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2010年4月 7日 (水)

松井久子監督の「レオニー」⑶イサムの父

映画「レオニー」ではヨネとして登場するイサム・ノグチの父はどんな人物だったのか。名前は野口米次郎、明治8年(1875)愛知県海部郡津島町(現津島市)生まれ。19世紀末から20世紀初頭の英米文壇にセンセーションを巻き起こした詩人。世界各地で日本の詩歌や美術について講演し、日本の文化を西洋に発信しつづけた日本文化の紹介者。慶応義塾大学の英文科教授。

肩書きは立派だ。戦前には、それなりの評価があった人のようだ。しかし米次郎についてはまったく知らない。第二次世界大戦中の戦争賛美の言論により戦後は忘れ去られた存在になったことも原因しているが、もっと本質的な問題もあるようだ。

イサムが生まれてもほったらかしだし、日本にやってきても生活の面倒は見ない。日本人の妻と結婚して恥じるところはない。責任なんてまるで感じていない。それどころか自分の都合で連絡を取ってくる。というのはヨネの英語では文学として通用しないのだ。レオニーの助けがなければ英語の詩人ではいられない。

こんな人います。あるのは自己顕示欲と出世欲。それでいて人の懐に飛び込むのがうまい。もう逢うまいと思うんだけど、頼ってこられるとムゲにできない。おまけに明治の男だから女性の立場なんて考えが及ばない。

そんな中、レオニーは家を転々としながらイサムを育てる。混血児を持つシングルマザー。女性の権利も認められない戦前の日本で生きたレオニー。こんな人生があったんだ。


松井監督から「イサム・ノグチの母のことをやるんだ」と聞かされ、「母ものか」と単純に連想した自分を恥じる。そんなべたべたな三益愛子主演映画のような母子関係ではないのだ。

原作の「イサム・ノグチ 宿命の越境者」(講談社)でドウス昌代さんは、こう書いている。「イサムが深く愛し求めた相手は、ただ美しかっただけではない。一生を賭けて打ち込む仕事を追求する女性であった.女性が自活をめざすのをイサムが当然としたのは、働く母親をみて育ったこともあるだろう。イサムが自分の世界を持つ女性に魅せられたのは、そういう女性が輝いてみえると同時に、彼が自分の仕事に没頭しやすいからともいえよう」。

試写会で松井監督がきっぱりと言っていた。「なんて大それたことを考えちゃったんだろうと、くじけそうにもなった。そんな7年間の思いのたけを込めた作品です。どんな批判も怖くない」。作りきった充足感が会場に放たれていた。

同い年でも女は強い。岩を動かしちゃうんだから、ただただ仰ぎ見るしかない。

角川映画の配給で11月中旬に公開だそうです。何スクリーンくらいの規模になるのだろう。


               ◎   ◎

「松井久子監督の『レオニー』⑴」はこちらです。

「松井久子監督の『レオニー』⑵試写」はこちらです。

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