フォト
無料ブログはココログ

« 近藤勇・産湯の井戸・その9 | トップページ | 武藏熊野神社古墳Ⅱ »

2010年3月13日 (土)

珍しい上円下方墳・府中の熊野神社古墳Ⅰ

相当に貴重な古墳だ。府中の郷土の森博物館に行くとくらやみ祭りの部屋に続く展示室に、まず最初にで〜んと展示してあるのが、この武藏府中熊野神社古墳の模型だ。

「大変に珍しい形式なんです。上円下方墳と言ってこれまでに全国でも3基しか発掘されていないんです」と学芸員さんは誇らしげだ。ここは、ウイークデイの客の少ない時間に訪れると親切に説明してくれる。府中には弥生遺跡が少ないと残念そうだったが、上円下方墳の話になると、ちょっと得意げになった。「上円下方?」と聞き慣れない用語に首を傾げると、模型に案内してくれた。「下が四角で上が円なんです」。模型を見て納得した。

7世紀に入ると、大規模なものがつくられた前方後円墳の時代が終わって、その後につくられたのは円墳が主流だった。そのころを終末期古墳という。終末期は、推古朝の飛鳥文化、天武・持統朝の白鳳文化が花開いた時代と重なる。

それなのに、ここ府中につくられたのは上円下方墳。全国でもこれまでに3基しか確認されていないらしい。京都・奈良境の「石のカラト古墳」、静岡の「清水柳北1号墳」、福島の「野地久保古墳」の3基で、武藏府中熊野神社古墳は大変に貴重な発掘だったといえる。だから国史跡にも指定された。

築造年代は飛鳥時代。7世紀の中頃から後半と見られている。むしごはんの大化の改新のころになる。昨年秋にさきたま古墳群に行って以来、すっかり古墳ファンになってしまった。有名なワカタケル大王(雄略天皇)の名を記した鉄剣(国宝ですぞ)が出土した稲荷山古墳を初め古墳がうじゃうじゃある。それらの古墳には階段が設けてあっててっぺんまでのぼることが出来る。全長120メートルの稲荷山古墳にのぼると見晴らしもいいし、何よりびっくりしたのは国宝の鉄剣が頂上部からみつかったことだ。被葬者は上の方に埋められていたんだ。横穴を掘って下の方に埋葬すものとばかり思っていたので、これには驚きました。

関西の大型古墳はやたらに入ったりできないが、こちらは開放されていて、大きさや形状などを体験できるのがすばらしい。

行かずばなるまい。地図で見ると、熊野神社が鎮座しているのは府中の西のはずれの方。隣は国立だ。甲州街道を西に行けば1キロ足らずで谷保天満宮に行ける。最寄りはJR西府駅。09年の3月に開業したばかりの新しい駅だ。とはいえ民営の南武鉄道が国有化された44年(昭和19)までは西府停留場があったというから新設というより復活なのかもしれない。

中央線を立川で乗り換えて谷保の次が西府だ。北口に下りるが、まだ区画整理の杭やしきりがされているだけで何もない。商店が1軒もない駅前というのも珍しい。タクシーが所在なげに2、3台停まっている。コンクリで覆われた空き地にはビルが建つ計画なのか。不景気で予定が頓挫してしまったのか。

案内板がある。「熊野神社古墳500メートル」と出ている。甲州街道にぶつかって左折すれば右手にあるらしい。へそ曲がりなので、甲州街道を直進して次の道を左折してみた。

住宅街を進むと前方に円い山が見えて来た。あたりにそぐわない感じが期待観を高まらせる。結構大きい。円は石で覆われている。びっしりと敷き詰められている。「こんな古墳があるのか」。土まんじゅうを作って搗き固めただけではないんです。道は古墳にぶつかって折れ曲がっているので、直進すると横原に至る。右手は幼稚園。園児たちが古墳の目の前で遊んでいる。左手が熊野神社だ。

古墳は神社の裏手の小山として残っていた。室があったという文献に気づいた府中市が発掘を進めて古墳だと判明したのだ。パンフレットによると、墳丘の高さは5メートル。下方部(1段目)の一辺は32メートル、下方部2段目は23メートル、上円部の直径は16メートル。立派なものでしょ。

築造には当時の最新技術が使われたようだ。墳丘が崩れないようにするためには、種類の異なる土を交互に堅く積み上げる「版築工法」を用い、墳丘部は全面を河原石で葺いている。「上円下方」は中国の思想に基づく。古代中国には「天円地方」の考え方があり、円が天を、四角が地を象徴し、この形が宇宙や世界をあらわしているという。出土した鞘尻金具には「七曜文」がついているという。模様の中に7つの○があって、これは国産初の貨幣「富本銭」だけに見られるもの。古代中国の宇宙観をあらわしたもので、最新文化として取り入れたのだという。

誰の墓なのか。「つまり、熊野神社古墳の被葬者は、在地の有力者でありながら、新しい思想や技術をいち早く取り入れることのできた人物であり、後の多摩郡の郡を監督した郡司層につながっていく有力者であったと考えられます」。ちょうど、今年の2月に発行された「多摩のあゆみ」が「特集 多摩川流域の七世紀古墳」を扱っていた。そのなかの「七世紀における多摩川中流域左岸の古墳と集落」(江口桂氏)からの引用だ。

「多摩のあゆみ」(季刊)は、財団法人たましん地域文化財団の発行で、多摩信用金庫の窓口に行けば無料でもらえる。すでに137号を数え、様々な特集を組んでいる。国立駅前には資料室があり多摩に関する書籍や史料を収集、研究者に閲覧しているので、時々お世話になる。地域文化に貢献している多摩信用金庫は偉い。

在地の有力者とはどんな人物だったのだろう。

« 近藤勇・産湯の井戸・その9 | トップページ | 武藏熊野神社古墳Ⅱ »

府中市」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1320081/33754184

この記事へのトラックバック一覧です: 珍しい上円下方墳・府中の熊野神社古墳Ⅰ:

« 近藤勇・産湯の井戸・その9 | トップページ | 武藏熊野神社古墳Ⅱ »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30