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2010年8月27日 (金)

暗殺された会津討伐の先鋒・福島市内散歩

一宿一飯の恩義もあり福島市内の友人の菩提寺で墓の掃除をした。裏手は阿武隈川、もとは福島城だった県庁にも近い。

長楽寺。もともとは越後にあったが、上杉の会津への国替えで1600年に移ってきた由緒ある寺だ。福島城代の本庄氏ゆかりの寺で、中興の祖本庄繁長の墓所がある。

山門を入ると苔むした碑がある。左手が「浅草屋宇一郎の碑」、もう一つが「仙台藩烏天狗組の碑」。

なんだっけ?「世良修蔵暗殺を手引きした岡っ引き」と友人。随分昔に、なんかそんな本を読んだ記憶がある。

Cimg0539

司馬遼太郎「斬殺」だ。「その結果、『う一』という者が、協力することになった。う一は子分を百人持つという博徒で、福島藩の御用をつとめているとはいえ、その生まれ在所は仙台藩領大河原であることから、
—ーいのちがけでやりやす。
と、その日から活動を始めた」。

その「う一」で、仙台藩などに会津攻めを促すためにやってきた参謀の一人、世良修蔵暗殺のために動静を探った。

その夜、世良は妓楼「金沢屋」に泊った。仙台藩士たちが宿を取り囲み、全裸の世良を取り押さえ、斬って捨てた。

金沢屋も長楽寺からは近い。

世良の碑は、稲荷社の隅に建てられている。

Cimg0520

「長藩世良修蔵霊神」。神になっている。とは言っても目立つ場所には建ってない。拝殿の裏、西北の角だ。神にしなければならなかった福島藩の心情を思う。

「斬殺」で司馬は世良を軽輩として描いている。官軍の威を借りただけで、ために暗殺の事態を招いたとしている。奥羽諸藩が快く思わなかったのは事実だろう。

世良の墓は桑折(こおり)の無能寺にある。

「烏天狗組」は会津攻めに際して立ち上がった義勇軍。といえばかっこいいが、烏合の衆だったようだ。戊辰戦争で敗れた残党が福島城下に乱入して放火、4人が討たれた。

それでも碑を建てている。福島の人間は人がいいんだか、したたかなのか。


Cimg0517

立派な稲荷社。拝殿の右後ろに世良修蔵の碑がつくられている。中には入れないように、しっかりと囲いがしてある。まだ、悪感情を抱いている人がいるんだろうか。

周囲は木立に囲まれているために、こんなに明るくありません。もっとじめじめとくらい感じです。明るく見えるのはデジカメのせいです。


写真は柵の間から撮ったもの。

確かに「霊神」になってます。まあ神として祀って、たたらないようにしてるんですね。

Cimg0521

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