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2010年6月 9日 (水)

井の頭弁天様の参道

井の頭公園には幼児の頃から何度も行っている。小学校の遠足もそうだった。冷たい井戸水のプールにも行ったし、デートでボートにも乗った。花見で酔っぱらったこともある。だけど公園の南側には行ってないので、弁財天の参道には気づいてなかった。

当たり前のことなんだけど、神社には参道があるんです。弁天様にお参りするには、参道を通ってちょいと坂を下って池に突き出した弁天様をめざすのが正しい。

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(黒門、左の石碑が道しるべ)

これまでは基本的に吉祥寺駅の南口から丸井の横を通って池に下りていた。(丸井のところは映画館だった。確か、吉祥寺ムサシノだったか。「ウエスト・サイド物語」はここで見た)。裏からお参りしてたんですね。

弁天様の南に大盛寺がある。もとは弁天様の番守だった寺だ。ここから左斜めに行くと、黒い鳥居がある。鳥居の脇に「神田御上水源 井頭弁財天」と刻まれた石の道しるべが建っている。延享2年(1745)に作られ、天明4年(1784)に建て直されたものだ。

江戸時代には甲州街道から高井戸、久我山を通って参詣した。玉川上水をたどって行くと京王井の頭線の高井戸駅に出る。上水沿いの道を通ってお参りしてたんだ。

道しるべの台石には芝居、浄瑠璃関係者の名前が刻まれており、演劇関係者の信仰を集めていたようだ。参道を進んで池に下りる手前の灯籠は、町人たちが寄進したものだ。「弁財天石鳥居講中」が費用を出し合い、江戸麹町7丁目金井伝右衛門が願主発起人。他に上州屋平兵衛、屋根屋佐兵衛、乗物屋文蔵…などの名前があった。井の頭から引いた神田上水への感謝の気持ちが汲み取れる。

中央線が開通するまでは店が軒を連ねにぎわっていただろうに今は住宅街だ。地元の人以外はほとんど通らない。往時を偲ぶよすがはないが、斜めに変に曲がった道に面影をたどれなくもない。

弁財天は1197年(建久8)に源頼朝が建立したと伝えられる。幕府を開いてからすぐのことだ。鎌倉幕府の開府は今では1192(いいくに)ではないらしい。教科書は何年としているのかな。新田義貞も1333年の鎌倉攻めの時に戦勝を祈願したという。相当古くから井の頭の名は知られていたんですね。もっとも井の頭と呼ばれるようになったのは徳川3代将軍家光の頃で、その前は七井の池といわれていた。

まあ、思い出したら黒門を確認しに行ってみてください。5分もかかりませんから。

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