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2010年1月31日 (日)

続・続・続・消えた弥生時代

東国の学者も肩身の狭い思いをしているんだ。こんなくだりをみつけた。

「「いつもこういう所で話をするんですが、ある関西の有名な先生から、『大塚くん、君みたいなあずまえびすは』『おい、あずまえびす』って言われましたからね.つまり、関西の研究者は、『東京などは、今は日本の政治・文化・経済の中心だけども、かつては俺らの方が上よ。田舎っぺ』って言うんです。(笑い)」

冗談ではあるが、碌な遺跡が出てこないので研究材料としては下に見られているんだ。これは「東京の古墳を考える」(品川区立品川歴史館編、雄山閣、2006年発行)に収録された「講演 東京の古墳を歩く」(大塚初重)からの引用。すみません、変な所だけ引いてしまって。後に古墳時代を書くときにちゃんとした内容も引用します。


大塚氏は東京の弥生時代についてこう語っている。
「今日は古墳時代の話ですけども、もう一つ前の弥生時代の話ということになって参りますと、例えば北区の飛鳥山公園一帯の調査でもって、弥生時代の環濠集落、濠を巡らした集落が出ています。江戸川を挟んだ対岸の千葉県市川市の下総台地の縁辺には国府台の遺跡群がございまして、これも弥生時代の中期と後期の環濠集落が、最近発掘され、確認されています。


つまり、東京湾に流れ下る江戸川が作った東京低地を間に挟んで、千葉県側一帯は一番、千葉県の入り口の下総台地の突端、武蔵野のほうは、東京湾に面した武蔵野台地の一番東の突端のへりに弥生時代の後期の環濠集落が営まれています」

「ということは、江戸川の河川流域や東京湾の海上交通圏内には、弥生時代の社会から、かなり重要な拠点があったと思われます」

そうなんだ。武蔵野台地の東端のへりにしか弥生の集落はないんだ。逆に言えば、まだ、川をさかのぼっている弥生人はいない。

その東端の遺跡はどこか.具体的には、摺鉢山古墳(上野公園の東京都文化会館のすぐ裏、かつては長さ70メートルもあった前方後円墳だったとみられている)、東京国立博物館正面から入ったところにある表慶館(これを建てるときに古墳から刀などが出土した)、芝丸山古墳(増上寺の隣、100メートルを超える前方後円墳)などがあると大塚氏は指摘している。

いずれにせよ多摩地方は出てこない。弥生が消えてしまっている。おおざっぱに言ってしまうと、東と西の文化の違いは、すでにこの頃に始まるのかもしれない。網野善彦さんを読み直してみよう。

まだまだ、多摩の弥生を考え続けている。

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