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2010年8月20日 (金)

やりたい放題!「高湯温泉」を営業休止に追い込んだ三島県令

硫黄の匂いが温泉街一帯に充満して、福島に来るたびに通っている高湯温泉は古くから知られ、温泉宿として整えられたのは江戸時代の初めだという。

そんな高湯温泉に危機が2度訪れた。初めは戊辰戦争。米沢藩兵によって全焼したのだ。でも、焼けたら建て直せばいい。苦労して再開したのもつかの間、お上の命令が下った。

許可したのは悪名高き三島通庸(みちつね)県令だ。薩摩の出身で大久保利通の腹心。今の知事。権力は絶大だ。維新の敵、奥州の民衆のことなんて少しも考えていない。

そのころ知事や高級官僚の官舎は、ふもとの庭坂に置かれていた。


Cimg0526


明治17年(1884)、三島は高湯の湯をふもとまで引く許可を出した。「高湯ー庭坂疏泉工事」だ。写真は源泉から各宿に湯を送っているパイプなどです。この樋、あるいはパイプをふもとまでつなげたんですな。高低差があるから工事は川沿いにパイプを延ばして行けばいいので難しくはない。

だが、湯量の問題がある。各宿への引き込みは禁止されてしまった。温泉がなければ成り立たない。こうして高湯温泉の営業は休止に追い込まれてしまった。

庭坂はどうなったか。県令や部長、警察部長らの官舎が建ち並び、温泉歓楽街も作られた。温泉街は中央から視察に来る役人たちの接待に使われ、県令らは2頭立ての馬車で県庁まで通った。

三島は温泉好きだったようで、庭坂から飯坂温泉まで、ほぼ一直線の飯坂街道もつくっている。高湯から直接、湯を引けば両方の温泉が楽しめる。


Cimg0530_3


もっとも、ただ官舎まで温泉を引くのでは理由にならない。大義名分をつくった。福島ー米沢を結ぶ万世大路の開通で庭坂がさびれてしまうため温泉を引いて復興をはかるというのだ。

民衆のためといいながら自身の満足を第一に考える。政治家というのは変わらないものです。

その万世大路にしても、ほぼ地元の負担により開削されたものだ。強制労働、工費の強制徴収、土地の強制収用という過酷なものであった。未だ反抗的な旧庄内藩士やロシアを意識した軍用道路の側面もあった。

「土木県令」三島の横暴をあらわした1つの例だ。

三島のやりたい放題はままだまだ続く。

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