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2010年2月20日 (土)

近藤勇・産湯の井戸・その3

近所の肉屋に買い物に行った。店のご主人と無駄話をして同級生のことになった。
「木工所の平井くんと一緒なんですよ」
「タイちゃん?」
「名前は忘れた」
「タイちゃんは天然理心流を継ぐただ一人なんだそうですよ」
「えっ!」
「NHKの新選組のときにはテレビに出てましたよ」

家に戻って小学校の卒業アルバムの集合写真を見たら最前列に座っていた。名前を確認すると「タイちゃん」だった。帰り道が一緒の方向なのでよく遊んだ。高学年になって、いつのまにか疎遠になってしまったが、剣道を、それも天然理心流を習っているとはまったく知らなかった。アルバムでは、足を開いてどっしりと椅子に腰掛けている。そう聞かされるとなんだか、姿勢がしっかりしているような気がする。
生家の向かいに近藤勇の甥勇五郎(1851〜1933)が開いた剣道場「撥雲館」に通ったのだろうか。

勇五郎は、勇の娘と結婚し、近藤姓を継いでいる。勇五郎は板橋で近藤の処刑を目撃し、遺体を掘り起こして菩提寺の龍源寺に運んだ。首は京都でさらされたが、遺体が菩提寺に眠っているのはこのためだ。

勇の生家跡と人見街道を挟んだ向かい側に撥雲館の看板もある。敷地は200坪ではすまない。広すぎてわからないが300坪はあるだろうか。野菜を植えたりしている。

近藤勇と新選組が朝敵の汚名をそそぐには昭和まで待たねばならない。子母澤寛の「新選組始末記」、平尾道雄の「新撰組史」の出版が一つの契機になった。昭和3年だった。戊辰戦争から60年、これが作家・子母澤のデビューだった。新聞記者だった子母澤は新聞の連載で維新ゆかりの人々を尋ねた聞き書きを担当した。

「新撰組始末記」は小説ではない。ゆかりの人々への聞き書きだ。男爵の山川健次郎博士は「永倉新八序」でこう語っている。「初め芹沢鴨が其の隊長なりしときには、規律も厳ならず暴悍の行なきにしもあらざりしが、近藤勇が隊長となり京都守護職に附属せしより、隊長勇を初めとし、其の責任の重きを自覚し、規律を厳粛にし、恒に守護職の命令により行動したる適法の警察隊なりき。故に当時有志の徒と称する過激派の浪人等は、新撰組の取締を受けて其跋扈を逞しうし得ざりしより、新撰組を不倶戴天の仇とせり」

適法の警察隊と正当性を認めている。其の取締が維新後に恨みを買ったという。
「維新後此の浪人と同系統の人々政権を握り、新撰組の適法の行為を犯罪となし、其の私怨を報揺るに至れり。近藤勇の犯罪は甲州勝沼の一戦と、関東に於ける戦闘準備のみなるかかわらず、勇を斬に処したる後、其首を京都に送りて之を し、京都を以て犯罪地とし、勇が京都に於ける適法の行為を犯罪となししは、私怨を報いたる一例なり」

さらに維新後の新撰組の悪評、賊呼ばわりについてはこう解説する。
「且彼等は口に筆に、新撰組を罵りて私設の暴行団体の如く云い倣せり、爰に於て世人も亦往々之に惑わされ、小説に講談に、新撰組を暴行団体の如く信ずるに至る。而してその寃を解くものなきは予の遺憾とするところなり」

私らもこの延長で新選組が時流に逆らう暴力集団と思い込まされたのだ。

子母澤はなぜ新選組の真実を記録しようとしたのか。実は彼の祖父は彰義隊の一員として上野の戦争に加わった。さらに函館・五稜郭まで行って土方歳三らとともに戦った。降伏後、とらわれの身となったが士籍を返還して札幌近辺で開墾事業に従い、その後、厚田村に移住した。
子母澤が生まれたのは厚田村の網元の家。

祖父から上野の戦争や函館での戦いについて聞かされたに違いない。祖父は徳川の世はよかったと懐かしんだことだろう。図らずも朝敵になったが、新選組は世情言われるような犯罪集団ではないと繰り返し聞かされたことだろう。土方はヒーローだったかもしれない。

「新選組始末記」(中公文庫)の解説で尾崎秀樹は「彰義隊崩れを祖父に持つ彼は、維新の動乱を藩閥政府から見ることある種の不満を抱いていたに違いない.それは勝てば官軍の発想によるお手盛りの明治維新観に対する無意識の批判であり、彼なりに維新史をとらえ直してみたいという欲求にたつものだった」と執筆動機を推測している。

しかし、まだ新選組復権の狼煙が上がったにすぎない。新選組に対する抵抗が薄れ、ブームとなるまでにはまだ40年近くが必要だった。


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コメント

元気でやってますね。ツリーの写真も見ました。私はシニアボランティアとしてスリランカのトリンコマリーという小さな漁港でがんばってます。新撰組ファンだからよくみてますよ。たまには栗塚、左右田、島田の話もお願いします。

頑張ってますね。ツリーの写真も見ました。私はシニアボランティアとしてスリランカのトリンコマリーという漁港で頑張っています。新撰組ファンですので、たまには島田、栗塚、左右田の話も…。

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