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2010年3月29日 (月)

明治のえん罪事件ⅰ

足利事件は菅家さんのえん罪が晴らされたが、いつの世にもえん罪を生む土壌はあるもので、明治の時代は人権など斟酌されないから、もっとひどかっただろう。これは偽札事件をめぐるえん罪、というよりも警察による完全なでっち上げ。これに類する捜査は日常的に行われていたのだろう。かなり強引なでっち上げで、明治の昔だとばかりは言えない面もあるので紹介する。

事件が起きたのは明治11年12月のこと。京都、大阪、岡山、鹿児島などで取り立てた税金の中から偽札が発見された。精巧なできばえの2円札で、表に描かれたトンボの絵の足が一本足りないだけだった。

明治11年と言えば、5月には内務卿の大久保利通が暗殺され、11月には近衛兵が騒動を起こした竹橋事件が起きるなど、とかく物騒な事件に明け暮れていたから偽札事件は不安な世情に拍車をかけた。
(えん罪には関係ない余談だけど、竹橋事件の首謀者53人は、深川越中島の刑場に運ばれ処刑された。何かと関係が深いんですね)。

でっち上げの主人公は警視局(今の警視庁)の捜査主任安藤・中警視。警視局は全国に探偵を放ち、安藤も部下を督励して犯人を突き止めた。なんと、恐るべきことに大阪財界の大立て者だった、と確信した安藤は警視局の警官100人を大阪に送り込んだ。大阪の警官ではなしに東京から派遣している所になみなみならぬ決意がうかがわれる。自信満々だったのだろう。

こうして翌明治12年9月15日未明、警官たちが藤田組の社長藤田伝三郎の邸に踏み込んだ。藤田が縄付きで出てくる姿を一目見ようと自宅前は黒山の人だかり。野次馬は、藤田が豪華な生活から転落するさまを確かめて、うっぷんを晴らすのを期待したのだ。

藤田組は西南戦争で要路と結託してぼろ儲けをした戦争成金。庶民からは、やっかみ半分で見られていた。藤田組の番頭も逮捕され、本支店や関係銀行まで家宅捜索されたが、偽札は1枚も出てこなかった。それでも藤田らは東京に護送され、厳しい取り調べを受けた。

その結果、出てくる出てくる、藤田組の不正行為が次々に暴露された。戦争中の不正取引、役人への賄賂の控え帳、大阪府知事が藤田邸で行った博打…。民衆の怒りはピークに達した。きっと民衆の間では偽札犯と決めつけていたんでしょう。今で言う劇場型犯罪の趣になった。

この騒ぎに、財界も動揺したため大阪財界の大立て者五代友厚が立ち上がった。五代は大阪財界人を招いて「天下の疑惑を解く」と題する演説を行い、藤田のえん罪を訴えた。事実、不正行為は出てきたが偽札に関しては、どう調べても藤田はシロだった。

安藤捜査主任は、どうして藤田をクロと決めつけたのか、それは薩摩と長州の藩閥争いが背景にあった。
(次回に続く)

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