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2010年3月 1日 (月)

ふきのとう100円❶

暖かかったので武藏国分寺跡周辺を歩いた。25日のことだ。国分寺崖線、通称ハケの崖を下る道や、崖からわき出す湧き水が小川となっていて、このあたりは武蔵野がちゃんと残されている。

JR中央線の国分寺から商店街を抜けて坂を下っていってもいいし、西国分寺からは都立武蔵国分寺公園を通って雑木林を抜けハケを下ればいい。ブラブラ歩きなんだから車が通らない方が追い立てられないので、いつもは西国分寺から国分寺跡を目指す。どっちにせよ10分くらいの距離だ。でも、この日は“国分寺書店のオババ”のいた古本屋があった頃の景観を思い出そうと国分寺で下りた。当時、高校生の頃は改札を出てから陸橋を渡って古本屋のある南口に行っていたはずだ。今はすっかり駅も変わってしまって陸橋なんて影も形もない。立派な駅ビルになっている。作家の椎名誠が「さらば」とタイトルをつけたように、もう40年くらい前に再開発で古本屋はなくなっている。面影はまったく失われている。

国分寺で下りるのはその頃、たいていは荒井晴彦(脚本家)の家に行くためだった。当時はやりのプレハブの勉強部屋を建ててもらい、そこに勉強しないやつらがたまっていた。小遣いを出し合って500円のサントリーレッドを買って来てわいわいやったり、くだらないことばかりをしていた。世の中のことも少しは話し合った。「宣言」は当然、読んでいたし、岩波新書の「昭和史」もその頃は高校生の必読書だった。でも、代々木はどうも肌合いがあわないと感じていた。そこらへんは佐藤がまじめで荒井とよく論争していた。おれはまだ知識が足りなかった。高校3年生だった。高校の頃についてはいずれ項を改めて書く。

ダラダラ坂の商店街を下って野川をわたり左に折れると「お鷹の道」にぶつかる。ハケから湧きだした清水を集めた小川だ。勢い良く流れている。6月には蛍が舞うという。「カワニナをとらないで」の看板が立てられている。小川沿いに歩けるようになっていて、別の小川が崖の方から流れ込んでいて合流する。別の流れの方には「真姿の池」があり、弁天様が祀られている。

「真姿の池」の由来はこうだ。いまから1150年ほど前のこと。玉造小町という美しい娘がいた。癩病にかかり顔が醜くなってしまった。武蔵国分寺の薬師如来に祈願したところ21日目に童子があらわれて、この池の水で体を洗えとのお告げがあった。言われた通りにすると7日目には病は治り、元の姿に戻ったという。元の姿を映したので真姿の池。

この流れも勢い良く、崖のところに行くと湧き水がどんどんと出ている。近所の人がペットボトルを持って汲みに来ている。小さな子どもは釣り竿の糸にイカのゲソをつけてザリガニをつっている。きれいな流れなのでアメリカザリガニではなくニホンザリガニがいるのか。石の間に隠れているらしい。そこを目がけて糸を垂らしていた。

ちょうど弁天様の前には農家の庭先販売所がつくってある。のぞいてみたら、ふきのとうを売っていた。1パック100円、7、8個は入っている。安い。スーパーで見たら6個入りのパックで300円だった。形は不揃いだが、味に変わりはあるものか。どうせ、畑の畦などに勝手に生えてくるものだ。おばさんに聞いたら、朝、とって来たのは売り切れたので、今しがたとって来たばかりだという。4パック買って、週末に天ぷらにした。春の苦さだった。

こういう幸せがあるので散歩は三文の得だ。でも、盛りつけた天ぷらを見たうちのオヤジは「地ものだね」と見抜いた。90歳になろうというのに、百姓育ちの目は確かだ。

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