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2010年5月 3日 (月)

鎮座1900年・大国魂神社の謎⑤

2010年5月3日(月)

鎮座1900年・大国魂神社の謎・その1

3日には神輿が大国魂神社の本殿前に遷される。町内の会所も立ち上げられてお祭りのムードが高まる。午後6時からは囃子の競演。けやき並木に10台の山車が揃い、囃子が披露される。

午後8時からは競馬式。「こまくらべ」とふりがなが振ってあります。けやき並木を6頭の馬が3回往復します。競馬とは何かと縁が深いんです。

くらやみ祭の行事で気になるのが、摂社の宮乃咩(みやのめ)神社と坪宮(つぼみや)だ。

クライマックスの5日。神輿が通り道を清めたあと、真っ先にお参りするのが宮乃咩神社。名前の通り、ここは女神で、祀っているのはアメノウズメノミコト。神社のパンフレットでも「創立は本社と同時代であるといわれています」と景行天皇41年(西暦111)頃に作られたとしている。

鎮座1900年・大国魂神社の謎・その2

北条政子もここに安産を祈願している。由緒ある神社なのだが今は参道の左側にひっそりと立っている。同時期に立てられただけではない何か意味があるのかもしれない。勝手に思うに、こちらの方が先に鎮座していたのではないか。

夜、暗くなって神輿が神社を出発。それを坪宮に報告する。坪宮は境内にはない。境外の摂社だ。神社を出て甲州街道を左に折れ、高安寺の手前の坂を下ったところに密やかに鎮座している。

ここで行われるのは国造代奉弊式。国造、くにのみやっこ、に供え物を奉る。祀られているのは兄多毛比命。エタモヒノミコト。武藏の国造といわれている人です。

神社のパンフレットは「当時(創建のころ)は武藏国造が代々神社に奉仕しましたが、大化の改新によって、武藏国府をこの地に置かれたので、国司が国造に代わって奉仕するようになり…」。

鎮座1900年・大国魂神社の謎・その3

国造が境外に追いやられている。権力が移ったために離れたところに置いた。それでも代々の奉仕を忘れないために神輿の渡御を報告するのか。

それとも、国造の先祖が祀られる例は多いから、国造の本拠はこちらにあったのか。となると大国魂神社のそもそもが、こちらにあったとも考えられる。

2キロ近くはなれているが浅間山の麓に人見稲荷がある。畑のあぜ道だが、ここの参道は200メートルくらいある。人見氏の本拠地で、ここでは人見が原の戦いが歴史に残る。参道から推測して、往時は相当に大きな神社だったと思われる。祀っているのは兄多毛比命。坪宮と同じです。武藏国造はかなりの範囲を支配していたようだ。

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