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2010年7月 7日 (水)

伊藤左千夫の墓と「野菊の如き君なりき」その3

伊藤左千夫の原作では、舞台は矢切の渡し(江戸川の渡し場)近くの村だったが木下恵介監督は信州の北部、千曲川の流域に広がる善光寺平に変えた。

主人公の政夫(田中晋二)が住む旧家は、大船撮影所内に敷地600坪を使って建てられた。経費は370万円、今なら1億円は下らない。黄金期の日本映画はなんと贅沢なことか。

「『二十四の瞳』と同様に、ここでも風景が人間と同格の主役で、悲痛な結末に終わる物語の背景は、対位法的にあくまでも美しいものでなければならない、と考えられたに違いない」と長部日出雄氏。(「天才監督木下惠介」、新潮社)。

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(あまりに蒸し暑いので涼しい写真を入れます。三鷹市の都立野川公園。きのう(6日)涼を求めにいったら、湧き水広場で小川に浸かって裸足で遊んでいる母子がいました。顔を洗ったら冷たくて気持ちがよかった。公園の中は風が通って涼しいんです)

木下監督が求める理想の風景での撮影は、千曲川流域の二十数カ所に及んだという。善光寺門前の旅館「藤屋」を拠点にしたスタッフ、キャストは、撮影よりも移動に時間がかかった。

これも贅沢だ。こんな撮影方法をしていたら日数がかかってしようがない。

名場面として語り継がれている政夫と民子(有田紀子)が別れる渡し場のシーンは、小布施町の山王島で撮られた。傘をさした政夫を乗せた舟が霧の中へ消えてゆく。霧を求めて夏から秋まで待った。毎朝、一番に山王島に向かうが霧は出ておらず、封切りから逆算して時間がなくなったある日、ついに霧が出たのだ。

長部さんは、木下監督が、美しい田園風景と純愛に込めた思いを、このように分析する。


「だが木下惠介は——たぶん直感と本能の力によってーーいま日本人が古いと看做して捨てようとしているもの、忘れ去ろうとしているものの中に、じつは失ってはならない大切な価値が含まれており、自分は一人きりになってもそれを描かなければならない、という信念にしたがって、これから敢えて時流に逆行する道へと進み始めるのである」(同)。

昭和30年(1955)に、すでに失われゆく自然に心を痛めていたんです。まだ、高度成長の前ですよ。天才の感性というのは鋭い。55年後の現在、木下監督の本能が放ったメッセージが少しは伝わるようにはなってきたが、あゆみは遅い。Da938

その1はこちらです。

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