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2010年5月17日 (月)

武藏国府発掘の説明会・その②

5月15日、武藏国府関連遺跡の現場説明会に行った。「府中御殿」については前回に書いた。今回は国府関連について。

会場で配布された資料にこうあった。

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(奥の林が大国魂神社の杜)

「今回、注目されているのは、整然と並ぶ5棟の古代(8世紀前半)と考えられる掘立柱建物跡が確認されたことです。慎重に調査を進めている為、詳細は不明ですが、その性格については想像力をかきたてられます」。

文章も慎重だ。どんな想像力をかきたてられるのか。これでは糸口もない。勝手に想像することにする。

8世紀前半といえば国府が置かれてすぐのことだ。武藏国府が置かれた正確な年は分かっていない。東山道武藏路の設置から類推するしかない。東山道武藏路が設けられたのは7世紀末のことらしい。東山道と東海道の連絡路の役割があり、武藏国を南北に貫いていた。その要衝として府中が選ばれ、国府も置かれたのだ。

国府の中心は大国魂神社の東側と推定されている。こちらは役所があった。今の霞ヶ関みたいな官庁街。

発掘現場の北側、高台ににうっそうとした森が見える。道路(府中街道)をはさんですぐだ。「あれは大国魂神社の裏手の森ですよね」、「そうです」と府中市教育委員会の人。ここは昔は大国魂神社と地続きなんだ。

「建物跡は何に使われたんですか」、「国衙で働いていた人たちの住居と考えられます」。役所が高台にあって、役人は少し下がったところに家を構えた。

「大国魂神社境内の北側も国衙跡ですよね。となると、そのころに神社は存在していなくて後に作られた?」、「…」。

官庁街と官舎が神社で分断されているなんて変だ。官庁街の周辺すぐに官舎があった方が便利だろう。大国魂神社の祭神は大国主、大和朝廷の出先機関の中心部に征服された神がいるのもそぐわない。応神天皇をまつる武藏国府八幡はもっと東、京王線府中競馬正門駅の近くに位置している。国府のはずれだ。

「あちらは鎮座1900年ですから」と別の説明役の人も濁していた。それはそれでいい。そっとしておこう。

でも、国衙は相当の規模を誇っていたようだ。西側にあるイトーヨーカドーの、さらに西側には国司の館(大館)も発掘されている。

古代の国衙については、こぢんまりしたイメージを抱いていたが、広大な敷地だった。大和朝廷の威力は相当なものがあったと見られる。大きな戦いもなしに、どうして武藏は大和朝廷の支配下に入り、大和朝廷はどのように支配権を及ぼしたのだろうか。わからないことだらけだ。

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