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2010年7月10日 (土)

野川公園はゴルフ場だった・その前は軍需産業

勢いよく湧き水が流れ出している。気持ちがいいもんだ。ここは都立野川公園の湧き水広場。崖の上の三鷹市や調布市、小金井市では湧き水を絶やさないように努力している。雨が下水で流れてしまわないように浸透枡を作って地面にしみ込ませているのだ。そんな効果もあるのだろう。

だが残念ながら飲用には適していない。惜しいなあ。国分寺のお鷹の道の湧水群のように飲めるようになればいいのに。

でもこれでもれっきとした東京都です。三鷹駅(最近、発車のメロディーを「赤とんぼ」にした。三木露風の墓が市内にある縁だ。高円寺は夏だけ阿波踊り。これ好きです)からバスで、20分以上かかるけど、近場で自然を味わうにはいいとこです。

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(左上から順に、湧き水が小川になって流れていくのをカメラに収めました。それにしても右下の流れは小川だと分かりませんね。大きな石でも置かないと水が映らない。次の機会には何か工夫をしてみます)

                

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地面から出てきた水は流れを作り、50㍍も流れないで野川にそそいでいます。夏休みには家族連れでにぎわいます。私も子どもが小さい頃は、よく来てました。水遊びは子どもも大人もはしゃげます。

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湧き水は冷たくて気持ちいいですよ。周囲にはレンゲがびっしり生えているので、寝転がって空を見てると気持ちが大きくなる。

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野川公園が開園したのは1980年。それまではICU(国際基督教大学)のゴルフ場だった。もっと前は、ただの林と野っ原を野川が流れているだけだった。

戦前はおそらく中島飛行機三鷹工場の敷地内だった。敗戦で中島飛行機は解体され、敷地の半分以上をICUに売却した。進駐軍の命令だったのだろう。残りは富士重工になっている。

私が子どもの頃にはICU構内に格納庫の残骸が残っていた。骨組みだけだったが、機銃掃射のあとの弾痕が確認できた。戦争は知らないが、二度としてはいけないものだと子供心に感じていた。


野川公園の管理事務所には、戦闘機「飛燕」の錆びたプロペラが臨時に展示されている。

戦争末期、隣の調布飛行場は帝都防衛戦闘機隊の飛行第244戦隊が本拠にしていて、飛燕が主力戦闘機だった。ときには体当たり戦術を併用してB-29を相当数撃墜したという。あのでかいB29を落としたんだ。信じられないな。

戦後もB29は日本の空を我が物顔に飛んでいた。「あれが日本を焦土にした」と大人から教わった。「でかいなあ」と口を開けて空を見上げたもんだ。横田基地で爆弾を積んで朝鮮半島に向かったのか。

調布飛行場は、民間の飛行場と武蔵野の森公園になっている。こちらも軍事から米軍、公園と同じようなあゆみをたどっている。

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