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2010年7月の記事

2010年7月31日 (土)

羽根つき餃子の「你好」が銀座進出・たらふく食った

東京・蒲田の「你好(ニーハオ)」が銀座に進出したから集合!と声がかかったので、いそいそと出かけた。

「餃子がうまい」と幹事さんからのメールにあった。場所は銀座2丁目の並木通り。ビルの8階だ。小汚い餃子屋ではないらしい。

ABCマートの真ん前で場所はすぐに分かった。新しいビルだ。

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入り口には看板が出ている。単なる餃子屋ではなくて、ちゃんとした中華料理店。7月にオープンしたばかりだ。餃子は大丈夫か。

定刻5分前に主賓のマチダたちがやってきた。「さあパラグアイ戦・楽観ムードが心配」に登場したA大サッカー部OBのマチダさんです。65歳まで無事に勤め上げたので、そのお疲れさん会が名目、それをダシに暑気払いしようというわけだ。

立ち飲み屋で引っ掛けてきたとかで赤い顔をしてる。B級グルメのチャンピオンらしく、講釈が始まる。

「残留孤児が始めたんだ。30年くらい前かな。それが当たっちゃって銀座進出だからたいしたもんだ。蒲田の駅前初め何店も持ってる。蒲田餃子戦争が勃発して熱いよ。羽根つき餃子がいいんだ。残留孤児だから満州だね。餃子の本場だ。蒸し餃子もいける」。

チラシを見ると「元祖羽根つき餃子の名店」と自慢していて蒲田に5店、芝公園、町屋にもある。焼きと蒸しを大量に注文してビールで乾杯。

来た来た、なるほど羽根がついてる。焼き上がりに粉を水で溶いてかけるんだ。なるほどパリパリの薄皮が食感を増す。


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野菜は少なめ。ひき肉が上品な味わいだ。蒸し餃子は皮がむっちりしている。いくらでもいけそうだ。

マチダの談義が続く。

「渋川駅前の餃子はうまかったな。皮が透き通っていて小さいの。小林食堂とかいったな。そこは冷や奴も行ける。高崎から取り寄せてる。ソースカツ丼もうまかった。北関東の名物だよね」。


どんな食べ方をしてるんだ。B級だからハーモニーなんておかまいなし。うまけりゃ何でもいいんだ。一緒に注文したのも、アキレス腱や胃の炒め物。内臓系ばっかり。野菜を頼むとかは思いつかない。

遅れて女性がきたので、豆腐とエビの炒め物、アスパラガス、ジャガイモ細切りなども頼んでバラエティーを持たせたが、要するに自分が満たされればいい。こっちもそれでいいんだけどね。

マチダは会社が新築のビルに移った時にクサヤを焼いて大ひんしゅくを買った男です。インテリジェンス・ビルとかいって窓が開かない作り。中庭に面した扉が開くので、そこに電熱器を持ち出して焼いていたら、ビルの共同オーナーが「クサヤを焼かないでください!」と抗議にすっ飛んできた。空調を通して全館がクサヤの匂いで充満したのだ。

なにを隠そう、手伝っていたのは私です。あのクサヤはうまかった。

締めに焼きそば、デザートも食べて満腹。素材にいいものを使っているので、どれもおいしい。内臓ばかり食べたせいか、豆腐とエビが塩味でうまかった。豆腐は蒸してからエビと絡めているのか。豆腐のあったかさが口に意外感を与えて、味わったことのない食感だった。

紹興酒も7、8本あけて、8人で割り勘して4200円。マチダは招待扱いなので9人で割ったら3700円程度。リーズナブルな値段です。


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手前と左が焼き餃子。右はアキレス腱の炒め物。その向こうは蒸し餃子。その奥はピータン。添えられてたネギがうまかった。いいものを使ってます。黒いシャツがマチダ。隣はA大の後輩土岡。

2010年7月30日 (金)

子どもが水浴びしてる真姿の池湧水群・国分寺

本多さんちの長屋門を過ぎると、右手から小川が勢いよく流れて合流している。2つの流れが一緒になり、緑も深いのでひんやりする。ベンチでお茶を飲んでいると、子連れのママさんが「奥はもっと涼しいですよ」。


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民家を改造したカフェもできている。2009年の秋にオープンしたばかりの史跡の駅「おたカフェ」だ。「鶏肉のスープカレー」がおすすめのようだ。無料休憩所がカフェを併設しているので、トイレを借りられる。

武蔵国分寺跡資料館への入場券はここで求める。予約をしておけばボランティアが史跡ガイドもしてくれる。資料館の入館料は100円で、景観の保持に使われる。武藏各地の地名が記された瓦は必見だ。


奥に行くと真姿の池がある。嘉祥元年(848)不治の病に苦しんだ玉造小町が、武蔵国分寺の薬師如来に祈願したところ童子があらわれて池の水で体を清めるように告げた。その通りにすると病は癒え、もとの美しい顔になったので、真姿の池という。

小町はどこからお参りに来たのだろう。国分寺の恋ケ窪、こっちには遊女が身を投げた伝説がある。古い地名にはロマンがあっていいね。西国分寺駅の北側だから近い。それとも国府のある府中からか。9世紀のこの辺に小町が存在するような文化が伝わってきていたのか。あやしいけど、まあいいか。

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ここの庭先販売所では春先にふきのとうを買った。1袋100円と安かった。日差しが強いので湧き水のところには野菜を置いてない。

立派な長屋門のある本多さんがやっている。

女の子は水遊びに夢中だ。冷たいので気持ちがいいのだ。手ですくって飲んでいる。


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ここが湧きだし口。冷たくてうまいよ。飲用可です。保健所が定期的に検査してるから安心です。赤い鳥居の横の坂をあがっていくと武蔵国分寺公園。鉄道学園のあとが公園になった。国鉄民営化の時に鉄道学園が移転だか、廃止になったのだ。

2010年7月29日 (木)

小川が流れるお鷹の道・国分寺

ハケの湧水を集めた小川に沿ってつくられているのがお鷹の道。一帯が尾張徳川家の鷹場だったことから名付けられた。鷹場は三鷹だけじゃないんです。多摩が広く鷹場の指定を受け、百姓たちにはそのための負担も大きかった。


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小川は住宅の間を流れている。季節になるとホタルも飛び交う。階段があるのは昔、野菜などを洗ったのだろう。清流を守るために今は禁止されているに違いない。住民たち自身で自然を守っているのだ。


道は100㍍ほど続く。生活道路は別にあるので、ほとんど人は通らない。

サルスベリが桃色の花をつけていた。もう少しで流れの源だ。きれいな流れでしょ。新宿から30分も電車に乗れば、こんな景色に出合えるんです。

天平13年(741)、聖武天皇が全国に国分寺建立の詔を発した。武蔵国分寺が創建されたのは、それから6、7年後のことと考えられている。

どうしてこの場所を選んだのか。国府の置かれた府中から近いこともそうだが、何より自然が豊かだったことも大きい。背後には崖があり、水が清らかだ。僧たちが鎮護国家を願って読経するのにふさわしい。

南には多摩丘陵を望み、西には富士も顔をのぞかせている。平安時代には、周りには何もなく、僧尼の修行にこれほどのところはなかった。

国分尼寺はちょっと離れたところで発掘されてます。尼寺近くの旧鎌倉街道の切り通しが、往古の雰囲気を残して、思索にふけるのに良さそうです。


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立派な門があった。門の中に部屋もあるようだ。長屋門というのだろうか。武士や陣屋に使われた形式で、庄屋などもこの門を構えている。

観光客が覗き込んで感心しているので「農家の門ですよ。この辺は皆、本多さんなので、本多さんの家でしょう。庄屋だったのかもしれません」と教えてやった。


それにしても立派なものだ。今は瓦で葺いているが昔は藁葺きだったのだろう。背後は国分寺崖線の崖なので、木枯らしの強い風も防げる。水も湧いているので日照りでも困らない。いいところを選んだものだ。


ここらまで来ると風がひんやりしている。木々と水が猛暑からさえぎってくれている。自然は偉大だ。

もうすぐ、冷たくておいしい水が飲める。ペットボトルのお茶は我慢しよう。


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2010年7月28日 (水)

涼風の誘惑・深大寺でおねんね

アブラゼミは大合唱、広場には赤とんぼが舞っている。空は青く、時おり鳥が鳴くだけ。蝉の声が木々にしみいる静寂だ。

ベンチに座っていると風が通り抜けていく。周辺よりはは2、3度、気温が低い。ここは深大寺の自由広場。何も考えずにごろっと横になったら、たちまち眠ってしまった。

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(赤とんぼが数十匹、群れている。群れの1匹がたまにスピードを上げて、ぱくっと虫を食べている。餌は豊富なんだろう。赤とんぼが写らないかなとレンズを向けてみたが、やっぱり分かりませんね)。


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木漏れ日の刺激で目が覚めた。30分も眠ったろうか。セミもとんぼも変りがない。さっきは離れたベンチで横になっていたおじさんがいなくなっている。それだけだ。人は変わるが自然の営みは悠久に思える。

満ち足りた眠りだった。汗もかいてない。それだけ涼しいんだ。

さっき、三鷹図書館そばの農家の庭先販売所でトマトを買った。冷えたのをガブッとやったらうまいだろうな。今度はトマトを持って野川公園に行こう。湧き水で冷やしてかぶりついてみよう。

販売所にはご主人がいた。

「そろそろ終わりですか。おいしいのに残念です」
「うちのは魚粉をやっているからね。堆肥に米ぬかと魚粉を撒くんだ。何百俵とね。南米で取れるイワシを使っている。ふりかけだよ」

「大変なんですね」
「土作りは優しいもんじゃない。十年はかかる。それじゃないとうまい野菜はつくれない。冬の大根は甘くて瑞々しいと評判いいよ」


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「トウモロコシも終わりですか」
「この暑さじゃ、もう無理だね。畑の水分を取られちゃうから」

「ハウスでつくってるんですか」
「露地だと農薬が必要になるからね。農薬は気持ち悪くて使えない」

無農薬の有機栽培なのだ。うまいわけだ。

「ありがとうございます」と礼を言ったら、「好きでつくってるんだ」と笑っていた。

やや小ぶりが5個入って300円。安くないと敬遠する人もいるらしいが、うまさと健康には代えられない。

2010年7月27日 (火)

ミョウガ1袋12個入りが100円「うまかった」・お鷹の道へ

涼を求めて国分寺のお鷹の道へ。国分寺駅の南口で降りて野川がつくった坂をだらだらと西へ歩く。野川はコンクリートで護岸されかわいそうだ。坂下に来ると右手に木に囲まれた洋館がある。地主さんの家だろうか。

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横に回ると日立の保養施設だった。中央研究所は線路の北側にある。賓客の接待などに使っているのか。まだ売らないで持っている余裕があるのだから日本経済もまだまだ大丈夫だ。変なところで安心する。

ここを左折して道なりに行けばいい。途中、溝に水が勢いよく流れている。住宅地なので湧き水をまとめているのだ。日本そば屋の手前では、じわじわと水がしみ出して流れをつくっている。どこからでも水が湧いてくる。

そば屋は1軒だけぽつんとあって、午後2時頃には売り切れごめんでしまってしまうので食べたことがない。知る人ぞ知る店かもしれない。

その先の庭先販売所にミョウガが置いてあった。なりは小さいが1袋に12個も入っている。100円なり。スーパーだと3個入りで150円くらいか。どうせ薬味で刻んじゃうんだから大きさは問わない。

家で刻んだら、あの独特の香りに鮮度が感じられた。切るだけでシャキシャキ感が分かる。気持ちのいいものだ。卵とじにして夕飯に出した。「新しい」と好評だった。

ジャガイモ、オクラ、キュウリ、タマネギ、みんな100円、根についたままの枝豆は250円。


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お鷹の道につくまでにもう2軒店を開いていた。1軒の店は車がついた移動式。こちらは枝豆がうまそう。朝、畑から採ってきたものだ。三鷹の家の近くでも扱っているのでこちらはパス。

この辺は何度もきているが、この移動式に気づいたのははじめてだ。採れすぎたのを販売しているのか。基本的に市価よりも安いが、ミョウガみたいなのにぶつかるのはまれだ。野菜は農協から出荷しているので、価格は把握している。高くならず、安すぎずのバランスを取って値付けしている。値段より鮮度です。これは間違いない。

もう多摩のトマトはおしまいのようです。また来年。

 


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次回はお鷹の道を歩きます。

2010年7月26日 (月)

NHKテレビ「東京カワイイ」を中心にした日曜深夜「おもしろゾーン」

日曜の夜、深い時間帯を「おもしろゾーン」と言うんだそうだ。誰がネーミングしたのかは知らないし、まだ一般的ではないだろう。一部でNHKにしては面白いとの評価になっているのか。

それにしても、ひねりのない名付け方だ。これじゃ、はやらん。

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その番組は「あなたが主役 50ボイス」「東京カワイイ☆TV」、ニュースをはさんで「ドキュメント20min」の連続した3番組。

基本的には「「東京カワイイ☆TV」はだいたい見てる。その前後は見たり見なかったり。NHKらしくない作りで、軽ーく楽しめる。

このネーミングを目にしたのは、22日の毎日新聞の夕刊。「長屋のご隠居 てれび指南帳 松尾羊一」だった。

隠居や熊がしゃべり合う設定で、こんな評価をしている。
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熊 「東京カワイイ」は、ご隠居がヒイヒイ喜んでいるって。
隠居 ヒイヒイはないが、平成元禄トレンド絵巻。たかが原宿(に限らないが)されど原宿と面白がる姿勢が面白い」
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幸兵衛 「50ボイス」は、さまざまな職業人がふと漏らす言葉や、所作の果てに文明批評がさりげなく垣間見えるのだ。
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(「ドキュメント20min」について)
幸 ポップな切り口の実験作が多く目が離せない番組だ。

てな具合だ。「東京カワイイ」はおっさんには知らないことだらけ。日本のファッション誌が、中国に輸出されて人気を博しているとか、スペインやフランスにいるギャルファッションを愛好するグループを紹介したり、刺激的。

日本経済の海外進出は、若い女の子の感性に任せた方がよさそうなんて思っている。美女ガ—、JK(女子高生)なんて言葉を覚えたのもこの番組だ。

来週は「谷間ウォーズ」。司会の沢村一樹が目を輝かしそう。BENIが、そんな沢村をたしなめるのだろう。

若者風俗を取り上げてくれるので、おっさんには必見の番組です。

「50ボイス」は、TBS「情熱大陸」とかぶっているので、あまり見ていない。TBSが終わってから終わりの5分くらいは見てる。

25日はやっぱり「情熱大陸」。植村花菜「トイレの神様」だったので迷わず6チャンネル。

おばあちゃんの仏壇の前で「聞いてほしかった」と歌い始め、万感が迫って歌えなくなってしまった植村に、おっさんももらい泣き。上海万博では、中国人観客が大勢、字幕で理解して涙を流していた。大粒の涙だった。


25日の「ドキュメント20min」は、まじめすぎた作りで普通のドキュメントだった。花園大学の男子新体操部を追い、題材は興味深いが、作りとしてはつまらなかった。男子新体操は日本発祥のスポーツ、というう冒頭のナレーションで「おや」と思ったくらいだ。昔は「団体徒手体操」と称していたそうです。

つまらないのは、まじめな素材をまともに取り上げているせいだ。「NNNドキュメント」(まだやっているのかな)と変わりがないんだもの。

以前放送した「失礼ですが、もうかってますか」などゆるい感じの方が好みだ。名古屋近郊の商店街に、カメラを持った女性ディレクターが1軒1軒、店を訪ねていく。お店の人の、それぞれの反応が微妙な味を醸し出していた。

「”鉄子”のひとり旅@北海道」もまあ面白かった。となると、この番組は視点が命だね。それも地べたから見た感じがふさわしそうだ。

2010年7月25日 (日)

NHKラジオ「渋谷極楽亭」と森口博子

家の真ん前で町内会の盆踊りをやっているのでラジオのボリュームをあげている。24日の土曜日、聞いているのはNHKラジオ「今夜も大入り!渋谷・極楽亭」。森口博子とアナウンサーが司会。数人の落語家が交代で司会に加わる。きょうは立川志らく。


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(猛暑日が続くので、たびたびベランダに打ち水をします。屋根のひさしにも大量に撒く。照り返しが少しは和らぐ。冷房は今夏はまだつけていない。水をやると2、3分でアシナガバチがやってくる。アシタバとバジルの葉っぱにしたたっている水を飲んでいる。アシタバの方が好きのようだ。すぐに飛んでくるのは、水の匂いがするのか。小さな水滴を吸っている姿は、かわいいもんだ。いいことをしてるみたいで、穏やかな気持ちにもなる。時々家の中に入ってくるが、放っておけば自然に出て行く)


森口博子がいい。勉強しているので会話でポイントを外さない。質問や切り返しのタイミングが巧みなので会話に心地よいリズムを生み出している。前向きな姿勢が伝わってきて気持ちがいい。舞台の関係などで彼女の代わりが司会をすると、とたんにテンションが下がる。

そういえば昔、フジ「夢がMORIMORI」なんて番組があった。20年近く前だ。売れないでジャニーズ事務所からも見放されていたSMAPがレギュラー出演していたが、影が薄かった。ほとんど印象に残っていない。I女史が任されて必死になっていた頃だね。


そのころ木村拓哉がサッカー映画に主演したけど全く当たらなかった。木村拓哉?知らないな、てなもんでマスコミもあまり取り上げず話題にもならなかった。配給の松竹もろくな宣伝をしなかった。金をかけてもむだだと判断したのだろう。これがトラウマになってSMAPはしばらく映画に出なかった。

しかしこのバラエティー路線でSMAPの人気が出てくるのだから、分からないものだ。その時の森口も純粋アイドルからははみ出していて個性の片鱗を見せていた。

MORIMORI というのは、森口、森且行、森脇健児の「森」を取ったものだそうです。森且行はSMAP在籍を抹消されているけど、頭文字が番組になるくらいだから、このころはキムタクよりも人気があったのかもしれない。森且行はオートレースで活躍しているのか。

南からは花火の音が聞こえる。調布多摩川の花火大会だ。夜7時の開始の合図。雷みたいな音がしたので、オフクロがあわてて雨戸を閉めた。夕立が来ると思ったようだ。それだけよく聞こえる。三鷹から調布へは下りになるので、昔は花火が見えた。今でも高い建物にあがれば見えるはずだ。はじめて仕掛け花火を見たのが調布の花火大会。きれいだったなあ。

2010年7月24日 (土)

すずらん商店街は、やはり駅の真ん前にあった

「ゲゲゲの女房」が買い物に行く「すずらん商店街」については、「すずらん商店街と貸本屋の思い出」で書いた。

その中で「昔は一番にぎやかな通りだったのかもしれません」と疑問を投げかけた。というのも実際の名前は「調布銀座商店街」、「すずらん商店街」はドラマで名付けたものです。

銀座というからには、一番にぎやかだったはずだ。

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江戸時代から調布には布田5宿があって、甲州街道を行き交う人びとでにぎわっていた。調布銀座は、宿が発展したものだろう。俠客小金井小次郎も幕末、この辺も縄張りにしていた。だから、調布駅の改札口も商店街に合わせてつくったはずだ。それが今では駅から6、70㍍も西に離れている。駅に向かうにしても、ここを抜けなくても行けるので、にぎわっているとは言いがたい。きっと駅の整備で位置が動いたんだろうと想像していた。

そんなところへ「KO」さんからメールをいただきました。

「初めまして。検索エンジンからたどり着きました。
昭和28年に調布駅が現在の位置に移動する前は、調布銀座の京王線側出口のところに調布駅がありました」。教えていただいてありがとうございます。

駅を出るとすぐに商店街だったのだ。でもこれだと駅前のロータリーができない。バスの停留所やタクシーの乗り入れを考えると、商店街ごと立ち退かなければならない。それで東側に駅舎が移転したのだ。

昭和28年(1953)というと水木しげるは結婚していない。ゲゲゲの女房は、既に駅が移ったあとの商店街で買い物をしていることになる。

水木さんが住んでいたのは調布市富士見町。駅からは離れている。地図上では西調布駅(昔は上石原駅、近藤勇が生まれたのは、北へ2㌔ほど行った上石原の飛び地。先祖はこの京王線の近くにいたのだ)の方が近いが、商店も少なく、調布まで出た方が何かと便利だったのだろう。

子供のころ、自転車でここを抜けて多摩川に遊びにいった。ほとんど店はなかったように記憶している。

2010年7月23日 (金)

25日は米軍基地でお祭り

武蔵野南線と南武線の分岐を確認して南多摩駅で降りる。目指すは米軍の多摩レクリエーションセンター。川崎街道を右に行けば10分足らずだ。

梅雨明けの猛暑。大丸(おおまる)公園の木陰でたくさんの母子が遊んでいる。汗が吹き出てきたので稲城市立病院でひと休み。冷房の効いた待合室でお茶など飲んで人心地。

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ここも陸軍の多摩弾薬庫の一部だったのだろう。さあ出発。意を決して腰を上げたら、隣が目的地だった。レクリエーションセンターなので警備は厳重ではない。

許可を得て写真を撮る。守衛さん(門番?)が「撮ってあげましょうか?」と親切だ。

昔やくざの戦争(山一戦争)が真っ盛りのとき、大阪ミナミで機動隊の小隊の巡回を200㍉の望遠で狙ったらポリボックスに引っ張り込まれた。血相変えて機動隊がどどっと来て、有無を言わさず取り囲まれた。怖かった。機動隊も望遠が銃口かも知れないと青ざめたのだ。それに顔がバレると、いつ狙われるか分からない。それだけぴりぴりしてた。

ラジコン飛行機に爆弾を積んで敵対する組長の家を狙うとか、ダンプカーで突っ込むとか、派手な攻撃の噂が飛び交っていた頃だ。フィルムを抜かれてしまった。窃盗だと抗議しようと思ったが、機動隊の剣幕にあきらめた。また、どこかで撮ればいい。

それで許可は一応もらうことにしている。「何があるんですか」
「キャンプ施設とかだね」
「温泉は?」
「ないね」


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すぐ近くの城山公園の前に天然温泉施設があったのを思い出し聞いてみたが、アメちゃんは温泉にはこだわらないようだ。当たり前か。

すぐ隣は米軍のゴルフ場。ここに泊まってゴルフか。

もともとは陸軍の弾薬庫、戦後、接収されて米空軍の弾薬庫に。その後弾薬庫が横田に移ってレクリエーションセンターになった。

ゲートの左手には動物のオブジェを置いた公園があった。基地の印象を和らげているのだ。

7月25日(日)はこの中で「稲城フェスティバル」が行われる。守衛さんがチラシを持ってきてくれた。特別ゲストがサンプラザ中野くん。ザ・ブータレズ、秋田小町、WONDER LANDERなども出演する。あとはなにがあるのだろう。とにかく無料で中に入れます。

ふだんでもパスポートがあれば入れるようだ。レストランやバーが利用できる。


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ピントが合ってませんが、だいたいの場所だけ見てください。主催は稲城市教育委員会。「飲食物、クーラーボックスなど大型手荷物の持ち込みはできません」という注意書きがいいね。空港並みだ。液体の持ち込みは禁止。自分で買うのか、クーポンでもくれるのか。


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これは南多摩駅で電車を待っていたら、駅の向こうに見えた鉄塔。最新型だ。車窓から確認したら次の鉄塔は普通のだった。駅のそばなので特別に頑丈なのにしているのか。

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2010年7月22日 (木)

ミサイル・爆弾も運んでいるのか武蔵野南線

府中本町から南武線に乗車する。一番前で武蔵野南線との分岐が見えるはずだ。運転手の後ろに立って線路を見つめる。子どもの頃を思い出す。なんか楽しいね。


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昔の南武線は中央線のお古を使っていた。車体はチョコレート色。床は木。油がこってり塗ってある。ローカルの匂いがプンプンしていたものだ。今はお下がりでもなさそう。きれいな電車を使っている。

府中本町を出ると南武線は左折、武蔵野線は直進だ。


多摩川の手前で右手に鉄橋が見える。武蔵野南線のだ。こっちより立派そうに見えるのは単なるひが目か。あっちの方が高いところを走っている。なんかしゃくだ。

トンネルがある。多摩の横山と万葉集などで詠われた多摩丘陵をぶち抜いている。

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多摩川を渡って武蔵野南線とはさよならだ。向こうはほとんどトンネルの中。京王線稲城駅の近くと梶ヶ谷貨物センターで地上に顔を出すだけだ。

待てよ今見えたトンネルのすぐ先には米軍の弾薬庫があった。線で結ぶと線路はちょうど、その下を通っている。秘密の地下駅でもつくって弾薬を積み込んでいたのか。

そもそもジェット燃料だけを運んでいるわけではないだろう。横田基地で必要な物資の輸送をまかなっていると考える方が自然だ。

戦闘機にはミサイルや爆弾を積む。日本の軍需産業が製造しているものは陸送か。アメリカ製の武器は貨物船で横浜あたりに陸揚げして武蔵野南線に積むのか。あとは何が必要か。まさか核弾頭は横田までは運んでないだろう。持ち込んでいても日本には調べるすべはないが…。

軍事の知識が皆無なので思いつかないが、最新のハイテク兵器などがゴトゴト揺られているのは間違いない。1つ1つを展示してくれたら最新兵器の展覧会が開けるに違いない。

有事になれば横田からもどんどん出動するのだから、最新兵器は日常的に装備されている。開放デーを設けて説明してくれないかな。

2010年7月21日 (水)

シリーズ「多摩の基地」・米軍御用達の武蔵野南線

武蔵野南線は、府中本町ー鶴見間の貨物線です。基本的に旅客営業はしていないが、秋の行楽シーズンだけ「ホリデー快速鎌倉号」が大宮—鎌倉を走る。とはいっても府中本町から横須賀線に入るまではほとんどトンネルなので、景色は楽しめない。多摩丘陵をぶち抜いて線路がつくられているのだ。畑に線路を敷くのではないから、えらい金がかかったことだろう。


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(府中本町を出ると南武線と武蔵野南線に分かれる。南武線は左カーブ、武蔵野南線はまっすぐ進んで多摩丘陵の土手っ腹に掘ったトンネルを目指す。南武線は単線、米軍御用達は複線、これで正面衝突は防げる)


それでも政府としては急いで武蔵野南線を開通させる必要があった。金に糸目はつけずに何がなんでも線路をつくらざるをえない理由があった。いわば国家命題だった。

きっかけは1967年(昭和42)8月8日未明の米軍燃料輸送列車の爆発炎上事故だ。赤信号を無視した米軍用列車が新宿駅構内で貨物列車と衝突。脱線、転覆して運んでいたジェット燃料に引火して炎上したものだ。

米軍用列車は、浜川崎発立川行き。危険なジェット燃料が品川から山手線に入り、目黒、渋谷、新宿を通って立川まで輸送されていた。

これがラッシュアワーで、たとえば渋谷駅で炎上したらどうなるか。地下には小さな店がひしめいている。デパートの東急東横店も隣接している。考えただけでもぞっとする。

有数の繁華街を危険を積んだ「米タン」(米軍タンク)が運行しているのは知っていたが、多くの国民は危険性を認識していなかった。米軍と政府、国鉄だけが危険を承知で、こっそり(堂々と?)運行していた。不夜城新宿が寝静まった頃に内緒で走ってれば事故は起きないと高をくくっていたのだろう。

だが悪いことはできないもので事故は起こった。まさに「想定外」。便利な言葉だ。

自然災害が起きても「想定外」。こう定義してしまえば、誰も責任を取らなくていい。本当は「想定外」も「想定」に入れて、防災に備えなくてはならない。そのうち、砂がたまってどうにもならなくなった治水ダムが「想定外」の大雨で決壊するぞ。

その時の言い訳は「地球温暖化」。「報道ステーション」の古舘伊知郎が好きな言葉だよね。彼は何でも「温暖化」のせいにして分かった顔をしている。バカだね。温暖化で予期せぬ事態が起きたと説明すれば、CO2は国民全員が排出しているから、一人一人の責任だ。国の責任ではない。

炎上事故は国民の不安を増大させた。ゲリラが繁華街で狙ったらどうなる。浜川崎から横田基地まで線路の両側を機動隊で固めるわけにも行かない。狙う気になれば機会はたくさんある。

線路に石を置くだけでもいい。2度目はどっちが悪いか。懲りずに危険なジェット燃料を積んで走っている方に決まってる。再び炎上事故が起きたら、世論は納得しないと政府はよく分かっていた。

折からベトナム反戦運動が次第に高まりを見せていた。70年安保改定も控えている。対策を急がなくてはいけない。

翌年の国際反戦デー。新宿駅が目標になった。10月21日。白いヘルメットの部隊が駅になだれ込んで占拠した。ベトナムで使われるジェット燃料輸送に反対!駅構内や周囲にいた群衆も加わり新宿駅は一時、解放区になってしまった。

赤いヘルメットは六本木の防衛庁を目指した。中大の連中が電信柱みたいな丸太を数本、用意していた。これでゲートを突破するという。ヤバいので、その場を離れた。(京都の大学の○○さんは御堂筋ですか)。

新宿が燃えている、というので歩いて(国鉄は当然止まってた)たどり着いた。すでに周辺は機動隊で封鎖されていた。電車が動かないので家には帰れず、その後どうしたのかは覚えていない。

政府はこの事態に伝家の宝刀「騒擾罪」を適用した。根こそぎパクれる法律だ。反戦運動がこれ以上高まりを見せてはいけない。裏返せば危機意識のあらわれ。

こうして武蔵野南線の完成が急がれた。トンネルは目隠しの役目も負っているのだろう。攻撃からも守れる。こうして、99%がトンネルの貨物線は炎上事故から10年後の1976年(昭和51)には開通した。突貫工事と行っていいだろう。中央線の高架化でも10年以上かかっている。どっちが大変か。

その間はどうしていたのだろう。中央、山手は避けて多分、南武線を使っていたのだろう。まさか知らんぷりして山手線を使うほど肝っ玉は座ってないだろう。

2010年7月20日 (火)

農家の庭先販売、卵かけご飯もうまい

三鷹市には地卵を売ってる農家の庭先販売所もある。販売所の横で鶏を放し飼いしているのだから確かだ。飼っているのはキウイ畑。フェンスで囲って数十羽がけっこけっこと歩き回っている。キウイは人の背丈くらいの大きさにして、ぶどうみたいに横に枝をはわしている。日陰にもなるし、ニワトリには案配が良さそうだ。

1袋が200円、5個入りだから1個40円。スーパーでは10個入りで120円くらいでも売っているから、いい値だ。

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でも1個10円強、何十年も前から変わらない。ホント物価の優等生だ。物価の上昇を考えれば40円だって安いくらいだ。

自動販売機で求めたのはLLサイズ。ずっしりとした重さが感じられる。昼飯前だったので卵焼きにした。卵の味が分かるように薄い塩味。もちろん柔らかいんですが、噛みごたえがある。弾力というのか。しっかりと卵だと主張している。久しぶりだな、こんな本当の卵を食べたのは。

翌朝はあったかいご飯にを卵をかけた。おおっ、これが卵だ。昔食べてた卵の味だ。スーパーの卵とは全然違う。黄身と白身がそれぞれ鮮度を訴えている。ご飯と一緒に噛んだとき、飲み込んだ際に満足感が広がる。40円で満たされるんだから安いもんだ。また買ってこよう。

三鷹では今はブルーベリーが最盛期。自分でつんでもいいし並べてあるのを買ってきてもいい。お隣がビニール袋にいっぱい、お裾分けしてくれた。春にはタケノコ、もちろん朝掘りが出るし、もうスイカも並ぶ。キウイも売ってる。

散歩の途中で確認したのは国分寺。お鷹の道の湧き水の脇で品揃え豊富にやってます。こちらは以前、「ふきのとう100円」で紹介した。この付近では3軒を確認した。

種類が多いので散歩の帰りにはいい。


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(立派な卵でしょ。運動させたニワトリが生む卵が本当の味だ。ラベルには生産者の名前が書いてある)

深大寺周辺では3軒だけ知っている。植物公園の北側。「調布の入間川①」で紹介した禅寺丸柿の古木がある農家です。大根が1本200円以上もした4月下旬によく買いにいった。丸々したのが150円だった。種類は多い。

深大寺と野草園の間では、露地物のイチゴを売っていた。早い時間に売り切れてしまうようで、まだ食べていない。近くの造園業の家では、花やちょっとした野菜を置いている。

植物園の西側にも3軒。1軒は交番の横の路地にある。ここではミニ大根やニラを買ったことがある。

府中はなんといっても郷土の森そばの下河原緑道。おばさんがよしずで囲った店で番をしていて、季節の野菜が並んでいる。和菓子の青木の工場のそばでは卵を売っている。青木の工場では菓子のアウトレットをやっている。ちょっとだけ形が崩れたのが格安のようだ。下河原緑道については「廃線跡を歩く」でも取り上げた。

散歩の途中に新鮮な野菜を買うと、少し得した気になる。血液さらさらになった気がする。

多摩って住みやすそうなとこでしょ。東京なのに地方都市のいいところがある。これから、もっといい情報を紹介していきます。

2010年7月19日 (月)

農家の庭先販売のトマト、トウモロコシが新鮮でうまい

農家の庭先で採れたての野菜、果物、卵などを販売している。都会の人たちはイメージしづらいだろうが、朝採ってきた野菜などを台に並べて売っているのだ。

ほとんどが無人で、小さな箱にコインを入れて買ってくる。不心得者もいるので最近は自動販売機になっているところが多い。わが町三鷹には、庭先販売所を設けている農家は30軒ではきかないだろう。我が家から自転車で5、6分圏内だけでも10カ所は下らない。

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左の写真は、わりと手広くやっている農家。手前の台にはトウモロコシが置いてある。2本で300円。その右の発泡スチロールの白い箱にトマトがあるはずだが売り切れてしまったようだ。「畑に行ってます」と張り紙がしてあったので、もぎに行っているのだろう。

18日は梅雨明けの猛暑、みんな冷やしたトマトが食べたくなったのだろう。考えることは皆似てます。きょうは葉っぱのついたショウガを扱っていない。これも売り切れか。酢みそで食べようと思ったのに。食欲増進にいいんだよね。トマトは先週までは2個で300円だったが、17日に買いにいったら3個で300円に下がっていた。旬なんだ。(20日は4個で300円)。

右手の箱が自動販売機。なす、キュウリ、ニンジン、ジャガイモ、オクラなどが入っている。スーパーと比べてそんなに安いわけではない。しかし鮮度は抜群だ。

トマトのうまいこと。がぶっとやると青臭さと新しさが口いっぱいに広がる。畑で熟しているのでうまさが違う。トウモロコシもみずみずしい。それが証拠に味にうるさい娘が喜んで食べる。90歳になる父親はトマトを買って帰れば機嫌がいい。(20日にトマトを買いにったらブルーベリーが置いてあった。1パック700円)。

この農家は三鷹市立図書館本館の横の道を西に行ったところにあります。この細い道だけでも5軒はやっている。この通りは「庭先販売銀座」だ。三鷹市役所の向かいにスーパーがあるので、奥さんたちはまずここに寄っていきます。買いたい野菜がいつも置いてあるとは限らないので、チェックしてからスーパーに行くんです。


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左の写真はじゃがいもだけの店。ふだんは売っていないが、たまたま店開きしていた。「きたあかり」という種類のジャガイモだけ置いてあったが7、8個入って100円。安い。スーパーマーケットの隣で堂々とオープンしてます。

右は、よしずで囲った販売所。きゅうり、なす、オクラ、ミニトマトが1袋100円。

野菜だけではなく、もっといろんなものを売ってます。調布や国分寺、府中の販売所情報なども含めて次の機会に。


2010年7月18日 (日)

「お父さんのチャーハン」をつくった・うまいか?

土曜の朝はテレビ朝日「食彩の王国」(前9:30)を見てる。きのう(7月17日)の食材は毛ガニだった。フレンチの三国清三シェフが、毛ガニをフレンチの逸品に仕立てる。毛ガニのドリア、ウニ、アワビも添えた毛ガニのビスクキュウリ添え、ラストはハスカップジュレ寄せというデザート。

うまそうだが、一生涯食べることはないだろう。それよりも食指が動いたのは地元での食べ方。

毛ガニとタマネギのかき揚げ。包丁を入れるのも面倒な足先は、まな板の上に置いてオロナミンCみたいな瓶でごろごろやると、ニュッと出てくる。それとタマネギを合わせて揚げる。ビールに合いそうだ。

次はお茶漬け。足先を3日間、天日に干す。殻を割ると堅くなった身が出てくる。これでお茶漬け。いい香りと凝縮されたうまみが味わえそうだ。

今回は高価な材料の特別編だったが、いつもはキュウリ、鮎、豆腐、アスパラ、黒酢、にらなど一般的な食材をテーマにしている。キュウリだったら白キュウリにスポットを当てるなど、スペシャルな視点にしているので初耳なことが多いのがうれしい。

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ここで流れているCMが「お父さんのチャーハン編」。東京ガスの1社提供なので、関東ローカルしかオンエアされていないが、東京ガスのホームページでは動画も公開してるので、その他の地区の方はこちらで確認してみてください。

お父さんはきたろう。母親が留守にしたときは娘にチャーハンを作ってきた。「お母さんが怒って実家に帰っちゃったときとか」と娘のナレーション。小さい頃は我慢して食べていたが、高校生になると「食べてきた」と2階の自分の部屋にあがってしまう。


それにしてもまずそうなチャーハンだ。冷や飯と卵を合わせて炒めただけ。米はぱらぱらにならずにべちゃべちゃ。焼豚が入っている気配もない。これでは反抗期の娘は食べない。上手につくっても親父と一緒には食べたくないかもしれないが。


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娘が嫁ぐ前の晩。「お父さんのチャーハンが食べたい」と言い出す。あんなに食べたくなかったチャーハンなのに。

きたろうの作り方は同じだ。「うまいか」ときたろう。娘の初音映莉子は「うん」とうなずく。目には涙が。

お父さんとしてはいつもうるっとしてしまう。昨年からオンエアしてるから、もう何回見たことか。それでもうるっと来る。

3週前の日曜日。「チャーハンでいい」というから娘につくった。「しょっぱい」と文句を言われるから塩分は控えめに、栄養も考えて人参やしらすも入れる。

「うまいか?」とは聞かなかった。全部食べたからまずくはないんだろう。いつか「お父さんのチャーハン食べたい」というのだろうか。その日のためにとびきりのチャーハンを練習しておこうか。

今は放送が隔週になっている。

細野晴臣と妻夫木聡の環境CMも優れてる。森の中で妻夫木が言う。「人間って環境で変わりますよね」。細野が返す。「環境だって人間に変えられちゃう」。そうだよなとうなずく。


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一連の東京ガスのCMは誰がつくってるんだろう。なかなかのもんです。

2010年7月17日 (土)

シリーズ「多摩の基地」・武蔵野南線

武蔵野線なら知ってるが、武蔵野南線なんて聞いたことないよ、というのは当然です。

府中本町駅で武蔵野線を待っていると東京行きが出ている。終点なのでいつも始発だ。東京に行くのに、なぜか「下り」です。でも東京に行くんだったら西国分寺で中央線に乗り換えた方が早いので乗り続ける人はいないでしょう。

府中本町は東京競馬場、西船橋手前の船橋法典で下りれば中山競馬場、そのほか船橋競馬や浦和競馬、川口オートなどギャンブル施設が多いので別名ギャンブル線と呼ばれている。

武蔵野線は、府中本町から西船橋間で旅客営業を行っている。西船橋から東京までは京葉線と乗り入れているので直通で東京まで行けるんです。それで西船橋からは「上り」に変わる。京葉線はディズニーランド最寄りの舞浜駅がある路線、海風がまともに吹き付けるので強風に弱いのが特徴です。

武蔵野線には府中本町から先があるんです。府中本町から横浜市の鶴見までが武蔵野南線だ。

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府中本町駅から南の多摩丘陵の方を望む。線路が6本ある。両端が南武線。右手から来るのが南武線の立川行き。停まっているのは武蔵野線で待機している電車。中の2本が武蔵野線用。残りの2本が武蔵野南線なのだ。

次の南多摩まで行こうと南武線のホームで電車を待っていたら「列車が通過します」のアナウンス。急行はないはずだがと首を傾げていると、貨物列車が通過していった。円筒形のタンクが連なっている。タンクには「日本石油輸送株式会社」と書いてある。多分ジェット燃料を運んでいるのだ。行き先?、横田基地でしょう。

府中から先に、こんなに大量に石油燃料が必要な工場があるとも思えない。

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(これは武蔵野線のホームから撮った。立川から青梅・五日市線に入るのだろう)

武蔵野南線で米軍のジェット燃料を運ぶようになったのは、ある、事故、事件がきっかけだった。

1967年(昭和42)8月8日未明に起きた米軍燃料輸送列車事故と翌年10月21日、国際反戦デーの「新宿騒擾事件」だ。

列車事故は新宿駅で起きた。駅から100㍍ほど離れた青梅街道大ガード付近だったので大惨事は免れたが、タンク車が転覆、72㌧の航空燃料が炎上した。

こちらの方に続いてます。

ミサイル・爆弾も運んでいるのか武蔵野南線    2010.07.22


シリーズ「多摩の基地」・米軍御用達の武蔵野南線  2010.07.21

2010年7月16日 (金)

シリーズ「多摩の基地」・米軍府中基地跡の廃墟

府中の森公園には芸術劇場(改装中)や市美術館が併設されている。京王線の東府中駅から競馬場とは逆に甲州街道をわたると広い通りになる。ここはゲート前のメーンストリートだった。

米軍基地時代は、横文字の看板やネオンが掲げられ、米兵相手の飲み屋が並んでいた。高校生のころ自転車で通って、異国に迷い込んだような体験をしたことがある。

ここのバーでのバイト経験を描いたのが高橋三千綱の「二月の行方」だ。


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左の地図は上が南。公園が右手、左が自衛隊だ。下には何も書かれていない空白地帯がある。ここも含めて米軍基地で、1973年の返還時に国と自衛隊、地方自治体の3つに分けられたのだ。

(左下の緑が浅間山公園。その左にあるのが明治大学野球部のグラウンド。さらに左には多磨墓地がある。上に行った右の方は東京競馬場。京王線府中駅や大国魂神社ももうすぐです)。

空白地帯は、一部が公園や生涯学習センターになっているが、大部分が金網で仕切られて中には入れない。フェンス越しにのぞくと、廃屋が生えるに任せた樹木やツタに覆われている。


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自衛隊は米軍と併存していたので、そのまま使用している。お互いの司令部を置いて、なにを作戦していたのか。日常的に、米軍の指揮下に自衛隊が入っていたということか。

地方自治体は公園をつくった。返還から40年近くもたつが、国はどうするつもりなんだろう。

人が立ち入らないので鳥や虫にとっては天国だ。このまま手入れをしないでほっておくのも悪くないかもしれない。


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鉄塔が建っている。雑草は伸び放題。木は繁りっぱなし。廃屋の扉や窓は壊れているが、柱と屋根は大丈夫のようだ。アメちゃんは金を持っているから頑丈に作ったんだろう。右の写真の木の間に見えるのも廃屋です。

以前はパラボナアンテナが見えたというが、取り払ったようで今は確認できない。ぐるっと1周してみたが、他には道路がうかがえただけだった。

次は武蔵野南線に行ってみよう。府中本町から鶴見までの貨物線だ。ほとんどがトンネルになっていて、米軍横田基地にとってはなくてはならない鉄道だ。

2010年7月15日 (木)

シリーズ「多摩の基地」・3分割された米軍府中基地

野川公園と武蔵野の森公園の間を通っている人見街道をまっすぐ府中方向へ行く。多磨墓地の南側を抜けムサシノキスゲで知られる浅間山の麓をなおも西を目指す。

この辺りは江戸時代まで人見村だった。浅間山には、鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した武士・人見四郎の墓跡がある。村名の起こりは不明だが、武藏七党の人見氏がいた、あるいは浅間山が人見山と呼ばれていた、などの説がある。現在でも杉並区へ向けて、旧人見村の中心を人見街道が通り、浅間山の南側麓には、人見稲荷神社も鎮守している。

町名は若松町になっているが、町内会の名は人見。村のつながりが生きている。行政では割り切れない住民の付き合いが残っているのはいいことだ。


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脱線するけど、今の村の形ができたのは室町時代のこと。荘園の中に「村」と呼ばれるものが成立し、独自の祭りも行っていた。近世以降の集落につながっていくような村が成立してくるのは13世紀末から15世紀頃のことなのだ。

フーン、そうなんだ。それほど古いことではない。田んぼがあって村がある風景を日本の原型と考えているが、原風景が形成されたのは、600年ほど前のことなんだ。

また人見村は古戦場としても知られている。

南北朝時代の動乱期、1352年(正平7年)、新田義貞の息子である新田義興・義宗の兄弟は、浅間山周辺の人見原(ひとみがはら・府中市)と金井原(かないはら・小金井市)で、足利尊氏と戦った。足利尊氏はここで敗北し、石浜(台東区・荒川区)へ撤退、その後、小手指原・高麗原へ転戦した。

街道は突然、フェンスに囲まれた一帯にぶつかる。航空自衛隊の府中基地だ。

正面横の庭に戦闘機が2機展示されている。案内板が基地内にあるが、フェンスから遠いので読めないので戦闘機の名前は分からない。航空自衛隊の司令部が置かれているから重要な基地なのだろう。

もともとは陸軍の燃料廠で戦後、占領軍に接収された。アメリカ軍はここに、極東第5空軍司令部と在日米軍司令部を置いた。要だったんですね。自衛隊も同じように司令部を置いた。共同で作戦を立てたというより米軍の指揮下で自衛隊が行動していたのだろう。


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「写真を撮らせてください」とゲートの守衛さん(?)に聞くと、無線でどこかに連絡して「外からならいいですよ」。

正面ゲートからさらに西に行くと基地の隣が府中の森公園だ。雑木林が残されていて市民の憩いの場になっている。ここも1973年に返還されるまでは米軍基地だった。というより基地が分割されて自衛隊と公園になったのだ。

2010年7月14日 (水)

基地の町だった多摩・武蔵野の森公園は飛行場・2

陸軍「調布飛行場」が完成したのは昭和16年(1941)。南北1000㍍と東西700㍍の2本滑走路が作られ、飛行第144戦隊などが置かれた。

残っているのは南北だけです。滑走路沿いには歩道が設けられて、味スタの近くまでまっすぐ行くことができます。

戦争末期には特攻隊の訓練と九州知覧基地への中継地にもなった。調布飛行場の244戦隊には新鋭戦闘機の「飛燕」が配備された。ダイムラーベンツの技術をもとに川崎航空機が国産化したもので、昭和18年(1943)に陸軍の主力戦闘機として正式採用された。

鹿児島県知覧町の「特攻平和記念館」には唯一「飛燕」の実機が保存されている。野川公園に展示されているのはプロペラだけだが、高倉健主演の映画「ホタル」(2001、監督降旗康男)がぐっと身近になるね。

我が家の上空も「飛燕」が飛んでいたんだ(生まれてないけど)。名残の掩体壕が公園内に2基、公園外の府中市白糸台にも2基残っている(非公開)。

コンクリートの表面がボロボロなのは、朝鮮戦争の時に鉄筋がはがされたためだ。

子どもの頃、鉄を拾って屑屋に持っていくと5円、10円で買ってくれた。銅はアカと呼んでもっと高値だった。電線工事のあとを狙っていくと切れ端が落ちていた。錆びていないピカピカのやつだ。10円以上になって、5円のコロッケを買いにいったっけ。

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(掩体壕「大沢2号」)


戦後は当然、アメリカ占領軍に接収された。都心に最も近い基地。何に使われたかというと、これが農場。

米軍は日本政府に、軍と家族に新鮮な野菜を供給するための農場を東京近郊につくるように命令した。選ばれたのが調布飛行場。

こうして昭和21年(1946)の大みそか、世界最大規模の水耕農場が完成した。

今でこそ野菜の大切さは浸透してるけど、当時は生野菜なんてほとんど意識していなかった。

アメリカはすごいね。兵站本部が命令してるんだもん。きっとレタスやブロッコリなど日本人が知らない野菜を作ったんだろう。

レタスを食べたのは、ハンバーガー屋ができてパンの間に挟んであったのが最初だ。生で食べたのはキュウリくらいか。キャベツの千切りもコロッケについていた。サラダなんて高級なものは知らなかった。

農場が閉鎖されたのは昭和36年(1961)。代々木に東京オリンピックの選手村がつくられることになり、予定地にあったワシントンハイツ(将校用住宅)が調布に移転、関東村となった。

返還されたのは昭和49年(1974)、平成12年(2000)には武蔵野の森公園がオープン、翌年には一部が「東京都調布飛行場」として正式開港したというのが歴史だ。

野川公園と武蔵野の森公園の間を通る人見街道を西に行くと府中の森公園に至る。ここも占領軍の府中基地で、極東第五空軍司令部が置かれていた。


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(ピントが甘過ぎますが、だいたいの位置関係を見てください。上の線路が中央線、縦の私鉄は西武多摩川線。公園の左手は多磨墓地、その西側はムサシノキスゲの浅間山。下方を横切っているのは京王線)


日本の強い意志があれば米軍基地は返還されるんです。民主党は官僚の言いなりになっているから、解決できないのだ。「抑止力」なんて抽象的な概念を引きずっていると、論議にならない。

そもそもアメリカが日本に基地を置いているのは、共産主義からアメリカを守るため。その最前線の位置づけだ。そのついでで日本の防衛になっている。ついでなんです。それを忘れてはいけない。

2010年7月13日 (火)

基地の町だった多摩・武蔵野の森公園は飛行場・1

野川公園から人見街道をわたれば都立武蔵野の森公園だ。全体が見晴らせる丘がある。ここから調布飛行場が見渡せる。伊豆諸島への航空便が出ている小さな飛行場です。

個人のプロペラ機も発着している。ぶーんと音がして空を見上げると機体が向かってくる。風に翼が揺れたりしているけど、うまい具合に着陸する。心の中でパチパチパチと拍手して、また芝生に根っころがる。エンジン音が聞こえたら、またそっちを見やる。お仲間も数人いたりする。

なんということはないが、贅沢な時間です。羽田でジェット機を見物するファンもいるが、プロペラ機の方が静かでのんびりするには適してる。


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滑走路の先には味の素スタジアムの屋根が見える。丘の横は府中市のサッカー場。後ろを振り返ると東京外国語大学の府中キャンパスと警察学校。この広い敷地に人はまばらだ。


(赤い屋根の右前方が味スタなんですが、かすかにしか映ってません。田舎の農場みたいですが、手前の物体はヘリコプター。その前方が滑走路)

今はのどかな風景です。戦前は陸軍の飛行場、戦後は進駐軍に接収されていた。返還されたのは1974年(昭和49)、2000年(平成元)に公園としてオープンした。調布、府中、三鷹にまたがって面積は約20万㎡。

戦前の痕跡を残すのが掩体壕。敵の空襲から飛行機を隠すための簡易格納庫。本土決戦に備えてコンクリート製30基、土と竹で作った蓋のないもの30基が急いでつくられた。

土と竹ですよ。上は草や木で覆ったのだろうか。竹やり精神です。飛行場から掩体壕までは、飛行機にロープを結びつけて人力で運んだという。輸送車両もガソリンも欠乏していたからね。

もちろん基地の場所を偵察機のカメラに収めて確認していた米軍に徹底的に空襲されてしまいます。

わずかに残った掩体壕が公園内に保存されています。

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(掩体壕「大沢1号」の横に置かれた飛燕のモニュメント)

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(掩体壕「大沢1号」、飛燕の絵が描いてある)


2010年7月12日 (月)

イエロー14枚の激闘をスペインが制す・パウル君8連勝&タレント候補は軒並み落選

両チームとも熱くなってました。上がったテンションを制御できずに気持ちばかりがはやっていた。もらいももらったり、スペインが5枚、オランダが9枚のイエロー大量乱舞。オランダのハイティンハは延長後半に2枚目をもらってレッドカード。

決勝でイエロー14枚は過去最多。これまでの記録はメキシコ大会のアルゼンチン×西ドイツの6枚。ひどいファウルはなかったので14枚出てもゲームが壊れなかったのはさすが。

判定にぶち切れてイエローをもらったオランダのロッベン。2回目の審判への執拗な抗議は2枚目でもおかしくなかった。注意で済んだのは、既に退場者が出ていたため。熱く感情的になった方が、こうした接戦では負けるんです。

         wobbly                wobbly

それにしても眠かった。開票速報を見続けて、動きが少なくなったので目をつぶったのが0時ごろ。目覚ましをかけなかったのに3時過ぎには起きてしまった。こうなれば見るしかない。

序盤はスペインがボールを支配していたがオランダもペースをつかんで一進一退の展開。オランダはキーパーと1対1になったロッベンが決められなかったのが響いた。足に当てたGKの超ファインプレーだ。

GKカシリャスはロッベンの狙いを「右に打つ」と読んでいた。それで逆の左(キーパーからすれば右)に跳んだ。ロッベンは「しめた」とばかりに右隅を狙った。これこそキーパーの狙い通りだ。

カシリャスの神経は足に集中していた。ある意味では賭けだ。世界一を決める舞台で、こんな駆け引きができるなんて、世界の一流の冷静な判断力は底知れないものを持っている。うなった。

スペインも決められない。「こりゃ延長だ」。ビデオをセットして寝てしまおうか。睡魔がささやく。

なんとかこらえて延長戦。ゴールの匂いが薄い。イニエスタのボレーで目が覚めた。チャンスは逃さない。決して優しいボールではない。上からちゃんとおさえて打ってネットを揺らした。

タコのパウル君、またまた当てました。ドイツの3位も当てたし、決勝もスペインを選んだ。8連勝です。神がかってる。

スペインでは「パウル君、永遠に」など感謝のメッセージが次々に寄せられている。こんなピッチ外ののどかなエピソードが出てくるのはいいもんです。ヤラセだなんだと目くじらは立てないで面白がっているだけでいいでしょう。

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話かわって参院選。タレント議員は揃って討ち死に。受かったのは、比例区では谷亮子、三原じゅん子、選挙区では秋田の石井浩郎くらいか。

堀内恒夫(自民)、中畑清(たちあがれ日本)、桂きん枝、庄野真代、池谷幸雄、岡崎友紀(以上民主)、敏いとう(国民)、真山勇一(みんな)ら新顔は捕らぬ狸で終わった。江本孟紀(国民)は復帰ならず。女子プロレスラーの神取忍(自民)も再選は果たせず。松浪健四郎は衆院から鞍替えもアウト。喜納昌吉も普天間移設問題が響いたか。

さらに選挙区では長塚智広、岡部まり、原田大二郎(以上民主)もダメ、比例の西村修(国民)もプロレスラーらしい。

国民もタレント議員にうんざりしているのが示されたんだね。よっぽど知名度があり、国民的人気がある人じゃないと、これからは無理でしょう。三原はよく食い込んだな。どこかの組織票を分けてもらったのか。

石井は秋田高校出身で、県民の見方がただのタレントとは違ったんだろう。

まあ、堀内、中畑クラスでは、もう声もかからないだろう。他の候補が優れているかどうかはともかく、知名度だけで選挙に出なくなるのはいいことだ。

2010年7月11日 (日)

米軍が返還してできた武蔵野の森公園

都立野川公園に展示されている戦闘機「飛燕」のプロペラについては前回(7月10日)触れた。これは隣接する武蔵野の森公園から掘り出されたものだ。仮に展示しているもので、いずれちゃんとした施設を作りたいらしい。

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野川公園の正面から出て人見街道を渡れば武蔵野の森公園だ。

その間にあるのが近藤勇の生家跡。広い敷地だったというが、今では10坪くらいしか残されていない。ここも戦後はアメリカ人が住んでいた。進駐軍、あるいはICU(国際基督教大学)の関係者なのだろう。

公園と生家跡の間の道を少し行くとアメリカンスクールがあるので、その関係者かもしれない。いずれにせよ、今はのどかな自然が広がっているが、進駐軍があちこちで痕跡を残している。こんなところにも「戦後」があったのだ。

交通は西武多摩川線の多磨駅から徒歩で10分くらい。単線の多磨駅で電車を待っているとアメリカンスクールの生徒たちと一緒になる。ビーチサンダルの女の子が多い。「新ビバリーヒルズ青春白書」みたいな格好をしているんです、やっぱり。(妊娠したエイドリアンはどうなるんでしょう。ほぼ見てます)。こんなローカルな場所が突如として国際色豊かなのも歴史のなせる技なんです。

産湯に使ったという井戸が残され近藤神社が建てられている。宮川家の先祖が、新田開発のために調布の上石原から移ってきたものだ。

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(蓋をしてるのが井戸です)
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(神社も小さなものです)→
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いきさつは知らないが、調布市が買い取って整備したものだ。昭和52年(1977)に市の史跡に指定されている。通りの反対側は近藤道場撥雲館。天然理心流の道場だ。今も宮川家の人が住んでいて畑もやっている。その裏手は武蔵野の森公園だ。

ようやく目指す公園だが、続きはまた今度。

                  ×         ×

夕飯後は8時から選挙速報、ずーっと比例区の滑り込み争いまで見て、それからはワールドカップ。起きていられるか。どこで仮眠をとるか。8時に予測が出るので確認したら開票が始まるまでは少し眠るか。

2010年7月10日 (土)

野川公園はゴルフ場だった・その前は軍需産業

勢いよく湧き水が流れ出している。気持ちがいいもんだ。ここは都立野川公園の湧き水広場。崖の上の三鷹市や調布市、小金井市では湧き水を絶やさないように努力している。雨が下水で流れてしまわないように浸透枡を作って地面にしみ込ませているのだ。そんな効果もあるのだろう。

だが残念ながら飲用には適していない。惜しいなあ。国分寺のお鷹の道の湧水群のように飲めるようになればいいのに。

でもこれでもれっきとした東京都です。三鷹駅(最近、発車のメロディーを「赤とんぼ」にした。三木露風の墓が市内にある縁だ。高円寺は夏だけ阿波踊り。これ好きです)からバスで、20分以上かかるけど、近場で自然を味わうにはいいとこです。

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(左上から順に、湧き水が小川になって流れていくのをカメラに収めました。それにしても右下の流れは小川だと分かりませんね。大きな石でも置かないと水が映らない。次の機会には何か工夫をしてみます)

                

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地面から出てきた水は流れを作り、50㍍も流れないで野川にそそいでいます。夏休みには家族連れでにぎわいます。私も子どもが小さい頃は、よく来てました。水遊びは子どもも大人もはしゃげます。

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湧き水は冷たくて気持ちいいですよ。周囲にはレンゲがびっしり生えているので、寝転がって空を見てると気持ちが大きくなる。

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野川公園が開園したのは1980年。それまではICU(国際基督教大学)のゴルフ場だった。もっと前は、ただの林と野っ原を野川が流れているだけだった。

戦前はおそらく中島飛行機三鷹工場の敷地内だった。敗戦で中島飛行機は解体され、敷地の半分以上をICUに売却した。進駐軍の命令だったのだろう。残りは富士重工になっている。

私が子どもの頃にはICU構内に格納庫の残骸が残っていた。骨組みだけだったが、機銃掃射のあとの弾痕が確認できた。戦争は知らないが、二度としてはいけないものだと子供心に感じていた。


野川公園の管理事務所には、戦闘機「飛燕」の錆びたプロペラが臨時に展示されている。

戦争末期、隣の調布飛行場は帝都防衛戦闘機隊の飛行第244戦隊が本拠にしていて、飛燕が主力戦闘機だった。ときには体当たり戦術を併用してB-29を相当数撃墜したという。あのでかいB29を落としたんだ。信じられないな。

戦後もB29は日本の空を我が物顔に飛んでいた。「あれが日本を焦土にした」と大人から教わった。「でかいなあ」と口を開けて空を見上げたもんだ。横田基地で爆弾を積んで朝鮮半島に向かったのか。

調布飛行場は、民間の飛行場と武蔵野の森公園になっている。こちらも軍事から米軍、公園と同じようなあゆみをたどっている。

2010年7月 9日 (金)

野川公園でノカンゾウが群生してた

梅雨の晴れ間に野川公園を散歩。子どもの頃は、川と湧き水、池のある絶好の遊び場だった。ザリガニや小ブナを採った。野うさぎもいた。あっという間に逃げるので、捕まらなかったけど。キジと出くわすこともあった。

縄文土器も拾った。高みの場所を少し掘ると採集できた。そこら中から集めた。本当に縄の文様がついていた。教科書で教わったこと、そのままで、歴史的な発見をしたような気持ちになった。宝物として家に持ち帰って縁の下にしまっておいたが、立て替えの時に捨てられてしまったらしい。残念なことをした。

童謡みたいな世界でわんぱく時代を過ごした。公園として整備されるずっと前のこと。半世紀も昔のことだ。

公園に入ると蒸し暑さが和らぎ、風が吹き抜けて涼しい。約40万㎡の広い敷地に8450本の樹木が生えているから、緑の力が心地よさを作り出しているのだ。

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(ここのほかにも群生場所があります)

事務所の掲示を見ると自然観察園の見頃の花が案内されていた。湧き水のある方だ。ここはフェンスで仕切られて、湧き水のあるハケの自然がそのまま保たれている。ネムノキ、ムラサキシキブ、ハンゲショウなどが咲いているらしい。尾瀬みたいに木で作った通路を歩く。

ノカンゾウが群生していた。一重の黄色い花が絶妙の色合いだ。ムサシノキスゲに似ているな。ユリ科ワスレグサ属、キスゲ科に分類することもあるらしい。似ているのも当然。ムサシノキスゲやニッコウキスゲと同種なのだ。ただ、花の時期が2カ月遅い。

若い茎をおひたしや天ぷら、酢みそ和えにするとうまいらしい。つぼみの天ぷらもいけるようだ。

ヤブカンゾウも咲いていた。こちらは花が八重で色合いも濃い。黄色というよりダイダイ。ちょっとしつこいかな。ノカンゾウの方が清楚だ。

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ネムノキは大木いっぱいに花をつけていた。淡い花の感じがいい。

ムラサキシキブはみつけられなかった。

2010年7月 8日 (木)

予言タコは正しかった・ドイツ敗れてパウル君の運命は?

100%予言的中のタコのパウル君。今度ばかりは外れと思ったんですが、見事に的中させました。

タコはドイツ西部の水族館で飼育されており、占いの方法はこうだ。2つに区切ったプラスチック製の透明な餌箱を水槽にいれ、それぞれには対戦国の国旗が張られている。パウル君がどちらの餌(アワビみたいな貝)を食べるかで勝敗を占う。ドイツ×スペインでは、あろうことかスペインの餌を選んでしまった。

さすがのスペインも巨大なドイツの前には歯が立たないだろうと見ていた。しかし、序盤から華麗なパスを繰り広げ、ドイツをじわじわと押し込んでいく。スペインは落ち着いてボールをキープ、隙を見せない。

ミュラーの出場停止が響いているのかドイツの鋭い縦への突破もスペインに見抜かれている。これまで見せたドイツらしさが影を潜めてしまった。惜しいシーンもあったが、運もなかった。

スペインはサッカーのお手本だった。トラップはきっちり収め、パスも正確、周りの選手もスピーディーによく動いていた。身長だって日本と変わらないか、それより低いのに負けていなかった。

競り勝つというより、ボールのコースの見極めに優れていた。ドイツより先にコースに入るから、無理をしないではね返せる。自信を持ってクロスをさばいていた。それもちゃんと前線のフォワードへのパスになっている。波状攻撃を防ぐと同時に逆襲で脅威を与えていた。

プジョルのゴールだって、ここだ!と自信を持ってヘッドで決めた。後ろからフリーで入ってきてドンピシャ。競り負けない、というか競らない方法を考えている。すごい。

足も速い。サイドを割るかなというボールにも追いついていた。

解説の城彰二も言っていたけど、体格で劣る日本が見習うことがたくさんあった。でも、見習って実践するには、かなりの時間が必要だろう。

試合前のドイツ国民は、パウル君の予想に心底がっかりしてた。予想が当たったらとの質問には「まな板の上さ」と乗せるしぐさをしてたけど、パウル君の運命はどうなったのだろう。

                ×       ×

その後の報道によると水族館はお詫びの声明を発表したが、ドイツ国民の怒りのとばっちりは収まらず「丸焼きにしてしまえ」「寿司はどうか」とか「料理法は?」などの書き込みが相次いでいるという。

でも地中海地方では食べるけど、「悪魔の魚」とかいってドイツでは食べないんじゃなかったっけ。

                ×       ×

ユダヤ教では、ひれやうろこのない魚の食用は禁じられている。キリスト教はOK。イタリア、スペインやノルウェーなど北欧は食べるけど、アルプスの北は食べる習慣がなかったらしい。近頃は地中海料理が入ってきて食べているらしい。

2010年7月 7日 (水)

伊藤左千夫の墓と「野菊の如き君なりき」その3

伊藤左千夫の原作では、舞台は矢切の渡し(江戸川の渡し場)近くの村だったが木下恵介監督は信州の北部、千曲川の流域に広がる善光寺平に変えた。

主人公の政夫(田中晋二)が住む旧家は、大船撮影所内に敷地600坪を使って建てられた。経費は370万円、今なら1億円は下らない。黄金期の日本映画はなんと贅沢なことか。

「『二十四の瞳』と同様に、ここでも風景が人間と同格の主役で、悲痛な結末に終わる物語の背景は、対位法的にあくまでも美しいものでなければならない、と考えられたに違いない」と長部日出雄氏。(「天才監督木下惠介」、新潮社)。

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(あまりに蒸し暑いので涼しい写真を入れます。三鷹市の都立野川公園。きのう(6日)涼を求めにいったら、湧き水広場で小川に浸かって裸足で遊んでいる母子がいました。顔を洗ったら冷たくて気持ちがよかった。公園の中は風が通って涼しいんです)

木下監督が求める理想の風景での撮影は、千曲川流域の二十数カ所に及んだという。善光寺門前の旅館「藤屋」を拠点にしたスタッフ、キャストは、撮影よりも移動に時間がかかった。

これも贅沢だ。こんな撮影方法をしていたら日数がかかってしようがない。

名場面として語り継がれている政夫と民子(有田紀子)が別れる渡し場のシーンは、小布施町の山王島で撮られた。傘をさした政夫を乗せた舟が霧の中へ消えてゆく。霧を求めて夏から秋まで待った。毎朝、一番に山王島に向かうが霧は出ておらず、封切りから逆算して時間がなくなったある日、ついに霧が出たのだ。

長部さんは、木下監督が、美しい田園風景と純愛に込めた思いを、このように分析する。


「だが木下惠介は——たぶん直感と本能の力によってーーいま日本人が古いと看做して捨てようとしているもの、忘れ去ろうとしているものの中に、じつは失ってはならない大切な価値が含まれており、自分は一人きりになってもそれを描かなければならない、という信念にしたがって、これから敢えて時流に逆行する道へと進み始めるのである」(同)。

昭和30年(1955)に、すでに失われゆく自然に心を痛めていたんです。まだ、高度成長の前ですよ。天才の感性というのは鋭い。55年後の現在、木下監督の本能が放ったメッセージが少しは伝わるようにはなってきたが、あゆみは遅い。Da938

その1はこちらです。

2010年7月 6日 (火)

伊藤左千夫の墓と「野菊の如き君なりき」その2

伊藤左千夫は牛乳屋さんです。小売りではなく牛を飼って搾っていたんです。牛乳屋を始めたところは本所区江東橋、今の錦糸町駅の南口だそうです。

のどかだったんです。明治22年(1889)のころは。牛が飼えたんですから。今じゃ周囲の住民が許さない。錦糸町と亀戸は隣町みたいなもんです。歩いてもまっすぐ北に行けばわけはない。牛舎と住居跡には歌碑が建っているそうです。亀戸の方が栄えていたようだ。今とは逆です。

牛乳屋の名前は「乳牛改良社」。明治の半ば、牛乳は普及していなかった。西洋の習慣を広めようという心意気みたいなものがうかがえるネーミングだ。

晩年は牛乳屋がうまく行かなくなり、大島に転居している。大島は都営地下鉄が通って今では便利になっているが、明治期には人口も少なかったようだ。伊藤左千夫は転居した大正2年(1913)に亡くなり、大島からも近い亀戸の普門院に葬られた。

伊藤左千夫は乳牛改良社が軌道に乗ると短歌を始め、正岡子規に師事。

こんな歌がある。「牛飼いが歌よむ時に 世の中のあらたしき歌 大いにおこる」。

「野菊の墓」を発表したのもホトトギス。明治38年(1905)のことだった。夏目漱石が評価したという。物語の舞台は、矢切の渡し近くの村だった。錦糸町からもそんなに遠くはない。

純愛を引き裂くのは、川であり舟だった。後年なら鉄道でもいいが、このころはまだ、舟が別離、旅立ちにはふさわしかった。


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木下恵介監督が映画化したのは昭和30年(1955)のことだ。戦前にはどうして映画化されていないんだろう。

映画評論家の井沢淳さんが「伊藤左千夫といえば、アララギ派歌人として有名だが、小説はつまらない。木下惠介が、そういう原作を見つけ出してきたことが興味深い」(日本映画作品全集、キネマ旬報社)とにべもない。話題にもならずに埋もれていたのだろうか。


タイトルが「野菊の如き君なりき」になったのは、当時の松竹首脳が「墓がつくタイトルなんて縁起でもない」と首を縦に振らなかったためだ。

木下惠介の業績については長部日出雄「天才監督木下惠介」(新潮社)が群を抜いている。丹念な取材と綿密な調査で、木下監督の素顔と全49作品に込められた屈折や畏怖を読み解いている。

黒澤明監督と並ぶ存在でありながら、やや印象が薄れている木下作品を再評価できる評伝だ。

その3に続きます。

2010年7月 5日 (月)

伊藤左千夫の墓と「野菊の如き君なりき」その1

亀戸をぶらぶらしていたら、木が繁るに任せている寺があった。荒れているのではない。伸びたい放題にさせているのだ。

下町の住宅街の一角とは違和感を抱かせる。「こういうの、いいなあ」。しげしげと山門に見入っていたら、伊藤左千夫の墓と記した石柱が建っていた。伊藤左千夫については「野菊の墓」しか知らない。それも木下恵介監督「野菊の如き君なりき」と澤井信一郎監督の「野菊の墓」を見たくらいだ。まことに貧弱な知識だ。

どうしてここに作者の墓があるのだろうか?


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普門院は亀戸香取神社と亀戸天神の間にある。亀戸七福神のうち毘沙門天を祀っている。創建は大永2年(1552)というから古い。千住辺りにあったが元和2(1616)に、この地に移転する際に梵鐘を隅田川に落としてしまった。落としたところを鐘ケ淵というようになった。

ほんとかなあ。古事記のこじつけ地名由来みたいだ。

中に入らせてもらう。左手が墓地になっている。案内が出ているので目指す墓はすぐに分かった。奥まったところにあって、ここもシュロなどが好き放題に繁っている。

文士の墓というと何か身構えるところがあるが、自然のままがそれを取り払ってくれる。墓の右側が欠けている。戦火の跡という説もあり、短歌を志す人たちが少しずつ削ったとも言う。

(続きは次回。すみません)

2010年7月 4日 (日)

カムバック!マラドーナ・乞うご期待・エピソード6「アルビセレステの帰還」

まさかまさかの4−0、マラドーナ監督もなす術がありませんでした。

いつものオーバーアクションも見せずにじっと腕組みをしていたまま。時折転がってきたボールを手渡したり、ちょこんと蹴りあげて戻してやる姿も、どこか寂しげだった。目の前で起きていることが信じられなかったんでしょう。

ぶちのめされた。華麗なパスワークもカットされ、ロングシュートも枠にいかない。開始早々、前半3分の失点が、想像以上に選手に重くのしかかった。いつもなら反撃はたやすいのに勝手が違った。

バックスの堅さはそれこそ鉄壁。前線のクローゼも自陣に戻ってボールを奪う。そこからの反撃は素早く、冷静だった。

ドイツは無敵だった。守備と攻撃、その連動性、スピード、技術、精神力。欠点が見当たらない。左サイドのエジルら若手の成長も著しい。

ドイツサッカー恐るべし。スペインも撃破してしまいそう。片方はオランダか。守備に難点があるので、今のドイツにとっては難しい相手ではない。

しかし、とへそ曲がりは考える。強すぎるチームに肩入れするのは好きではない。

この状況は「帝国の逆襲」のシチュエーションなのだ。シスの帝王とダース・ベイダーの支配は圧倒的だ。
未来も希望も見えてはいない。

だが待てよ。「ア・ニューホープ」が生まれているのに気づかないだけだ。無敵にもどこかに弱点はある筈だ。1つの希望をどうやって見つけ出すのか。

「悲しみは深くとてもつらい」。マラドーナ監督に余裕はないかもしれない。しばらく時間を取って振り返ってほしい。ぶちのめされた原因を。

ヨーロッパスタイルも加味していたドゥンガ監督には、答えは探せないだろう。マラドーナしかいない。「神の頭脳」で分析してほしい。

4年後のブラジル。見違える強さでアルビセレステに帰ってきてほしい。(アルビセレステは、白と水色。アルゼンチン国旗とユニホームの色でチームの愛称)。そして見せてほしい。「リターン・オブ・アルビセレステ」という完結編を。

               ×       ×

1977年5月、ロスに行った。「未知との遭遇」を見るためだった。ホテルの前で「スター・ウオーズ」を上映していたのですぐに見に行った。

冒頭から圧倒された。冒険活劇の面白さに胸躍らせた。劇場はマリファナ臭かった。キメて、あの空中戦を見るとぶっとんで最高という噂だった。日本公開は半年後だったので、「オレは見た」と随分吹聴した。

               ×       ×

アルゼンチンにとって長い暗黒の時代が始まる。どうやって希望を見いだしていくのか。つらいが誰かがやらねばならない。

きっといる。ルークが、レイア姫が。

ブラジルで見たいんだ。マラドーナ監督が大はしゃぎする無邪気な姿を…。

2010年7月 3日 (土)

空中戦で墜落ブラジル、ドゥンガは日本の監督でどうか。西村主審は毅然

ブラジルが空中戦で散ってしまいました。柱をたたいて悔しがるドゥンガ監督だったが、焦る気持ちが先に立ったブラジルにはゴールの余力は残っていなかった。

前半はブラジルのペース。1−0で折り返して楽勝と思われたが、オウンゴール(その後、スナイデルの得点に変更)で流れが変わってしまった。ブラジルにとってはW杯初のオウンゴール。屈辱がチームをバラバラにしてしまった。

スナイデルのロビングはキーパーがパンチングをしていれば、なんということもなかった。フェリペメロとの連携ができなかった。ブブゼラで聞こえなかったのか。

オランダは息を吹き返す。CKをカイトがそらしたのをスナイデルが絶妙のヘッド。ドンピシャで合わせるンだから世界の一流。

まだ時間はあったのにブラジルの攻撃はちぐはぐ、縦パスのミスも目立った。はやる気持ちばかりが先に立ち、決定機さえ作れない。

ジュビロ磐田の黄金期を作った立役者は間違いなくドゥンガ。ミスをした味方選手を怒鳴り散らして鼓舞していた姿は、目に焼き付いている。ドゥンガがいたからJリーグの質も上がった。日本にとっての功労者、勝たせてあげたかったけど、チームが空中分解しては、いかんともしがたい。

ドゥンガ監督は激しい非難を浴びながらも、個人技のブラジルに組織力を接ぎ木した。鬼に金棒と思われたが意外な弱点が露呈した。逆境時の精神力だ。

組織に小さな小さな穴が見つかったとき、不安が広がってしまった。その穴を塞げば済むことなのに、たいしたことはないという共同意識にはならず針の穴を巨大に感じてしまった。

難しいもんです。個人と組織。両立させることは永遠の課題なんでしょうか。

ドゥンガはこれでおしまいです。日本の監督はどうだ。日本人の下手さは分かっているし、怒鳴り倒して鍛えるのもいいかもしれない。選手もドゥンガには文句も言えまい。

西村雄一主審は毅然としてました。なんか他の試合より笛の音がよく聞こえた。流すところは流してゲームを途切れさせなかった。後半、デヨング(多分)のシミュレーションも見逃さなかった。すかさずイエロー。

テレビでは解説の山本昌邦が「本当の戦いはこれからです」をなんとかの一つ覚えみたいに繰り返していて見逃していたが、あれは明らかにシミュレーション。

それにしても山本昌邦はブラジルの動揺を見抜けていなかった。だからアテネで負けるんだ。磐田も立て直せなかった。

西村主審はフェリペメロの反則も見逃さなかった。オウンゴールで動転して頭に血が上ったままだったフェリペメロが、倒れたロッベンを踏んだのをきっちりと見ていた。すかさずレッド。

迷わずに毅然としていて気持ちのいいレフェリングだった。終了近くに再び赤いカードを手にしたのはご愛嬌。黄色を持ったつもりが赤だったんですね。びっくりさせないでください。

2010年7月 2日 (金)

すずらん商店街と貸本屋の思い出

NHK「ゲゲゲの鬼太郎」で、松下奈緒が自転車に乗って買い物に行くすずらん商店街。調布にこの名前の商店街はありません。架空の商店街なんですが、モデルはあります。

「検索フレーズランキング」を見てると、すずらん商店街が上位に来てるので、以前に少し書いたのですが、少し詳しく紹介します。

調布駅北口を出ると旧甲州街道にぶつかります。左折して100㍍弱のところに調布銀座のバス停があります。その左手の調布銀座商店街がそうです。

写真は旧甲州街道側から撮ったもの。突き当たりを右折すると古そうな和菓子屋さんがあり、左に曲がると、道路の向こうはもう京王線の線路です。

50㍍足らずの小さな商店街です。どことなく昭和の香りを残してます。銀座の名前がついてるので、昔は一番、

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にぎやかな通りだったのかもしれません。北口の駅前にはパルコのビルが建ち、終日にぎわってます。こちらは立地条件の問題もあり、通る人もあまりいません。

駅の階段には、「モデルになった調布銀座」と言うポスターも貼ってありますが、商店街には特にそれらしきものはありません。

                     ×         ×

話かわって貸本屋。東京オリンピックの年、昭和39年(1964)まで続いていたというのは私にとっては驚異です。それも1冊10円で貸しているらしい。10円ですよ。100人の客が借りて1000円。もりそばが50円の時代、大卒サラリーマンの初任給は2万円を超してました。

家族で生活するには3万円は最低必要だったでしょう。仕入れや家賃を引くと、松坂慶子の店のもうけは、1日100人来ても2万円になるのかならないのか。やってけませんね。亭主はギャンブルばかりやっているし。


我が家の近所、小学校の通学路にも貸本屋ができました。確か、昭和33年ころ。母親から10円もらって借りにいったこともあった。でも、あまり小学生向けではなかった。特に何かを借りたという記憶はないが、文化が我が家の近くまでやってきたのはうれしかった。

駅からは遠く、まだ農村と言った方がいい地区だった。チャンバラごっこをやっていて、古くなって地面と見分けのつかなくなった肥だめに落ちた友達がいたくらいだから。

漫画が俗悪の代名詞としてPTAから目の敵にされる前の時代だった。こぞって読んでいるわけではないから、親も目くじらは立てなかった。「赤胴鈴之助」「まぼろし探偵」の「少年画報」や「少年」は特別の日に買うことを許されていた。正月とか進級祝いの4月には分厚い月刊誌を弟と一緒に読んだ。

「少年」では「鉄腕アトム」「鉄人28号」「矢車剣之助」などを楽しみにしていたっけ。買えない号は同級生の家で読ませてもらった。というより、野っ原で遊んでいる方が楽しかった。

妹は「少女」を買ってもらっていた。「あんみつ姫」が人気だった。


中学に入る年には少年週刊誌が創刊された。週刊誌ブームの子供版で「週刊少年サンデー」と「週刊少年マガジン」が昭和34年(1959)3月、同時に発売になった。

まだ漫画誌ではなかった。少年向けの週刊雑誌だった。サンデーの漫画は巻末の「スポーツマン金太郎」だけだったように記憶している。作者は寺田ヒロオ。トキワ荘の伝説のリーダー。金太郎が巨人、桃太郎が西鉄に入団して覇権を争うおとぎ話のような野球漫画。

値段は30円。とても毎週は買えなかった。小遣いは、多分1日10円以内。コロッケが特売日は5円、駄菓子屋のイカのゲソは2円だった。プラスチックの瓶に入って、何とも言えない甘辛の味がついていたやつ。ラーメンはまだ30円だったか。

近所の貸本屋はとっくになくなって文房具屋に変わっていた。

それが駅近くの商店街では昭和39年まで続いている。もう、サンデー、マガジンの時代だった。この頃には漫画雑誌になり、次々にヒット作が生まれていた。「おそ松くん」は争って読んだ。赤塚不二夫のシュールなギャグ漫画の自由さが痛快だった。60年安保に感じていた閉塞感を吹き飛ばしてくれたのだろう。

オリンピックの年は高校3年生。マラソンは調布の友達の家でテレビを見て、近づいてきたら甲州街道まで駆け出してアベベを見た。速かった。

このころ貸本屋のことは頭から消えていた。続いている方が不思議だ。細々と生きながらえたんですね。貸本専門の漫画家がいることも知らなかった。劇画ブームとして貸本文化が形を変えて脚光を浴びるのは随分あとのことだ。

水木しげるさんが世に出るきっかけになった「ガロ」を読み出すのは大学に入ってから。ドラマでは、村上弘明が始めた雑誌「ゼタ」です。白土三平「カムイ伝」目当てだった。

2010年7月 1日 (木)

圭司、打つんだ!・打たない玉田に怒りのメール

なぜだ!なぜ玉田はシュートを打たないのだろう。あの場面、あの時間を考えたら、GKとぶつかってでもシュートでしょう。使われた意味を分かっていない。気取って横に流しても味方に合わせられないんじゃあ、無意味なパス。強引に打ってこそ泥臭いプレーですよね。あれでは腰を振ってもいけないアレと同じだ。
 ジョホールバルの歓喜は、中田がミドルシュートしたから、ヒーロー岡野が生まれた。玉田の得点感覚は鈍ってきているのかもしれない。つまり衰えたということ。
 クソーッと思いながらも寝不足は解消されそう。お疲れさまでした。

                            A大サッカー部OB 町田

B級グルメのチャンピオンから怒りのメールが届いてました。A大サッカー部とかしてるからブログ掲載を望んでるんだろうと勝手に思って転載する。(今までも無断だったけど)。

                  □         □

同感です。あそこは何が何でも打たなければいけない。中央の中村憲剛にも2人がマークしていた。パスを通せれば最高に美しい。しかし、あの状態で正確にパスするのは難しい。

だったら打つしかない。確かにキーパーが目の前にいたし、ゴールの可能性は低かったかもしれない。だけど打つんだ!。サッカーは確率論じゃない。

マチダがいつも口を酸っぱくしていっているが、教育大サッカーの弊害だ。

こういうことです。日本にサッカーを広めたのは戦前の師範学校と戦後の教育大(筑波大)出身の先生たち。彼らは、一人が目立つことを嫌った。センターフォワードが強引なプレーをすると、組織の大切さを説かれた。それで才能は失われていく。

先生たちの目標は教育。その一環のサッカーだった。強いサッカーを、世界と戦うサッカーをめざしていたわけではない。

選手たちは、その教えが体に染み付いていった。例外は釜本や国見の大久保ら。国見の小嶺忠敏監督は大久保の才能を見抜いてがむしゃらさを生かしてやった。だから国見は強かった。釜本は天性のストライカー。

それで日本サッカーはこぢんまりしてしまった。強引さがないから怖くない。戦術を読んでしまえば守るのはたやすい。

驚異のシュートは意外性と同義語だ。まとまってしまったサッカーなんてつまらない。

結果論になるけど、玉田でなくて森本投入でもよかったかもしれない。

本田圭佑が輝いたのは、個を主張してからだ。オランダ、ロシアで打ってなんぼということを教わった。打たないやつには誰も注目しない。打って決めてこそチームメートに認められる。いつでもどこでも打てるし、その上で奇麗なパスが通せればもっといい。

(NHK「スポーツ大陸」の本田編は、いいドキュメントだった。ビッグマウスがより高いプレーをめざしていく過程が、よく理解できた。再放送があったら見てみてください)。

いい人なんて誰も欲していないんです。

4年後のために何をなすべきか。「感動」「涙」は忘れて、すぐに取りかからなくてはならない。世界は厳しい。


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