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2010年6月の記事

2010年6月30日 (水)

モアイ像と映画「サラフィナ」・無念のPK負け

期待と不安が混じった試合前は、チャンネルをあちこち変えて大久保嘉人の母親の姿を探した。なぜかデンマーク戦の前に、大久保そっくりのおかんがインタビューに答えているのを見て日本の勝利を予感した。どこかのテレビ局が放送してくれないかと探し求めたのだ。大久保と瓜二つの母親の顔を見ると、落ち着くんです。

見つからなかった。単なる験担ぎだが、さざ波が広がってしまった。どうもお母さんは一次リーグの3試合を見届けてから日本に戻ったようだ。不安の火は消えなかった。


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TBSしかやってないので仕方なくチャンネルを6にした。入場前、主将なので先頭にいる長谷部が一緒に手をつないで入場する女の子と話している。いい光景だ。女の子の緊張を和らげているのだろうか。平常心は保てている。頼もしい。

この子の顔が、ウーピー・ゴールドバーグに似ている。ゴールドバーグの少女時代も、こんなかわいかったのだろうか。目がくりくりして利発そうだ。小学校の低学年か。

南アでゴールドバーグと言えば映画「サラフィナ」です。サラフィナという高校生の女の子が主人公の青春ミュージカル。サラフィナは、スワヒリ語で明るい星、ズールー語で小さな天使の意味だそうです。サラフィナはネルソン・マンデラを崇拝している。ゴールドバーグは高校の歴史の教師。

高校生たちは反アパルトヘイトに立ち上がっていく。暴力志向を強めていくがゴールドバーグは、暴力だけでは解決しないといさめる。その非暴力のゴールドバーグも逮捕されてしまうが、サラフィナたちは歌と踊りで立ち上がっていく。

ラストは感動的です。ブロードウェイのヒットミュージカルなので、当然、歌と踊りになるわけなんです。ここが私の甘いところなんです。共感して涙してしまう。

1992年の作品。前年にアパルトヘイトは廃止され、94年には完全撤廃された。

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パラグアイの国家が流れ、先発メンバーの顔をカメラがなめていく。「あっモアイ像だ」。顔がモアイ像そっくりの選手がいる。あごの形がモアイ像と同じだ。試合中にベンチを映した時にもモアイ顔の選手がいた。

モアイ像の顔はある種の誇張と思っていたが、写実だったんですね。パラグアイの人たちは、イースター島の住民とどこかでつながっているのだろうか。

センターバックのダシルバだった。本田圭佑をガリガリ削りにきていた守備の要。

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と、くだらないことを考えてました。

PK戦はしようがない。PKではあちらの方が上手だ。川島も最初の2本は読んでいたが、きっちりと隅に蹴ってくる。

かわいいサラフィナは、モアイ像にはね返されてしまったんです。

4年後のブラジルは、ベスト4を手にするぞ!


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2010年6月29日 (火)

さあパラグアイ戦・楽観ムードが心配

「女子アナの件、見てましたよ。全く同じことを思っていました。テレビに向かって毒づいたら、カミさんに「完全にジジイ」と、バカにされました」。

きのうのブログにマチダさんからメールが来ました。青学サッカー部OBの職場の元同僚です。ジジイの感性は似てくるんですね。「完全にジジイ」なのか。反応する個所が、若い人とは違ってきてるのか。反省しないといけないかな。ジジイ度がアップしてる。

ブログのタイトルも「ぶつぶつ小言幸兵衛」にしないといけないか。

パラグアイ戦。楽観ムードがただよっている。冷や水を浴びせるわけじゃないけれどパラグアイは強いよ。守りは堅いし個人技も優れている。前評判の高かったスロバキアに2−0で完勝している力は侮ってはいけない。一瞬の隙をついてくるしたたかさも持っている。

この楽観ムードは、手のひら返しの岡田監督評価と同じだ。石原慎太郎都知事も会見で言っていた。「世の中なんてそんなもんさ」。

どうもあまのじゃくの性格なので、みんなが右というと左に行きたくなってしまう。世の中のムードには逆らおうとする。

FKはそんなに毎度、決まるもんじゃない。本田に続いて遠藤も決めたのはミラクル。そうそう期待してはいけない。となるとサイドからえぐってのアーリークロスしか武器がない。どこまでサイド攻撃が繰り出せるか。

日韓大会で選手たちはグループリーグ突破で満足してしまった。選手というより協会全体が達成感で覆われてしまったようだ。今度は選手はもっと上をめざしている。そこが明るい材料だ。

〈オランダ×スロバキア〉

ロッベンの左足シュート。3人に囲まれ、コースはあそこしかない。それを決めるんだからすごい。後半39分の2点目も頭脳プレー。相手のバックスが抗議しているのを見て、素早くFK。カイトが飛び出したGKに競り勝って中央に走り込んだスナイデルにパス。あとは無人のゴールに流し込むだけ。

したたかさも合わせ持ったオランダ、次のブラジル戦が楽しみだ。
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ブログをアップしたらさっそく、マチダさんから追伸が来た。

短いメールだったので、真意が十分伝わらなかったようです。前段の加藤の反応までの見解は、まったくもって正しい。ジジイなのはテレビに向かってブツブツ言っている姿のことなのです。感性はまだ大丈夫でしょう。

テレビに向かってぶつぶつ言っているのと、ブログでぶつぶつ言っているのも、あまり変りはないかもしれない。

2010年6月28日 (月)

女子アナ赤面絶句のドイツ×イングランド

ドイツがイングランドを蹴散らした。クローゼの巧みな先制点、若さとスピードが躍動したカウンター、イングランドは打ちのめされた。

幻のゴールが認められて2−2の同点になっていたとしても勝ちきるのは難しかったのではないか。

先制のクローゼ、スライディングしながらのシュートはさすが、ベテランGKとの間合いをうまく計っている。

後半の逆襲からの2点も高速戦車のよう。速い速い、圧倒された。

試合後のTBSのスタジオでのハイライト。女子アナがナレーション。(どのシーンだったか一晩寝たら忘れてしまった)。後半のジェラードのシュートだったか。(夕方のニュースを見て確認できたらちゃんと直します)。

女子アナが「シュートは惜しくも枠を外れ…」と用意された原稿をそのまま読むと、加藤浩次が「キーパーが触ってる!」と鋭い突っ込み。

かわいそうに、その場面はリピートされ、確かにキーパーが手ではじいている。手というよりは指だ。

女子アナは絶句。数秒間はしどろもどろになってしまった。パニクっている表情も映し出されていた。何を言われているかも分からなかったんだろう。

横の水沼貴史は、突っ込んではかわいそうと思ったのかニヤニヤしていた。

女子アナが悪いわけではない。原稿を書いたスポーツ部の記者が、よく見てないのだ。自局の南アからの中継すらろくに見ていない。共同通信の記事でもリライトしたのか。

サッカーをやったことがあれば、ボールの軌道が変わったことは直感的に分かる。打った瞬間に弾道をイメージしているからだ。記者は、枠に行ってないから、外れたとしか書けない。

紋切り型の原稿ばかりを書いて満足してるとこういうことになる。

きちんと指摘した加藤はさすが経験者。小さなことだけど、こういう間違いって許せないんだよね。

女子アナも中継を見てたのかな。中継ではちゃんと、「キーパーが触ってます」とアナウンサーが言っていたし、解説の小倉隆史も「触ってますね」と確認していた。

中継をまじめに見ていないから、こういうミスに気づかない。まあ無理か。

いつもは民放はほとんど見ない、というかテレビはつけないので(ほとんどラジオ)、名前も顔も知らないが、女子アナは桝田絵里奈のようだ。

用意された原稿をそのまま読むのではなく、常に疑問を持ってください。自分で考えることです。この失敗を糧にしてがんばってください。


2010年6月27日 (日)

韓国の敗戦から学ぶこと・緩慢プレーは命取り

いつもの韓国らしくないゲームだった。NHKの解説で山本昌邦も指摘していたが、どうも動きが重い。キレを感じられない。不安は早々と的中してしまった。前半8分。右サイドを駆け上がったカバニが右のフォルランへクロス。

これが大きい。フォルランのはるか頭上を越えてしまった。ラインを割ると思えた。

ここで緊張の糸が緩んだ。気持ちは前がかりだ。バックスは逆襲を予想して前を向いている。ところが追いつくんです。あわててDFがマークするが、切り返されてゴール前へ。

まだバックスは前に意識がある。緩いパスだったのでキーパーが取れると踏んだのか。ところが全身を投げ出したジーケーには届かず、駆け込んだスアレスに流し込まれてしまった。痛恨のミス。

気のゆるみ。バックスは4人揃っているのに2人にやられてしまった。悔やんでも悔やみきれない緩慢プレー。赤い悪魔も気を抜いたらやられてしまう。

ここからはスイッチが入って猛攻を繰り出し、ブルードラゴン李青龍がFKの競り合いに勝ちヘッドで同点としたが、後半35分に、またしてもスアレスにやられてしまった。右足のシュートがカーブしてゴールへ。

あの場面だって、蹴りだすチャンスはあった。DFに当たったボールがスアレスの右足の前に転がる不運。ちゃんと蹴りだせればよかったんだが。ついてない時はこんなもの。


日本が対戦するパラグアイも、ウルグアイと同じようなプレースタイルだと山本昌邦が言っていた。ウルグアイは縦への突破がうまい。ボールを持てば裏をついてくる。攻撃に人数はいらない。3人もいれば十分だ。

日本は前線から厳しくマークする必要がある。さらに裏への注意も欠かせない。これを90分間持続するしかない。体力的にも苦しいだろう。踏ん張って踏ん張って、自分を、チームを鼓舞しながら戦い抜いてくれ。

〈大久保嘉人はエゴイスト〉

きのう(26日)、NHKBSでデンマーク戦の再放送を後半15分から見た。(半端なのは、この時にBSで放送しているのを思い出したから。おもむろにテレビをつけた)。やっぱり大久保はエゴイストだった。オシムさんの言う通り。

デンマークのパワープレーに耐えている場面。どんどん放り込んでくる。身長差があるからバックスは一瞬たりとも気を抜けない。よくはね返しつづけた。

こんなとき追加点があったら、どんなに楽になるだろう。

後半20分。中央の大久保は左の遠藤(?)がフリーなのもかまわずに強引に打ちにいった。40分もそうだ。今度は本田(?)がフリーだった。

強引、アグレッシブなのはいい。だけど、状況を考えてもいいのではないか。お山の大将のサッカーが通用するのは高校まで。


2010年6月26日 (土)

「本田のFKはたいしたことない」いいねえオシム節

日本中、いや世界中が本田圭佑のFKに称賛の嵐なのに、そっけないというか冷たいというかオシムさんは相変わらず辛口だ。スカパーの解説をやっているためオシムさんは日本のマスコミの取材に連日、応じている。

オランダ戦では「大久保はエゴイスト」「本田はレスリング」などばっさり。大久保はフリーの選手がいるのに自分でシュートにいったこと、本田はボールを収められなかったことがやり玉に挙がった。

デンマーク戦では本田を褒めるどころか「たいしたキックではない」とにべもない。ただ、岡崎へのアシストは「美しかった」とチームプレーをたたえた。

いいねえ、熱狂に水をぶっかけるこういうの。へそ曲がりは大好きだ。

真意はこういうことではないか。FKは個人技だし偶然に頼らざるをえない。FKに頼っていてはチームは強くなれない。走って速いパスを繰り出す連動したチームプレーから得点することこそが基本だ。体格が劣るからこそ日本は、組織されたサッカーをしなければならない。

そうだ、偶発的な要素に浮かれていてはいけないのだ。オシムさんは、もっと上のレベルのことを考えている。

なんで本田を褒めないのか。こんなことも言っている。「チヤホヤするのはやめた方がいい。若者はすぐにつけあがる」。

うれしくなっちゃうね。小言じいさん。

ボランチ陣の守備の要、阿部勇樹を見よ。阿部を入れてからチームは変わった。守りの不安がなくなったので、前線が攻められるようになった。中澤、闘莉王のセンターバックの強さが生きるようになった。阿部はオシムさんの申し子だ。その教えが体に叩き込まれている。

オシムさんの教えがあったから今の日本代表があることは忘れてはいけない。クラマーさんが日本サッカーの父なら、オシムさんは日本サッカーの育ての親だ。

クラマーさんが来日したのは私が高校生の頃。すごい人が日本代表を教えていることは、多摩の高校にも伝わってきた。顧問の松浦先生は東京都サッカー協会でも一目置かれる存在だったから、主将にクラマーさんの教えを高校生向きに説明したんだろう。私はへぼで、それ以前だったから何も分からなかったが、主将が作る練習法などが少しクラマー流になっていったのでクラマーと言う名の印象が強く残っているんだと思う。

ところで毎度、オシムさんに槍玉に挙げられる大久保。がむしゃらさはいいんだけど、もっと周りを見てもいい。デンマーク戦でもフリーの選手(本田だったと思う)がいるのにシュートしていた、オシムさん「大久保はワンマンプレー」と、個人プレーは見逃さない。

猪突猛進だけでは網を張ればいい。相手にとって怖くない。大久保そっくりの母親のためにも組織プレーも使って点を決めれば、おかんも顔をくしゃくしゃにして喜ぶよ。

見たいな、大久保のおかんの笑顔。

2010年6月25日 (金)

大久保そっくりのおかんを見て勝てると思った・日本16強

大久保嘉人の母の顔を見た時に、なぜかデンマークに勝てると思った。試合開始前のテレビ朝日「報道ステーション」で大久保の母千里さんが取材に答えていた。南アに応援に行っていて、スタジアムに向かう前だった。これが大久保そっくり。あのきかん気の顔が同じ。厳しい母親だったそうだから、大久保の負けん気はお母さん譲りなのだろう。

これを見て、なんだかほっとした。これまで決勝リーグ進出を逃したことのないデンマーク、いささかの不安も覚え始めていたけど、大丈夫だ、行ける!と感じた。

根拠はない。千里さんは「調子はいい。点を決められないだけ」と笑顔だった。この母のいい顔に日本代表全体が包まれているように安心感を覚えたせいかもしれない。

あっ、大久保そっくりというのは違いますね。大久保が母親そっくりなんです。

〈スロバキア×イタリア〉

イタリアはひどかった。不用意なパスミスからの失点。バックスの真ん中へのパスをかっさらわれて早々と失点。後半10分にピルロを投入してボールが回り始めたが、2点目もビテクをフリーにしてしまった。

スローインからコプーネクに決められたのも散漫だった。同点に追いつこうと気持ちが前に向いているのはわかるが、スペースに走り込まれたのに反応できない。イタリアらしくないゲームだった。

(ここで目覚ましをセットして睡眠。1時間ほどで目が覚める)

〈日本×デンマーク〉

立ち上がりは攻め立てられ危ないシーンもあってヒヤヒヤ。簡単にトマソンにスペースに走り込まれてしまう。

システムを攻撃的に変えていたんですね。4−3−2−1から4−2−3−1にしたと試合後の会見で岡田監督が説明していた。

テレビでは全体を映さないから、こちらは浮き足立ってマークがちぐはぐになっているとしか思えない。こういうのは解説者がきちんと伝えてくれなくては困る。誰だ、日テレの解説は。どうせヴェルディのOBだろう。

肝心なことを解説しないのでは意味がない。ひどいもんだ。それとも現地に行ってないので分からないのか。

寿命が縮まる思いをしたが監督の指示で守備を修正、いくらかましになった。

そして続けざまのFK成功。本田の無回転もすごいが、裏をかいた遠藤もさすが。デンマークは当然、本田が蹴ると本田ばかりを注目していた。その隙をついて右隅に決めた。壁はボールを見送っているだけだった。作戦勝ち。

PKはシミュレーションぽかった。仕方ない。長谷部は責められない。はじき方が悪かった川島だが、次はきちんとサイドに散らすだろう。

本田の岡崎への友情のアシストパスも見事だった。打ってもよかったが、岡崎がフリーなのを確認してパスを選択した。

よかった、よかった。「思ったほど喜べなかった」と本田がどん欲なのもよかった。ここで満足してはいけないんだ。

パラグアイ戦も期待してるぞ。

2010年6月24日 (木)

「えらいやっちゃ」逃し残念スロベニア・阿波踊り見られず

〈スロベニア×イングランド〉

あの阿波踊りをもう一度見たくてスロベニアを応援してたんですが、アメリカがロスタイムの後半46分にゴールを決めてしまった。アメリカ×アルジェリアが引き分けなら決勝トーナメントに進めたのに…。人口200万人の小国の国民も、祈るような気持ちで引き分けを願っていたんでしょうが、試合が終わってから残念な知らせが届いてしまいました。

イングランドは引き分け以下では、他会場の結果を待たなければいけないという瀬戸際。硬さが見られたが、前半23分のデフォーのゴールは見事だった。右からのクロスに素早く反応、DFの前をとって右足のアウトサイドでシュート。GKの正面だったが、パンチング及ばず頭上を越えネットを揺らしてしまった。

1−0ならまだ望みはある。アメリカも0−0だ。リードして動きが軽くなったイングランドは攻め立てる。前半はしのいだ。我慢していればチャンスも巡ってくる。逆襲で矢継ぎ早のシュートを三本放ったが、イングランドも体を張って阻止する。ルーニーの決定的なシュートもキーパーが指の先に当ててコースを変えた。

守り抜いて0−1の敗戦。同時刻で行われているアメリカはどうだ。0−0だ。いいぞ決勝だとほくそ笑んだ瞬間、アメリカが1点入れたというテロップ。エースのドノバンが決める無情の結末。あーあ。

スロベニアは「えらいやっちゃ」になる寸前で南アフリカをあとにすることになってしまいました。オシムさんもダークホースにあげていたんですが、及ばなかった。

これで阿波踊りを見ることができなくなってしまった。得点した時の歓喜のダンスがまるで阿波踊り。親近感を覚えて応援してたんですが、あと一歩、勝ち点4で敗退は残念です。

こうなったらスロベニアとの親善試合を組んでほしい。高さ対策にもなるし、速攻のスピードはすばらしい。来日すれば、阿波踊りの謎も解明される。徳島で試合をするのもいいかもしれない。スロベニアの国土は四国と同じくらいというしね。そこで本場の阿波踊りを教えて、世界に広めてもらうのも一石二鳥になる。

2010年6月23日 (水)

ねこ娘がいったんもめんに乗ってる天神通り商店街・調布

調布市はFC東京のフランチャイズなので、商店街にはFC東京のフラッグが飾られている。これが調布市だけの特別バージョン。NHK「ゲゲゲの女房」の舞台が調布市なので鬼太郎が使われている。下駄履きでドリブルをしているようなイメージ。漫画のキャラクターが、そこここではためいているのも乙なもんです。部屋に飾るのも良さそうだ。FC東京のショップに行けば売っているのかな。

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25日のデンマーク戦、鬼太郎のパワーももらっている長友にサイドからの突破を期待しよう。そして思い切りのいいシュートで先制だ。

京王線調布駅の北口には布多天神社がある。延喜式の式内社、多摩8座の1つで古くから祀られている。旧甲州街道と新甲州街道の間の参道が天神通り商店街。天神様の細道で、古くからの商店が軒を連ねている。100㍍ほどの短い商店街だげ、高いビルがないので空が見え、歩いていて気持ちがいい。もちろん、行列ができているラーメン屋やコンビニなどの新しい店も入っているが、あったかみが感じられる。昔ながらの商店街と言う感じだ。通りの先には天神様の杜が見えている。

入り口で出迎えるのが鬼太郎のモニュメント。いつ作ったんだろう?。ドラマのオンエアに合わせたのか。あやかり商法なのだが、嫌みはない。「おっ鬼太郎」てな感じだ。

ちょっと行くと今度はねこ娘がいったんもめんに乗って飛んでいる。渋いねえ。

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ラーメン屋の前ではねずみ男が寝そべっている。ぬりかべもいるぞ。出口には再び鬼太郎。こっちでは目玉のオヤジが鬼太郎の頭に乗っている。入り口のは左手に乗っていた。ちゃんと変えてる。

ドラマも視聴率20%を越えた日もあった。貧乏暮らしが今の人に珍しくて朝ドラとしては久しぶりに人気になっているようだ。

松坂慶子が貸本屋をやっているすずらん商店街のモデルは、こちらではなくて調布銀座商店街。駅からちょっと西に寄っているので、ややさびれている。再開発で駅の場所が移ってしまったのだろうか。

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2010年6月22日 (火)

桜桃忌余話・禅林寺そばに住んだ瀬戸内晴美

太宰の墓がある禅林寺を出て連雀通りを左に曲がった荒物屋に上京したばかりの瀬戸内晴美(寂聴)が下宿していた。

禅林寺の境内から墓地を通り裏の雑木林を抜けるのが彼女のお気に入りの散歩コースだった。

「下宿から、二、三軒先に禅林寺という寺の山門が見える。街道から引っ込んだ山門までの参道に、石屋の鑿の音がいつもひびき、墓石が彫られている。禅寺らしい静寂にみちたこの寺の墓地から、裏の雑木林に抜けるのが私の好んだ散歩の道だった。時々、ウイスキーの空瓶が並んでいることがある。あまり短くなっていない線香の煙がただよっていることも多い。一九四八年六月十三日、梅雨の最中に玉川上水に恋人の山崎富栄と投身心中した太宰の為に、妻の美知子夫人が建てた墓だった」。

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(禅林寺の山門)

瀬戸内晴美が三鷹に住んだのは、三鷹駅の近くの玉川上水と並行した通りに丹羽文雄邸があったためだ。ここから多くの文学者が育っていった。

丹羽文雄の文学の転機になった作品に「遮断機」(昭和27年)があるが、「文学者」の終刊記念号(昭和49年)に瀬戸内が「遮断機への道」という文を寄せ、上京当時のことを書いているのだ。

寺を出て左折すると、荒物屋ではないがタバコの自動販売機を置いている店がある。裏は二階建てのアパートになっている。多分、ここに住んでいたのだろう。

駅近くまで歩いて「太宰治 文学サロン」に寄る。桜桃忌なのでいつもより訪ねる人が多い。「桜桃」のTシャツを売っていた。私には着る勇気はない。帰り道、そのTシャツを着た人とすれ違った。目を見張った。

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                                      (太宰治文学サロン)

太宰が住んだのは、上水沿いに井の頭方面に行き、右折した住宅街。

この家についても瀬戸内は自伝的小説「いずこより」で触れている。

太宰の住んでいた家を買って当時のまま住んでいる子連れの女、夫と別れて小説を書きたいという。

「六畳の部屋の隅に形ばかりの床の間があり、縁側から向こうは畑が見える。太宰がここから、武蔵野に沈む夕陽を見た縁側であり、裸の肩にタオルをかけ、女につけられたキスマークをタオルで隠しながら晩酌をしていた座敷かと眺める。『ヴィヨンの妻』のヒロインの住んだ家の間どりもこうだった筈。あとは四畳半と台所があるだけの、まことにささやかな部屋だった。この荒れはてた家で、帰らない夫を待ちながら、乳吞児をかかえていた人の心の凄まじさが、はじめて四囲からひしひしと鬼気になって迫ってくるような気がした」。

まさに鬼気。気の小さい私は文学者にはなれません。

(以上は「ふるさと文学館」第16巻、ぎょうせい、巻末の「文学者群像」(大河内昭爾)に教わりました)。

2010年6月21日 (月)

まさかのニュージーランド・またしてもカンナバロ!

ニュージーランドがここまでやるとは思いませんでした。イタリア相手に引き分け。耐えてこらえて、守りきってしまった。

オーストラリアが抜けたオセアニアなんて問題にならないと思っていた。アマチュアの選手もいるというセミプロレベルだ。そんな評価最低のチームがイタリアから勝ち点1、選手もサポーターも大喜びしていたのもうなずける。

オセアニアの出場枠は0・5。そもそも、アジア5位とのプレーオフを制したことにも驚いた。相手は、あのバーレーン。予選で日本が苦しんだチームだ。当然、バーレーンが滑り込みで出場すると見ていたのに1勝1分で南アフリカにやってきた。

先制したのはニュージーランド。FKのこぼれ球がカンナバロの右ももに当たり、こぼれたところをスメルツに押し込まれてしまった。

ボールが見えなかったにしても36歳カンナバロは機敏さに欠けていた。とっさの反射神経が衰えているのかな。ももでなく足に当てて蹴りだせればよかったのにできなかった。カテナチオも平均年齢28・9歳、史上最高齢で新旧交代が遅れてほころびはじめているのか。

負けては決勝進出が危ないイタリアはこれで俄然、スイッチが入った。ハイボールを競った時のニュージーランドの肘打ち攻撃にも耐えた。

前半27分にはPKを獲得してイアキンタがきっちり決めた。それにしてもデロッシはうまい倒れ方だった。ユニホームを引っ張られたが、ボールが通過するのを待って見事に倒れた。オーバーアクションが効いた。

こうなればイタリアのものと誰しもが思う。防戦一方のニュージーランド。でもオールブラックスならぬオールホワイツはイタリアのクロス、シュートをはね返しつづけた。鉄壁だった。

イタリアはかさにかかって攻め続けるが決定打は生まれない。PKからでも60分以上、ミュージーランドは猛攻に耐えてみせた。崇高ですらあった。

弱小チームの健闘を称えよう。

イタリアは司令塔ピルロのふくらはぎ痛欠場がやはり響いているのか。前回優勝国の威信にかけても決勝には進むのだろうが、この組は目が離せない。

2010年6月20日 (日)

惜敗なのか・ファウルスローするバカがいる日本とオランダ

0−1の敗戦でも冷静だった。悔しさがあまりない。スナイデルの強烈なシュートを褒めるべきだろう。川島もぶれ球にパンチングの急所が外れた。

あの場面の反省点はたくさんある。しかし、決定的な場面は何度か訪れる。それを確実にものにしたのがオランダの一流の証明。

一夜明けて新聞は「健闘」「惜敗」「善戦」などの見出しが並ぶと思っていたら案の定だった。点差だけで見ればそうかもしれないが、オランダに遊ばれていた。点を入れてからのオランダには余裕が感じられ、日本の攻撃は怖くないとゆとりを持って終了を待っていた。次々にフォワードを代えたのはその証。同点にされる気遣いがないからスナイデルやファンペルシーを下げた。王様試合だ。

闘莉王が決定的な場面を演出しても岡崎のシュートは枠をとらえられない。比べるのもおこがましいが、これがシュナイデルとの差だ。

オシムさんが、リスペクトし過ぎと言っているが、まさにその通り。守りから入るのは仕方ないが、仕掛けをどうするかが見えてこない。「大久保はエゴイスト」「本田はレスリング」「俊輔と遠藤は、ピッチの上のソファで寝そべっていた」とも評している。

大久保の積極性は悪いことではない。シュートの質の問題だ。本田、遠藤は守りの意識が強すぎたか。

気になるのは、なんだか中澤がばてているような印象を受けること。次は高地。大丈夫かなあ。

腹が立ったのはファウルスロー。後半、俊輔を投入してからのスローイング。俊輔が受けたがファウルスローの判定。俊輔は怪訝な顔をしていた。自陣深くだよ。スローイングから失点のケースはよくある。もっと基本を大切にしないと。

直前のコートジボアール戦だったか、後半の大事な時に続けてファウルスローを取られた選手がいた。おそらく今度も同じ選手なのだろう。信じられない。ちゃんと頭の上を通して投げろよ。小学生でもやってるぞ。

オシムは言っていた。「スローインは味方の選手が1人少ないので気をつけなければならない」。分かっているのかなあ。

デンマーク戦は、引き分け狙いではなしに勝ちにいってくれよ。

〈ガーナ×オーストラリア〉

オーストラリアはドイツ戦に続いて、またしても退場者を出してしまった。前半の23分だ。FWキューウェルがゴールライン上でシュートを防いだが、無情にもハンドの判定。一発レッド。

右手がわずかに脇から離れているが、基本的には肩に当たっている。故意ではないし微妙なところだ。ちょっとかわいそう。PKで同点。

ドイツ戦では崩れてしまったが10人でよくがんばって引き分けに持ち込み、わずかながら希望を残した。


2010年6月19日 (土)

きょうは桜桃忌、そして松田優作

雨も上がったので桜桃忌に行って来ました。三鷹市の禅林寺には次から次へと太宰ファンが訪れてきます。70過ぎの夫婦から20代のカップルまでファン層は幅広い。

墓前では行儀よくお参りの順番を待っている。列は途切れない。花束はどんどん増えている。サクランボ、お酒、ビール、そしてゴールデンバット。バットの封を切り、1本を抜き出して火をつけ、一口吸ってから線香の代わりに備える若者もいる。

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太宰の向かいは森鴎外の墓。関東大震災で被災した向島の弘福寺から1923年(大正12)に移されたものだ。「森林太郎の墓」とだけ刻まれている。他のことは記さないようにという鴎外の遺言なのだ。かつて、この墓域に土足で上がったりした心ない太宰ファンがいたので、フェンスが置かれロープでガードしている。こちらにもちゃんと花が備えられている。

午後2時からは本堂左手の建物で桜桃忌の集会。100人以上が参加している。太宰の弟子、小野才八郎さんが太宰の作品と思い出を話している。他の弟子たちは既に旅立ち、小野さん一人になってしまったという。小野さんは90歳だという。

小野さんは「太宰治再読」(審美社)などで師の言行を思い出しながら、改めて見落としていた新事実を発見、作品解釈の幅を広げているんだという。

禅林寺の門前ではボランティアのガイドが無料ガイドツアーへの参加を呼びかけていた。ゆかりの場所を無料で案内して三鷹駅に戻るのだと言う。旧居周辺、入水場所、山崎富江下宿などを巡るツアーだ。「みたか観光ガイド協会」の人たちのボランティアなのだ。数人が集まれば随時案内している。ご苦労様です。

ビラに書いてあったのでついでにツアーの宣伝を。3月から11月までの第4日曜日に「太宰治の足跡案内」(2時間半)を行っている。9時50分三鷹駅南口デッキ、のぼりの下に集合だそうだ。

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(鴎外の墓)     
         (鴎外の墓の周囲はロープで囲われていた)

禅林寺は禅宗ではなく黄檗宗。ここ十数年は葬儀が行われることが多く、松田優作もここだった。はじめて会ったのは砧の東宝撮影所。「狼の紋章」で映画デビューした時だ。主演志垣太郎。高校を暴力で制圧した紫垣と敵対する不良番長だった。1973年。同年放送の「太陽にほえろ!」のジーパン刑事にはもう決まっていたのか。

「ともだち」の千葉ロケにも行った。「竜馬暗殺」のころは、ゴールデン街で一緒になったっけ。まだ若かった優作が発するギラギラしたエネルギーの緊張感がたまらなかった。

優作は西多摩霊園に眠っている。墓には「無」とだけ彫られている。一周忌に参ったきりだ。ゆっくりと行ってみよう。

優作の無念にも思いを馳せながら禅林寺を後にした。

スロベニア歓喜の阿波踊り&セルビアはハンドがお好き

スロベニアは決勝トーナメント一番乗りが目の前にぶら下がっていたのに残念なことをしました。

前半は2−0で折り返し。この2−0が難しいんです。1−0なら点をやったら引き分けだけど、2点差だと、少し安心感が出る。逆に相手は1点を返すと「もう1点」と押せ押せになる。このセオリーが当てはまってしまったが、逆転されなかったのはよかった。

アメリカのドノバンは、少年の頃から天才と言われてたけど、いい選手です。もうヒタイがはげてきてるんですね。

それにしても、スロベニア選手のあれは何なんでしょうか。阿波踊りとしか見えません。ゴールを決めると祝福と歓喜で選手が7、8人集まってくる。その選手たちが両手を上げて手のひらをひらひらさせるんです。足のステップは分からないんですが、どう見ても阿波踊り。=写真はこちらのスポニチでどうぞ=。親近感を覚えます。

カメラもしっかりと写していて、テレビ解説の前園真聖と城福浩のどちらかがアナウンサーにふられて「阿波踊りにしか見えませんね」と面白がっていた。

本当にスロベニアの選手が日本紹介の映像を見て採用したんだったらうれしいね。

また見たいな。次戦でもゴールを決めて勝ってください。

〈セルビアはハンドがお好き〉

ドイツが24年ぶりの1次リーグ黒星を喫してしまった。すべては点取り屋クローゼの退場だ。前半37分、クローゼのチャージが後ろから行ったとしてイエロー。2度目の警告でレッドカード。

確かに後ろからだけど、そんなに悪質じゃない。審判が出したイエローは前半だけで6枚、後半にも3枚出して計9枚。厳しすぎる印象だった。

ストライカーを失ったドイツは気落ちして隙が生まれてしまった。退場から1分後のことだ。右サイドを破られセンタリング。202㌢のFWジギッチが頭で折り返すとゴール中央。フリーのヨバノビッチが難なく決めてしまった。

セルビアは後半15分にハンドでPKを与えたけどキーパーの読み勝ち。

セルビアは、ガーナ戦でもハンドのPKを決められて負けている。ロングボールを手で触ってしまうんだから必要のない反則。しかも、PKエリア内。許されない行為だよね。

よっぽどハンドでPKが好きなんだ。

追伸  雨も上がったしこれから歩いて禅林寺に行ってきます。土曜日だから大勢の太宰ファンが訪れているのか。

2010年6月18日 (金)

騎馬民族に守りは似合わない・韓国完敗

韓国がアルゼンチンに完敗した。メッシの芸術劇場を堪能、うなりっぱなしだった。これが実力差と言えば認めるしかないが、監督の弱気がチームの士気をそいでしまったのではないか。

強い相手には引いて戦うのがセオリーだが、それが史上最高のチームの攻撃力を奪ってしまった。

先発メンバーを見て、これでは勝てないと思った。チャ・ドゥーリを外していたからだ。かつてはストライカーとしてならした男、右サイドで起用されているが、ギリシャ戦ではつるつる頭で闘志むき出しのプレーをしていた。

守備に難点があるのかもしれないが、この監督の弱気が選手に感染してしまった。弱気が恐怖心に変われば、守ってカウンター戦術も萎縮してしまう。

韓国は騎馬民族の末裔だ。広い草原をかけめぐっていた民族が、半島に南下して国家を形成した。ペ・ヨンジュン主演の「太王四神記」を見よ。広開土王は遠征ではゲルに住み、騎馬を駆って周囲を切り従え、高句麗は広大な国家を形成した。ドラマでは騎馬民族の怒濤の進撃も描かれていた。

騎馬民族の真骨頂は攻撃にある。守備は民族性にそぐわない。攻めてこそ守備につながる。誇り高き騎馬の戦士が怖がっていては獲物はとれない。

穴熊戦法に微妙な違和感を覚えていたために前半早々のオウンゴールに結びついてしまった。メッシのセンタリングを競り合う。後ろの選手はウオッチャーになってしまった。しかも、体は自陣のゴールを向いている。これではボールがこぼれたらゴールに入ってしまう。案の定、誰も触らずに落ちてきたボールが足に当たってゴール。

追加点も決められ、もうメッシの芸術劇場。前半43分のドリブルは、ため息しか出ません。浮かした軟らかいシュートは惜しくも外れたが、みんなうっとり。アルゼンチンの味方選手も見とれた。

この一瞬の隙を見逃さずに、センターバックの緩慢なプレーからボールをかっさらいイ・ジョンヨンがネットを揺らしたのはさすが。

前半で1−2。後半の反攻に期待したが、実力差はいかんともしがたかった。

3、4人に囲まれたメッシの浮き球パス。なんで、あんなことができるんだ。ただただ口あんぐり。会場はブブゼラも吹かれずしーんとなってしまいました。

朝鮮日報は、メッシに驚嘆すると同時に「テベスは激走する機関車のようだったし、イグアインは韓国選手のすき間から針を通すようにシュートを放った」と脱帽してました。


さて日本はオランダとどう戦えばいいのか。日本にも騎馬民族の血は流れているが、古代からの農耕民族みたいな顔をしてるから、耐えに耐えて守るのか。でも、村を守るためには七人の侍の助けが必要だ。今更助っ人は呼べないから、誰かがその役割をしなければならない。竹槍や特攻だけでは大局は支配できない。相手の力量を見極めた有効な戦術を岡ちゃんがどう考えているのか。

いずれにせよ専守防衛だけでは勝ち点1も難しい。当初の岡田ジャパンがめざしたパスサッカーの変形(守りの要の阿部は置いておく)でアーリークロス(懐かしい言葉になってしまいました)で揺さぶっていくしかないだろう。

後半30分でへたばるなよ!

〈ギリシャ×ナイジェリア〉

ナイジェリアの先制点。フリーキックがそのままゴールに吸い込まれた。詰めた選手が頭で合わせようとの仕草を見せたが、ゴールを確認して見送った。これにキーパーが幻惑された。小さな演技賞。

前半33分の一発レッド。ピッチの外に出たトロシアスをカイタが蹴ってしまった。強くは当たってないのにトロシアスは大げさに仰向けに倒れた。足の裏を見せて蹴ったのは事実。カイタが悪い。でも、トロシアスは主演男優賞。

10人になったナイジェリアは献身的に戦った。劣勢をはね返そうと力を振り絞っていた。最後は力つきたが、崇高だった。


2010年6月17日 (木)

ロングボール一発/スイス

〈スペイン×スイス〉

スペインが負けました。GKからのロングボール一発。これだから怖い。キーパーの蹴ったボールは真ん中へ。バックスも入ったけど、もつれにもつれてビデオを見るまでは、どうしてネットを揺らしたのか分からなかった。スイスのフォワードが一回転して足の間に挟まったボールが、うまいことタッチの差でスイス選手の足先に転がってしまったのだった。
 
スイスにとってはこれが2本目か3本目のシュートだったんではないか。それだけスペインが攻めていた。攻め抜いたが、点には結びつかなかった。

ロスタイムが5分。息詰まる攻防だった。こういうのがたまりません。スイスはサイドからのクロスをことごとくはね返した。スペインも目の色を変えてたが、パターン化した攻撃を読まれた感じ。スペインは個の力もあり、組織力もある。いいチームなんだけど、どこか教科書から抜け出していない。この辺が強豪どまりの原因か。

いい人は危なくないので魅力が薄いんです。

〈ホンジュラス×チリ〉

チリが序盤から攻勢に出て、最後まで攻めていた。後半の得点シーンなんか分厚い攻めで、サッカーのお手本のようだった。

各チームが初戦を終わったところで、私が注目するのはアルジェリアとチリ。韓国もダークホースだ。決勝トーナメントで(進出するだろう)強豪に一泡吹かすのではないか。共通するのは運動量豊富で、しかも持続していること。基本は体力と気力なんです。

スカイツリーめざして・あっ高見盛だ

到着してからは周辺をぶらぶら。京成の業平橋駅は高架になっているのでホームの端からスカイツリーを狙っている数人がいる。いいアングルかも知れない。

ちょっと離れて向島1丁目へ。振り返ると道路の真ん前に主役が。料亭があるのはどの辺だったっけ。芸者と怪物が面白い取り合わせになるかも知れないが、高望みはせずにパチり。

今度は反対側の橋へ。押上駅近くの北十間川にかかるのは東武橋。西側が京成橋で、つまらない名付け方だ。日が沈んで行く。


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今度は京成線の北側を歩いてみる。高架下が昔のまんまで汚い。川は並木を植えたりして完成時にはきれいにする工事をしているが、こちらはどうするのか。

業平橋駅を左折して再び浅草通りに出る。お相撲さんが自転車に乗って走っている。高見盛だ。ママチャリがつぶされそうだ。

「野球賭博は大丈夫なんだろうね」
「星は買ってるみたいだけど、人気者だから切れないだろう」

とかなんとか言ってると聞こえたのか振り返って左折していった。

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(浅草通りからお別れの1枚)


「首が痛くなった」というのがおじさんたちの感想。

「角度によって形が違うんだぜ。お化け煙突をイメージしてるんだ」と言ったのは、国立大卒の物知りオヤジ(2期校だけどね)。そういえば新聞で読んだな。そんなに違うとも思えないけど。

7時の予定が6時半には貝料理屋についてしまった。若手は7時から合流だけど体が生ビールを欲しているので、のんでりゃ来るさ、ということで飲み会に突入。

2010年6月16日 (水)

「イラ菅」ならぬ「イラロナ」・ポルトガル引き分け

〈コートジボワール×ポルトガル〉

Cロナウドの試合後の会見、イライラというより怒ってぷいっと帰っちゃいました。「チームはよくやった」とか、一言だけしゃべると、次の質問をするいとまも与えず、インタビューアもその勢いに押されて、ハイ、おしまい。マークがきつくて仕事をさせてもらえなかったので不機嫌になるのも分かります。

惜しかったのは前半早々のミドルシュートだけ。あとは徹底的にマークしたコートジボワールに個人技も封じられてしまった。

ポルトガルもCロナ頼りの一辺倒。もっと攻め手を工夫しないと決定的な場面にはいたらない。コートジボワールの方が、一瞬のスピードはあるし波状攻撃も展開して期待を持たせた。

後半の30分過ぎからは両チームとも勝ち点を意識して危険は犯さなかった。初戦は難しいんですね。

相手選手とやり合って前半にイエローをもらったこともCロナのイライラを募らせたのでしょう。あれは、明らかにボールが出た後にタックルに行ってます。流した審判のミスです。絶好の位置だったから決めてたかもしれません。

今日の残り2試合で各チームの初戦は終わる。引き分けが多いのは、強豪も負けたくないから慎重にならざるを得ないからだ。次はイングランド、ポルトガル、イタリアなど強豪チームが勝ちにいく。激しくなりそうだ。

ドイツが強そうですね。

〈ブラジル×北朝鮮〉

ところで2−1で負けたが、北朝鮮はブラジル相手にどんな戦いをしたのか。チョン・テセは活躍したのか。

北朝鮮は、前半は守備を固めて鄭大世(チョン・テセ)によるカウンター攻撃を狙う作戦。ブラジルは試合開始直後からゴールに激しく襲いかかったが、北朝鮮は堅い守りでブラジルの攻撃を防いだ。5人が1列に並んでDFラインを形成し、その後ろにも3-4人で守りを固めた、と朝鮮日報オンライン。これで前半は0−0。

北朝鮮は鄭大世が前に一人残って得点を狙うという形。5バックでMFも完全に引いていたようだ。

ブラジルがゴールをこじ開けたのは後半10分。マイコンが、サイドのきわどい位置から絶妙なシュート。
さらに、後半27分にロビーニョからのスルーパスを受けたエラーノが落ち着いてゴールを決めた。

北朝鮮も後半43分、左サイドを突破したチ・ユンナムがゴールを決め、W杯本戦で44年ぶりのゴールを決めた。

10人が守っても、きっちりと結果を出すのはさすがブラジル。

専守防衛だけでは引き分けに持ち込むのも難しい。日本はオランダとどう戦うプランを練っているのだろうか。

2010年6月15日 (火)

さあオランダ戦/松井を褒めたい

テレビの前で声を出さずに小さくガッツポーズをしました。後半の45分、よく耐えた。危ない場面もあったけど集中力を切らさずに、なんとかはね返していた。

後半なんて攻められっぱなしだけど、妙な安心感はあった。中央突破が怖かったが、人数は足りていた。悪くても引き分けと冷静に見ていられた。

本田が1面ではいけないとオシムさんが試合後の取材に答えていたが、みんな揃って1面が本田なのは仕方ないでしょう。

松井を褒めたいですね。あの、切り返しのフェイントでバックスをかわした時に、ゴールの匂いがした。しっかりと見て、ファーに蹴ったのがドンピシャ。あの時だけ、ボールがへんに伸びないで、狙い通りに本田の足に収まった。

トラップしたボールが本田の右足に当たって跳ね返り、うまい具合に左足の前に来た幸運もある。ここであわてず、バックスとキーパーを見て確実に決めた。

岡ちゃんのうれしそうなガッツポーズ、久しぶりに見た。

試合後のインタビューで選手たちも言っているけど、オランダはこんなもんではない。デンマークがなす術もなかったもんね。前半は何回かチャンスを作ったけど、オランダが守備を修正した後半なんか手も足も出なかった。

そういえばデンマークのオウンゴールの時に、「得点王」闘莉王のことが頭をかすめてしまったけど、杞憂に終わってよかった。

オウンゴールの前のオランダのプレーだって、縦パス1本。キーパーと競り合ってキープ。速いクロスがデンマークを混乱させた結果だもんね。攻め手のバリエーションを豊富に持っている。

優勝候補オランダから勝ち点を奪う策はあるのか。カメルーン戦でボールを収めていたのは、本田、長谷部、松井ら海外組。当たり負けしないで、ネズミのすばしっこさが出れば、なんとか引き分けに持ち込めるか。

それにしても、俊輔は複雑でしょう。スコットランドではやれるが一流のスペインでは、けがもあって評価は下がる一方。どれだけ発奮するか見てみたい気もする。

(途中まで書いて中断。夕方戻ってきたら、「驚愕」と、マチダからメールが入っていた。スカイツリー見物後の飲み会で、日本代表の成績予想会をやった。青学サッカー部OBのマチダは岡田を酷評して0勝3敗。私は1勝1敗1分けだった。予想が当たってマチダにごちそうしてもらわなくては…)

ハナショウブ/深大寺の花

1週間ぶりに神代植物公園の水生植物園に行った。雑草を抜いて水を引いていたハナショウブは咲いているのか。

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(縁が紫で内側は白い加茂川という種類。左に見える白いのは大雪渓。白い花びらだからですね。そのほか、波乗船、水天一色、天晴なんて札がありました)

深大寺の門前を流れる小川にはハナショウブの鉢が置かれて、観光客の目を楽しませていました。
種類は分からないが、清らかな流れに洗われた鉢についたハナショウブは涼しげで、蒸し暑さを和らげてくれます。

水生植物園にはいろんな種類のハナショウブが育てられています。基本は紫ですが、縁だけ紫だったり、白いのや黄色いのが種類ごとに分けられて花をつけています。

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(ハナショウブの区画。あぜを挟んだ右側にも植えられている)

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(野草園で咲いていたキョウガノコソウのピンクの花)

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(グリーンギャラリーの名前を知らない花)


=行った日は6月12日です=

2010年6月14日 (月)

大バカものがハンドで退場

13日もテレビで2試合。

〈スロベニア×アルジェリア〉

後半13分から途中出場したアルジェリアFWのゲザルが信じられないハンドで2枚目のイエローでレッドカード。わずか15分の出場で2枚のイエロー。気持ちがせいていたんだろうけど大バカものだ。

特に2枚目は、頭上を越える味方のセンタリングを両手を伸ばして触ってしまった。身体を思い切りジャンプしてボールの軌道に手を出して審判の「ピー!」。何も無理に触らなくてもいいのに、キーパーみたいに一生懸命に手でボールを追いかけてしまった。

ごまかしようもない。誰が見たってハンド。闘志が裏目に出る、こういうやつはどこにでもいるんだよね。

相手のフリーキックで壁になっているのにバンザイして飛び上がりハンドを取られた本田が、目に浮かぶ。壁が手を下ろしているのは小学生でも教わること。アンビリーバボロとしか言いようがない。

1人少なくなってもアルジェリアは果敢に攻めた。スピードもあるし個人技も優れている。ガチガチのスロベニアの堅守も苦にしていなかった。よく動いて劣勢をバネにするかと思ったけど、一瞬の隙が生まれた。

ゴールほぼ正面からのスロベニアのシュートがワンバウンドして、キュッと伸びた。GKの左を抜けてネットを揺らしてしまった。ミスと言えばミスなんだろうけど、なんか川島もやりそうだな。

それにしても凡戦。ハーフタイムで眠って目が覚めたら後半の7分だった。

照明灯に上がって応援していたアルジェのサポーターは、おとなしく下りたんだろうか?

〈セルビア×ガーナ〉

好ゲーム。眠気が飛んだ。ガーナはいいチームだ。動くし守るし、とにかくでかいセルビアとの身長差を気にしていなかった。パスは正確だし、キープ力が図抜けているから相手が寄せてきても堂々としている。

攻めたから相手センターバックのハンドでPKを得て、きっちり決めて勝利した。

両チームともセルビア出身の監督。ガーナは個人技、スピードに組織力が加わっている。欲を言えば、これに時々ワイルドさが出ると、もっと楽しめる。ドイツに0−4で大敗したオーストラリアも破って予選突破は間違いないだろう。ドイツとの戦いも面白そうだ。

さあ日本の出番。とにかく失敗を恐れずにアグレッシブに戦ってくれ。


ムラサキの白い花/深大寺周辺情報

きょうはムラサキの花を見に行くぞ。花をつけるのは6月と出ていたから、きっと咲いているはずだ。昔はどこにも生えていて、武蔵野の重要な産業でもあったムラサキ。「助六」がヒタイに絞めたはちまきは、ムラサキから採った染料で染めたもの。それが「江戸紫」。いなせな色だった。

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(ほんとに小さいので花をよく確認できないですね。モンシロチョウがとまっているのが花です。左側の株の花がわりとよく見えます。蜜がおいしいのか、ほかの花よりムラサキを好むようです)

もっと古くは額田女王の「あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」が、ムラサキが歌われた最初。紫野はムラサキが生えている野。ごくポピュラーな草だったんです。でも、高貴な色である紫を得るためにムラサキが必要だった。だから大海人皇子にこの歌を贈っている。

昔はどこにでも生えていたんだけど、合成染料に押されたり、病気に弱かったりで今では絶滅が心配されている。調布の野草園(深大寺の東にあります。水生植物園から歩いて10分くらい。一帯は里山が残っていていいところです)にあるんです。

「あのー、ムラサキは咲いてますか?」
「ほら、そこに」
「えっ」
入り口の事務所の真ん前にあった。でも、花なんかつけてない。

近寄ると1㍍50㌢くらいの草にちっちゃな花がありました。5弁の花は、なんてかわいらしいんだろう。大きいので5㍉もないくらい。小さいのは2、3㍉でしかない。こりゃ、言われなければ気づかない。黙って通り過ぎてしまう。

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(こちらの写真でもモンシロチョウがとまっているのが花です。よく見ると白い花がついてるんですけど。安いカメラでは難しいと、道具のせいにします)

ムラサキと言ったって白い花なんだ。染料に使うのは根っこなので、花の色は関係がない。ついでに言えば根っこは薬にもなります。華岡青洲にでてくる。まあ、背丈くらいの草なので、額田王は皇子が袖を振ったのを野守に見られてしまったかどうか心配しているんですね。

拍子抜けするくらい小さい花なので逆に感動してしまった。万葉の頃から高貴な色で、江戸時代にはいなせの象徴だった色の材料が、こんなになんでもないなんて…。

ムラサキは栽培が大変にむずかしいらしい。係の人に聞いたけど、ほかの植物園で育てているところはないらしい。念願のムラサキの花が見られて帰途は心が弾んでいた。


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(これもピントが来てない)

=訪れたのは6月12日です。花の期間を聞くのを忘れたけど、まだ1週間くらいは大丈夫そうだ。梅雨の合間に行けたら、もう一度写真に挑戦します。ほんとに写真が下手です。家族写真を撮るといつも娘に「下手ねえ」と怒られてます。ことしの「ホタル鑑賞会は中止」の張り紙がありました。数匹しか飛んでないそうなんです。春に寒かったのが影響したのか。テレビ朝日の古舘みたいに、何でもかんでも温暖化の影響にはしたくないもんだ。コメントが薄っぺらいよね。だから、あまり見ないようにしている=


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(これでもまだまだです)

2010年6月13日 (日)

けさがけのスルーパス・南アフリカ

眠い。W杯のせいだ。11日は開幕戦の南アフリカーメキシコ。12日も韓国ーギリシャ、アルゼンチンーナイジェリアとサッカー漬けになって寝不足だ。さすがにイングランド—米国はパスした。きょう(13日)も8時からテレビにかじりつく予定だ。

◎気づいたことをアトランダムに連ねます。

〈けさがけのスルーパス〉初めの10分くらいは落ち着かなかった南アだったが、次第に守備を修正してメキシコのパスを分断しだしたのはさすが。先制に結びついたMFディハコイの必殺スルーパスは威力満点。届かないかと思ったが、チャバララが快足を生かした。

センターラインからのロングパス。キーパーとディフェンスの間。あそこしかない。チャバララもふかさないでよく決めた。走るのを信じてパスを通したディハコイを褒めたい。

〈パク・チソンとキム・ナミル〉チソン(朴智星)は強い、速い、鋭い。冷静で正確だ。最後は足をかけられているんだけど、おかまいなしに突き進むんだからすごい。これが一流。

本田でも、岡崎でも森本でも玉田でもいいから、がむしゃらに頼みます。パスするなよ、シュートを打てよ。

後半29分から入ったベテランのキム・ナミル(金南一)が、ギリシャの攻撃の芽を摘んでいい仕事をしていた。ボールを落ち着かせていたので、最も厳しいラスト15分を周りが慌てずにプレーできていた。いぶし銀。次のアルゼンチンでもベテランの存在が、ピンチを救いそうだ。

韓国はよく走ります。日本のように後半30分からがくんと運動量が落ちることもない。前線からしっかりマークして、ギリシャに攻撃の形を作らせなかった。これは岡ちゃんがやろうとしていたサッカーだよね。日本はどこで歯車が狂ったんだろう。

〈メッシ〉アルゼンチンは直前の親善試合も組まず、まだピークに持って行っていない感じ。ナイジェリアが守備を修正してからは、あまりいい形を作れなかった。メッシの個人技はすごいんだけど、他の選手がメッシに頼り過ぎ。早い時間に先制したので無理をしなかったのかもしれないが…。

マラドーナってボールに触りたくてしょうがないんだね。ラインを割ったボールを水から選手に渡すシーンが繰り返しテレビに映っていた。微笑まし。

〈フリーキック〉3試合を見ただけだけどフリーキックのボールが落ちないですね。ボールの問題なのか、気圧のせいなのか、個人の能力なのか。日本の得点源のフリーキックがバーのはるか上なんてことのないように願ってますが、落ちないとなれば別の手を考えないと行けない。

それとロングキックも伸びますね。サイドを変える時に注意してほしいものだ。とにかく最近の日本は、つまらないミスが多いのでボールが収まってない。韓国はパスの角度もスピードも正確だったよね。

さて、アルジェリア×スロベニア戦が始まった。

スカイツリーをめざして・東京タワーの思い出

錦糸町から四ツ目通りを北上している。大通りから横に入った小さな道がいい。大通りではビルにさえぎられてしまうが、建物の間からスカイツリーが顔を出す。ワンブロックごとに大きくなってくる。もう、少し顔を上げないと先っぽまでは見られない。

民家の間からそびえている巨大な塔は何を象徴しているのか。

それは東京タワーのような日本の復興、未来への希望ではない。グロテスクなイメージも受ける。許容範囲を超えてデカすぎるのだ。下町のちまちました家並の上に突然、出現していいのだろうか。下町がつぶされそうだ。不安感にもかられる。

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(北十間川沿いからのショット)

信じてもらえないだろうが、東京タワーが三鷹から見えたんです。昭和33年の完成前から見え始め、しばらくは上部の塔が、はるか東にあるのが見通せた。直線距離にして25㌔くらいか。

ヤンマは夕方になるとねぐらに帰って行く。帰り道は決まっているので、子どもたちは通り道でヤンマを待ち構える。ホロと言っていた道具が素早いヤンマを捕まえるには最適だった。

糸の両端に板鉛を丸めて結びつけたもの。これを上に投げる。すると近眼のヤンマは獲物と間違えて鉛を食べようとする。片方の鉛に近づくと糸が絡まり、もう片方の鉛は遠心力でぐるぐると回って、糸がヤンマの身体に巻き付く。鉛の重さでヤンマが地面に落ちてくる寸法だ。

ヤンマは敏捷なので網で捕まえるのは難しい。トリモチでは羽を傷めてしまう。ホロだと奇麗なままのヤンマを捕まえることができた。板鉛も駄菓子屋で普通に売っていた。ナマリと呼んでいたが、ナマリだったのかどうかは定かではない。

でもホロで捕まえるのは技が必要だった。名人がいて尊敬されていた。

そのヤンマの通り道の向こうに東京タワーが見えた。高い建物がなかったんですね。つぎはぎのズボンやシャツを着て、はな垂れ小僧だったころの私の三丁目の夕日。

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(京成業平橋駅近くの東武橋にはウイークデイだというのに見物人がいっぱい。公衆トイレの場所を記した張り紙も出ていた。週末はすごい人出になるのだろう)

そんな思い出にふけっていたら、もう着いてしまった。北十間川沿いの道までいくと見物人があちこちにいる。通りかかってはしばし見上げてケータイで写真を撮っている。

10日の高さは398メートルだった。

2010年6月12日 (土)

スカイツリーめざして・亀戸天神

寄り道した亀戸の香取神社から西をめざせばすぐに亀戸天神だ。

「フジはもう終わりですか?北から来たもので…」
「ひと月くらい前ですね。どちらから」
「仙台です。あちらではまだなもので…」

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(太鼓橋の上からスカイツリーを望む。正面が拝殿)


一人で来ていた観光客に尋ねられた。でも、仙台ではまだなんだ。ことしの藤祭りは4月18日から5月9日まで。歌川廣重の「名所江戸百景」に描かれている境内も藤を前において強調している。江戸時代から有名だったんですね。梅まつり、菊まつりも行われ、花の天神様として親しまれているのだ。

心字池にかかる太鼓橋に上がるとスカイツリーが拝殿の左手ににょっきりと姿をあらわしている。展望台の上に乗った巨大クレーンもよく見える。広い境内はゆっくり散歩するにはもってこいだ。ちょっと休憩して錦糸町へ。横十間川を渡れば江東区から墨田区に入る。すぐに巨大ショッピングモールのオリナスが見えてくる。駅から歩いて4、5分で、錦糸町のごちゃごちゃしたイメージを覆してしまう。

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(錦糸町から押上に向かう途中の路地から見たスカイツリー。随分とでかい)

ここに天満宮が置かれたのは江戸時代初めの寛文元年(1661)。古くは東宰府天満宮、亀戸宰府天満宮、本所宰府天満宮などと称されていた。西の太宰府に対して東のそれというわけだ。明治になって亀戸神社となり、昭和11年に亀戸天神社となった。

オリナスの西側を通っている四ツ目通りを北上すれば、押上はもうすぐだ。

2010年6月11日 (金)

スカイツリーめざして亀戸から出発

6月10日にスカイツリー見物会を催した。メンバーはおっさん6人、いくつになっても好奇心旺盛で、暇もあるという特権を利用して、はやりものには乗っておこうと即決でまとまった。とはいっても場所がいいじゃありませんか。そぞろ歩いて見物した後は、やっぱり飲み会。吾妻橋のたもとの貝料理屋で貝づくしが待っている。

集合は地下鉄の押上駅。九段下で半蔵門線に乗り換えればいいんだけど、せっかく遠出するんだからJRで亀戸で下りることにした。門前仲町からも見えるというから亀戸ならもっと近い。スカイツリーを目当てにすればいいので迷うこともないだろう。

第一目標は亀戸天神。駅から15分くらいだ。町並みを見ながら明治通りをぶらぶら行くが駅前はどこも一緒だ。蔵前橋通りとの交差点から曲線の道が見えた。商店が軒を連ねている。参道のようだ。スポーツの神様と横断幕に書いてあった。

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香取神社。創建は665年というからいにしえのことだ。大化の改新から20年後だ。中臣(藤原)鎌足
が東国に下向した際に亀の島に船を寄せ香取大神を勧請したという。昔は亀の形をした島だったので船で渡ったのだ。

将門の乱の時には、将門を討った藤原秀郷(俵藤太)が戦勝の返礼として弓矢を奉納した故事にちなんで、5月5日には勝矢祭が1000年以上も続けられている。これにちなんだお守りが「勝守」。それでスポーツ振興のお守りになった。

祭神は香取神社なので経津主(ふつぬし)の神。経津主ということは、本来の祭祀氏族は物部氏だった。しかし、改新の功臣、藤原(中臣)氏は、その権力で他氏の祭祀権を次々に奪って行った。(日本の神々 神社と聖地11関東」の「香取神宮」の項による。筆者は大和岩雄氏)。仏教の伝来を巡って蘇我氏に敗れた物部氏だが、香取、鹿島の祭祀権も奪われ、その後は土着して各地に生きることになる。魅力的な説だ。というより学界の定説なのかもしれない。

将門のファンとしては、藤原秀郷というのが心地よくない。現在でも将門伝説の残るところでは成田山にお参りしないという。乱の時に将門討伐の祈祷を行ったためだ。でも神様はちゃんと敬っておこう。

変な形の石が建っていた。ネギ坊主を引き延ばしたようだ。これが亀戸大根。文久年間(1861〜64)、この辺が栽培の中心地だった。荒川水系の肥沃な粘土質が適しており、明治の頃には「おかめ大根」「お多福大根」と呼ばれたが、大正に入ると宅地化の波に押され、栽培は小岩などに移ったという。言い得て妙ですね。

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(亀戸大根の碑)


亀戸大根は根の長さが30センチほど。大きな人参くらいで小さい。先がくさび状に尖っているのが特長だそうだ。

伝統野菜が次々に復活してるそうなので、どこかで作っているのだろうか。それともタネを失ってしまっているのか。何の料理がいいのか、食べてみたいものだ。

香取神社を出て路地に入ったら、北西の方向にスカイツリーが家並の向こうにあった。やっぱりデカい。

2010年6月 9日 (水)

井の頭弁天様の参道

井の頭公園には幼児の頃から何度も行っている。小学校の遠足もそうだった。冷たい井戸水のプールにも行ったし、デートでボートにも乗った。花見で酔っぱらったこともある。だけど公園の南側には行ってないので、弁財天の参道には気づいてなかった。

当たり前のことなんだけど、神社には参道があるんです。弁天様にお参りするには、参道を通ってちょいと坂を下って池に突き出した弁天様をめざすのが正しい。

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(黒門、左の石碑が道しるべ)

これまでは基本的に吉祥寺駅の南口から丸井の横を通って池に下りていた。(丸井のところは映画館だった。確か、吉祥寺ムサシノだったか。「ウエスト・サイド物語」はここで見た)。裏からお参りしてたんですね。

弁天様の南に大盛寺がある。もとは弁天様の番守だった寺だ。ここから左斜めに行くと、黒い鳥居がある。鳥居の脇に「神田御上水源 井頭弁財天」と刻まれた石の道しるべが建っている。延享2年(1745)に作られ、天明4年(1784)に建て直されたものだ。

江戸時代には甲州街道から高井戸、久我山を通って参詣した。玉川上水をたどって行くと京王井の頭線の高井戸駅に出る。上水沿いの道を通ってお参りしてたんだ。

道しるべの台石には芝居、浄瑠璃関係者の名前が刻まれており、演劇関係者の信仰を集めていたようだ。参道を進んで池に下りる手前の灯籠は、町人たちが寄進したものだ。「弁財天石鳥居講中」が費用を出し合い、江戸麹町7丁目金井伝右衛門が願主発起人。他に上州屋平兵衛、屋根屋佐兵衛、乗物屋文蔵…などの名前があった。井の頭から引いた神田上水への感謝の気持ちが汲み取れる。

中央線が開通するまでは店が軒を連ねにぎわっていただろうに今は住宅街だ。地元の人以外はほとんど通らない。往時を偲ぶよすがはないが、斜めに変に曲がった道に面影をたどれなくもない。

弁財天は1197年(建久8)に源頼朝が建立したと伝えられる。幕府を開いてからすぐのことだ。鎌倉幕府の開府は今では1192(いいくに)ではないらしい。教科書は何年としているのかな。新田義貞も1333年の鎌倉攻めの時に戦勝を祈願したという。相当古くから井の頭の名は知られていたんですね。もっとも井の頭と呼ばれるようになったのは徳川3代将軍家光の頃で、その前は七井の池といわれていた。

まあ、思い出したら黒門を確認しに行ってみてください。5分もかかりませんから。

2010年6月 8日 (火)

貫井神社 小金井市

貫井神社の横手からは湧き水が流れ出ている。清水は社殿前のひょうたん池に勢いよくそそいでいる。この湧水を利用してプールが作られていた。貫井地区の青年団が募金と勤労奉仕で大正12年(1923)に完成させた。長さ50メートル、幅16・5メートル、深さ1・6メートルの本格的なものだ。

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(緑に囲まれた貫井神社)

「冷たいのが欠点だった」。そりゃそうだ。湧き水だから水温は15度くらい。震える冷たさだ。井戸水を使っていた井の頭のプールも冷たかったっけ。小金井出身の高校の同級生は、ここでよく泳いだと言っていた。

小中学校などにプールが作られるようになった昭和51年に役割を終えて取り壊されたが、鳥居の前に「貫井プール跡」の碑が建てられている。

神社の裏と横は雑木林。崖の下の平地を利用して建てられており、うっそうとしたという形容がぴったりだ。古くから小金井有数の景勝地として知られており訪れる人も多い。

ちょうど学芸大学の学生が先生に引率されてやってきた。「学芸大学」とプリントしたTシャツを着ていた男子学生がいたので間違いないだろう。

「今は貫井神社となっていますが、江戸時代には貫井弁財天と呼ばれていました。弁財天で知っているところは?」と質問しているが、返事がない。デートスポットの井の頭公園にある弁財天くらいは知っているだろうに…。とぼけていると先生になってから苦労するよ。

「江ノ島の弁財天がありますね。広島の安芸の宮島の厳島神社もそうですね。いずれも水に関係してます」と教えてから学生に湧水に触らせ水温を確認させていた。

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先生の話を聞いていて知ったのだが、拝殿の前の石灯籠は貫井村の巳待(みまち)講中が元禄16年(1703)に寄進したもの。蛇は弁財天の使いで、雨乞いと関係しているのだろう。

貫井弁財天がこの地に遷座したのは天正18年(1590)。小田原城が落ち徳川家康が江戸に入った年だ。

それまでは貫井村発祥の地と伝えられる「下弁天」にあった厳島神社と稲穂神社を合祀して現在地に移したという。下弁天は滄浪泉園の南、野川の右岸になるのでちょっと離れている。貫井神社上弁天、古い方を下弁天と呼び、かつては湧水池があり、池の中央に弁財天を祀っていたという。


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(岩の間から湧いた水が神社の脇を流れる)

明治の廃仏毀釈で18年に厳島神社と改称、「さらに貫井神社を合祀」と案内板にあった。この貫井神社は下弁天のことか。よくわからないですね。

2010年6月 7日 (月)

はけうえ遺跡と三楽の森 小金井市

小金井市は散歩族にはありがたい。滄浪泉園で「小金井てくてくマップ西部版」を無料でもらった。散歩コースや見どころを記入した立派な内容だ。表紙に小金井市の売り物が列記されていて「水が湧くまち」「学校が多いまち」「坂の多いまち」「公民館活動が盛んなまち」「コーラスのレベルが高いまち」と紹介していた。
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                    (崖の下から滄浪泉園をみる)

市の真ん中を国分寺崖線が貫いているから坂が多い。そのため坂の下からは水が湧き、起伏に富んだ景観を作っている。それをちゃんと保存しているので、崖沿いの散歩は、いろいろな発見がある。

滄浪泉園の東屋でさっそくマップを広げる。西隣に「はけうえ遺跡」がある。行かねばならない。新小金井街道のトンネルを掘る際に発掘されたもので、後期旧石器時代と縄文時代の遺跡が出てきた。

「小金井市の歴史散歩(改訂版)」という便利な小冊子が手元にある。案内板を書き写さなくてもここにあるので重宝している。表紙をのぞいて40ページもあり、地図と散歩コース、見どころを説明している。浴恩館で求めたもので、なんと100円なり。浴恩館は小金井公園の近くで、仙川の脇に建てられている。

==========ここは青年団講習所だったところで、昭和8年から12年まで作家の下村湖人が所長を務めた。湖人はここに泊まり込み「次郎物語」の構想を練り、執筆を始めた。第5部に登場する「友愛塾」と「空林庵」は浴恩館の青年団活動がモデルだという。「友愛塾」ですか。鳩山が退陣した今となっては、なんか笑っちゃいます。子どもの頃に「次郎物語」は読んだけどまったく覚えていない。もしかすると、次郎のようにまっすぐに生きようと思ったかもしれない。=======

遺跡に戻ると小冊子ではこうなっている。「旧石器時代では関東ローム層中に11枚に及ぶ生活の跡が見つかり、多くの石器が出土した。また、縄文時代早期前半(約9000年前)の住居跡が18軒も発見され、この時期の大規模な集落跡として注目される」。

1軒に7、8人の家族として100人以上が住んでいたのか。かなり大きな集落だ。近くの貫井遺跡からは縄文中期の住居跡50軒、土壙群が発見されている。時期はずれるが、このあたりは縄文人の天国だったようだ。野川で魚を捕り、崖の上では獣を追った。水は滄浪泉園などハケから滾々と湧き出ている。縄文後期の遺跡は野川沿いで発掘されているので、やがて崖下からもっと広いところに映ったのかもしれない。

それにしても、ここでも弥生の遺跡が出てきません。天変地異で激変があったのか、西からやってきた弥生人に滅ぼされてしまったのか。縄文人の末裔と信じている身としては気になる。

連雀通りをさらに西に行くと、三楽の森がある。地区の集会所や運動場になっているが、奥に庭園が残されている。ここもハケを利用した庭園だ。雑木林が保存され、芝生が広がっているだけでベンチも設けてはいない。ここと隣接する小学校辺を掘ったら貫井遺跡が出てきた。
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(三楽の森の芝生の庭)

「君子に三楽あり」という中国の故事から名付けたそうで、ここも大正時代には前田家の別荘「三楽荘」だった。どこの前田さんかは不明だが、加賀の前田なのか。ハケに別荘を作るのがはやったんですね。ステータスだったのかもしれない。縄文人も文明人も考えることは同じなんですね。両者が舌鼓を打ったのは多摩川、あるには野川の鮎か。

ハケ沿いに今も残る自然を上流から列挙すると、日立中央研究所、東京経済大学、貫井神社、滄浪泉園、武蔵野公園、野川公園、深大寺、野草園、ちょっと離れて実篤公園、さらに行くと等々力渓谷。このグリーンベルトが保たれているのはありがたいことだ。

三楽の森を下れば貫井神社。もとは貫井弁天で、名前があらわすように水を神聖視した神社だ。

2010年6月 6日 (日)

ハケの庭園・滄浪泉園 住民パワー

高校時代、といってもはるか昔、昭和の30年代後半にはよく小金井に来てたけど滄浪泉園の存在は知らなかった。40年には都内の大学(教養課程は神奈川だったけど)に通い、勤めも港区だったので中央線の下り方面は縁遠くなってしまった。

小金井市が庭園を買収したのは昭和52年(1977)。新宿のゴールデン街に通ってた頃だ。小金井の庭園のオープンには気づかなかった。
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(湧き水を集めた池)

そもそもは波多野承五郎の別荘だった。三井銀行の役員や外交官、衆院議員などを務めた人物だ。昭和に入って三井鉱山役員の手に渡ったが、宅地化の波にあらわれて3万3000平米の庭園も3分の1の1万2000平米になってしまった。

持ち上がったのがマンション建設計画。小金井駅から歩いて10分ほど、崖の上に建てれば景観は抜群だ。南向きで日当りは絶好、多摩丘陵が広がり、西には奥多摩の山が連なり、富士山もくっきりと姿をあらわす。

付近の住民を中心に「自然を守れ。マンション反対」の住民運動が持ち上がり、緑地保全地区の指定を受けて東京都が買収、自然緑地として残されることになった。

この運動に先行したのが隣町国分寺の殿ケ谷戸(とのがやと)庭園だ。こちらは国分寺駅から歩いて3分。ハケを利用した庭園だ。もとは岩崎家の別荘だ。大正の初め、後の満鉄副総裁の江口定條が別邸として設け、昭和4年(1929)に岩崎彦弥太が買い取って本館や茶室を追加整備、和洋折衷の回遊式林泉庭園として完成した。こちらは2万平米とゆったりしている。

駅の真ん前と言ってもいい。マンション建設だったか住宅地だったかの話になったが、住民の反対運動があって東京都が買収、公園として公開することになった。昭和49年(1974)のことだった。いずれも美濃部都政のもと住民パワーが力を持ち始めていた。

今では誰もが、滄浪泉園も殿ケ谷戸庭園も残してよかったと思っているでしょう。それにしても三井、三菱はいいところに別邸を持っているもんです。
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(岩の間から水が湧き出ている。水量は多くない。宅地化で減っているのだろう)


都立だからいずれも入園料が安いのもいい。殿ケ谷戸は一般が150円、65歳以上のシルバー70円。滄浪泉園は小振りなだけに大人100円。最初に行った時は「シルバーじゃないですか?」と窓口で声をかけられた。なんと「60歳以上」は50円だった。60歳で割引になるのはうれしい。

さらにハケ沿いに歩く。

2010年6月 5日 (土)

ハケの庭園・滄浪泉園 小金井市

コンクリートの道路から一歩、門をくぐるとすぐに汗が引いた。2、3度は下がっただろう、湿度も低くなった感じだ。ハケの崖を利用して作られた滄浪泉園は訪れ人が少ないので独り占めの贅沢を味わうことができる。30分ほどぼんやりしていたが、他に2組が来ただけだった。

そうろうせんえん、と読みます。名付けたのは、大正8年、この庭に遊んだ犬養毅。小政党の立憲国民党を率いて辛酸をなめていた時期です。青い波の泉。「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を洗い清める、清々と豊かな水の湧き出る泉のある庭」。
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(滄浪泉園の入り口。石の門標は犬養の筆)


何十年も俗塵に汚れた心は、そう簡単に清められないが、空気はうまい。肺は少しきれいになったかな。湧き水をためて池が作られている。池のぐるりを巡って崖を上がると東屋風の休憩所に出る。ものの10分もかからない。

東屋で黒井千次の「たまらん坂」(講談社文芸文庫)を開く。表題作のほか、武蔵野を舞台にした連作短編集だ。「おたかの道」「せんげん山」「のびどめ用水」など武蔵野の面影を残す場所がタイトルになっており、「そうろう泉園」も「ほろ苦い追憶の扉に閉じ込めた」はずの過去が、生臭く甦る舞台として設定されている。

黒井は富士重工で15年間サラリーマン生活を送っている。新宿の本社に通うのに便利な中央線沿線に住んだので、武蔵野には土地勘がある。高校は杉並の都立西。武蔵野を残す自然の地もたびたび訪れたのだろう。

作家の表現を借りよう。「…園内に足を踏み入れた。左右を熊笹やさつきに包まれ、その間から高く伸び上る赤松、楓、櫟などに天井を覆われた石畳の道はたちまち緩く下り始め、左にカーヴする坂を進むと交錯する枝のトンネルを脱けて案内板のある小さな平地に出た」
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(長屋門から入れば、うっそうとした木立)

「小ぢんまりとした池は、周囲の深い緑の底に沈みこんでいるかのようだった」

「池を巡る道が跡切れて飛び石に変った場所に水が湧きだしていた。水は石の両側を一心に洗って池へと流れ込んで行く」

東屋の脇に水琴窟がある。玉砂利の間に竹の筒を近づけ、反対側に耳を当てると水音が聞こえる。澄んだ高い音がかすかに響く。微妙な音階で、不規則な旋律を奏でる。

2メートルほど離れた東屋で文庫本を開いていると水琴の音が聞こえたような気がした。他の物音はしない。聞こえたのかもしれない。

昼下がりの庭園にいるのは私ひとりだった。

2010年6月 4日 (金)

武藏熊野神社古墳・絵入り

南武線の西府駅北口に案内板がある。「熊野神社古墳500メートル」と出ている。甲州街道にぶつかって左折すれば右手にあるらしい。へそ曲がりなので、甲州街道を直進して次の道を左折してみた。

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住宅街を進むと前方に円い山が見えて来た。あたりにそぐわない感じが期待感を高まらせる。結構大きい。円は石で覆われている。びっしりと敷き詰められている。「こんな古墳があるのか」。土まんじゅうを作って搗き固めただけではないんです。道は古墳にぶつかって折れ曲がっているので、直進すると横原に至る。右手は幼稚園。園児たちが古墳の目の前で遊んでいる。左手が熊野神社だ。

古墳は神社の裏手の小山として残っていた。室があったという文献に気づいた府中市が発掘を進めて古墳だと判明したのだ。パンフレットによると、墳丘の高さは5メートル。下方部(1段目)の一辺は32メートル、下方部2段目は23メートル、上円部の直径は16メートル。立派なものでしょ。


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(左手に古墳がのぞく)


築造には当時の最新技術が使われたようだ。墳丘が崩れないようにするためには、種類の異なる土を交互に堅く積み上げる「版築工法」を用い、墳丘部は全面を河原石で葺いている。「上円下方」は中国の思想に基づく。古代中国には「天円地方」の考え方があり、円が天を、四角が地を象徴し、この形が宇宙や世界をあらわしているという。出土した鞘尻金具には「七曜文」がついているという。模様の中に7つの○があって、これは国産初の貨幣「富本銭」だけに見られるもの。古代中国の宇宙観をあらわしたもので、最新文化として取り入れたのだという。

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(横から見たところ)


誰の墓なのか。「つまり、熊野神社古墳の被葬者は、在地の有力者でありながら、新しい思想や技術をいち早く取り入れることのできた人物であり、後の多摩郡の郡を監督した郡司層につながっていく有力者であったと考えられます」。ちょうど、今年の2月に発行された「多摩のあゆみ」が「特集 多摩川流域の七世紀古墳」を扱っていた。そのなかの「七世紀における多摩川中流域左岸の古墳と集落」(江口桂氏)からの引用だ。

続きはこちらになってます。

2010年6月 3日 (木)

深大寺情報・コウホネ・ハナショウブと寅さん

コウホネが小さな黄色い花をつけてました。光り輝く黄金色と形容する人もいます。まさしく黄金というしかない見事な色合いです。


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湧き水を利用して池が作られスイレンとコウホネが育てられています。柵があるので、手持ちのデジカメではこれでいっぱいです。もっと花だけをアップにすると輝いている様子が伝えられるのですが、申し訳ありません。(それにしても下手な写真です。ピントが花に来てません。反省。気をつけます)。

場所は神代植物公園の水生植物園。コウホネは種類によっては絶滅危惧種に指定されている希少種。これは都の絶滅危惧種で、なんという種類なのかは不明。

ヒメコウホネも隣で花をつけていた。葉が幾分小さいか。違いはあまり判別できない。

それにしても変なネーミングです。根茎が白色で葉の跡が点々とついていて骨のように見えることから河骨、川骨、コウホネとなった。

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(こちらがヒメコウホネ)


職人さんの手入れも終わってハナショウブもそろそろ見頃。雑草を片付け、水を引き入れて花の準備が整った。一部咲きはじめています。2、30種を植えているので、堀切菖蒲園にはかなわないんだろうけど、一斉に花をつけたら絵になるんだろうな。

堀切で寅さん、「男はつらいよ」を連想した。季節を織り込むために、さくらとおばちゃんの会話に、さりげなく登場していた。

それにしても晩年の渥美清さんはロケ中もつらそうだった。出番が終わると、すぐに控え室などに行って横になって休んでいた。演技で元気にバカをやっているが、山田洋次監督のOKとともに肩を落としながら戻っていく渥美さんの後ろ姿には、孤独の影があった。

山田監督も分かっていて、だからシリーズの終盤は満男の恋でひと山をこしらえて出番を減らしたんです。


2010年6月 2日 (水)

調布の里山、ミヤコワスレ、ヤナギハナガサ

深大寺の通りを隔てた東側に調布市の野草園がある。ここの景観がすばらしい。里山が残されていて、はじめて訪れた時は、アッと息を飲んだ。

そのためには、三鷹通りを下ってコンビニの脇を行き、住宅街を抜けていくのが効果的だ。すると突然、水田が広がってくる。田んぼの間の道から北側を見ると、奥には雑木林、小川が田んぼを潤している。1日には数人で田植えをしていた。

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雑木林の方を向いて、頭の中でトリミングをして左右の住宅を消す。

まさに里山。昔、遊び回った湧き水のある風景だ。

奥にあるのが深大寺自然広場と野草園、右手の崖の上は雑木林の中のカニ山キャンプ場。

ここは5月22日に紹介した都立農業高校の神代農場の地続き。

下流にあたる。小川の浸食でできた谷戸(やと)全体が保護されているのだ。

昔は沢ガニがたくさんいたので、カニ山キャンプ場。

崖の下からは湧き水も流れ出している。


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野草園には絶滅危惧種のムラサキも植えられている。

江戸ムラサキの原料として昔はどこにでも生えていたのが、今では絶滅寸前だ。

江戸ムラサキは三木のり平ではありません。(古い!)

確か、根っこが染料になるのです。

6月には花をつけるから、また訪れてみよう。


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ここには300種1万本以上の野草が約4000平方メートルに植えられている。

見慣れない花をみつけた。

細い茎が1メートル以上伸びて、その上に小さな花がついていた。

花笠のように花をつけ、葉が柳のように細いのでヤナギハナガサの名がついた。

南アメリカ原産で、観賞用の花が野生化したもの。

ミヤコワスレの白い花が群れて咲いているのも可憐だった。


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青い空を見ながら自然広場で昼寝するのも気持ちいいですよ。

2010年6月 1日 (火)

そろそろ桜桃忌なので玉川上水を歩く・その参

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太宰治はあまり自然を描写していない。「乞食学生」のように玉川上水の流れを描いているのは珍しい。何かの暗示があったのか。近郊都市にはふさわしくない豊かな水量と流れの速さに、引き込まれるものがあったのか。

「『自然』に対して関心を持たなかった太宰は、三鷹に住みついてから書いたどの作品の中でも一個所も、三鷹の風景・風物について描写らしいことはしていない」(菊田義孝「太宰治と三鷹」、「太宰治の弱さの気品」所収)。ふーん、そうなんだ。

だから「乞食学生」が、玉川上水のイメージとも重なっていろいろと引用されるんですね。

桜の花弁を追いかけた太宰とともに歩いていくと、もう万助橋だ。渡辺万助さんが架けたので万助橋。安政年間のことだそうです。江戸時代の1854年頃のことだ。

渡辺家は下連雀の大地主で、関東大震災で大きな被害を受けるまでは醤油醸造業も営んでいたという。水のない武蔵野台地と醤油醸造は結びつかない。井の頭の湧き水を利用したのか。

橋を架けた万助氏の孫?の万助氏(世襲名、第八代)は、橋の手前の雑木林を切り開いて住宅街を開発、南井の頭田園住宅を造成、1924年(大正13)12月に竣工した。震災の被害を教訓にして、広い道幅を取り、井戸を整備して生け垣も奨励したという。今でも区画はそのままで、敷地の広い住宅が建ち並んでいる。言ってみれば三鷹の田園調布。大学教授やジャーナリストなどが旧東京市内から移り住んだという。「多摩のあゆみ」138号の「昭和初期撮影の空中写真ー玉川上水・南井の頭田園住宅・山本有三邸ー」(矢野勝巳)を参照。

矢野氏は、児童小説「ノンちゃん雲に乗る」はこの辺りをイメージして書かれた作品だと考察している。作者の石井桃子さんが山本有三邸をたびたび訪れていることから、東京郊外に住む中産階級の家族が住むところとして設定した可能性があるというのだ。(ノンちゃんの映画は子供の頃に見ました。鰐淵晴子がまぶしかった)

三鷹駅から万助橋までは約1㌔。吉祥寺通りを右に折れればジブリ美術館、左に行けば井の頭自然文化園の前を通って吉祥寺駅。橋を越えれば公園の雑木林。右岸がおすすめだ。バードウオッチのポイントは野鳥のサンクチュアリだし、ナザレ修女会跡地にはベンチが置かれ、ひと休みもできる。

新橋を過ぎると右手に明星学園高校の正門がある。この先で太宰治と山崎富栄の遺体が発見された。この辺りは玉川上水がカーブしているので、流れによどみが生じていたのだろう。

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2人が入水したのはむらさき橋の手前。そこには玉鹿石(ぎょっかせき)が置かれ、脇の石には「玉鹿石  青森県北津軽郡金木町産 1996(平8)6月」とだけ記されている。よけいな説明をしていないのが好ましい。

「多摩文学紀行」(たましん地域文化財団発行)で著者の山本貴夫さんが胸を張っていた。山本さんは文芸郷土史家で三鷹太宰治研究会主宰とプロフィルにあった。「男物と女物の下駄がつま先を流れに向けて揃えて残されていたことは私が発掘し、昭和五九年一二月四日付の読売新聞にスクープとして取り上げられた」。

その紙面が紹介されており、社会面のトップのようだ。見出しは、「太宰は合意で入水した?!早朝の堤に下駄二足 “愛人主導”の切に一石 郷土史家が新証言発掘」となっていた。

遺体が見つかったのは入水から6日後の昭和23年6月19日。36年を経てのスクープだったわけだ。

今日はそろそろ戻ろうか。新橋を左に曲がると井の頭公園通りにぶつかる。左折すれば公園に戻る。


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