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2010年1月29日 (金)

消えた弥生時代

武蔵境駅から西武多摩川線に乗って府中の郷土の森博物館を目指す。他の西武線とはつながっていないローカルな線だ。マークシートを手にしたおじさんたちが乗っている。おりるのは終点1つ手前の競艇場前だ。他場開催で今日は多摩川ではやっていないのだろう、数が少ない。

そもそもここに競艇場ができたのは、砂利を採取した跡の大きな穴に水を溜め込み(自然に湧いたのかもしれない)観覧席を作ってオープンした。夏には近隣住民へのサービスとして花火大会をやっていた。今も続いているのかな。観覧席の花火見物は特等席だ。

その昔、子供の頃は日曜日になると三鷹の我が家までモーター音が聞こえた。もともと車なんて、そんなに走っていなかったが、それでも日曜は静かだったのだろう。

武蔵境からは貨物線の跡が残っていた。砂利を武蔵境の浄水場まで運んだのかと思っていたが、中島飛行機までつながっていたようだ。今の武蔵野市役所と武蔵野中央公園のあたりに零戦も作った軍需産業の中島飛行機はあった。そういえば今でも武蔵境の北口から遊歩道がそちらにつながっている。廃線跡なのだ。

おりるのは是政。これまさです。北条氏照の家臣、井田是政が小田原落城後に帰農、この辺り一帯を切り開いた.東京競馬場のコースの内側には井田家の墓がある。名物の大けやきのあたり。サイレンススズカが故障を起こしたのもあの辺だった。握りしめた馬券がパーになった。虚脱感を味わったのを思い出す。是政ステークスというのもあります。

ここからは二ヶ村緑道が西に向かっていて道なりにいけば体育館などスポーツ施設があり、そのさきが博物館だ。子供の交通公園もあり親子がゴーカートに乗っていた。蓮の池もある。釣り堀もある。林を残してあり、ほとんど騒音もないから静かでいい公園だ。

途中に御茶屋街道が南北に通っていた。府中本町駅のイトーヨーカドーのところに江戸の初期、府中御殿があった。そこへお茶のために多摩川の水を運んだので名付けられた。府中御殿とは何ぞや。これは平たく言えば徳川家康の別荘です。家康はここで多摩川の鮎を所望し、お茶会も開いたんだそうだ。小田原城を見下ろす山の上で連れションをしながら豊臣秀吉が「関東8カ国を進ぜよう」と家康に告げた。仕方なく家康は江戸に入ったが、まず国府のあった府中で情勢をうかがい江戸城へと向かった。

多摩川からの坂を上ったところにあり、南方は多摩の横山と言われた多摩丘陵。周囲は大国魂神社の森、後ろには高安寺。足利尊氏の元の名前の高氏から1字をもらって名付けられたという由緒ある寺だ。分倍河原の古戦場にも近く、中世には様々な武将がここを拠点として出陣していった。多摩川の清流を望み、周囲は森に囲まれている。野点などして、鮎の塩焼きで一杯やったら最高だろう。

緑道と御茶屋街道の交わるところに奴車道の標識があった。交差するところに吉野家があり、奴車という水車が回っていたので、ここからさきは奴車道。

なかなか目的地に着かない。府中はさすがに古い町だ.歴史の跡があちこちにある。多摩川の土手で休んでから目指すことにしよう。

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