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2010年5月16日 (日)

武藏国府発掘の説明会・その①

5月15日(土)  晴れ、夕方から曇り  

武藏国府に関わる重要な遺跡が出たというので現場に行ってきた。この日「武藏国府関連遺跡現場説明会」が、府中本町駅の北隣で行われたのだ。

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遺跡ブームとはいうが、いっぱいの人が訪れた。用意した史料が足りなくなり、府中市役所の職員が市役所に戻り増刷コピーしていたほど。午後2時頃、受付の人に「何人くらい訪れているんですか」と尋ねたら「2000人にはなる」とのこと。最終的にはどのくらいになったのだろう。

まず発掘されたのが「府中御殿」関連の建築物。江戸に入った徳川家康が鷹狩りなどの際の休憩所として建てたものだ。各地に100カ所くらいあるというが、場所が特定できるのは珍しいという。

府中本町駅の近くにはかつて「御殿下」の地名があったし、発掘現場の北側を通っている府中街道の坂は「御殿坂」と呼ばれていた。ここから1キロほど南に下ると多摩川に至る。多摩川の清流を「府中御殿」に運ぶために「御茶屋街道」もあった。今も郷土の森公園の東側に残っていて、案内板が掲示されている。

家康は、多摩川の水で茶を点て、名物の鮎の塩焼きに舌鼓を打ったに違いない。

とはいえ、家康のこと.単なる物見遊山であるはずがない。政治的、軍事的な戦略があったはずだ。家康が移った頃の江戸はまだ、まったくの寒村。奥州に向かった豊臣秀吉をもてなすために、府中に御殿を建てたともいわれる。東海道もまだ十分には整備されていず、西国の軍勢に対する備えも怠るわけにはいかなかった。

とはいえ「府中御殿」は絶景の地に建てられている。前方は多摩川、その向こうに多摩の横山と呼ばれた多摩丘陵。右手には富士山が望める高台だ。

「府中御殿」は、掘れば出てくるのは予測されていた。ここは御殿地と呼ばれていたのだ。元は製粉工場があり、その後はイトーヨーカドーの駐車場になっていたようだ。改めて掘ったらやっぱり出てきたということで、意外性はない。

こちらもやっぱりなのだが、8世紀の建物跡が発掘された。ここからは来年創建1900年を迎える大国魂神社との興味深い関連も想像できる。

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