フォト
無料ブログはココログ

« まさかのニュージーランド・またしてもカンナバロ! | トップページ | ねこ娘がいったんもめんに乗ってる天神通り商店街・調布 »

2010年6月22日 (火)

桜桃忌余話・禅林寺そばに住んだ瀬戸内晴美

太宰の墓がある禅林寺を出て連雀通りを左に曲がった荒物屋に上京したばかりの瀬戸内晴美(寂聴)が下宿していた。

禅林寺の境内から墓地を通り裏の雑木林を抜けるのが彼女のお気に入りの散歩コースだった。

「下宿から、二、三軒先に禅林寺という寺の山門が見える。街道から引っ込んだ山門までの参道に、石屋の鑿の音がいつもひびき、墓石が彫られている。禅寺らしい静寂にみちたこの寺の墓地から、裏の雑木林に抜けるのが私の好んだ散歩の道だった。時々、ウイスキーの空瓶が並んでいることがある。あまり短くなっていない線香の煙がただよっていることも多い。一九四八年六月十三日、梅雨の最中に玉川上水に恋人の山崎富栄と投身心中した太宰の為に、妻の美知子夫人が建てた墓だった」。

Cimg0242
(禅林寺の山門)

瀬戸内晴美が三鷹に住んだのは、三鷹駅の近くの玉川上水と並行した通りに丹羽文雄邸があったためだ。ここから多くの文学者が育っていった。

丹羽文雄の文学の転機になった作品に「遮断機」(昭和27年)があるが、「文学者」の終刊記念号(昭和49年)に瀬戸内が「遮断機への道」という文を寄せ、上京当時のことを書いているのだ。

寺を出て左折すると、荒物屋ではないがタバコの自動販売機を置いている店がある。裏は二階建てのアパートになっている。多分、ここに住んでいたのだろう。

駅近くまで歩いて「太宰治 文学サロン」に寄る。桜桃忌なのでいつもより訪ねる人が多い。「桜桃」のTシャツを売っていた。私には着る勇気はない。帰り道、そのTシャツを着た人とすれ違った。目を見張った。

Cimg0243_2
                                      (太宰治文学サロン)

太宰が住んだのは、上水沿いに井の頭方面に行き、右折した住宅街。

この家についても瀬戸内は自伝的小説「いずこより」で触れている。

太宰の住んでいた家を買って当時のまま住んでいる子連れの女、夫と別れて小説を書きたいという。

「六畳の部屋の隅に形ばかりの床の間があり、縁側から向こうは畑が見える。太宰がここから、武蔵野に沈む夕陽を見た縁側であり、裸の肩にタオルをかけ、女につけられたキスマークをタオルで隠しながら晩酌をしていた座敷かと眺める。『ヴィヨンの妻』のヒロインの住んだ家の間どりもこうだった筈。あとは四畳半と台所があるだけの、まことにささやかな部屋だった。この荒れはてた家で、帰らない夫を待ちながら、乳吞児をかかえていた人の心の凄まじさが、はじめて四囲からひしひしと鬼気になって迫ってくるような気がした」。

まさに鬼気。気の小さい私は文学者にはなれません。

(以上は「ふるさと文学館」第16巻、ぎょうせい、巻末の「文学者群像」(大河内昭爾)に教わりました)。

« まさかのニュージーランド・またしてもカンナバロ! | トップページ | ねこ娘がいったんもめんに乗ってる天神通り商店街・調布 »

三鷹市」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1320081/35376742

この記事へのトラックバック一覧です: 桜桃忌余話・禅林寺そばに住んだ瀬戸内晴美:

« まさかのニュージーランド・またしてもカンナバロ! | トップページ | ねこ娘がいったんもめんに乗ってる天神通り商店街・調布 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31