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2010年4月30日 (金)

鎮座1900年・大国魂神社の謎③

大国魂神社の元の名称、六所宮について考える前に、どうして景行41年に定めたのか、気になったので日本書紀をひもといてみた。

日本武尊は景行28年に熊襲を平らげたと天皇に奏上した。西の国はこれで収まった。女装して油断させて熊襲タケルを討った話です。

昔は有名な伝説だったけど今はどうなんだろう。日本書紀や古事記は教わらないのか。もとより神話の世界だったり、事実でないことも多いけど、国作りの何らかの事実が反映されてもいる。そこを読み取っていくのも面白いものだよ。

さて時は流れて40年6月、東国の蝦夷が背いて動揺しているという。兄の大碓皇子は身を隠してしまったので日本武尊が志願して10月に出発する。尊は駿河に至り、相模から房総半島に渡る。

これが古代(武藏が東海道に編入されるまで)のルートだったのです。東海道は三浦半島から船で安房に渡り、上総、下総を通って常陸へ向かった。だから、源頼朝もこのルートで浅草のあたりで隅田川(利根川)を越え、武藏に入った。そして大回りをして鎌倉に至る。

さて、日本武尊は上総から陸奥に行き蝦夷の国に到着。蝦夷の首領は尊の船団を見て降伏。こうして蝦夷も平定された。

10月に出発して途中、伊勢神宮に参ったりしているから年も変わって景行41年になるのだろう。

あれれ武藏が出てきません。

尊は蝦夷を討った勢いのまま今度は、信濃、越が服していないと言う。そこで甲斐から北方の武藏・上野を巡って碓井峠に至る。

武藏や上野は、甲斐・山梨の北方ではないがまあよしとしよう。東山道だと長野から栃木、群馬を経て武藏になるが、その帰りの道をたどったのだろう。

ようやく武藏が登場した。尊は武藏、栃木を通過して長野へ向かった。大国魂神社がある府中は東山道武藏路が通っているから、ここも通ったに違いない。時は景行41年。

きっとこういうことなんだろう。誰が、いつ考えたんだろう。たぶん、明治4年の神仏分離令のときではないかと睨んでいる。それは六所宮からの名称変更とも関係しているはずだ。

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