあった。それと同じだ。

下のアゲハがコスモスの蜜を吸っているのはおまけです。赤系の色が欲しかっただけ。

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2010年9月18日 (土)

思わず笑うタヌキマメ・神代植物公園

三たび神代植物公園・山野草園の小径を歩いている。なにしろ雑草なので注意しないと見逃してしまう。やっぱりありました。今まで通らなかったところにユニークな花がありました。

▼タヌキマメ

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言い得て妙。どう見ても狸でしょう。舌を出してるのかな。これでは誰が名付けてもタヌキになる。

高さ20~60cmの1年草。茎や葉などに褐色の長い毛が多い。花は枝先に総状につき青紫色で長さ約1cm。ガクは大きく、褐色の毛が密生してよく目立ち、深く2裂し、さらに上裂片は2裂、下裂片は3裂する。

毛の多いガクを狸に見立てたという、また正面から見た花の姿やガクに包まれた豆果の様子からつけられたともいうーーだそうです。

すぐ近くにあったのがアサギリソウ。

絹毛がびっしりと茎を覆っているので白くなっている。北海道から東北の日本海側や山岳地帯に自生しているらしい。絹毛は寒さをしのぐためか。

園芸では縁取りなどに使うようだ。

▼アサギリソウ

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山野草園を出て松林をふらついていたらヒガンバナがにょきっと茎を伸ばしていた。お彼岸です。ことしは猛暑のせいで開花が遅れているらしい。観光地が困っていると毎日の夕刊に出ていた。そういわれれば、いつもはお彼岸の前に咲いていたような気がする。

彼岸の中日には坊さんのお経をたっぷり1時間聞かないといけない。ことしは卒塔婆代を払ったら中抜けでさぼってしまおう。近くを散歩して、頃合を計って卒塔婆をもらいにいけばいい。

儀式が終わらないと卒塔婆を配ってくれないんです。お経も、サンスクリットの漢語訳じゃなくて日本語に訳してしゃべれば、ありがたい話だとみんなが分かるんではないか。分からないからありがたいということもあるが…。

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けばけばしい赤い花が咲いてからは目立つが、つぼみの段階で気づくのは珍しいのでパチリ。

右はキンミズヒキ。きのうのよりピントが来ているので再掲載。

これで山野草園はだいたい終了。次はどこを目指そうか。

2010年9月17日 (金)

オカリナの澄んだ音色が…・また神代植物公園

続けて60歳以上無料の神代植物公園へ。日なたは暑いが晴れて気持ちがいい。

正門を入ったところでは秋の七草がまとめて植えてある。


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きちんと知らないので、お勉強。酒ばかり飲んでいたので常識に欠けている。60の手習いだ。

今回は、前回のダリアとは比べ物にならない地味な山野草園の草花をウオッチするのが目的。

雑木林の小径に、名前を知らない草が茂っている。木々が光をさえぎって空気がひんやりする。

キンミズヒキが咲いていた。黄色い花だ。「ミズヒキは紅い花なんですが、これは黄色ですね」と年配の女性が教えてくれた。

林の中でよく見る。花が小さいので、安物のデジカメではピントが合わない。撮り方がへたなのか。ミズヒキはタデ科で、こちらはバラ科。種類が異なるらしい。

人間はこうした野草の花から園芸種を作り上げてきた。でも、品種改良をされずに、野生のまま残った草花も捨てがたい。花は小さいが、精一杯主張して昆虫を呼んでいる。


あれ、今頃アジサイが咲いている。タマアジサイ。しげしげ見ると、花の要素がぎゅっと圧縮された感じだ。趣がある。

▼キンミズヒキ               ▼タマアジサイ

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足早に歩いてしまえば気づかないような花たち。

こんなのもありました。ハマトラノオとカラムシ。

浜虎の尾(ハマトラノオ)は、ゴマノハグサ科ルリトラノオ属の多年草。鹿児島県の甑島から沖縄県にかけて分布し、海岸の岩場に生える。

環境省のレッドデータブックでは、「現時点では絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては『絶滅危惧』に移行する可能性のある種」である準絶滅危惧(NT)に登録されている。

生息条件が違うが間違いないのか。ネットで見ると同じ花だ。移植して生育条件を整えているのか。それにしては無造作に生えている。やや種類が違うのかもしれない。

カラムシはどこでも見られる。名札もついているので間違いないだろう。

▼ハマトラノオ               ▼カラムシ

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このほか名前が確認できない小さな花が、たくさん咲いてました。

ベンチに座ってひと休みしていたらオカリナの音色が聞こえてきました。澄んだ音色が木々をわたっていく。門の外だ。行ってみよう。

着物の女性が演奏していた。見物人が少しずつ増える。しばし聴き入る。みんなで大きな拍手をして、おばさんグループが「アンコール!」と声を掛けたら応えてくれた。

時々来てほしいな。

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2010年9月16日 (木)

「ゲゲゲ」ブーム最後の追い込み・深大寺周遊スタンプウォーク

神代植物公園に行ったら「深大寺周遊スタンプウォーク」のチラシが置いてあった。3つ折り6ページの立派な体裁だ。力が入っている。京王バスに乗って界隈を訪れてスタンプを押したりするとプレゼントが当たるという。

チラシを持っていけば「鬼太郎茶屋」の妖怪ギャラリーが入場無料で、深大寺温泉ゆかりの入浴料が割引になるクーポンもついている。

「ゲゲゲの女房」ももう終わりです。初めは歴代ワーストに近い視聴率からスタートしたが、徐々に伸ばしてコンスタントに20%越え。久しぶりに話題になった朝ドラだった。

ブームにあやかった企画だけど、深大寺の秋もいいですよ。

小生は京王バスには乗らずに徒歩で植物園へ。敬老週間で入場は無料(60歳以上)。正門右手のだりあ園へ。

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ともに名前はジャズダンス。花弁が思い切り手足を伸ばした様子、なるほどのネーミング。白と赤紫がひとまとめに植えられている。まさか、同じ株から色違いができるのではないだろう。もしかしたら、それも可能かなんて素人の無知さ加減は恥ずかしい。

    ▼ジャズダンス          ▼炎宝   


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    ▼マルタ               ▼月見草

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    ▼砂漠                 ▼純愛


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ベタなネーミングが多い。これから先、長くはないが一生使わないような言葉を打ってしまった。キーボードを叩いているだけでもシリがむずむずする。すみません、一所懸命につくっているのに水を差して。

チラシによると、秋のバラフェスタは10月9日から。こちらはグレース・ケリー(きょう確認してきたらありませんでした。プリンセス・ダイアナ・オブ・ウエールズはあります)、カトリーヌ・ドヌーブなどスターの名を付けた種類のコーナーがつくってある。秋の品種にあるのかは分からないが、のぞいてみよう。

だめ押しのダリアは「友情」。

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出来過ぎですが、パット・ブーンのアルバムを引っ張りだして聴いてます。流れているのは「友情ある説得」。カンヌのパルム・ドールに輝いたウイリアム・ワイラー監督、ゲイリー・クーパー主演作(1956)の主題歌です。

ブーンは、しゃれたタイトルの曲がいいですね、「砂に書いたラブレター」「四月の恋」…。

2010年9月15日 (水)

敬老週間で無料なので神代植物公園へ

15日から60歳以上は無料なのでさっそく神代植物公園へ。昨日はすごい夕立だったが、きょうは厚い雲がたれ込めている。暑からず寒からずの散歩日和。これを利用して公園内をくまなく回ってみるつもりだ。まあ3日はかかるだろう。

昼過ぎに到着。芝生広場に寝転んで流れる雲を眺める。大の字で思い切り手足を伸ばして深呼吸。人も少なく空気もきれいだ。真ん中にはススキみたいな花がひとかたまりになっている。確か、昭和36年の開園当初からあるシンボルみたいなものだ。

なんて名前だ?


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パンパスグラス。イネ科コルタデリア属。アルゼンチンからブラジル南部に分布と名札に書いてある。何度も見てるが名前は気にもとめなかった。ふーん、そういうんだ。ススキじゃないんだ。イネ科だから広い意味ではススキの仲間だろう、といいかげんに負け惜しみ。

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高さは6㍍はありそうだ。こんなに密生させているのは、技術がいるんだろう。広場に来た人は一様にカメラを持って近づいて記念撮影。小さく見えるのが人間です。

コルタデリアのコルタは、切る、切断の意。アルゼンチンのパンパス地方から名付けられた。別名シロガネヨシだそうです。

あっ色違いもある。ちょっと赤みがかっている。ピンクパンパスグラス。

似ているけど別なのもある。オキナダンチク。やはりイネ科。漢字では葮竹、暖竹。葦の仲間ですかね。

裸足で駆け回ると芝生が暖かくて気持ちがいい。

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2010年9月14日 (火)

「姿見の池」は野川の源流か?・国分寺

多摩川の支流、野川の源流は国分寺の日立中央研究所の中ということになっている。研究所には池があり、そこにそそぐ湧き水が数カ所ある。

大岡昇平は「武蔵野夫人」で姿見の池を源流とし「鎌倉武士と傾城の伝説のあるところ」と特定している。しかし今では野川とは連続していない。

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池の手前に案内板が立っていた。それによると、(途中で途切れているようでもあり、はっきりしないが)池から流れた小川が野川にそそいでいるようにも見える。

玉川上水の恋が窪村分水とは別に、武蔵野線の西側からも小川が流れ込んでいる。昭和20年代には、こっちが源だったのかもしれない。

東福寺で遊女の墓に参る。境内はコンクリで整備されているが大きなケヤキがまっすぐに伸び、歴史を感じさせる。

かたわらに「傾城墓」と書かれた小さな墓標が建ち、隣には立派な「傾城墓由来」碑がしつらえてある。

その隣に植えてあるのが「一葉松」。里人たちが、池に身を投げた夙妻(あさづま)太夫をしのんで塚をつくり、その上に植えた松だという。

東福寺の門前あたりは鎌倉街道が通じていたらしい。古くから開けていたようだ。傾城に託して畠山重忠をしのぶ松を植えたのかもしれない。


▼東福寺境内。右手に傾城墓と一葉松がある

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重忠は、「鎌倉武士の鑑」ともいわれ、武藏武士団の首領的な存在だったが、北条氏によって滅ぼされてしまった。

表立ってしのぶわけにはいかないので傾城に仮託したと見ても、あながち間違いではないだろう。

2010年9月13日 (月)

鬼県令三島通庸は塩原温泉の恩人

福島の県令(知事)に就任するや高湯温泉の源泉を官舎のあるふもとの町に引き、営業休止に追い込んだ三島通庸。薩摩閥を率いる権力者大久保利通に見込まれて山形、福島、栃木の県令を歴任する。高湯のくだりはこちらをどうぞ。

(三島通庸にこだわってます。なんか、こうした強引な政治家に魅力を感じるんです。危険だけど興味深い。何もしない、できない凡庸な政治家よりも必要とされているのかもしれない。今の心境は、菅直人よりも小沢一郎)。

徹底した自由党嫌いで、大久保が送り込んだ目的は、奥州の治安維持だ。戦火は消えても奥州には不満が蓄積し、特に会津の情勢は不安定だったろう。強引な土木工事に怨嗟の声が渦巻いたが、三島は徹底した弾圧で大久保の期待に応えた。

この「土木県令」を恩人としている温泉地がある。栃木県の塩原温泉だ。立派な「三島通庸紀恩碑」が建てられている。

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三恩人の一人に数えられている。一人は尾崎紅葉、そして三島通庸と奥蘭田(おく らんでん)。

紅葉はここで「金色夜叉」を執筆、続編には塩原も登場する。

奥は東京実業界の重鎮で、「塩原紀勝」を出版して、そのすばらしさを世に広めた。

三島は土木工事です。

「武蔵野夫人」の描写を確認するために大岡昇平全集を借りてきて、他の作品も斜め読みした。(「武蔵野夫人と恋ケ窪」についてはこちらをご覧ください)。

その中に「逆杉」(さかさすぎ)があった。塩原の文学散歩。取り上げるのは尾崎紅葉。

まず「趣向は既に発端より破綻していたともいえる」と「金色夜叉」を認めない。お宮が富山と結婚、貫一が高利貸しになるのが「最初から自主性を持っていない」と切って捨てる。

しかし「金色夜叉」論が目的ではない。紅葉の自然描写の巧みさにある。紅葉は「塩原紀行」で三島が開通させた「塩那街道」に触れている。


長いのでここで一服。三島県令が休止に追い込んだ高湯温泉の風景写真を。硫黄の匂いが懐かしい。また行きたいな。


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さて、尾崎紅葉。「三島県令の嘗て衆怨を懼(おそ)れず開拓せし道路と云うほどありて目覚しき工事なり。かかる広漠なる原野に此の大坦途の貫くを見る、寧ろ奇異の念あるばかり也」と感心してる。

これに対して大岡は冷ややかだ。「明治政府の土木事業に対する文士の賛嘆の情が、無邪気に現されている」。

さらに三島についてもこう皮肉る。「三島県令はこの時福島県令を兼ね、自由党弾圧で悪名高かったが、その道路建設マニヤのため、土地収奪や土木徴用の労苦を知らない後世に、美名を残したのは幸せであった」。

「しかし彼が開墾地を貫いて、塩原へ通ずる道路を敷いたのは、あながち観光のためではない」と転調する。

1つには、塩原と会津の関係を弱めることにあった。那須への道をつくることによって「新道路によって、この依存関係を逆転しようというのが、三島県令の目的だったようである」と鋭く指摘する。

反政府運動の拠点となりかねない会津の力をそぎ、あわせて自由民権運動が広まることを防ぐ。

三島は役得を顕官や軍人たちにもふるまった。「開墾地の大部分は、大山、品川等明治の顕官に安く払い下げられた。開墾はつまり軍人を潤す目的を持っていたわけで、乃木将軍もその小さな分け前にあづかったにすぎない。そして軍人達は新しい所有地に近い塩原の渓谷に別荘を構えるのを好んだ」。

皇太子(後の大正天皇)が那須を気に入ると自分の別荘を献上(今の那須御用邸)して、皇族も誘致した。

大岡は感心する。「産業道路を敷くと共に、沿道の観光地を宣伝して、輸送量の増加を図る現代的開墾計画を、三島は知っていたわけである」。

宣伝して付加価値をつけて発展させるのは、有名私鉄も取った手法だ。鬼県令は慧眼の持ち主で、金儲けと発展がイコールだとよく分かっていた。たいしたものだ。こういう人を必要とする時代もあるということか。さてこれからの日本は…。

2010年9月12日 (日)

ベニバナサワギキョウの毒々しさ・渡来種と和種

調布・野草園にひときわ鮮やかな花が鉢に植えられていた。いやでも目立つ紅色だ。名札がついていないので係のおじさんにきいてみた。


▼ベニバナサワギキョウ

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「サワギキョウ。でも日本のじゃないんだ。アメリカから来た。一鉢だけ分けてもらったんだけど、増えすぎちゃって、あの通り」と小さな池を指差した。

なるほど池には紅の花が繁茂している。

「増やそうとしたわけではなくて自然にああなった。鳥が運んだんだか、風で飛んだのか、あちこちにはびこってしまった」

「もう時期が過ぎてしおれているけど紫の花があるでしょ。あれが日本のサワギキョウ。日本のはなかなか増えなくて…」

そういわれればすごい紅色だ。在来種では、こんな色はないだろう。渡来種はけばけばしいのがあるんだ。

右の写真ではよくわからないが、グンと伸びた茎の先に紫の花がついている。手前の紅いのがベニバナサワギキョウ。和種のテリトリーにまで浸食してきている。このまま年月が経つと、池が占領されてしまうかもしれない。危うし!ヤマト。

どちらもキキョウ科で「サワ」の名の通り湿地を好む。


下の写真はメハジキ。

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茎をまぶたにはさんで子どもが遊んだことから目弾き。危ない遊びだ。眼球を傷つけたら大変なことになる。ほんとかなあ。

小さな薄紫の花がついてます。

このほかにも名前の分からない花が咲いてました。10日ほどしたらまた訪れてみよう。全く違った花が楽しめそうだ。これまでは気にもとめなかったが花の命は短い。だいたい10日もすればしおれてしまう。

受粉してくれる昆虫の数も限られているので、順番に花を咲かせて平等になるようにしているんです。自然の摂理の偉大さをこんなところからも知る。

野草園の前には、調布の里山も確認してきた。もうすっかり稲穂が頭を垂れてます。ことしは暑かったからお彼岸の頃には稲刈りになるのかな。

あっ、そうそう。15日からは敬老週間が始まる。神代植物公園は60歳以上が無料になる。うれしいね。多分、他の都立の公園も同様の措置を取っていると思います。

昭和36年のオープン以来、駆け足でしか巡ったことがない。ことしはじっくりと観察しよう。

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これは右側が空いているのでおまけの写真。

2010年9月11日 (土)

女郎花と男郎花・調布の野草園ではもう秋の七草

1週間ぶりに調布の野草園をたずねた。前回は夏と秋の花の境目だったのか、あまり咲いてなかったが短い期間でこうも変わるのか、いろいろの花を楽しめました。(2010・9・10)


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◀オミナエシ


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                            ▲オトコエシ

秋の七草オミナエシの黄色い花は今が盛り。小径の反対側には、似たような白い花が。名札にはオトコエシとある。女郎花に対して男郎花。花瓶に差しておくとどちらもいやな匂いがするので中国では敗醤。気をつけましょう。

俗説では、オミナエシはオミナメシが変化したもので女飯、黄色い小さな花を粟飯に見立てた。対して白い花なので白い御飯で男飯。というが、後からこじつけたのではないか。粟が女で米が男という理屈が分からない。

オトコメシがオトコエシに変わる音韻変化は日本語の法則にはなさそうだ。オトコエシは、儒教のせいで男尊女卑が浸透していった江戸時代にでもつけられたのではないか。

オミナエシは万葉の頃からうたわれているなじみの深い花だ。

万葉集に14首、古今和歌集にも17首ある。万葉集に「わが郷に 今咲く花の 女郎花 堪へぬ情(こころ)に なお恋ひにけり」 、古今和歌集に「をみなへし 秋の野風に うちなびき 心ひとつを 誰によすらむ」とあるように、女性へのときめきを歌った歌が多い。

女郎花の漢字があてられるようになったのは平安時代のようで、古今和歌集では女郎花と書いてオミナエシと読ませている。源氏物語にも「花といえば名こそあだなれ女郎花なべての露に乱れやはする」とあり、この頃にはすでに女郎花として定着していたようだ。

▼ムラサキツユクサ  
 

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                        ▲コマツヨイグサ

                      

とはいえ、女郎は今の語感とは正反対だ。ヲミナは美女、佳人の意で、高貴な女性をさした。それが時代とともにだんだん身近な存在になり、ついには身を売る女性になってしまった。

きみ(君)なんてのもそうだ。なんとかの君だったのが、今では目下を呼ぶときの「くん(君)」に成り下がっている。言葉は尊称が卑称に変わっていく性質を持っている。

「ヘシ」は、岩波古語辞典によると、脇へ押しやる、力を失わすで、この花の美しさが美女をも顔色なくさせる意味だ。それでこそ万葉や古今にうたわれ源氏に取り上げられる価値がある。

ついでにいうと、似ているがオミナは「嫗」で老女、おばあさん。後にオムナ、オウナと変化していく。おじいさんはオキナ。

ヲミナは、ヲウナ、ヲンナになる。ヲは小さい、ミは女性、ナは人。イザナミの「ミ」です。イザナキの「キ」は男。

大野晋先生はさすがだ。袋だたきにあった日本語の起源がタミル語という説もあながち外れてはいないと思っている。

「エシ」が「メシ」の音韻変化、なまったものというのは、どうも眉唾だった。こちらの説の方が筋が通っている。

ムラサキツユクサもコマツヨイグサもアメリカからの帰化植物。

野草園ではまだまだ他の花が咲いてます。

2010年9月10日 (金)

恋ケ窪名物「純米酒」とラーメン屋

公園を出ると目につくのが白壁の藏。「純米酒恋ケ窪」の看板がかかっている。ネットで調べると、10年ほど前に、地名にちなんだ商品をと酒屋さんがつくったようだ。

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右手を見ると中華料理一葉松の赤い看板が飛び込んできた。夙妻太夫の墓があり、一葉松が植えられている東福寺の門前にあるので店名にしたようだ。特に太夫にちなんだ料理が料理を出すというわけでもなさそうだ。

この2つが、ちょっとだけ「観光地」の雰囲気を醸し出している。

ここを訪れるのには国分寺で降りてもいい。北口から西へ向かい「だんごの輪島」をすぎて、なおも行くと日立中央研究所にぶつかる。その南側が遊歩道になっている。右手は研究所の雑木林、左手は中央線。

塀にそって進むと姿見の池遊歩道になる。西国分寺駅からは逆の方から公園に入ることになる。


紅葉の季節には中央研究所の庭園が市民に開放される。ことしは11月21日(日)、年に2回だけ野川の源流が見られる。もちろん、武蔵野が保たれているので、のんびりするにはいい機会だ。

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2010年9月 9日 (木)

悲恋の舞台「恋ケ窪」に宿る言霊・国分寺

「自分の恋を知った時、道子の最初に感じた衝動はそれを抑えることであった」(大岡昇平「武蔵野夫人」)ーー。

同名の溝口健二監督の映画で、恋ケ窪の地名をきいて、人妻の田中絹代のうろたえ方が新鮮だった。古代から、この地には男女を引きつける何ものかがあるのだろうか。土地の霊、あるいは言霊、そういった神秘さを宿した土地だったようだ。磁場、はやりの何とかスポットなんだ。


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大岡昇平も言葉の響きに惹かれ、溝口監督も押しとどめてきた心に、許されぬ恋が突き刺さる山場にした。

悲恋の伝説は鎌倉時代のこと。ここには鎌倉街道の宿駅があった。8月3日のブログ「古代の道はこんなに広いぞ!」で扱った東山道武藏路は、府中からまっすぐに北上、国分寺の脇を通って、姿見の池をかすめていた。

ここから先は、見渡す限りの原野だった。ここで休まないと、所沢あたりまで野っ原が続く。馬に水をやる必要もあったので宿駅が設けられたのだろう。

悲恋の主人公は、遊女の夙妻(あさづま)太夫と坂東武者の畠山重忠。太夫に横恋慕した男が、重忠は西国で討ち死にしたと告げる。

嘆き悲しんだ太夫は、近くの姿見の池に身を投げてしまう。池の命名は遊女たちが朝な夕なに自分の姿を映していたからともいうが定かではない。

当時の遊女は芸にもすぐれ教養もあった。身を売るよりも芸を売る側面の方が強かった。源義経を慕った静御前は白拍子として育てられた。遊女です。夙妻と静は同時代の人。決して身分も低くはなかった。

そしてこの土地の名前が恋ケ窪。池の恋からとったというが、それでは味も素っ気もない。遠い記憶に2人の悲恋があり、地の霊がかすかな思いを呼び起こしたとした方が、しゃれている。

おそらく高度経済成長期に湧水も涸れ、恋ケ窪用水からも濁った水しか流れ込まなくなってしまった。しかし最近になって、東京都の緑地保全地域に指定され、復元工事が行われて景観を取り戻した。

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◀姿見の池、前回の写真とは反対から撮った


姿見の池は中央線西国分寺駅の横を通っている府中街道を渡ったところ。改札をでて5分くらいです。坂を下っていくと用水があるのですぐ分かります。

近くの東福寺には、太夫の塚に植えたという松の3代目が植えられている。人呼んで一葉(ひとは)松。普通松の葉は2本に分かれているが1本で実らぬ恋を象徴している。


☆畠山重忠 長寛2(1164)〜 元久2.6.22(1205)  源頼朝に臣従して治承・寿永の乱で活躍、知勇兼備の武将として名高い。しかし、頼朝の没後、初代執権北条時政の謀略によって謀反の疑いをかけられ、一族とともに滅ぼされた(畠山重忠の乱)。その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された。

2010年9月 7日 (火)

溝口健二監督の映画「武蔵野夫人」と恋ケ窪・国分寺

田中絹代と片山明彦が武蔵野を散策する。ハケ(国分寺崖線)の下から湧きだす地下水をたずね、湧き水を集めて流れる野川のほとりを歩く。2人はなおも野川の源流を目指す。それは中央線の線路の北側にあった。(小説では湧き水のスポットは小金井の貫井神社)。

2人は人妻道子と年下の従兄弟勉。夫とうまくいっていない道子は、復員した学生の勉に惹かれるものを感じている。

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◀姿見の池にそそぐ恋ケ窪用水


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              ▲姿見の池


小川を逆にたどって恋ケ窪に至ったとき、勉が野良仕事をしているおじさんに尋ねる。「ここは何というところですか?」「恋ケ窪さ」。

言葉の響きに胸を突かれる田中絹代。人妻なのにうろたえてしまう。恥じらいの表情がかわいい。映画が作られた1951年には41歳というのに…(小説の設定では29歳)。

大岡昇平の小説では、こうなっている。

「『恋』こそ今まで彼女の避けていた言葉であった。しかし勉と一緒に遡った一つの川の源がその名を持っていたことは、道々彼女の感じた感情がそれであることを明らかに示しているように思われた」。

「彼女はおびえたようにあたりを見回した。分かれる二つの鉄路の土手によって視野は囲われていた。彼女はここに、つまり恋に捉えられたと思った」。

恋には落ちるが2人は結ばれない。道子が許さないのだ。小説では接吻はさせるが映画では唇さえ与えない。

監督の溝口さんはこの頃、絹代さんに惚れ抜いていたから、そのせいなのか。

それとも道子の夫と浮気をする「戦後的」な轟由起子と対比させるためだったか。

撮影ではどのへんをロケしたのだろう。製作は東宝だから、撮影所のある砧から武蔵野は近い。雑木林や小川、庭の広い郊外住宅、庭先を流れる小川など武蔵野の風景がふんだんに登場する。

多摩を散歩している身にとっては、子どものころの原風景が画面に再現されるだけでも価値がある。

次回は恋ケ窪界隈ををたずねる。

2010年9月 6日 (月)

DVD「麦秋」「お茶漬けの味」「武蔵野夫人」なんと380円

吉祥寺駅南口の小さな本屋に寄った。500円DVDは値崩れして380円、さらにアカデミー受賞作、西部劇、戦争映画特集などが10枚組で1600円と信じられない価格。1枚160円だ。

もちろん版権の切れた作品ばかりだ。いくら版権が切れていると言っても、これではほとんど利益が出ないのでは。

外国映画ばかりで、さすがに邦画はないだろうと思っていたらワゴンに積んでありました。

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小津安二郎、溝口健二の作品が、あろうことか380円。超特価のシールが張ってある。ひっくり返して定価を見ると1800円。バッタ商品としてセコハンの流通に乗ったのだろう。いずれも製作から50年以上が経過して権利が切れているので、正規品の半値くらいになるのは分かる。

でも380円とは、いろいろと考えさせる。

販売元はコスモコンテンツ。50年を経過した黒沢作品を販売して裁判で敗訴した会社だ。黒沢は権利が持続して、小津、溝口は切れているらしい。

以前には1000円で売っていたような気がする。それでも大量の在庫がでてしまったので、処分に踏み切ったのか。卸値は半値以下。へたすると100円を割っている。(アマゾンで見ると991円、「東京物語」「晩春」もある。松竹のものは3990円)。

牛丼の値段だ。もし、小津さんや溝口さんが見たらどう思うんだろう。

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複雑な気持ちを抱えながらも買ってしまった。「武藏野夫人」のロケ地を確認したかったためだ。ハケのどこで撮影したのか。昭和20年代の武蔵野の風景がとらえられているはずだ。今となっては貴重な風景だ。

他の作品もあったが、とりあえずビデオで持ってないのを選んで、そそくさと店を後にした。悪いことをしてるわけではないが、後ろめたさは拭えない。

2010年9月 5日 (日)

話題の高知もあるぜよ・吉祥寺にあるアンテナショップ

熊本県のアンテナショップ「熊本県物産センター」をのぞく。パルコの横の路地にある。


時々、辛し高菜やゆずこしょう、ふりかけなどを買う。ふりかけ「御飯の友」は、全国ふりかけ協会認定の元祖で、大正時代に作られたそうだ。いりこが入っていてカルシウムたっぷり。食卓に常備してある。

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名産の豆腐の味噌漬けは、ちょっと甘ったるくて、わが家では受け入れられなかった。川海苔は風味がいい。


今回は違うのにした。アミみたいなエビが入ってるやつとヒジキのふりかけ。

「えびふりかけ」のパッケージには「おいしい海苔がたっぷりはいってます」とコピーが添えられていた。熊本市画図(えず)町の通宝海苔が販売元。「ひじきふりかけ」はちりめん入り。宇土市の日本業務食品が製造元。

えびが680円で、ひじきは350円。骨粗鬆症予防のためにも、せっせとカルシウムを摂らないとね。

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                           ☆

ちょっと涼もうとパルコに入ったらB1のHMVがしまってて工事中だった。渋谷と同時に閉店したのか。CDが売れないんだ。(娘にきいたら渋谷より先に閉めたそうだ)。

以前プロダクションの人間に訊いたら「好きな曲はダウンロードしてしまうのでアルバムが売れない。それではもうからない」と嘆いていた。

もうアルバムのコンセプトなんてことは古いのか。まあ、いらない曲も多いけどね。


公園通りを横切って中道通りを三鷹方面にやや歩く。左手にあるのが「高知屋」。ここは野菜が豊富だ。店先にいっぱい並べられている。

東京でネギが高かった時に、安いなと思ったことがある。さすがにネギがはみ出した袋を下げて電車に乗る勇気はなかった。かわりにバッグに入る根ショウガを買った。

収穫の時期が東京近辺よりも早いので、結構重宝する。季節の先取りなんだけど高くない。鮮度もいい。

銀座1丁目の「まるごと高知」は県が運営しているが、こちらは高知県物産販売という会社がやっている。買い物ついでに土佐の新鮮な野菜を買ってもらおうとのコンセプトのようだ。


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2010年9月 4日 (土)

地デジ化率80%は眉唾の数字・ホントはもっと低い?

ひと月ぶりに吉祥寺に行った。2台目のテレビもデジタルにしないといけないのでヨドバシカメラで値段調べ。22㌅でいいんだけど5万から8万近くする。

ここはもとはデパートの近鉄だった。近鉄裏なんて言葉があってピンク街だったが、今ではすっかり趣を変えた。


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総務省はデジタルの普及率80%とかいってるが、実際はもっと低いらしい。特に東京はUHFのアンテナを立てていない家庭が多いので、なかなか進まない。

地方はもともとUHFで受信しているので、その手間がかからない。(アンテナ線をデジタルにする作業はいらないのか。それは分からない。録画機器との配線はデジタル用にした方が画質がいいらしい。あいまいですみません。電器屋で確認してください)。

東京の普及率は50%くらいというのが実情らしい。来年になるとアンテナ工事が込み合いそうだ。

わが家の2台目は、ケーブルテレビに加入してるので、アナログテレビでデジタルを見てます。デジタルを買ったらケーブルはやめる予定。

アンテナ設置には5万円は必要だし、そうでなければケーブルテレビやフレッツ光とかに加入しないと見られない。毎月、何千円とかを払うのもばかばかしい。多チャンネルを見ないならアンテナをつけた方が結果的に安上がりだ。1年半くらいで元は取れる。BSアンテナもつけると、もっと費用がかかるので、元手回収は2年以上かかる。

フレッツ光だとブロードバンド、電話回線、デジタルテレビ加入で月約8000円。1年で96000円。10年で96万。いい値段だ。

あっ、そうそう。スカイツリーができたら、アンテナの角度を変える必要があるかもしれないと電器屋が言っていた。政府は大丈夫と言ってるらしいが、その時になってみないと分かりません。お役人の言うことは信用できないからね。

もし映りが悪くなったらアンテナ屋にやってもらわなければならない。

ヨドバシカメラの8階はレストラン街になっていて、まだ「ちゃんこダイニング若」がある。春に倒産のニュースが流れていたが、ここはのれん代だけ払っているらしい。

両親がお兄ちゃん若乃花のファンで、一度は食べたいというので連れて行ったが、おいしいちゃんこを食べたいならやはり両国に行った方がいい。

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撤退した伊勢丹の前を通ったらアイリッシュバンドが演奏していた。John John Festivalというらしい。「ダニーボーイ」とかアイルランド民謡は日本でもおなじみ。ケルトのマインドには郷愁をそそるものがある。

専門店街は営業しているので、そのアピールで演奏しているのだ。10月中旬にはコピス吉祥寺として専門店が入る。書店のジュンク堂ができるのはいい。新宿まで探しにいかなくてもよくなりそうだ。

2010年9月 3日 (金)

すすきが穂を・深大寺周辺/イチジクは8個で300円

昼間は相変わらずですが、夜風がやや涼しく感じられるようになって来た。

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太平洋高気圧が東に移動すればいいんだが、居座って動かない。台風の力を持ってしても遠慮して西の端を通るしかない。いつになったら動くんだろう。

秋の兆しはないのかと、神代植物公園のグリーンギャラリーをうろついた。ここでお得な情報。15日からは敬老週間で、植物公園は60歳以上は無料です。10月1日は都民の日で入場無料。ぜひどうぞ。

グリーンギャラリーはいつでも無料。野草が中心だ。閉鎖されている事務所の脇にススキが穂を出していた。

なんという種類なのだろう。

夏はまだ続いているが、日照時間で判断する植物は秋が来たと思っているのだろう。

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ヤブミョウガはほとんど花が散って実をつけていた。自然は猛暑にもかかわらず時を刻んでいる。

でもやっぱり、ひと雨来ないかな。遠出の散歩もしたいんだけど、炎天下を歩き回る気にはならない。暑さに負けないように夕飯はレバー炒めだ。

帰りに農家の庭先販売所に寄った。ぶどう一房をバッグに入れる。ぶどう狩りもやってるんです。甘くて味が濃い。甲州とは品種が違う。「高雄」とか書いてあった。800円。

横にイチジクも置いてあった。小振りだが8個入って300円。「ねっとりとしてておいしいよ」とおじさん。


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よし、今夜のデザートは、ぜいたくだ。

イチジクは、おじさんのいう通り「ねっとり」してました。ネバネバが苦手な人にはどうなんだろう。

2010年9月 2日 (木)

文革の恐怖と戦った日本人・「孫玉福」39年目の真実

「あの戦争から遠く離れて外伝」とサブタイトルがついている。娘の城戸久枝が、中国残留孤児として養父母に育てられ、文革の嵐を生き抜き、ついに帰国を果たした父・城戸幹の半生を描いたのが「あの戦争から遠く離れて」。大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞して評判になり、NHKが「遥かなる絆」としてドラマ化した。

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ドラマについては1月28日のブログで触れた。よろしかったらこちらを見てください。

城戸幹、中国名孫玉福が自らの半生をつづったのが、この「『孫玉福』39年目の真実」(情報センター出版局)だ。

すぐに読まなければと思っていたのだが、乱読なのであちこちに行ったり来たりして、ようやく手にした。

城戸さんが祖国の土を踏んだのは1970年。日中国交回復の2年前だった。だからまだ残留孤児の言葉はなかった。残留孤児の集団訪日調査が始まるのは、11年後のことだ。

日本赤十字に手紙を出しつづけ、その苦労が報われたのだ。当時、日本に国際郵便を出すことさえ、ある種の危険が伴っただろう。

子供のころ「小鬼子」(シャオダイズ)とからかわれた城戸さんに「恐怖」がまつわりつくようになったのは、文化大革命のころ。城戸さんは、自らのアイデンティティを確立するために日本国籍を選択した。そのために、大学もすべて不合格になった。

労働者として働くが、文革の嵐が襲う。いつつるし上げにあうのか、へたをすれば殴り殺されたり、公開処刑されるかもしれない。

この恐怖によく耐えられたと思う。

「1965年1月頃から、公社組織部の人が数回、託運公司に来ていた。『小車隊』の邱の話だと、私のことを調べに来たというのである。よくあることとはいえ、私はやはり注意が必要だと感じた。1960年から日記をつけていたのだが、この1月からおよそ2年間、日記をつけないようにした」。

1966年8月、紅衛兵の「100万人集会」を毛沢東が謁見。紅衛兵など造反派同士の武闘も始まり、文化大革命は、無政府状態の内乱へと様相を変えていた。

「工場長の汪富が、『打倒日本帝国主義』『打倒日本鬼子』のスローガンを掲げ、私を吊るし上げ批判しようと言い出したらしい」(67年のこと)。

公安の尾行は当たり前。69年、親しくしていた日本人女性の高橋さんが、「政治学習」のため刑務所に連れて行かれた。

「その晩、私は日記をチェックして、気になるところを全部焼き捨てた。父からの手紙もチェックし、父の軍人履歴部分も焼いた」。

日本では全共闘運動がピークを迎えていた。「造反有理」など紅衛兵のスローガンも使われた。言葉だけの移入で、内実は伝わらなかったか目をつぶっていた。個人的にも「造反有理」に理があると考えていた。破壊が創造につながると思い込んでいた。


「その夜、私はぐっすり寝ていたが、夜中にトイレに行きたくなって目が醒めた。…。『ん!?』ふと窓の外を見たとき、私は驚愕した。窓ガラスに人影が映っている。顔がガラスにぴったりついているためか、霜が融け、紛れもなく人の顔が見えた」。

この恐怖と不安。日本人は、いつ「三特」(米国、日本、ソ連のスパイ)にされるか知れない。日本人に生まれたというだけで味わう底知れない恐怖。よくぞ耐え抜いたものだ。

文革については、映画やノンフィクションでさまざまなことを教えられた。ただ、日本人が体験した民衆レベルでの文革の実相を明らかにしたことでも貴重な証言となっている。

2010年9月 1日 (水)

11万㎡!広い福島市の民家園をお散歩

福島を訪ねたのはお盆の前だった。うちは送り火も焚かないし、馬も作らないーと友人。その中で、竹飾りをするところもあるとの話だった。どういうものなのか。きちんと見たことがないが、それっきりで別の話題に移った。

福島は盆地なので暑い。日中は東京と変わらない。少しは涼しいかと森の中にある民家園に行った。県営あづま総合運動公園の一角にある。この公園も陸上競技場、球場、ピクニック広場、ヤマユリ群生地などがあって、なんと100ヘクタールもある。

民家園も森の中に古い民家が移築されていて、11万㎡もある。小金井公園の江戸東京たてもの園の約1・6倍。散歩にはちょうどいい。

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最初に旧小野家住宅に入った。明治6〜7年に建てられた県北地方の代表的な養蚕農家。土間から入ったら居間に盆飾りがしてあった。

なるほど竹が置かれて提灯が下がっている。なすで馬も作ってある。なるほど、こういう飾りをするのか。時節に合った各種の年中行事を再現しているそうで、手間がかかっている。こういうのはありがたい。

次に向かうは旧広瀬座。明治20年建築の芝居小屋だ。回り舞台で奈落も設けてある。国指定の重要文化財だ。

昭和30年代後半、高校で通学した立川南口にも、芝居小屋を転用した映画館が残ってた。ます席は椅子に変わっていたが、ちょっと高くなった桟敷席、そして、仕切りの手すりは残っていた。確か、錦座といっていた。今は何になっているのか。

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伊達郡梁川町(現伊達市)の広瀬川沿いにあったものだ。伊達、広瀬川、何か匂いませんか。

福島市のシンボル信夫山(昔相撲取りがいました。栃若時代だったか。伊達市の出身です)は、そこだけ高くなっているので、町中のどこからでも見える。

別名が青葉山。伊達氏が鎌倉の初めに最初に土地をもらった桑折(こおり)の方からも、よく見えるのか。仙台に移った伊達氏が、先祖の地を忍んで広瀬川や青葉城を名付けたのか。

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