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2010年8月22日 (日)

麻生太郎元首相は、三島通庸の孫の孫、鬼県令の華麗なる一族

怨嗟の声には全く耳を貸さずに三島県令(知事)は土木事業まっしぐら。宿敵・福島自由党の弾圧にも成功した。鼻高々だったろう。

福島県令だった三島通庸については、「やりたい放題『高湯温泉』を営業停止に追い込んだ三島県令」「自由党をぶっつぶせ!鬼県令の徹底弾圧・福島事件」で触れたので参照してください。

とはいえ、三島通庸はなかなかのやり手だった。東京府庁に出仕した時には、3年の予定だった市内の調査測量をたったひと月で完了してしまった。

東京銀座が大火で消失した際には、洋風建築での再興を主張した。時期尚早と周囲は猛反対したが、彼は自説を押し通した。こうして銀座煉瓦街が出来上がったのだ。先見の明も持っていた。


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でも、山間の温泉宿を営業休止にしてしまうことなどは何とも思わなかった。勝てば官軍、奥州の民衆のことなどは、毛ほども考慮していなかったのだろう。

こんなこともあった。教部大丞に任じられた時のこと。伊勢神宮の東京移転を計画し、その意義を滔々と語っていたという。さすがにこれは実現しなかった。

三島の辣腕をみこんだのが時の権力者、薩摩の大久保利通。酒田県を皮切りに東北の県令に任じ、まつろわぬ民衆を平定し大久保の覚えはますますめでたくなった。1887年(明治20)には子爵を授けられた。

やがて三島の次女峰子は、大久保の次男牧野信顕伯爵に嫁いだ。閨閥もしっかりとつくられた。2人がもうけた雪子が嫁いだのは吉田茂。

吉田茂の孫が麻生太郎というわけだ。まさに華麗なる一族。

いかに明治の世に、薩長が横暴だったにしても、ここまで強引に事を進めた県令はいなかった。そのため明治を語る時には欠かせない人物になった。

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