フォト
無料ブログはココログ

« エプロン姿がかわいい内田裕也・チューボーですよ | トップページ | 古代の道はこんなに広いぞ!幅12㍍・東山道武藏路 »

2010年8月 2日 (月)

湧水群となりの薬師堂にも寄ってみよう・国分寺

真姿の池湧水群を出たら西側の現国分寺にも寄ってみよう。医王山最勝院国分寺といい、新義真言宗のお寺だ。境内には万葉植物園が設けられ、崖下にあるので、ここからも清水が湧いている。水量は少ない。

Cimg0381

横にある薬師堂が深閑としていて趣がある。急な階段をのぼると立派な仁王門が構えている。国分寺崖線の雑木林の中につくられているので、深山に迷い込んだような錯覚に襲われる。

この奥に薬師堂がある。立てられたのは建武2年(1335)というから古い。建武の新政下、鎌倉攻めで覚えめでたい新田義貞が寄進したと伝えられている。

もともとは国分寺の金堂跡付近に建立されたというが、その後、亨保元年(1716)に修復、宝暦年間(1751〜1763)に現在地に再建された。

とはいえ、義貞の信仰心を褒めてばかりもいられない。国分寺を焼き払ったのは新田勢だからだ。

義貞は元弘3年(1333)5月、上野の国新田庄で挙兵した義貞は一路南下、小手指が原、久米川で優勢に戦いを進め、分倍河原まで進出した。ここを落とせば鎌倉は目前だ。

Cimg0383_2


ところが幕府方の援軍に打ち破られて狭山の掘兼まで一度は撤退した。この時に国分寺を焼き払ったのだ。だから薬師堂を再建したのは罪滅ぼしにしか過ぎない。

このあと義貞は再び分倍河原で合戦、寝込みを襲われた幕府側はちりぢりになって敗走した。こうして稲村ケ崎を突破して鎌倉に入り幕府は滅亡した。「稲村ケ崎名将の…」と歌われているのはこの時のことだ。

戦火で国分寺が焼けた時に、奇跡的に持ち出されたのが薬師堂に収められている薬師如来。平安時代の末期、あるいは鎌倉時代初期の作と考えられる国指定の重要文化財だ。正式には「木造薬師如来坐像」で、大正3年に重文に指定されている。

毎年10月10日に開帳される。

この薬師堂の裏手がひっそりとしていいんです。

四国八十八所巡りの石仏群が風雪に摩耗しながらも静かに並んでいる。横に八幡様があるので、ベンチに座ってひと休み。今回は国分寺跡方面ではなしに、西国分寺駅を目指す。


Cimg0386

« エプロン姿がかわいい内田裕也・チューボーですよ | トップページ | 古代の道はこんなに広いぞ!幅12㍍・東山道武藏路 »

中世史」カテゴリの記事

国分寺市」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1320081/35969509

この記事へのトラックバック一覧です: 湧水群となりの薬師堂にも寄ってみよう・国分寺:

« エプロン姿がかわいい内田裕也・チューボーですよ | トップページ | 古代の道はこんなに広いぞ!幅12㍍・東山道武藏路 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30