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2010年5月 2日 (日)

鎮座1900年・大国魂神社の謎④

5月2日(日) 快晴 最高気温22・1度

今日は御鏡磨式の日。午後7時半から神社の拝殿で鏡を磨き清める。大国魂神社のくらやみ祭も5日の神輿渡御に向けて着々と準備が整えられていく。

大国魂神社のかつての名称は六所宮、あるいは六所明神といった。武藏国の6つの神社をここに集めて祀っているので六所宮。氷川神社、秩父神社などもまとめられている。

国司が各神社を回るのが大変なので便宜上、一カ所にまとめたというが、もともと巡回はしていないのだろう。各地の総社を見ると六所宮と称していることが多い。

六所とは具体的な場所ではなく、東西南北、そして天と地。すなわち国のすべて。権力の中心がここにあることを示しているのだ。

名称はいつ変更されたのか。神社のパンフレットには「国内著名の神社六社を合祀したので、六所宮と称せられるようになりました」とあるが、肝心の「いつ」がはっきりしない。おそらく創建のときには六所宮で明治維新の神仏分離で変えたのだ。

理由の第一は、国の中心を意味することがふさわしくなかった。国の中心は1つしかない。それは天皇のいる京都。

その第二は、六所明神の呼び方。仏教的だとして排された。神田明神も神田神社に改めさせられた。

このことは創建の年代にも関わってくる。府中に武藏国府が置かれたので総社としてこの地に作られたのが始まりと見た方がいいだろう。

引田朝臣祖父が武藏守に任じられたとあるのが武藏守の初見。それは大宝3年(703)。教科書で習った大宝律令が作られた年の2年後です。この頃に武藏国府が作られ、武藏国の総社として六所宮も国司が祀るようになったと見るのが自然だろう。

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