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2010年6月 8日 (火)

貫井神社 小金井市

貫井神社の横手からは湧き水が流れ出ている。清水は社殿前のひょうたん池に勢いよくそそいでいる。この湧水を利用してプールが作られていた。貫井地区の青年団が募金と勤労奉仕で大正12年(1923)に完成させた。長さ50メートル、幅16・5メートル、深さ1・6メートルの本格的なものだ。

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(緑に囲まれた貫井神社)

「冷たいのが欠点だった」。そりゃそうだ。湧き水だから水温は15度くらい。震える冷たさだ。井戸水を使っていた井の頭のプールも冷たかったっけ。小金井出身の高校の同級生は、ここでよく泳いだと言っていた。

小中学校などにプールが作られるようになった昭和51年に役割を終えて取り壊されたが、鳥居の前に「貫井プール跡」の碑が建てられている。

神社の裏と横は雑木林。崖の下の平地を利用して建てられており、うっそうとしたという形容がぴったりだ。古くから小金井有数の景勝地として知られており訪れる人も多い。

ちょうど学芸大学の学生が先生に引率されてやってきた。「学芸大学」とプリントしたTシャツを着ていた男子学生がいたので間違いないだろう。

「今は貫井神社となっていますが、江戸時代には貫井弁財天と呼ばれていました。弁財天で知っているところは?」と質問しているが、返事がない。デートスポットの井の頭公園にある弁財天くらいは知っているだろうに…。とぼけていると先生になってから苦労するよ。

「江ノ島の弁財天がありますね。広島の安芸の宮島の厳島神社もそうですね。いずれも水に関係してます」と教えてから学生に湧水に触らせ水温を確認させていた。

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先生の話を聞いていて知ったのだが、拝殿の前の石灯籠は貫井村の巳待(みまち)講中が元禄16年(1703)に寄進したもの。蛇は弁財天の使いで、雨乞いと関係しているのだろう。

貫井弁財天がこの地に遷座したのは天正18年(1590)。小田原城が落ち徳川家康が江戸に入った年だ。

それまでは貫井村発祥の地と伝えられる「下弁天」にあった厳島神社と稲穂神社を合祀して現在地に移したという。下弁天は滄浪泉園の南、野川の右岸になるのでちょっと離れている。貫井神社上弁天、古い方を下弁天と呼び、かつては湧水池があり、池の中央に弁財天を祀っていたという。


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(岩の間から湧いた水が神社の脇を流れる)

明治の廃仏毀釈で18年に厳島神社と改称、「さらに貫井神社を合祀」と案内板にあった。この貫井神社は下弁天のことか。よくわからないですね。

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