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2010年5月 5日 (水)

鎮座1900年・大国魂神社の謎⑥

大国魂神社の大鳥居をくぐって拝殿に向かうと随神門の手前を道路が横切っている。もちろん車は通れないようにしているが、ちゃんと舗装されている。神社のちょうど真ん中を区切っている。

道路が先にあって、あとから神社ができたようだ。変だな。左手の鳥居を出ると、斜め向かいに標識が出ている。京所道。きょうずみち。国司が置かれていた名残で、中心をあらわす京がついているのだ。お経を書写する部門があったので「経」が京になったともいわれている。

国司がつとめる建物、国衙が大国魂神社のあたりにあったことは間違いがないようだ。

この京所道はまっすぐ西に続いている。両側の家の表札は「猿渡」。代々、宮司をつとめている家だ。司馬遼太郎の「燃えよ剣」にも猿渡家の娘がくらやみ祭の夜に土方歳三と情をかわすシーンが登場する。

ずっと行くと京王線の府中競馬正門前の駅前に出る。ここで道は曖昧になるが多分、品川道につながっている。品川道(品川街道)は京王線東府中駅のあたりで消えている。京王線が開通する前は、2つの道がつながっていたのだろう。

京所道は、江戸初期に甲州街道が整備される前は、甲州への道として重要な役割を果たしていたという。そんな道が神社の土手っ腹をぶち抜いている。

さらに境内には武藏国府跡の石柱が立っている。境内も国府だったのだ。これも変だ。

ということは、律令体制が崩れたあと神社が興隆したのか。そこには権力争いや、宗教や文化のはやり廃りなど長い長い歴史があった。あれこれ勝手に思いを巡らしていると尽きることがない。

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