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2010年8月21日 (土)

自由党をぶっつぶせ!鬼県令の徹底弾圧・福島事件

官舎が建ち並ぶふもとの町に温泉を引き、そのために高湯温泉を営業中止に追い込んだ三島通庸(みちつね)県令(知事)。そのいきさつは前回書いた。

ふもとへの引き湯が停止されたのは明治31年(1898年)になってからだ。実に14年も高湯温泉は営業できなかったのだ。恐るべし薩長の権力。横暴。

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今では共同浴場「あったか湯」がつくられ、その上は足湯が楽しめる公園になっている。福島市内が一望にできる絶景ポイントもある。

三島県令は、土木事業が大好きで自由党が大っ嫌いだった。

それをあらわす有名な言葉がある。「それがしが職にあらん限りは、火付け強盗と自由党は、絶対に頭をもたげさせません」。あるいは「火付け強盗と自由党は管内に1匹もおかぬ」。三島はこう大見得を切って福島に赴任、公約通りに自由党をぶっつぶしてみせた。

山形県令の時に河原を埋め立てて新庁舎を建てた三島の土木熱は、福島でも燃え盛った。明治15年(1882)、福島県令に就任するや、会津三方道路(会津若松から新潟、山形、栃木)の開削に着手した。

税金を使って建設会社に請け負わせるのなら問題はない。県民を強制的に徴発しての労役奉仕だったからたまらない。しかも、道路建設は、家も畑も踏みつぶしてまっすぐに突き進んだ。

労役に応じられない県民からは罰金をとった。金のない家からは家財を強制的に取り立てた。こうして自殺者が出たり、娘を売るしかない人もあらわれた。

このころ国会開設を求める声が全国に広まり、自由民権の波が大きなうねりとなっていた。三島の暴挙に憤激した農民千数百人が会津盆地の一角に集まり、警察署にデモを掛けた。

そのとき、窓ガラスに投石した者があった。「しめた!」とほくそ笑んだのは三島。「凶徒嘯集(しょうしゅう)罪」で自由党員と同調者約2000人を根こそぎ逮捕してしまった。

もちろんリーダーの河野広中らも獄につながれた。ここに福島自由党は息の根を止められてしまった。

後に福島自由党の青年志士たちは、神田小川町の警察署を襲うダイナマイト事件を起こし、栃木県令となっていた三島の暗殺を計画する。首謀者の1人が河野広躰(ひろみ)、広中の甥だ。

計画は事前にもれ、彼らは爆弾150個を担いで茨城・加波山に立てこもる。同志よ決起せよ!と参加を呼びかけたが、馳せ参じる同志はいなかった。

(福島事件など自由民権運動については「日本の百年2わき立つ民論」(ちくま学芸文庫)に詳しい。「福島県の歴史散歩」(山川出版社)も参考にした)

三島県令については、次の日付でも触れてます。


鬼県令三島通庸は塩原温泉の恩人 10/09/13 記事
栃木県庁を栃木から宇都宮に移転したのも鬼県令の鶴のひと声 10/08/23 記事
麻生太郎元首相は、三島通庸の孫の孫、鬼県令の華麗なる一族 10/08/22 記事

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