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2010年6月 4日 (金)

武藏熊野神社古墳・絵入り

南武線の西府駅北口に案内板がある。「熊野神社古墳500メートル」と出ている。甲州街道にぶつかって左折すれば右手にあるらしい。へそ曲がりなので、甲州街道を直進して次の道を左折してみた。

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住宅街を進むと前方に円い山が見えて来た。あたりにそぐわない感じが期待感を高まらせる。結構大きい。円は石で覆われている。びっしりと敷き詰められている。「こんな古墳があるのか」。土まんじゅうを作って搗き固めただけではないんです。道は古墳にぶつかって折れ曲がっているので、直進すると横原に至る。右手は幼稚園。園児たちが古墳の目の前で遊んでいる。左手が熊野神社だ。

古墳は神社の裏手の小山として残っていた。室があったという文献に気づいた府中市が発掘を進めて古墳だと判明したのだ。パンフレットによると、墳丘の高さは5メートル。下方部(1段目)の一辺は32メートル、下方部2段目は23メートル、上円部の直径は16メートル。立派なものでしょ。


Cimg0058
(左手に古墳がのぞく)


築造には当時の最新技術が使われたようだ。墳丘が崩れないようにするためには、種類の異なる土を交互に堅く積み上げる「版築工法」を用い、墳丘部は全面を河原石で葺いている。「上円下方」は中国の思想に基づく。古代中国には「天円地方」の考え方があり、円が天を、四角が地を象徴し、この形が宇宙や世界をあらわしているという。出土した鞘尻金具には「七曜文」がついているという。模様の中に7つの○があって、これは国産初の貨幣「富本銭」だけに見られるもの。古代中国の宇宙観をあらわしたもので、最新文化として取り入れたのだという。

Cimg0060
(横から見たところ)


誰の墓なのか。「つまり、熊野神社古墳の被葬者は、在地の有力者でありながら、新しい思想や技術をいち早く取り入れることのできた人物であり、後の多摩郡の郡を監督した郡司層につながっていく有力者であったと考えられます」。ちょうど、今年の2月に発行された「多摩のあゆみ」が「特集 多摩川流域の七世紀古墳」を扱っていた。そのなかの「七世紀における多摩川中流域左岸の古墳と集落」(江口桂氏)からの引用だ。

続きはこちらになってます。

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