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2010年4月 1日 (木)

野川沿いを歩いて俠客の墓へ①

野川公園に隣接する武藏野公園を歩く。府中運転免許試験場の北側だ。バカ陽気というほどでもないが、セーターを着て薄手のジャケットを羽織っていると汗ばむ。セーターを脱ぐとしまい場所がないので我慢して腕まくりでしのぐ。ペットボトルのお茶がうまい。

野川が流れ、北側はハケ、国分寺崖線で急斜面なので宅地化されずに緑が残っている。草の上に腰を下ろし崖の緑を楽しむだけでもいい。四方は緑に囲まれ、車の音も聞こえない。あちこちの湧き水を集めて流れる野川も、ここいらは濁りがなく澄んでいる。
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(墓地の中でもひときわ高い小次郎の追悼碑)

野川沿いは遊歩道になっているので、上流へとのんびりと歩く。野川の源流の一つが東京経済大学の中にあるし、国分寺の日立中央研究所が源だ。滄浪泉園、貫井神社、殿ヶ谷戸庭園など湧水を利用した庭園や神社など見所も多い。家々も日当りがいいから思い思いの花や木を植えている。

とりあえずJR武蔵小金井駅近くの小金井小次郎の墓を目指す。我が家の先祖は武蔵野市吉祥寺の月窓寺に眠っている。吉祥寺北口の商店街を抜けた伊勢丹の真ん前にある寺だ。伊勢丹は閉店、ショッピングモールに生まれ変わるらしいが、デパートも時代のニーズとはかけ離れてしまったのだろう。墓参りに行くとオヤジが小金井小次郎の墓がすぐ近くにあると、なぜか自慢していた。

やくざの墓と近所付き合いでも自慢にゃならないと思うが、とにかく有名人ならいいんだろう。「ふーん」と、から返事をするだけでどれが大親分の墓なのかは未だに確認していない。

それだけの縁なのだが、観光ガイドを見ると、小金井小次郎の墓は、吉祥寺ではなく小金井にある。野川の北側の西念寺の南側だ。墓に参って小金井街道を北に行けば武藏小金井の駅だ。帰るのにも都合がいい。

広さ100坪ほどの墓地につくと、すぐに小次郎の墓は分かった。ひときわ高い碑がそびえている。3メートルはあろうか。普通の墓石は台座を含めても、その半分くらいだから、いやでも目につく。

「小金井小次郎君追悼碑」とあった。山岡鉄舟の筆になる。明治35年4月に建てたとあった。小次郎がなくなったのは明治14年。

大きな碑の横には「関家」の墓碑銘も刻まれた碑があり、小次郎の名もあった。戒名は「大雄院致精允徳居士」、俗名小次郎 明治14年6月10日没 行年65歳とあった。

確かに小次郎の墓だ。じゃあ、オヤジは何を言っていたのだろう。

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