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2010年8月10日 (火)

月窓寺と俠客小金井一家・プロローグ・吉祥寺

吉祥寺に行ったら先祖の墓に参らなければならない。江戸時代から続いているが、じいさんとばあさんしか知らない。本家は五日市街道沿いにある。街道の開拓にどこからか応募してきたのだろう。玉川上水からも遠く、水の乏しい地域だ。苦労したんだろう。

墓があるのは駅から最も近い月窓寺。北口から歩いて5分もかからない。商店街の左手に変わった門が立っている。これが入り口だ。

Cimg0433

境内は結構広い。もともと寺があって後から駅ができたのでこうなっている。駅前商店街の土地をかなり持っている。地代が入るので「お布施は気持ちだけでいい」といわれるそうだ。

吉祥寺が開かれたのは江戸も初期のこと。本郷にあった吉祥寺(再度の火事で駒込に移転)の門前町が明暦の大火(1657年)で焼け、当時牟礼野と呼ばれていたここへの移住者を募った。


本郷の門前町だから、移住したのは町人か。彼らは開拓農民になったのか。それとも五日市街道沿いで何か商売を始めたのか。我が家は明暦の大火とは関係なさそうだ。

その時に月窓寺、安養寺、光専時、蓮乗寺も移ってきた。吉祥寺は焼けなかったので移ってきません。

明暦の大火では神田の連中は三鷹に移る。須田町や連雀町にいた人びとは三鷹の下連雀に移った。すでに玉川上水も開通していたので、幕府も積極的に移住を奨励したのだろう。


月窓寺の檀家の中心は本郷から移った人たちだ。

Cimg0425

本堂の左側に墓地はある。うっそうと木が繁り、とても駅前とは思えない。宗教法人だからいいが地価はいくらになるのか。数億円ではすまないだろう。ゼロが1つつくのか。

オヤジが言っていた小金井小次郎の墓を探そう。

いきさつについては4月8日の「野川沿いを歩いて俠客の墓へ③」で触れた。興味のある方は参照してください。

続きはこちら。四軒寺一家初代の墓を探します。

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