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2010年5月13日 (木)

グリーンパーク野球場④あえなく閉鎖

近隣住民の期待を担ってオープンした武蔵野グリーンパーク野球場だったが、オープンの1951年(昭和26年)は、わずかに12試合が行われただけだった。

「昭和27年からは一試合も行われなかった」と武蔵野市百年史。31年には日本住宅公団が同野球場を買収、31年10月には解体工事が始まっている。観客を運ぶための武蔵野競技場線も27年から休止状態になり、34年に正式に廃止された。

どうしてこんなことになってしまったのか。隣町に住んでいた脇坂勇さんの「八幡町ものがたり」に頼ろう。

「風で舞い上がる砂ぼこりがひどくて選手も観客も音をあげてしまったのだ。武蔵野台地の表面を覆う関東ローム層の赤土のせいであった。住んでみればわかるが、この辺のからっ風のきびしさと風塵の激しさは大ていではない。季節風の吹き荒れる春先の天を染める黄塵は、江戸の昔から武蔵野名物の一つに数えられてきたのである」。
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(グリーンパーク遊歩道をたどって中央公園に至る。中央を横切っているのは玉川上水。左斜めは仙川上水)

「その、昔からの名物は新名物の誕生がお気に召さなかったらしい。試合のある日には決まって風の機嫌が悪くなり、スタンド颪しがグランドの土を舞い上げた。…かくて哀れ新球場は店開きして三月とたたぬ間に閉鎖となり、六大学もプロ野球も公式戦をほとんど数ゲーム消化しただけで早々に退散してしまったのである」。

風塵は突貫工事で芝が根付いていなかったことも原因だ。戦後の混乱期、環境も変わった。そもそもグリーンパーク野球場の開場は、慢性的な球場不足解消が狙いだった。神宮球場は進駐軍に接収され、東京で行われるほとんどの試合が後楽園を使っていた。セパ分裂で試合数も増えている。

ところが1952年になると神宮の接収が解除、川崎、駒沢の球場が誕生した。こうなると不便なグリーンパークを使用する理由がない。

いつだったか定かでないが、子どもの頃にグリーンパーク野球場にプロ野球を見に行っている。確か、ジュニアオールスターだった。二軍のオールスターゲーム。一塁岩下、二塁内藤、ショート平井などがメンバーだったように記憶している。解体までは二軍の試合で使っていたのか。

少年の大切な思い出。伝説の球場でプロ野球を見たということにしておいてください。


続きはカテゴリーの武蔵野市にあります。ご面倒ですが、そちらからどうぞ。

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