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2010年3月25日 (木)

明治の言葉「勇みの者」「女湯の刀架け」など(A)

雨と寒さで散歩もままならないので図書館へ。似た境遇の定年オヤジに混じって新聞など読み、検索機械で入力したら「戊辰物語」(岩波文庫)があったので、地下の書庫から持ってきてもらって借りる。

戊辰戦争から60年目の次の戊辰にあたる昭和3年(1928)東京日日新聞の正月企画だ。古老からの聞き書きで、維新の動乱が江戸の町に生きていた人たちの目線で語られる。取材陣(執筆者)の中には子母沢寛も加わっていて、同じ昭和3年に出世作となる「新選組始末記」を出版している。前にもこのブログで書いたが「新選組始末記」も小説ではなく古老からの聞き書きで新選組の顛末を綴ったものだ。

「戊辰物語」には、大正15年の連載「五十年前」と新たに取材、執筆された「維新前後」が加えられて同じ年に出版されている。評判になったのだろう。「維新前後」には「新撰組」の項もあり、これは子母沢が執筆しているのか。

聞き書きだから当然、維新の全体をとらえたものではない。しかし、その断片が公式の歴史では語られない、町人たちの率直な見方になっている。

たとえば将軍慶喜が鳥羽伏見の戦いに敗れ、さっさと江戸に戻ってくる。
「町人などは喜んで、八文の湯銭で朝風呂のざくろ口をくぐると、世間話に花を咲かせ、のうのう暮していた。さすがは将軍様、米がどかりと落ちたなどは、御威勢はえらいものだと感心した」。
将軍が帰ってくると100俵420両だった米が350両に下がったというのだ。

談話者の彫刻家高村光雲はこう話している。「京都の戦争の噂などもそろそろ伝わったがのんきなもので、ざくろ口の中が湯気で、もうもうしているから、風呂を出ても寒くない。いつまでも清元なんかをやっている。夜はざくろ口の外に魚のあぶらのかんてらが一つ、今考えると真暗な訳だが、それでいて、どこのおじさんが来てるというような事がわかって話し合ったものだ」。

そんなもんなんでしょう。戦争だって直接に見聞きしてなければ、よそのこと。火の粉が降り掛からなきゃ、行動には結びつかない。21世紀の今は情報が伝わりすぎて、それがバカなマスコミによってヒステリックに増幅されるから過敏になりすぎる側面もある。危機だ、危機だと騒ぎ立てるからそわそわして落ち着かない。Let it beでありたいね。

岩波文庫版では現代仮名遣いに改め、難しい漢字は仮名にし、ふりがなを振ってあるが、当時の話し言葉で語られているので、わからない単語や今では使わない言葉が出てくる。これがスパッと言い当てていていいんです。明治の初期には「因循」が流行語になりました。態度がはっきりしないことを言ったものです。もう使われないけど雰囲気は伝わる。そんな言葉や事柄を「戊辰物語」から拾ってみました。

まず「勇み」。「江戸名物浮世風呂、日の出と共にわいた。勇みの者や職人などは、何をさておいても起き抜けには湯へ行った」「気ッぷがいいので自然勇みの仲間へ入った」と使われている。今で言う「やんちゃ」に近いが、やんちゃの仲間とは言わない。岩波古語辞典にちゃんと出てきます。「任侠の気概に富み、言動の威勢がよいこと。また、そのような人。男伊達。勇み肌」。昔の侠の雰囲気が出ている。だけど今のやくざは勇みとは呼べない。素人に手を出して、なけなしの金をくすねているようじゃ男が廃る。

勇みの仲間に入ったのは、人入れ稼業の元締め、相模屋政五郎。「政五郎は世にいう『相政』、娘お貞を例の俳優『脱疽の田之助』へくれた俠客である」と説明があるが「例の」を知らないのでは話にならない。相政は土佐の山内容堂お出入りでもあり、容堂が死んだときにはがっかりして通夜のときに殉死しよとしたが板垣退助に助けられたという。

「女湯の刀架け」。「朝湯は女湯の方が奇麗なので、そっと誤摩化してこれへ入る算段ばかりした」。「ただ、八丁堀与力同心組屋敷は、同心なんかは女がいなければ平気でここへ入ったもので、七不思議の
一つに『女湯の刀架け』というのがあった」。

江戸時代はたびたび混浴禁止令が出されているから、そんなに気にしなかったんでしょう。風紀紊乱はつねにお上の発想。下々はおおらかなものだった。
                      (続く)

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