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2010年8月 3日 (火)

古代の道はこんなに広いぞ!幅12㍍・東山道武藏路

車が通らないからキャッチボールもできます。幅が12㍍、まっすぐに伸びています。こんなに広い道が、どうして発想されたんだろう。この道は東山道武藏路。武蔵国分寺跡の北側から中央線の手前まで続いてます。

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右側、街灯のそばをライトバンが走ってます。車道です。

前方、かすかに見えるのは日立中央研究所の森です。右側は武蔵国分寺公園。バードウォッチングのできるいやしの散歩道も設けられています。

道の左右に色違いの線が引かれてます。これは側溝の跡。排水もちゃんと考えられてるんです。

武藏路は東山道の支線です。上野の国新田庄から府中までまっすぐに下ってる。当時は、東海道は相模から房総半島へと船で渡るルートだった。

江戸は寒村で、房総半島を通って浅草辺に至るのが交通路だった。だから東京湾沿いに官道を作る必要もなかった。海岸沿いの道は、湿地でもあり多摩川などを渡るのにも困難が伴った。

だからぐるっと大回りして信濃、下野を通って武蔵に入ったんです。この道が作られたのは7世紀の後半とされている。645年の大化改新からそれほど経ってません。少なくとも、その頃には整備が始まったようだ。

東山道は、7道あった都と地方の国府を結ぶ古代の幹線道路の1つ。同時に行政区域の名称でもあった。だから武藏の国は東山道に属していた。

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東山道から東海道に所属替えが行われたのは宝亀2年(771)のことだ。


それにしても広い。旧東海道や旧日光街道などが残っているが、比べ物にならない。箱根にある旧東海道なんて駕篭がすれ違えるくらい。昔の道はその程度という認識があるから、この広さには驚かされる。

牛車や馬車などがゆったりと通れるように構想されたんだろうか。古代の人はびっくりしたことだろう。律令国家の威信が隅々にまで浸透したことだろう。

近在の農民たちが工事に動員されたのだろうが、建設費もバカにはならなかった。そんな財力も持っていたのか。

国の威信を末端にまで行き渡らせるには土木工事が一番というのは昔も今も変わらないのだ。しかし11世紀の前半には道としての機能を失ったと考えられている。

東海道の方が重要になったのか。南武蔵の勢力が衰えたためか。

でも新田義貞は、ほぼこの道と同じようなルートで鎌倉を目指したのは確かだ。南は国府があったと考えられる大国魂神社のあたりよりも西の高安寺辺まで達していたらしい。この先はもう分倍河原だ。

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話変わって、この墓地は本多家のもの。現武蔵国分寺の横を占めている。全部が本多家だ。真ん前も墓地なのだが、この辺を切り開いた本多さんは特別な存在なのだ。

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