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2010年3月28日 (日)

明治の言葉「勇みの者」「女湯の刀架け」など(D)

性懲りもなく「戊辰物語」の用語勉強、続けます。

▽新場        「その時分は新場の方にも立派な魚がしがありやしてな、何かにつけてもう毎日のように出入り(喧嘩)がありやした」(魚河岸「樋長」、飯田徳太郎翁(八十一歳)談)。どこだろう。「江戸日本橋の魚河岸に対して、延宝〈1673〜1681〉年間に開設された材木町の新魚市場。主として伊豆・相模辺の魚介を集荷した」(広辞苑)。材木町は今の神田岩本町。


▽じんじんばしょり  「揃いの浴衣はいいが私は博多の帯が惜しいのでこれを背負い込み、襟巻きをさいて帯代わり、白たびに麻うら草履、白いこうもりをさし、他の三人は菅の三度笠をかぶってじんじんばしょり」(宝井馬琴談)。浴衣のはしょりかたで、ヂヂイバシオリ(爺端折)の転訛だそうです。「背縫いの裾から七〜八寸上をつまんで、帯の結び目の下に挟むこと」(広辞苑)。


▽ぶっちゃき羽織   「委員は筒袖のぶっちゃき羽織に、たっつけ袴をはいていたが、ひどく丁寧で、少しも威張るような調子はなかったと、原翁が話している」。奉行所の引き渡し式にやってきた官軍の服装。手元の辞書にはなし。たっつけは、筒太く、裾口は狭い。袴のように仕立てて、江戸時代には旅装として用いた。


▽粉本        「その頃の師匠と言えば手本を書いてくれるだけで、弟子はそれを一生懸命に模写したものです。自慢らしいが私なぞは直ぐお手本位は書けましたよ。今から考えると私がうまかったのではなくて先生の方が下手だったんですね」とは川合玉堂画伯。

で、師匠はどのように手本を描いていたのか。「ところがどうです。その書いている絵の下には粉本(ふんぽん)が置かれているじゃありませんか。先生は粉本の引き写しをやっていたのです」。その先生とは京都一流の大家、望月玉泉だという。「粉本」は、模写された絵画。昔は胡粉で下絵を描き、後に墨でかいたからいう。

▽鉢金        「いまの湯島切り通しの岩崎男邸は、徳川の四天王榊原の屋敷だったが、あの屋敷から一部の者が脱走して腹巻、鉢金の姿で源氏車の旗を立てて、上野の山へ馳せ込んで奮戦した『榊原の奮戦々々』として、その後、大評判であった」。彰義隊の戦いのあるエピソード。

「鉢金」は、かぶとの鉢の形をしたもの。「源氏車」は牛車の車輪にかたどった紋所や模様、榊原家の紋。こんなことは説明しなくても常識だったんですね。


てなわけで「戊辰物語」はさまざまな人がそれぞれの維新を語ってます。天野八郎を軸にした彰義隊、新撰組、新門辰五郎らの親分衆、廃仏毀釈で葬式もなくてお手上げの僧侶など、脇道の話が実に興味深い。国語のお勉強はひとまずここまで。

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