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2010年2月 4日 (木)

廃線跡を歩く

府中の郷土の森博物館を出て左手に歩くと、まっすぐな道と交差する。北に向かってどこまでもまっすぐだ。大分さきには中央高速が見えるが、その下をくぐってもまだまっすぐだ。畑の中の道は、緩やかなカーブを描いていたりするが、この道はひたすら直線だ。

住宅が押し寄せてきてはいるが、まだまだ広い畑が残っている。今は大根や白菜が植えられている。こんなに広い畑を見るのは久しぶりだ。遊歩道だから車は通らない。それでいて片側1車線弱の広さがあるから自転車とすれ違っても気にならない。

西に傾いた日を浴びながら畑の作物に目をやりながら歩く。気づいて振り返ったら府中の森の雑木林の向こうに多摩丘陵が緑一杯だった。丘の麓には、大麻止乃豆乃天神社(といっても急な階段をのぼる)や城山公園があるので宅地造成から免れている。おおまとのつの神社は延喜式の式内社で由緒ある社だ。「新吉原 五十軒通り平松屋」が寄進した灯籠があった。明治二年と彫ってあった。卜占業者に崇敬されたということなので、はるか吉原の業者がここまでお参りに来ていたのか。

散歩の人や買い物の主婦が通るだけなので静かだ。車の音も聞こえない。のんびりと歩けて気持ちがいい。空気もきれいだ。ここは下河原緑道。昔の下河原線の跡なのだ。だから、まっすぐ。

「下河原線は、1910(明治43)年に東京砂利鉄道として多摩川で採取した砂利を輸送する目的のため、国分寺—下河原間に開通した。その後、東京競馬場前まで分岐線が開業し、旅客業務も開始した。しかし、1973(昭和48)年開業の武蔵野線に旅客業務をゆずり、1976年には貨物輸送も廃止された.国分寺ー西国分寺ー北府中間は現在も中央線・武蔵野線が走っているため、下河原線の跡はほとんど確認できない」(東京多摩散歩25コース、仙田直人、山川出版社)

そういえば、東京競馬場前駅が日本一だか、何番目だかに長い駅名だと話題になったことがあった。いつの間にかなくなっていたが、南武線と、武蔵野線の府中本町駅に吸収されてしまったのだ。

この緑道にある農家の庭先販売所は充実している。普通は数種類を置いているだけで、ほとんど無人だが、ちゃんとおばちゃんが店番をしている。種類も20品以上置いている。大根、人参、ジャガイモ、白菜など。知らない野菜も並んでいたがメモするのを忘れた。奥さんたちが自転車で買いにきている。新鮮で安いのだろう。

緑道を外れて右にちょっと入った所には産みたて卵の直売所もあった。「家の光に紹介されました」と宣伝がしてあった。自信がありそうだ。その近くには和菓子のアウトレットがあった。工場の道路側を小さな店舗にして和菓子を売っている。ここにも自転車のママさんがたかっていた。肉類さえどこかで求めれば晩のおかずは新鮮なもので調達できそうだ。いい町だ。

まっすぐ歩いて右手にイトーヨーカ堂が見えたらそこが府中本町駅、ずっといけば南武線にぶつかる。そこらあたりから左に行けば分倍河原駅。気分次第でどちらでも。なおもまっすぐいけば旧甲州街道。街道を右に行けば大国魂神社が見えてくる。京王線府中駅はその北側だ。

郷土の森の梅まつりも始まった。「国府はいつできたか&調査速報」の特別展も始まっている。梅の見頃を計ってまた郷土の森を訪ねよう。

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